ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

応援しまっせ!ビックボーイズコミュの★なべちゃんと愉快な仲間たち♪

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
え〜
コミュのメンバー
ってかあせあせ(飛び散る汗)裏管理人exclamation & questionのガンコ親父さんに、
なべちゃんのお師匠さんやお友達をご紹介してもらうコーナーです


副管理人を快く、
引き受けてくれたなべちゃんっぴかぴか(新しい)
その周りには、すごい人が名を連ねております.

でも、世代の違いもあるから知らない人もきっといる筈
ってな訳なので、
ガンコ親父さんに色々、語ってもらいましょ〜
でも、一人にしないであげてっウッシッシ
みなさん絡んで楽しくしましょるんるん

【追記】
ガンコ親父さん、丁寧にありがとうございます.
コメントにお礼書き込みしたいところですが、
トピ自体が見づらくなるので省略させて頂きますあせあせ(飛び散る汗)
スイマセン、でも感謝しております考えてる顔

コメント(10)

え〜〜と誰から語ればいいのか迷うところですが、芸の世界は完璧な年功序列なので、まずはなべちゃんがお世話になっている師匠連から書いていきたいと思います。

まずは内海桂子師匠から始めたいと思いますが、資料調べからやらないと失礼になるので、ちょっくら時間をくだせえ。

ってな訳で何日か後から書いていきます。楽しみにしていてちょ〜〜だい。
そんなしっかりやってもらえるとは、
ありがたい限りです泣き顔

mixiしてる人って若い人が多いので、
すっごい人でも知らなかったり...
まぁ年の差だからショウガナイっ
実は私も詳しくなくってあせあせ(飛び散る汗)

とはいえ、そんなのはもったいないですよねっ
色々教えて下さいマセわーい(嬉しい顔)
内海桂子師匠http://www.maseki.co.jp/main/Profiles/UTSUMI/utsumi.htmlの人生は生まれた時から波乱万丈だ。大正11年千葉県は銚子にて、駆け落ちした両親の間に生を受ける。貧乏な少女時代を過ごしたが、母親が三味線と踊りの稽古に行かせてくれた。もともと才能があったのだろう、15の時に誘われて地方巡業に出るまでになった。

昭和13年に浅草橘館で漫才師として初舞台を踏む。芸名は雀家〆子、相方は高砂家とし松という。しかし、19歳の時に相方と不倫関係になり子どもを出産する。その後悲惨な戦争を迎えるが、戦火が収まった頃浅草のキャバレーのホステスとなり、お得意の三味線や踊りを生かして「浅草のお桂ちゃん」と呼ばれ、売れっ子になる。

昭和25年に14歳年下の好江とコンビを結成し、内海桂子&好江として一躍人気コンビとなり、平成9年に好江がなくなるまで、48年間にわたり、ラジオ、テレビで大活躍を続けた。その間、昭和33年にNHK漫才コンクール1位、昭和57年に芸術選奨文部大臣賞、など数々の受賞歴があり、平成元年紫綬褒章、平成7年には勲四等宝冠章を受け、文字通り漫才界の頂点に登りつめた。

平成10年に当時の漫才協団会長に就任し、平成17年漫才協団が社団法人漫才協会http://manzaikyokai.cocolog-nifty.com/と名称を変更したが、そのまま会長に留まる。そして平成19年会長を青空球児に譲り、名誉会長に就任する。

ビッグボーイズが21代目の真打に昇進した平成18年11月23日、浅草公会堂の舞台から師匠のさがみ三太、副会長の青空球児とともに、ビッグボーイズの更なる精進を願い口上を述べた。

この桂子師匠、オレとも縁がないわけではない。確か昭和50年代に本を出版したはずだが、その時オレと仲のよかったUが出版を手伝ったはずだ。それと、オレの親友の映画監督のすずきじゅんいちが奥さんの榊原るみさんを起用して話題になった映画「ひとりね」http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD34422/linktome.htmlにも老婆役で出演している。
ガンコ親父さん何時もお世話になっています・内海桂子師匠には・2年前に僕の

真打昇進の時は一緒に新聞社周りをしました。その時の写真です!指でOK
次はさがみ三太師匠を書くよ。なべちゃん面白いコメント用意しててね。
なべちゃんと愉快な仲間達 その2 <さがみ三太師匠>

「毎度皆さまお馴染みの〜〜」で始まり、「ちょうど時間となりました〜〜」のフレーズでお茶の間に親しまれた「さがみ三太・良太」http://www.geinin.jp/prof/sg_santaryota.htmlは、いわずと知れたビッグボーイズの師匠である。三太師匠は昭和14年浜松に生まれた。16歳の時、生来の喧嘩早さを心配した父親が、厳しい修業を積めば直るだろうと当時人気絶頂の浪曲師相模太郎に弟子入りさせた。その5年後に相模五郎の名で、浪曲漫談でデビューを果たした。

一方良太師匠は三太師匠より遅れること一年半後、相模太郎の三味線弾きとして門下に入り、その後南良雄の名で萩本欽一らと漫才コンビ「スリーポイント」を結成する。こうして二人は別々の道を歩みだしたが、16年ぶりに浅草の演芸場の楽屋で再会し意気投合「さがみ三太・良太」を結成する。

実力派のこのコンビは、瞬く間に茶の間の人気を得て、昭和51年第五回放送演芸大賞最優秀ホープ賞を受賞する。この時最後までその座を争ったのは、「ツービート」http://www.youtube.com/watch?v=UI5Fo-U3OFIと「昭和のいる・こいる」http://www.sol.dti.ne.jp/~puree/だった。こうして「さがみ三太・良太」は漫才の王道を歩み続け、NHK正月の演芸特番では欠かせぬ存在となり、長く漫才界をリードしてきたが、五年前に突然コンビを解消した。

といっても喧嘩別れではない。長年コンビとしてやってきたが、「もうそれぞれやりたいことをやろうよ」と二人の思いが一致したものだった。良太師匠は実の娘、いずみさんとコンビを結成し、http://manzaikyokai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_df06.html父から続く三世代に亘る浪曲人生を続けており、三太師匠は現在静岡に住まいを移し、ピンで活動している。今は亡き相模太郎の名跡は三太師匠が預かり持っている。

弟子には、大阪の吉本で活躍している「酒井くにお・とおる」http://talent.yahoo.co.jp/talent/11/g96-0010.html?frtlnt=dir「ビッグボーイズ」「ナナオ」などがいる。ナナオ君は現在美川憲一の専属司会者として活躍中でその洗練された話術は定評があり、いずれ間違いなく世に出てくる逸材だ。ボヤボヤしてると抜かれちゃうゾ。なべちゃん!!
がんこ親父さんこんにちは・酒井くにおとおる兄さんとか・ツービートの動画とか凄い資料ですねビックリです・勉強になります
写真中央は2代目コロンビヤローズさんです指でOKわーい(嬉しい顔)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

応援しまっせ!ビックボーイズ 更新情報

応援しまっせ!ビックボーイズのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング