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ジュリーとの新しい思い出コミュの1988年・パート1(バンドCoCoLo終了)

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 88年に大学に入学して上京したボクは、雑誌ぴあを初めて買い、その中
でジュリーの野音ライブを知る。これが東京での最初のライブだ。ライブには
その時付き合っていた彼女と一緒に行った。最初は渋っていた彼女も、ボクが
米米クラブのライブに付き合うことを条件に同行してくれることになって。
 この頃はイカ天のバンドブームに火がついた時期で、しかも、バブル景気で
毎日どこかでイベントが行われていた時代。時間と金が許せば週に1回はライ
ブに行きたいと思っていた。

 そして、日比谷野外音楽堂でのジュリーライブ。この日は雨だった。中では
傘がさせないとのことで、入場前にビニールのレインコートを買って完全防備。
待っていると、ダフ屋のオッサンが寄ってきて「今でも沢田研二って人気あん
の?」と聞いてきた。勿論、無視したが。

 入場してまもなくライブが始まった。その時はまだポツリポツリとした雨で
ジュリーも余裕で歌っている。この時はまだアルバム『TRUE BLUE』
が発売されていない時だったけれど、アルバムの曲を数曲、それからここ何年
かのシングルのメドレーがあった。『チャンス』『女神』など連続して歌った
後、結構いい曲なのにどうして売れないんだろうって苦笑していた。そして、
ライブも後半にさしかかると、雨足が強まり、ジュリーももうどうにでもなれ
と踊りまくっている。客の方もそんな気になって大雨の中の『勝手にしやがれ
』では皆両手を上げてかなりの盛り上がり。ふと横を見ると、行くのを渋って
いた彼女までが何かのセンがキレたのか、「ジュリー!」と大声で叫んでいる。
 というすごいライブだったんだけど、これがバックバンドCoCoLoの見
納めとなった。

 この後、TVで何回か出演した後、CoCoLoは解散する。元々40才ぐら
いまでの目安でジュリーは考えて、ちょうど潮時だったとも言える。ボクは行か
なかったけれど、この年の前半、ジュリーは汐留PITなどの割と小さなホール
で数日間ライブをしていた。今は日本テレビのビルなどがあるけど、あそこら辺
は旧国鉄が所有していた莫大な空き地で(貨物列車が停まる駅があった)、その
空き地の片隅にテントを立てて作られたのが汐留PIT。ボクもレピッシュのラ
イブで行ったことがある。
 そこでライブをやったというのも「俺らは小さなホールでやるのが得意なん
だ」というメンバーの意見があったからで、「じゃやりましょう」とジュリー
は即ライブを決めたというが、このライブの出来に不満なファンもいたようだ。
そして、この年、ジュリーは「もう限界でしょ」とメンバーに告げ、CoCo
Loを解散させる。

 CoColo時代、ジュリーは何をやりたかったのか―――。

 テクノというコンピュータ音楽から始まった80年代、その可能性は進化し、
打ち込みの音楽、ダンスミュージックへ時代が流れていく中で、ジュリーはバン
ドの音にこだわった。この当時、ジュリーは「ボクらにとってはいつまでたって
もストーンズであり、ビートルズでなんです」といったことを語っている。
 ジュリー、というより団塊の世代にとっては60年代への強烈なノスタルジー
があり、ジュリーも一人の歌手というより、ロックバンドのボーカリストとして
存在したいという気持ちが強かったのではないか。
 元々ジュリーはタイガースの解散にも反対だったというし、『ス・ト・リ・ッ
・パ・ー』の頃はエキゾティックスの表記を自分と対等にしている。それは、C
oCoLoでも見られたことだ。


CoCoLo最後のシングル『TRUE BLUE』PV

 この頃、ジュリーはハウンドドックの大友康平さんのラジオに出ている。大友
さんはアマチュアバンド時代、「この曲、おれがめっけてきた」といってジュリ
ーの『気になるお前』をカバーしていたとのこと。そして、何かのロックイベン
トで初めてジュリーと一緒になった時、挨拶に行こうとしたら、ジュリーは当時
のマネージャーを怒鳴り散らしていて、とても近づける雰囲気ではなかったらし
い。その話を聞きながらジュリーは苦笑し続けていた。そして、最近ではTVに
あまり出ないので、マネージャーのおばあちゃんが心配して「あたしがどこかの
キャバレーを紹介しようか」と言っているという自虐ネタをジュリーが披露する
と、今度は大友さんが苦笑、というか、対応に困っている感じだった。
 この時、ジュリーは「有線か何かで聞いて、いい歌だなと思って、その歌を探
して初めて沢田研二の歌だと知る、そうなるのが理想なんだけどね」と言ってい
る。それから「いろいろやってみて初めて知る痛みもあって‥‥‥かといって、
それも勉強で‥‥‥」というようなことも言っている。

 まあ、そんなことを言っておきながら翌年には「みんなが昔の自分を忘れて
くれないから、それならって感じでね」と言ってジュリーは再び派手路線へ舵
を切る。

コメント(2)

今日も素敵なお話、ありがとうございます
心が沸き立つ想いです☆
やっぱりジュリーはカッコいいですね
オトコって感じ☆
 男が惚れるオトコですよね。

 以前、島田紳助さんもジュリーを自分のトーク番組に呼んだ時、
ちょうど裕子さんとの不倫が騒がれている時で、紳助さんはその
ことについて触れざるを得ない状況だったそうです。

 でも、そのことに触れられたくないジュリーは、イメージが下
がることを承知の上で自分の失敗談を面白可笑しく語ったとのこ
と。そのおかげで番組的にも盛り上がり、紳助さんは別の番組で
も「沢田研二は大した人やで」といったことを何度も話していま
す。

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