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NHKバリバラ&きらっとコミュコミュの「障害」を「障がい」と表記しているのって、偽善臭いと思いませんか?

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「最近、ちょっと気になることがあるんです。それは何かというと、僕たち障害者のことなんやけど、障害者という漢字を『害』は良い漢字じゃないので、平仮名まじりの文字に変えているところが結構増えてきたことです。真面目な気持ちで、言葉からでも変えていこうという人達もいらっしゃると思うから、それはそれでいいと思うんやけど、だけど僕は、ちょっと待てよと思うところもある。行政なんかも印刷物などで切り替えてきているけど、何かウサン臭さを感じるんやね。なぜかと言うと、例えば後期高齢者医療制度なんかもそうやけど、評判が悪かったから、中身は変わらないまま“長寿”って言い替えられたりしているけど、それと同じように、『障害者』という文字も『害』という字が良くないから平仮名で表記しようとしているが、世の中の障害者観がそれほど変わっていないのに、言葉だけを上滑りに変えてしまうことが、臭いものにフタみたいなニュアンスを感じるんやね。だから、もうちょっと言葉を吟味するというか、話し合う過程を通って使いたいと思うんです。」

2008年11月14日放送での、牧口一二氏の言葉です。全く同感です。

 私は障害者です。私は三年前、当時14才の中学生の無免許運転の原付バイクに轢かれ、足を骨折しました。リハビリを続けてきましたが傷は完治せず、障害が残りました。しかし、障害者の私は「障害」という言葉は全く気になりません。身体に障害があることは、紛れもない事実なのですから。それよりも障害を「障がい」と表記している方が、薄気味悪い偽善臭さを感じ、非常に不愉快です。
言葉をどう表記するのかよりも、真に大切なのは、障害がある人でも住みやすい社会を作ることではないでしょうか。

皆さんは、「障害」を「障がい」と表記することについてどう思いますか?

コメント(32)

僕も、言葉の表記の仕方を変えることは本質の議論を避けていると思います。
その言葉にどのような意味をこめるかが大切なのに・・・。
障害者という表記に使われている”害”とは害のある人という意味ではなく
障害のある人が日常生活で障害を感じているから”害”という字が使われていると思っているので、私は障がい者という表記には大きな意味など感じられないです。
トピ主です。コメントありがとうございます。
身体障害者コミュ、日本のタブーコミュでも同様のトピを立てています。
「共感できる」「どっちでもいい」等、色々と意見をいただいております。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48216589&comm_id=171905
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38650575&comm_id=810120
↓今日のヤフーニュースより

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/social_rehabilitation/?1259738601

【「障害者」表現変えます 吹田市が公募 波紋広がる】

■問題考えるきっかけ/言葉狩り

 「障害者」という言葉にマイナスのイメージがあるとして、大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。内閣府によると、「害」の字を避けて「障がい者」と表記する自治体は5年ほど前から増えているが、表現そのものを見直す試みは異例。「障害者と呼ばれるのは嫌ではない」といった声もあり、専門家は「行政の押しつけにならないようにすべきだ」と指摘している。

 障害者の「害」は元は「さまたげ」を意味する「礙・碍」だが、当用漢字でないため「障害者」が使われるようになった。2004年頃から「障がい者」と表記する動きが広がり、2008年度で10都道府県・5政令市(内閣府調べ)。市町村を含めると更に増える。吹田市も「障がい者」と表記してきたが、「『障害』は個人ではなく社会に存在する」として新しい表現を検討することに。10〜11月に公募したところ、「愛」や「友」の字を用いるなどした45件の応募があった。一方で、「私は障害者だが気にしていない」「言葉狩りではないか」など市の方針に反対する意見も複数寄せられたという。

 吹田市身体障害者福祉会の小西清会長(87)は「言葉を替えても体は良くならないのに、意味があるのか?」と市の方針に疑問を投げかける。障害者や家族からは「障害者問題を考えるきっかけになれば」と期待する声も上がるが、「言葉を替えても偏見は無くならない」「言葉よりも先に障害児教育の施策を充実させてほしい」など、抵抗や反発も根強い。

 吹田市は「難しい問題であることは承知しており、色々な意見を参考にしたい。」としている。市民からの応募を元に、学識者や公募委員による検討委員会を経て、来春までに新しい表現を決める方針。

 峰島厚・立命館大教授(障害者福祉論)は「『障害者』の表現は当事者の間でも賛否が分かれるが、行政の押しつけではなく、障害者たちが自由に選択できるようにすべきだ。単に言葉を替えるだけではなく、障害者の実態を市民に啓蒙(けいもう)することが重要だ。」としている。
上の、吹田市の、ヤですよねぇ。。ふらふら

こんな事してくれなくて良いから、
地方自治体は、早く差別禁止法関連の条例を作って欲しい。。


出来る事を、しないで置いて、話題作りにだけされてたんじゃ、
良い、笑いものにしかならないですよねぇ。。


最悪・・。。あせあせ
突然失礼します。
自分は仕事で障害と言う字を使いますが、名前を変えた所で見方が変わらなきゃ意味ないって意見に賛成です。
自分の好きな言葉ですが「名前ってなに?薔薇という名前をとっても綺麗な花と香りはそのまま」うる覚えなので違ってたらスミマセン。GOという映画に出てました。もとはシェイクスピアの台詞だったかな?
結局その人はその人。名前を何にしたって見る側が変わらなきゃ何も変わらない。
↓ミクシーニュースも「障がい」と表記

【SPEED今井絵理子 聴覚障がいのある息子との6年間が放映され大きな感動呼ぶ】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=14&id=1526002
千葉県では、障害者で、私の住んでる市原市は障がい者ですね。

団体名などには漢字で障害者と使いますが、文中の内容に関してはひらがな表記なので、パソコンに辞書登録してあります。

役所が県では漢字、市ではひらがなという使い方してるので、未だにどっちがいいのかよくわかりません。

一応、市内発行のものに関しても、時と場合によって使い分けてます。
どっちで表記しても不快感を感じる方がいらっしゃいます。

私は、数年前に事業所の名前を考えなければならなくなり、
「がい」で表記しました。

私自身は、表記だけ変えてもなあ、という感じだったのですが、
研修で提出しなければならない文章に、「障がい」表記で書いたところ、
その、レポートを評価される方から言われた言葉が、
「”がい”で表記されているところが素晴らしいです。きちんと考えていらっしゃるのですね。」であり、

嬉しいということではなく、

「”がい”で表記しないと、考えてない人って思われるのか〜。」

と怖くなたっというのが正直なところです。

ということは、「障害」表記をすると
「考えていない事業所」
と名前だけでみなされるのか〜、と思ってしまいました。

あとから、いろんな人の話を聞いて、
「障害」表記のままでよかったかなあ、と考えたりしている次第です。

もう少しいろいろ吟味すべきだったなあ。

ただ、うちの事業所を訪ねてくださる方は、
今のところ、そのことについて何かを言われることはないですが…。
心の中に思っていらっしゃるかたはおられるのでしょうね。

ちなみにうちの法人全体では「障碍」表記を使うことが多く、
ただ、読めない人が多いので、事業所名にしてしまうと、親しみにくいという問題がありました。

介護ヘルパーの学校で講師の先生が『害』という表記は差別にあたるからこれからは『がい』と表す方向になりますと教わりました。良かれ…と思う事が逆に当事者の方を苦しめるのは余計なお世話に過ぎませんね。
大阪市の保育所で働いています。公立の全保育所で、資料など全てにおいて、「害」→「がい」表記でないといけないと言うことになり、ファイルの表紙など、作り替えたことがありました。
また、市の委託でやってるスポーツジムの障害者用トイレと更衣室の表札も書き換えてあるのですが、文字数が違うからか「害」のところだけ手書きの「がい」を貼り付けてあって、増してあからさまで、いっそう違和感を感じてます・・・。
皆さんのおっしゃるように、「配慮してます〜」ってアピールしているだけにしか思えず、なんだかなぁ・・・と思ってます。
私は摂食「障害」です。でも「障害」を差別と思いません。生活に支障が出てるから障害なのでは?と思います。
てか、言葉の言い方について考える余力あるなら、どうしたらもっと誰もが心地よい社会になるのか考えたほうがいいと思います
私もパニック障害です。明らかに生活に障害あるので、別に変えていただかなくてもと思います。

精神障害と言われると重い気がしますが…

私の職場でも、障がいと表記するように上から言われています。
診断がついたら障害者なのか手帳を持ったら障害者なのか精神の方は手帳持ってる間だけ障害者なのか、発達障害は診断ついてる人が障害者なのか手帳持ってる人が障害者なのかもわからないし、健常者という用語も障害というカテゴリー分けも、なんか中学の人権教育あたりから、変だなあと思っていました。

精神薄弱の用語は嫌いでしたね。

子供も お供するのイメージで所有みたいな響きを改善するために、子ども あるいは こども にするというのも見られますよね

ツイッターでよく健常者概念が議論されてます。健常者になりたい障害者はどうこうだとか、誰々さんは障害者に見えないね←その言い方が差別だとツッコミ入れられたり してます。
なんか、地震のときに芸能人がブログでちょっと地震についてふれると「不謹慎だ」って荒れたり(しかもコメントしたほとんどが被災地じゃないらしい…)
変なところに神経質ですよね
漢字・仮名混じり文字が好きではないので
違和感を覚えたのが、最初に見たとき。

新聞やテレビの字幕で
難しい漢字だからって
わざわざ平仮名にしてるのに、
障がい者、の表記も似てるなあ、と。

しかし
害の字を、違う漢字に置き換えてるのを見たときにも、なんだか違うと思っちゃった。
一過性のものでしたね。

時代の流れですかね。
昨日放送の24時間テレビをチラッと見ました。
「障害」を「障がい」とテロップ表記していました。
ただでさえ障害者を利用してお涙ちょうだいの偽善臭い番組なのに、
「障害」を「障がい」とテロップ表記していて、さらに偽善臭くなっていました。
不快なので、すぐにチャンネルを変えました。
今までは「障害」を「障がい」と書き換えていましたが
これからは「障がい」を「障害」と書きます。
前回の放送で、出演していた鈴木おさむが、「障害」を「障がい」とフリップに書いていました。
「障害」を「障がい」と書くような偽善者が、感動ポルノを批判するなよと思いました。
>>[26]
ハッキリ言って 鈴木おさむさんは SMAPの寄生虫です。
そして 鈴木おさむさんの美的感覚は狂っています。
しかし 美しいものを美しいと感じる感覚(センス)を他人に頼らずに
すべて自分で決めている鈴木おさむさんは ある意味立派です。
なにをいまさら、って、思いますよね。
でも、それでも、意識や関心が向かないよりかは、だいぶまし。
なんて、考えてます。
傷付くのは、当事者だけではありません。
変な気遣い(?)されたとろで、周りの人も辛いのですもの。
昨日4日放送の『ワイドナショー』で
堀潤さんは「『障害』というのは社会の側の『障害』であって、
 その『障害』と戦っている人のことを「障害者」と記述してもよい。
 むしろ『障がい者』と記述するのは偽善だ」と言ってました。
私の考えでは、どのような言葉でも、差別主義者が差別を目的に使えば暴力でしかないという考えです。
「障害」を「障がい」にしても、障害者差別の解決にはならず、差別主義者が何らかの暴力の言葉を考えて、みんなで連呼すれば差別の実行であると考えます。
「シナ」「チョン」という言葉がなぜ言葉の暴力で差別かかんがえるとしても、差別主義者は言い訳として「歴史」を使いますが、歴史から見て正しくても、差別の意味であることが明白としか言えない使い方をしているから問題なのです。
どんなに言い訳しても、ベースが差別主義であれば、どのような言葉も暴力であると考えたいです。
今流行の「メンヘラ」にしても、精神障害者差別がベースだから問題です。単なる言葉なら無視しますが、当事者は言葉そのものでなく差別に対して怒るのです。
私が言いたいことは、精神や知的や発達の人って、差別主義者がいて被害を与えることが「一番の障害」と思います。
企業だって障害者雇用をしている、増えているといいますが、ブラックが低賃金かつ大量募集の使い捨て。
ハローワークって、気づきそうで気づく気がない。
しかも補助金目当ての雑用しかない、医者がへそを曲げて意見書に「できない」と書けばだれも「おかしい」とすら言わず、当事者が異論を言っても「妄想」と決め付けて終わり。

私は今の日本社会が障害者を障害たら占めているということに気づくのが先で、「障がい」「障碍」を主張する人ほど恵まれた立場と思います。
福岡でも「がい」表記が増えています。
実際の差別が変わらなければ意味ないだろうと。

私も役所で臨時職員をしました。
当時の課長が「精神障害者の社会復帰」「知的障害者の更生医療」っておかしいと。
社会復帰、更生って刑務所の受刑者に使う言葉だろうと。
誰も疑問に思わないし、当の障害者も病院内で「社会復帰」って連呼しています。

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