ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

橿原奠都の令コミュの聖意謹解(詳細)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
恐れながら此の令の中には、天祖天神を崇敬し、其の垂訓を奉戴し給う叡慮と、国民を愛み給う広大無辺の御仁慈と、道義を世界万国に押し弘め、万物をして其の所を得しめんとする雄大宏遠なる御思召とが現われていると拝察する。

即ち「苟モ民ニ利アラハ何ソ聖造ニ防ハム」と仰せられ、「上ハ則チ乾霊ノ国ヲ授ケ給フ徳ニ答ヘ」と仰せられ「六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ掩ヒテ宇ト為ム」と仰せられているのがそれである。

「クニノウチ」を漢字で「六合」と書いてあるが、六合とは上下と東西南北とで、つまり日本国中と申すことである。
この日本国中を兼ねて都を開くと仰せられた意味は、日本国中を、総べて都にしようということで、実に雄大な御思召である。

また「アメノシタ」を漢字で八紘と書いてあるが、八は八方、紘は綱(ツナ)である。
八紘の字義を今少しく詳しく説明すれば、これは八方を繋ぐ綱、即ち天地を繋ぐ綱ということになるが、ここでは八方の遠い場所と見て置けばよいだろう。その八方の遠い場所をも一家同様に愛撫しようという御趣意である。

この「八紘を掩ひて宇と為む」という御言葉は、後の八紘一宇の熟字の本であって、これは前述のように国民を愛撫し給う統治の精神、即ち洪大無辺の御仁慈を、広く世界万国に押し広めようという御思召の現われで、侵略または征服的の意味などは、毛頭入っていない。

神武天皇は武を以て天下を治められたことは明かであるが、その武は仁愛を全うするための武であって、侵略または征服のための武でないことは明かである。
我が国は尚武の国である。武を軽んずることは許すべからざることである。去りながら、武を尚ぶ所以のものは、道義を全うするがためである。

要するに神武天皇の令は、道義立国の大精神が、最も明瞭に拝察される令である。神武天皇創業の御精神は、実に天神天祖の御垂訓に基きて、天地の大道を根本とされている。思うに道は自然である。人為を以て変更することは出来ない。雲霧を吹き払うて肇国の大精神を明にすれば、常に若やいだ姿を以て、雄大な活動が出来るのである。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

橿原奠都の令 更新情報

橿原奠都の令のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。