ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

超即興 吉沢元治コミュの2006年9月13日 papa吉沢の命日ですた。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ぱぱ吉沢の命日を記念して
去年、こみゅをたちあげて
現在50人以上のメンバーが
あつまってくださいました。

今年からはたくさんある
吉沢さんの日記(清書してあるもので
発表の意志があったようです)や
手紙文のノートから
吉沢さんと対話するような
気持ちで
タイプしてこのコミュにあっぷしていこうと
思いました。
写真は、まだ若い
近藤俊則、高木元輝、吉沢元治。

コメント(5)

1978年 トーマススタンコへの手紙文 (1)

私は演奏行為と生きることを区分して考える事ができません。

私にとって演奏行為とは、ばらばらに分離した私自身が

本来シンプルであるだろう生そのものにいきつくための

欠くことのできない、果てしない回り道のように思えるのです。

演奏のさなかに、ともすれば自我充足のみを求め始める私を

かろうじて思いおこさせるもうひとりの私。

私という存在の中心ともいえるものが「より生きよう」と

私自身に働きかけるのです。

全てを引き受け、ありのままの現在に身を投げ出すことから、

即興演奏へ向けて出発できうるのだと。

全てを引き受けて現在を生きようと願う事は、

より積極的に今を生きようとすることであり、

一瞬先の未来へ飛んで身を投げ出す事でもあります。

楽器を持ち、それを使いこなす訓練をする私達演奏者は

自分の背後に逃げ込める多くの部屋を用意しがちです。

この一見逃げ場所とも思える昨日の小部屋に易々と

逃げ込もうとするのですが、帰れる場所もなく、

逃げ切ることもできないのです。

全的な生のまっただなかでの演奏を志すものは、

もってしまった全てのもの(楽器、知識、技術、過去)を

抱かえこんだまま一瞬毎の未知の闇の中へ前進するしか

ありません。

前にも後ろにも逃げ込める部屋などないと思うのです。

あるのは逃げ込めない場所としてぽっかりあいた穴としか

言えません。より生きるにはこの穴から目をそらせてはならない。

見続けようとすることが私を昨日から引きはがすのだと思います。

自我、そしてその奥にかくされた私の存在の中心ともいえるもの

すべてを含めて、私全体があり、私という存在は

この自我と深いところにある存在の中心との間の

揺れ動きそのものであるといえるのではないかと思うのです。
はじめてコメントします。ありがとうございます!このような生前の手記の公開に感謝します。9月20日にライヴ出演なのですが、すっきりしないままで臨むのはイヤだなあ!と思っていたところ、吉沢氏のことばに救われました。自分の勇気を信じてライヴに望みます。手紙文は本になりますか?ほんとに感謝です!

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

超即興 吉沢元治 更新情報

超即興 吉沢元治のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング