ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ザ・ハリケーンコミュのルービン・カーター氏が天国へ・・・ハリケーンからのメッセージ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ハリケーン・カーター死す、袴田さん支援の規範に
http://boxingnews.jp/
ハリケーン・カーター氏死去(ボクシングニュース)

 元ミドル級世界ランカーで、20年近く獄中生活を送りながら冤罪で釈放されたルービン“ハリケーン”カーター氏が20日(日本時間21日)カナダ・トロントで亡くなった。

76歳。

死因は前立腺ガンと伝えられる。

 1937年5月、米ニュージャージー州に生まれたカーター氏は軍隊に入隊後、勤務地のヨーロッパでボクシングを覚えた。

61年プロに転向。

身長173センチとミドル級では小柄だったが手数が売り物で、MSGなどでリングに上がり、名選手エミリー・グリフィスに初回KO勝ちの快挙。

ジョーイ・ギアデロに挑んだ世界戦は判定で敗れたが、将来を嘱望される選手の一人だった。

 しかし66年6月、地元パターソンの飲食店で3人の白人男性を銃で撃ち殺した容疑で逮捕され、終身刑を宣告される。

獄中でカーター氏は強く無罪を主張したが76年の再審でも一度カーター氏に有利な証言をした2人の証人が前言を覆し、再び終身刑が言い渡される。

それでも出版された「第16ラウンド」という自伝やフォーク歌手ボブ・ディランの「ハリケーン」という歌が世論を動かし、カーター氏に有利な証拠が隠蔽されていたことが発覚。

85年11月釈放された。

 その後はトロントに移り住み、不当な殺人罪判決に抗議する活動を続け、公民権運動でもシンボル的な存在だった。

先月、48年に及ぶ獄中生活から釈放された袴田巌さんの支援者が活動の規範とした人物でもあった。

WBCは94年、名誉チャンピオンベルトをカーター氏に贈呈している。

 また99年には映画「ザ・ハリケーン」が上映され、主演でカーター氏を演じたデンゼル・ワシントンがアカデミー賞にノミネートされた。

「ルービン・カーターに神の恵みがあらんことを。

彼の疲れを知らないファイトは、すべての正義を確実にした」とワシントンは哀悼の意を捧げている。


コメント(6)

亜里華さん、有難うございます。

袴田さんが自由になったのを知ったあとに、ハリケーンは天国へ・・・

袴田さんとハリケーン、きっと運命でつながっていたのでしょうね。

ルービン・ハリケーン・カーターさんの魂が、安らかでありますように・・・



他のトピでもシェアしましたが、「ザ・ハリケーン」(角川文庫)から、ルービンの感動的なスピーチをもう一度・・・



1988年2月26日、パセイク郡判事が起訴却下命令に署名した。ようやく、22年にわたる長い旅が終わったのだった。

その週末、マイロン・ベルドックが自宅でルービンのために祝賀パーティーを開いた。

集まった誰もが、勝利の大きさと美しさに驚嘆し、人々が献身的に協力し合えば成し遂げられることに感激した。

ルービン訴訟に関わった人は皆、その経験に揺り動かされずにはいなかった。

そしてこの気持ちが、サロキン判事にも伝わったのだ。

2月29日の記者会見で、ルービンが自由に公に話せる時が来た。

翌日の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、セルウィン・ラープがその時の様子をこう書いた・・・



昨日、カーター氏に敬意を表してつくられたボブ・ディランの「ハリケーン」がスピーカーから盛大に流れるなか、友人や支援者たちの拍手に迎えられてカーター氏が「プラザ・ホテル」のバロックルームに姿を現した。

ルービンが聴衆に向かって話しはじめた。



「記者の皆さん・・・

22年前の1966年6月16日、私は興行マネージャーと打ち合わせをするために、ニュージャージー州パターソンの自宅を出ました。

その晩起きた出来事が私のボクサー生命を終わらせるゴングを鳴らし、全く別の戦いの始まりになるとは思いもよりませんでした。

新しい戦いは、人生そのものと自由をかけた戦いでした。

そう、いま私たちはその戦いに勝ったばかりです。


第16ラウンドがついに終わったのです!!

終わりました!そうです。

ニュージャージー州は起訴内容および、正式起訴の却下に納得したようです。

22年前に死刑を求刑し、私の命を奪おうとした正式起訴です。

しかしご報告できて嬉しいことに、彼らはその時も死刑判決を引き出せませんでした。

そのかわり、彼らは生き地獄に私を落としました。

生き地獄・・・刑務所がどういうものか、他に言い表しようがありません。


刑務所は人間にとって大事なものを、全て台無しにします。

家族をばらばらにし・・・私の家族もばらばらにされました!

人の尊厳や誇りをここで言うこともできないほど様々な方法でうち砕き、それが私には本当につらかった。


しかも、私は自分が無実であることを知っていたのです!

誰にとってもつらいことでした。

刑務所で人々が死ぬのを、私は見てきました。

言うまでもなく充分な治療が受けられず、無視されて放置されたまま死ぬのです。


そしてそういう意味で私は片目を失っただけですんだのですから、幸運だったと常に考えてきました。

1966年当時十代だったジョン・アーティスは、私のちょっとした顔見知り程度でした。

運命の6月の夜・・・

私に家まで送ってくれないかと頼まなければ、刑務所に入ることもなかった彼は不運でした。

彼は刑務所で、不治の循環器系障害を発症しました。


今に至るまで彼は手足の指を数本切断し、将来もさらに指を失っていかなければならないのです!

何てひどいのでしょう!!」


(続く)
ルービン「一体、彼が何をしたというのでしょう?

彼は私に家まで車に乗せてくれと頼んだだけなのに、信じられません。

しかし私が釈放されるにあたって最も驚かされたのは、20年間も私が社会に危険な人物とされていたことでした。

私は3重の終身刑を言い渡され、鉄の檻に監禁されました。

私は受刑者で、囚人番号で、最大限の警備と最小限の同情を受けるモノでした。

人ではないのです。

1日に15回、20回と点呼されて数えられる人体でした。

連邦地方裁判所へ釈放手続きに連れて行かれた時の、鎖でつながれ足かせと手錠をかけられた私の姿を、皆さんはご覧になったでしょう。

私は車3台分の重装備で武装した、執行官に引率されなければならなかったのです。

全く!

あまりにも危険人物扱いされるので、私は自分自身に震え上がりました・・・

でも次の瞬間に判事のペンが動いて、私は自由になりました!

ここにいる皆さんが当然のようにお持ちの、あらゆる権利と保護を与えられて、完全に自由です。

突然私はこの20年間がなかったかのように、ドアから出ていけるようになったのです。

まるで社会が『何でもなかったんだよ!』と言っているようでした。

ある時、私はチャンピオンを争うボクサーでした。

次の瞬間、そしてそれからの20年間、私は3人の殺人犯としてののしられ続けました。

それから次には、あやまって投獄された・・・無実の男になったのです。

こうした事実をわけがわかるように、説明できるものならやってみて下さい。


とても私にはできません。

あまりにめちゃくちゃすぎて!!

自分の経験から刑事裁判制度について、いくつかの結論が引き出せると思います。

まず死刑制度です。

州が処刑したがった無実の人間は、私が最初で最後というわけではないでしょう。

これまでにこうした事態は起きたし、これからも起こるでしょう・・・


そして私に起きたことなら、あなたにも起こりうるのです!!

誰にでも、あり得ることなのです! 」

ルービン「そしてあなたが黒人で貧しかったから、私の弁護団のような力のある弁護士がいなかったら、州が勝つ可能性が高いのです。

そして死刑判決が通るのです。

取り消すことができず、恒久的に決まりなのです!

.
◆ふたつ目は、刑務所はカンリークラブでもリゾート地でもありません。

今まで20年間、そこで過ごしてきたから知っているのです。

私たちが理解しなければならないのは、非人間的な残虐な刑罰を与えても、犯罪者問題の解決にはならないということです。

全く無意味です。

犯罪の種を取り除くことに集中すべきです。

ドラッグ、貧困、識字率の低さ、失業、人種差別などをなくすようにすべきなのです。

私たちは犯罪被告者に同情しなければなりません。

それは絶対に必要なことです!

そしてそれには、全ての被害者を含めなければならないのです。

なぜなら理性が心を支配するところのみ、平和があるからです。


◆三つ目はあまりにも信憑性の薄い地元検察に、莫大な力が与えられていることです。

パセイク郡検察官は莫大な州の財源を使って、ジョン・アーティスと私を22年間にわたり迫害し続けましたが、誰にもとめられませんでした。

そして今でも事実上、彼らの行動の結果を法的に問われることはありません。

その点を私は、野放しで均衡を欠いたものだと言うのです。.


◆四つ目は、連邦による州刑事裁判手続きの見直し、あるいは人身保護礼状の見直しが絶対に重要であり必要だということです。

州裁判所は正義とは全く関係ない、政治的配慮と地元の圧力にあまりにも頻繁に左右されます。

私たちの訴訟では、州の司法制度を抜け出して連邦の再考を求めるまでに19年間かかりました。


19年ですよ!!

ところがいったん州を抜け出してしまえば、
合衆国連邦地方裁判所が州裁判所の有罪判決を、『理性よりも人種差別、および開示ではなく隠蔽に基づいたもの』
と判断するのにわずか数ヶ月しかかかりませんでした。

連邦地方裁判所はこうした重大な憲法違反がおこなわれなければ、陪審は私を無実と判断したはずであると結論づけ、ただちに私を釈放するよう命じました。

そして合衆国連邦最高裁判所を含む、すべての連邦裁判所がこの判決に同意したのです・・・」
>>[5]  いつも有難うございます。   

BSで放送があったのですね。

こんな酷い事件が本当にあったと、みんながいつ冤罪に脅かされるかわからない・・・

皆さんに必ず観て欲しい映画です。



ルービン「しかし連邦裁判所の再考でさえ、正義の本当の保証にはなりません。

正義の一番の強敵は惰性、現状維持、または波風を立てないでおこうという風潮です。

だからこそ、私は今日ここで連邦地方判事H・リー・サロキン氏に感謝し、称えるのです。

彼の明晰さ、彼の見識と理解の深さは比類がありません。

州が19年間も回避してきた問題に、彼は一人でも真っ向から取り組む勇気を持っていました。

そして州の訴訟全体に、人種差別主義の毒が染みついていると判断しました。

州がそういう起訴を却下されないように、憎むべき犯罪を犯し、そのために私たちが不当に起訴されたのだと、サロキン判事は談じました。

さて、これで説明は充分だと思いませんか?・・・」

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ザ・ハリケーン 更新情報

ザ・ハリケーンのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング