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小江戸川越 【埼玉県川越市】コミュの20年前の手形 「本人」へ 川越駅西口改修で撤去1800人分

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小江戸川越コミュで、少しでも協力が出来ればと思い、読売新聞 埼玉版にあった記事を転載いたします。
心当たりのある方は、記事中にある電話番号に問い合わせてみてください。

******************以下、記事転載******************

20年前の手形 「本人」へ 川越駅西口改修で撤去1800人分

当時の児童追跡中

 川越駅西口の改修計画で、名物として親しまれてきた約1800人の手形のモニュメントが撤去されることになった。
川越市内の児童たちが20年前、自分に宛てた手紙などを収め、表に手形をつけた思い出の品。
企画した当時の川越青年会議所理事長・今西芳夫さん(59)らがいま、持ち主捜しに奔走中だ。
「それぞれの手形に20年分のドラマがある。一人でも多くの人の元へ返したい」

 モニュメントが造られたのは1991年。31年後の市制100周年を迎える2022年に返却し、タイムカプセルのように、過去の自分を懐かしんでもらおうと企画された。

 市内の小学校33校の児童ら約1800人が参加。配布された長方形のトレイに、宝物や未来の自分へのメッセージを入れてセメントを流し込み、手形と、思い思いのサインなどを付けてもらった。
回収した厚み5センチのプレートは駅前の広場に敷き詰めた。
今西さんは「川越に愛着を持ってもらいたかった。
いつか川越を出て行ったとしても、20年、30年先にも思い出してくれると考えた」と振り返る。

 09年に駅前ロータリーで起きた交通事故をきっかけに、西口に歩行者用デッキを架ける案が持ち上がり、来年度に駅前の広場を含めて改修することが決定。
手形の撤去が必要になったが、現在の青年会議所には当時を詳しく知る人がおらず、今西さんら元メンバーが返還先を捜すことにした。

 今西さんらは今年1月、市の広報誌に、持ち主からの連絡を呼びかける記事を載せたが、効果は薄かった。
市教委に協力を依頼し、会議所側が保管していた名簿を元に、各校から住所確認の電話を入れてもらったところ、5月に約1500人分のリストが完成。
元メンバー約15人から集めたカンパを使い、6月上旬に案内文を発送した。
しかし川越市を離れている人も多く、300通以上が届かず、戻ってきたという。

 「秋までに一つでも多くのプレートを返還したい」と今西さん。問い合わせは、同会議所(電049・229・1810)へ。

   ■転校した友、震災死 参加者の1人

 今西さんは、駅前で手形を指さして笑い合う大人を見るたび、「当時の子どもたちかな」と想像しながら、時間の流れを感じてきた。

 当時小学校6年だった田中皐暉さん(32)は、高校生の頃に毎日通った駅西口の光景が浮かぶという。
「彼女ができると、小さな手形を見せていた。なくなってしまうのはさみしいが、中に何を入れたか覚えていない。楽しみです」。
今は東京都内で暮らし、飲食店を経営している。

 当時の子どもたちが手形を押した1991年、中東では湾岸戦争が起き、ソビエト連邦が消滅した。福井・美浜原発で事故が発生し、国内で初めて緊急炉心冷却装置が作動、大問題となったのもこの年である。

 川越市の会社員斎藤久美子さん(29)は、記憶が鮮明に残っている。

 友達ら5人と手形を作った。入れた手紙は、当時人気があったサンリオ社のキャラクターの便せん。
手形を作る直前には、大の仲良しだった友人が、仙台市へ引っ越していった。
その友人がこの春、東日本大震災で亡くなったと聞いた。
「手紙にはきっとその友人のことも書いているはず。開けて、当時を思い出したい」。
斎藤さんはそう考えている。

(2011年6月18日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20110617-OYT8T01200.htm

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