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プラッシー楽団コミュのいよいよ松本伊代♪

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みんな!
準備はいいかな?
(団員に言ってるわけではありません)

■プラッシー今年初めてで
 結成以来初めてのワンマンショー

昨年4月結成以来怒涛の快進撃を続ける
プラッシーがいよいよ単独公演を行います!
しかも教会で!

2008年2月24日 日曜日 
15:30開場 16:00開始〜団長が倒れるまで
入場料 ¥1500ポッキリ

場所:西宮公堂同教会 http://www.koudou.jp/
阪急西宮北口降りて西北方向徒歩3分

チケットご用命は団員や
団長gskobe373@yahoo.co.jpまで!

さて。

前夜祭として何かトピックスを!と思いつつも、
華やかなネタがないのでね。
ここは身を切りまして、
謎に包まれている団長の過去について
ご披露するということで!

殺人:3件
強姦(未遂):6件
狂言・万引:無数

とかそういう過去じゃなくてえ!

プラッシーにいたるまでの
音楽暦をご紹介しておきます。

それがどうした!だけど。

<4歳>
高度成長期のご他聞に漏れず、
男兄弟の我が家にもピアノが。団地なのに。

わしの父親は「芸能関係者」(裏社会の)なので
「子供のバイエル」を書いた武田先生がピアノを
選んでくれた。。らしい。謎。

で。兄弟二人でレッスンを受けるも
兄貴は「ヘ音記号(の形)が怖い」と
レッスン1回で、エスケープ・・byジャーニー。

「げ。月賦が鬼ほど残ってるねん!」

ちうおかんの一言で、
幼くして「ピアノだけはやめたらあかん」宿命を
背負った、わしであった。

20年後に
「あのときピアノを買わなければよかった」
とおかんに言わしめる、
わしの音楽ライフがスタート。

<5歳>
生まれて初めてのピアノ発表会。
「緊張でおしっこちびりそうになる
 (ちょっと出る)快感」
を知り、賞賛を浴びることの恍惚も覚える。

<8歳>
「子犬のワルツ」を先生より高速で弾いて
「神童」と呼ばれる。
すべて耳から覚えて譜面を見てないことが発覚。

<12歳>
すでにピアノを習っている男子は周囲におらず、
ひたすら恥ずかしくて、それを隠し続ける。
んが。音楽の授業で「ひとり一芸」と言われて
めんどくさいのでブラームスを弾いたら(嫌味だ)
教室が静まり返って・・。
なぜか音楽の先生が逆上して、泣き出す。

<13歳>
中学は坊主だったので、
ピアノ発表会の記念写真が
「少女に囲まれた変質者」のようになる。(実際に・・)

<14歳>
友人(現・日経新聞記者)が
「おたく、ピアノ習ってるんなら
 これ弾けるんじゃない?」
とディープ・パープルの「ライブインジャパン」を
貸してくれて。。

人生が狂う(現在進行形)

生まれて初めてのバンドで
パープル、サンタナ、GFR、モットザフープル
ブルーオイスターカルトなどをやる。

<16歳>
友人に借りてるエレクトーンでは
「レコードみたいなオルガンの音」
が出ないことに気づき、
「ミシン」みたいなコンボオルガンを買う。
お金があるわけないので、万*きしたのか?
どやって?(その道で天才と呼ばれていた)

文化祭で音楽室をライブハウスにして演奏。
普段見慣れない女子が教室にいっぱいで(男子校なので)
蛍光灯に巻いたセロハンが鍵盤を青く染め、
その鍵盤で
ジェネシスの「ウォッチャーオブザスカイ」の
イントロを弾いたら
頭の中で何かがスパークして・・

一生バンドをやる! と決意する。

<17歳>
リアルタイム商業ロック(キッス、エアロ・・)
プログレ、ウェストコーストロック、ビンテージロック、
もちろん歌謡曲、イージーリスニングなど
ありとあらゆる音楽に埋もれながら、
「下から3番目の成績」でバンドやってるだけの
学生生活。

結局一番好きだったのは
「ウィングス」と「ポールモーリア」という下世話趣味は
今に通じる。

それでもピアノレッスンは続ける。

<18歳>
共通一次試験(元年)の試験前日に
「キャメル」日本公演に行くほどなので・・
結局受かった大学は、微妙なグレードのK南大学。
(当時アン・ルイスのバックバンドやら
 ノベラやらが在籍してたロックな大学)

軽音楽部に入って
長い付き合いになる音楽仲間と
トッドラングレンズ・ユートピアやジノ・バネリや
もちろんトト、ジャーニーやら「なんでもこい」で演奏。

すでにシンセ3段積みなどの見掛け倒しスタイルで
あまりそんな人はいないので
マルチ・キーボーディストとして無理やり名をはせる。

先輩やら外部のバンドに誘われて
ほいほい参加して
あちこちで収拾がつかなくなるなど、腰の軽さは今と同じ。

<20歳>
当時爆発的に流行した「フュージョン」のほうが
女子にモテそう・・と気づき、
フュージョン・バンドを結成。
初めてオリジナルを書く。

卒業までやったこのバンドは
神戸ローカルではけっこう有名になり、
コンテスト荒らしをする。

ロックと・・遠ざかる。

<23歳>
卒業はしたけれど〜。就職はしたけれど〜。
やはり音楽でメシを食いたい!と
完全プロ志向のバンドを結成。

ここでギターの nanri と運命の出会いを果たす。

<25歳>
「ターゲットは女子大生とOL。
 いわゆるニューミュージックです!」
ちうコンセプトが当たり、
「追っかけ」が出るほどの人気バンドに。

「女子に受けなきゃバンドじゃない」
と公言し、内外から顰蹙を買う。(今と同じ)
nanriが音楽性がどうのこうのと夜な夜な暴れる。

ヤマハのコンテストに優勝。
ついに社会人をエスケープし、プロ契約を果たす。

<26歳>
プロの現場で、演奏技術、リズム感、
ダンス!おはよーございます挨拶 を習い、
アマチュア時代には考えられないセッティングで
びっくりするほどの数のライブをこなす。
(当時機材:YAMAHA CP70MIDI、DX7を好きな台数、KORG DW8000、POLY-6、ROLAND JX8P、AKAIサンプラー、エフェクター無数・・)
デモ・レコーディングも数知れず。
有名人との出会いも数知れず。
(かすめただけだけど。。
 ネーザン・イースト、リック・マロッタ、ワディ・ワクテル・・)

「バンドだけ!」の夢の日々を送る。
そしてそれは、本当に夢だったことを知る。

<27歳>
いろいろありまして・・・
あえなくデビューに失敗。
暗黒の時代を迎える。

<28歳〜36歳>
楽器のマニュアルを書くという、
ウソのような卑怯な「それしかでけへんやん」な方法で
まんまと社会復帰。
バブルの勢いに乗って「社会人ごっこ」を楽しむ。

意識的にバンド生活からは遠ざかり、
なぜか野球場で過ごす時間が長くなる。

<37歳>
いろいろありまして・・・。

ある日突如、爆発的に音楽熱がブリ返し、
個人生活もめちゃくちゃになり(今に続く)
気がふれたように
録音機材を買い込んでオリジナル楽曲を作りまくり、
当然のように nanri を巻き込んでバンドを再開。

このころ作りまくった曲は、今聴くと
激しい自己嫌悪に・・

<45歳>
突然、
「おれってロックやったんちゃうんか!?」
「生き方だけは、ロックやのに(悪い意味で)」
と絶叫し、
夙川駅前で「ミッシェル」を拾って3秒で構想を固め

ロッキンサーカス

という往年のロックをバカっぽく演奏するバンドを始め、
あ。わしってやっぱロック・・と思う。

<4?歳>
ロック!ロック!ろっく54!と叫びながら
レッドキングというサザンロックバンドに参加して
ドラムの「ぼんぞう」と出会い、
ひょんなことからベースの「un」と共演し
意気投合。
「NHKのど自慢のバックみたいなバンドしたいですね」
の一言で、
2秒でプラッシーの構想が固まる。

で。「un」推薦で「大ちゃん」が加わり、
怒涛のような勢いで「プラッシーの今」に至る・・
てわけですわ。

うーん。
長い割にはおもんなかった?

それがわしの音楽人生。(の氷山の一角)
以上。





コメント(14)

やっぱり落ちてるのか〜

水は低いほうに流れる

が座右の銘です。
低い方に流れていったと思ったら、いつの間にか蒸発してまた上から降ってくる、
んでしょうね〜




chemicalさんも来てくれるんだよね!

で。速報!
ついに「ミッシェル」がミクシーに参加しました!
まだ右も左も下も上も裏も表も白も黒も黄も
わからないようなので、
マイミク申請してあげてください!

少女に囲まれた変質者のような中学生時代の写真っちゅうのを見てみたいですな!
中学1年生は坊主で浪人メガネだったからねえ。
ほんと、そこまではマジメな優等生
だったざますのよ
も、もちろん行かせていただきます。
チケット取り置きよろしゅうに。

団長が倒れる瞬間をしかと目に焼き付けます。
アーメン


>NHKのど自慢バンドへの憧れ…

 素晴らしい!!!
 わたくしもそうありたい
街角でも、プラッシーの話題騒然です。
こんなことにもポスターが
まだまだNHKのど自慢バンドへの道は
険しいのー。

Chemicalさん、おおきにっ了解です。
うっちぃさん、やるなあ。
人気者のような気がしてきました!
すごーーい。
ぼんぞうさんの「突然人生を振り返る」に
匹敵するような、波瀾万丈な音楽人生ですね・・・!?

>nanriが音楽性がどうのこうのと夜な夜な暴れる。
て、ところが一番ウケました。
ぇ?ウケる箇所ではない?
職歴も悪い意味ですごいのでまたいつか。
nanriはあのころ、
三宮中の喧嘩に仲裁に入ろうとして
逆切れして暴れるという
意味不明の行動をしてましたね。

最後には
「MINAMI君ががんばらなあかん!」
と叫んでました。

今も昔も意味不明。
今はナーリーがんばらなあかんでって自分で自分を励ましてます。

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