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栄養哲学コミュの『健康』とは

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『健康』とは何でしょうか?

1984年、WHO(世界保健機関)は、その憲章の前文において「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」としています。
では、今度は国語辞書でその意味を引いてみます。

大辞林では、

[1] 体や心がすこやかで、悪いところのない・こと(さま)。医学では単に病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態にあることをいう。

[2] 異常があるかないかという点からみた、体の状態。

〔補説〕 明治期に health の訳語としてつくられた語

とあります。

しかし、一般的に現代日本のイメージでは『健康』=『病気じゃないこと』という認識が大半を占めているのではないでしょうか。
『健康』という言葉の所在は、保健・医療・福祉の3分野にまたがります。
それぞれの分野において『健康』の要旨は若干変わってくることでしょう。
例えば確かに、医療の分野では『健康』とは『病気を治すこと』というのがメインテーマになってくる面もあるのかもしれません。
ですが、一般の人々は本より、行政の管理栄養士、栄養士、保健師ら主に保健分野における一次予防と呼ばれるものに携わる人たちの間でも、『健康増進』とは『今より病気になりにくい状態を獲得すること』という病気の有無を主とした考え方がメインで、メンタルヘルスなどの重要性が叫ばれつつあるも、身体要因以外はどこかその他扱いにされてしまっているように感じます。
いや、それよりも、『健康』ということに対してあまりにも主張が無く、『病気じゃない』という一般的イメージが先行してこの言葉が扱われてしまっていることに違和感を感じると言ったほうがいいかもしれません。
確かに、『病気じゃない』ということは、『健康』の中で大きな要素を占めます。ですが、WHOの言うとおり、健康とは決して病気の有無を指すわけではないと思います。

それでは文頭に戻って、いったい『健康』とは何なのでしょうか?
WHOの憲章では、言いたいことはなんとなくわかりますが、少し言葉が難しい
ですよね。
そこで、私は次のように自分なりに定義しました。

『健康とは、各々が自己実現に向かえる個人の状態をいう』

要するに、人間各個人によってその状態は異なるということです。
既述しましたが、『病気じゃない』ということはすべての人にとって『健康』の大要素であるでしょう。しかし、それがすべてではない。
それがすべてであったら、疾病を持つ人、生まれながらに疾病・障害を持つ人に健康な生活はないことになってしまいます。
私の定義が何を言いたいかというと、『病気にならない』ことを最終目的にするのではないということです。
人間は誰しも実現させたい自己があることでしょう。
それは、将来の夢を実現させたいという大きなことから、今日も大好きな肉が食べたいといった日常のささいなことまで、大小個人差もあります。
何も希望がない、このままでいいという人も現状維持という自己を実現させたいことになります。
将来の夢がある人は、その夢を実現させるために肉体はどうでなくてはならないのか、精神的にはどういう状態が望ましいのか、社会的にはどの立場にいる必要があるのか。
今日も大好きな肉を食べたい人は、食事制限のない身体状況でなくてはいけないでしょう。
このままでいいという人はずっとこのままを続けられる身体、精神、社会的状態でなくてはなりません。
つまり、それぞれ個人の望むことが実現可能なそのボーダーラインこそがその人にとっての『健康』であるのではないかということです。健康増進とはそのボーダーラインを下げることです。
例え病床に臥していても、満足にその人の自己が実現されているのであれば、その人は『健康』と言えるのではないでしょうか。

最後に。
戦争の時代、『健康』とは『戦争に行ける状態』という意味で使われていたといいます。
そして、今で言う『健康』を意味するものは『達者』という言葉で使われていたそうです。
言葉の意味はその時代に即して変わるものもあります。
現代における『健康』という言葉の意味は何なのでしょうか。
ただ、病気でないという一般的イメージからそれを定義づけるのではなく、自分でしっかりその意味を捉え主張していく必要があると思います。
我々のように保健分野で『健康』という言葉を使って仕事をしていく者はなおさらのことです。

さて、あなたにとって『健康』とは何ですか?

コメント(4)

初コメントさせていただきますわーい(嬉しい顔)
WHOの憲章は確かに少しわかりにくいですが自己実現の言葉を使うと非常に
わかりやすいものになりますね。
そう考えると健康は心技体が揃って初めて健康になれるものな気がします。
栄養だけでなく武道や禅など日本の昔からの習慣などにもっと目を向ける
ことで心技の鍛錬ができるのではないでしょうか?
上記のWHOの定義は、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり…」の「完全な」って部分がクセモノだね。

  誰にとって「完全」か?

 「完全」ってどの程度のことなのか?


そもそもそのMAXを知らないんだから、わかりっこない気がする。

人間どんなに理想的な生活をしていても、年を重ねれば身体的に衰えるものだし、年齢によってその程度が変わってしまうじゃない。

結局、その定義の判断は個人的な価値観にゆだねられてるってコトになるよね。

だとしたら、社会の統一したルールやものさしのように扱うコトは出来ないのでは?

一人一人の健康観なるものをヒアリングしなきゃほんとのQOLの向上には繋がらないってことなのかなぁ…なんて思ってしまいます。

いや、でもそれにはまた新たな問題として、健康観がメディアとかで刷り込みされてるっていうコトもあるけど…

雑穀米のCMで管理栄養士が健康健康って言ってるコトに、やや腹立たしく見てしまう私がいるわけです。




ちなみに私の中での「健康」は、幸福感で満たされているコト…かなウインク
確かに、「健康」があれば「不健康」があるわけで、夢中3さんの言うとおり、現実問題自分が不健康だと感じている人がいるとして、そのことを受け入れることは大事なポイントだと思います。

もっとも、「健康」「不健康」というものをどう捉えるかによって、保健・福祉・医療の進む方向が変わってきますので、いずれにせよしっかりこのことについては軸をしっかり持つことが私たち「健康」という言葉を基に動く者にとっては大切なことですよね。

ぜひ、トピックス「健康の持つ普遍性」もご参考に。

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