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まんが道 トキワ荘コミュのトキワ荘について書いた本

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 ぼくは昭和三十三年、東京の椎名町で生まれた。西武池袋線で池袋から一つ目の駅が椎名町である。子供の頃は椎名町を知らない人のために枕詞として「昔、帝銀事件のあったところです」と述べていたが、いつの頃からか「トキワ荘があった街です」といえば、ほぼ百パーセント通じるようになった。トキワ荘はいまさら説明も不要だろうが、手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオなどの漫画家が若かりし頃に住んでいた伝説的なアパートである。ぼくが生まれた頃はちょうどトキワ荘全盛時代と同じ時期に当たる。生まれたときはまだ内風呂がなかったので、赤ん坊のぼくは藤子不二雄や赤塚不二夫らと同じ銭湯に浸かっていた可能性もある。もっとも当時、トキワ荘に漫画家が住んでいたということは一般の人には知られていなかった。後年、藤子不二雄Ⓐさんの『まんが道』にトキワ荘が登場してから人口にも膾炙するようになるのである。
拙著「昭和 失われた風景・人情」(ポプラ社)にトキワ荘のことを書いたことがある。藤子不二雄Ⓐさんからいろいろとトキワ荘の写真を借りたので、本を謹呈したら、「感動しました」という手紙が来た。今度一緒に飲む約束をしていたのだが、ちょうどその頃赤塚不二夫が亡くなり、葬式でそれどころではなくなって飲み会の話は立ち消えになってしまった。
トキワ荘の文を書くときに、講談社の伝説的編集者で、手塚治虫を担当し、赤塚不二夫や石ノ森章太郎、水野英子らを育て上げた人に取材し、事実関係の誤りがないか原稿をチェックしてもらったのだが……。
「これまで読んだトキワ荘のルポの中で、出色の出来ですよ」との言葉をもらい、ひどくうれしかったことを覚えている。
ちなみに「昭和」はいまでは古本屋でしか買えない本になってしまった。以前は五千円近い値段が付いていたが、最近定価より安くなった。古本だからいくら売れてもこちらには一銭も入ってこないが。

 我が家の隣に老夫婦が住んでいた。そのおじいさんが相撲の季節になると、我が家にテレビを見に来ていた。当時はまだテレビがそれほど普及していなかったので、もらいテレビというか、そうやってテレビを見にお宅に伺うということはめずらしくなかった。ちなみに赤ん坊のぼくは国会中継が好きでブラウン管に向かって「池田さん」(当時の池田勇人首相)と呼びかけていたそうである。おじいさんはいつも飴色のセルロイドのタバコ入れに「いこい」を入れていた。あるとき、おじいさんがとてもうれしそうに「子供ができた」といっていた。しかし、その子は生まれて間もなく死んでしまった。もっとも子供が生まれたということは老夫婦ではなかったのかも知れない。幼児のぼくから見たらおじいさんのように見えたが、それほどの年ではなかった可能性もある。あるはい高齢出産が祟って、その子は生命力が弱かったのかも知れない。小雨が降っていた。ぼくは我が家の窓からその子の葬式を見ていた。隣家の庭におじいさんが丹精を込めて育てていた盆栽の棚があった。盆栽の隣に白い小さなしゃれこうべがぬらぬらと光っていた。しゃれこうべが泣いているように見えた。誰も信じてくれないが、これがぼくの最初の記憶であり、原風景なのである。その子は年子の弟と同い年だったとあとから聞いていたので、そのときのぼくは一歳だったことになる。

 それと共に印象に残っているのは酩酊感である。親父が悪ふざけして幼児のぼくにビールを飲ませた。ぼくは一口飲んだだけで酔っ払ってしまい、ふらふらした。千鳥足で歩いて、畳の上に転がっていた金属製の独楽を踏んづけてしまった。みるみる足の裏から血が噴き出した。釘を踏み抜いたような痛みと血の色と酩酊感と濡れたしゃれこうべが切れ切れの記憶に残っている。

 いつか自伝的エッセイを書く。

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