ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

1958(昭和33)年生まれコミュの深夜放送が僕らの先生だった!!

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「パックインミュージック」 に 「セイ!ヤング」 「オールナイトニッポン」 「ミッドナイト東海」
「ラジオ深夜便」「JET STREAM」

魅惑のディスクジョッキー たち 
パックの火曜日の 小島一慶に水曜日のキンキンこと愛川欽也、木曜日の吉田拓朗に南こうせつ
金曜日のナッチャコこと野沢那智/白石冬美

セイ!ヤングなら 月曜のレモンちゃん 落合恵子に 火曜の谷村新司・ばんばひろふみ
みのもんた や土井まさるも この番組の顔でした。 加藤諦三さんの人生相談は重みがありました。

オールナイトニッポン の黄金期といえば ニッポン放送の社長もつとめた カメちゃんこと
 土曜日の亀渕昭信さんでしょうか そして多くのタレントパーソナリティが登場しました
小林克也・泉谷しげる・あのねのね・カルメン・岸部シロー
 野坂昭如や稲川淳二 糸居五郎が語り
あのねのねや笑福亭鶴光、タモリ、所ジョージ、つボイノリオなども
フォークソングやニューミュージック系シンガーの番組に火がつき、
武田鉄矢・南こうせつ・イルカ・山田パンダ・加藤和彦・北山修・桑田佳祐・長渕剛・松山千春・吉田拓郎
などそうそうたる顔ぶれが入れ替わりながらパーソナリティを務めていった時期もあります。

東海地方の看板番組と言えば 「ミッドナイト東海」です
アマチン 天野鎮雄、 リコタンの岡本典子、森本レオもこの番組の出身です。

12時の時報とともに流れる ジェット機の飛び立つ音と パイロットの会話で始まる
「JET STREAM」の城達也の語りは なくてはならないものでした。

人生相談に恋愛の悩み 
1枚のリクエストはがきに願いを込め ラジオから流れた時には 次の日学校ではヒーローでした。

「深夜放送は僕らの先生でした。」

コメント(22)

くんたさん、
本当にそうでしたね!(^-^)
まさしく青春でした。深夜放送聞きながら受験勉強しました。学校でも放送した話や曲の話など良くしました。今では、私たちの頃の曲は懐メロですね。
(*^m^*) ムフッ
中学3年の時、高校受験の為の勉強をしながら毎日深夜放送を聴いていました。セイヤングとパックインミュージックだったなあ。コウタローパックと谷村セイヤング、こうせつパックが特に好きでした。

よくリクエストのハガキとか書いて「墨田区の○○さん、中学3年生」なんて読まれたりしました。今でもあの頃深夜放送で聴いた歌が一番懐かしいなあ。
高校受験時期、よく聞きました。オールナイト日本。夏時期に怪談の話題など、姉も一緒に聞き入っていましたね。怖かったけど。

マスメディア関連は急加速過ぎで、最近はついて行けない。
もっとゆっくり流れる時代が良いね。ラジオが良いね。
受験とラジオの深夜放送は切っても切れないものでしたね

夜11頃からは日本短波の 「ラ講」で 赤尾先生や 西尾先生の励ましの講義を受け
時に流される 大学校歌や寮歌を耳にしてあこがれたものでした。
わたしなどは この大学受験ラジオ講座の先生に直接会いたくて 
長野の栂池まで合宿講義に出かけました。

栂池サマースクールには全国から受験生が集まり
最終日にはレモンちゃん(落合恵子)とユーミンがやってくると聞いていたのに 
あらわれたのは 吉田照美でがっかりしたものでした
その時の ゲストは ハイファイセット
白馬栂池は夏の嵐の中での野外ライブでしたが ヒット曲 「冷たい雨」と「卒業写真」は
1週間のサマースクールで知り合った仲間や彼女たちとみんなひとつの傘で聞いたのを
覚えています。
田舎の電波の悪いところでラジオにかじりついて聞いていました。勉強すると親に見せかけて深夜放送ばかり聞いていた頃。

人生の勉強の初めの一歩でした。
あのねのねの放送なんて笑いころげてと隣室の親にばれないように、冷汗もんで聞いていたことが懐かしい…

うちも田舎だったんで、夜中に家の屋根の上にラジオを出して、延長イヤホンでノイズだらけのオールナイトニッポン、聞いてました。

あの頃って、そういうことしながら勉強しても何とかなる余裕があった時代だったんですよね。
その点、今の子ども達、ぞっとするほどこういう部分を排除しきってるのが怖い。
うちの息子にこんなん話そうもんなら、白い目で見られるな。
懐かしい話ですね。九州のど田舎で東京のニッボン放送、文化放送をよく聞いてました。チンペイさん、ばんばんの天才秀才のコーナーは、次の日、学校の話題でしたね(笑)
昭和40年代の深夜放送というのは どのディスクジョッキー(パーソナリティーではなく)も
真面目でしたよね。

学校では友人に話せない 真面目な話や 恋愛の悩み、友人関係など青春の悩みの
はけ口でもありましたよね。
葉書を通じて語られた悩みには 毎週毎週 激励のはがきが読み上げられたりして
ペンネームを通じて兄弟や親友以上の関係もありました。

映画の話題や、流行った音楽も深夜放送の紹介から火がついたものです。
最近洋楽のヒット曲が少なくなった気がしますが、ビージーズやS&G、カーペンターズなんて
みんな深夜放送から人気がでたのではないでしょうか?

あのねのねや 鶴光が登場し始めた頃から 深夜放送は 学生の悩みの相談所といった
趣から バライティー化して 新人歌手や俳優、タレントのPR、売り出しの場になってしまいました。

やはり 全盛期は 各ラジオ局の局アナが それぞれの特徴出しから人気を争ったころだった
ような気がします。

某コミュにも書きましたが、コーターローのパックインミュージクの「恥の上塗りコーナー」を発見。毎週、楽しみにしていましたなあ。
http://jp.youtube.com/watch?v=zysJ-gVb4U8&feature=channel_page
「林美雄のパックインミュージック 苦労多かるローカルニュース」もあります。
いやあ、あれから34年もの歳月が流れたんですね。
トピ主さんは 名古屋の方でしょうか
アタシも名古屋在住   中学生の頃 初めて深夜放送を聞き始めた頃 レオやアマチンさんのDJを良く聞きました

それと・・・ 友人にいうとすごくバカにされますが 11時頃?にやっていた「アオイ君よサトウ君」が大好きでした 笑

アオイ君は「あおい輝彦」 サトウ君は「ケメ=佐藤公彦」のことで 中学時代は録音までしてきいていた

懐かしいな〜ハート
>11 てるさん こんにちは

ミッドナイト東海の大ファンでした
アマチン、リコタン、おぎパン、三浦恭子、梅村勝彦、レオ
それぞれの個性が前面にでて、本当に楽しい時間でした・・・

人生の先輩 ラジオ局のお姉さん、洋楽のナビゲーター その語りに引き込まれたものでした。

第2期の1972年ころからの DJ つボイノリオ、笑福亭鶴瓶、兵藤ゆき、宮地佑紀生、河原龍夫
あたりからは 深夜放送のスタイルが全国的にバラエテー調に変わってきましたね。

トーンが高くなり、ノリが上がった分だけ 真面目な話題や葉書を通じてのDJとリスナーの関係は
希薄になって行ったような気がします。
このバラエティー化は全国的な流れで、セイ!ヤングのレモンちゃんや
 パックの金曜日ナッチャコなんて 貴重な存在でしたね。

日本短波の チェリーちゃんこと 大橋照子の「ヤロウどもメロウどもoh!」も面白かったですね。

午前3時の 時報とともにやってくる 「走れ歌謡曲」のテーマミュージックが 就寝の合図でした。
凄い〜こんなに詳しく覚えていて人差し指ふらふら
深夜放送を聞いて、フォークの歌を覚えましたよ。
楽譜とか、お金がないから買えなくて、深夜放送をカセットに録音して、それをギターコードにおとして、弾いていましたよ。
吉田拓郎や南こうせつやガロの歌を聞きながら、勉強をしましたね。
ラジオ講座も忘れずに、充実した学生時代でした、懐かしい〜お願いわーい(嬉しい顔)
ナッチャコパック、コータローパックのイタさんの決定!、恥の上塗りコーナー、2年ぐらいあとの谷村チンペイとバンバンのタイコメコーナー。懐かしい。忘れていた38年前がだんだんと思い出されてくる。
私ははじめはオールナイトニッポン派だったので、糸井五郎、ポップスあんこう鍋、高島ヒデタケ、イマニ哲夫、カメ、?コウちゃん等を聞いていました。土井まさるや、キンキン、みのもんた、小島いっけい?も聞いていたなぁ。
小学校六年の時、日曜のたびに日比谷のニッポン放送に遊びに行きました。
その頃リクエストはがきで「千代田区 カメ」でニッポン放送に届いたそうです。
懐かしいですね。
私の場合、もうちょっと古くて、日本放送だったら夜10時からやってた
ミュージックインハイホニックですかね。

 東芝の提供で、ボストンというステレオの宣伝のなかでBeatlesのI’ve got a feelingがかかるのが楽しみでした。そのあとは、モコ、ビーバー、オリーブのパンチパンチパンチでしたかね。

 70年ころの東京は、高いビルも、首都高速の高架もなく家から東京タワーが見えました。
そのため、自作のゲルマニウムラジオでも聞くことができました。

 あれから40年、マガジンマチック1300、スカイセンサーをへて今は、パソコンで聞いています。
でも、20世紀少年だった私は、日曜日の午後2時はスカイセンサーで山達の番組を聴いています。

夢之介さん》

『ヤンタン』ですか?わーい(嬉しい顔)


俺は中学から『ヤンリク』ばかり聴いてました

眠くてたまらんのに必死で聴いてたな〜げっそり
バチョンとヤンタンとヤンリクのどれが好きかで友達のグループが変わりました。
ヤンリクの「ミキサー完備スタジオ貸します」のコーナーは「ミスターかんび‥」と聞こえて「藤山 寛美」のコーナーだと思っていた人がいました。
バチョンではコメディーナンバーワンが「あほの阪田」を毎回流していたり、ヤンタンだと思うのですが、「朝起きたら、男の態度が変わってた〜」っていう歌流していたのを覚えています。歌手の名前知っている人教えてください。どうしても思い出せません。
どなたか、小林麻美がオールナイト日本やってたの覚えていますか?
大学生の頃かな。
みなさま


ブルボンとニッポン放送が共同企画として、数年前に、「懐かしのオールナイトニッポン」CD付きキャンディー、というのを発売していたのをご存知ですか?

泉谷しげる、笑福亭鶴光、あのねのね、斉藤アンコー、よしだたくろう、イルカ、糸居五郎、そして誰かわからないシークレット盤、のどれかのミニCDがおまけで付いてきました。
CDの中身は、例のオープニングのテーマソングとDJさんのトークと、シングル曲1曲。例えば、泉谷しげる盤は「春夏秋冬」。

http://av.watch.impress.co.jp/docs/20040419/bourbon.htm


WIKIでの紹介も詳しいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

1958(昭和33)年生まれ 更新情報

1958(昭和33)年生まれのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。