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師匠 シリーズ コミュのすきまの話(下)

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「これは夢ですね」

歩くさんは、どうやら大変なことが起こったらしいと判断したのか、口調を強めて

「だから、なにがあったの」

と言う。
けれど今の自分の中にはその言葉しか存在していない。
だからもう一度繰り返す。
泣いているらしい。
声が震えている。
誰が?自分が?どうして?

「落ち着いて。夢って、あなたの夢ということ?だったら違う。だって・・・」

歩くさんはそこで言葉を切って口の中で続きをゆっくりと吟味した。

「まず、私には自我がある。自分の意思で今喋っている。これがあなたの夢ならば、ずっと続いている私の意識が、あなたの頭が生み出したつくりものだということにならない?そんな怖いことは考えたくないけど。自分のほっぺ抓ってみた?」

俺はかぶりを振る。

「というか、抓るより痛い目に遭ったみたいね」

血が床に滴っているのを見つめる。

「これは夢ですね」

「だから、違う。夢じゃない」

「これは夢ですね」

「なんのことなの。なにがあったの」

「これは夢ですね」

「違うって言ってるでしょ。夢かどうかくらいわかるでしょう。夢の中でこれが夢だと気付いたことはあっても、夢の中でこれは現実だと気付いたことはあった?ないでしょう。今、ここにいることが現実だと知っている私にとって、これが夢じゃないことくらいわかりきってる」

「これは夢ですね」

「いったいなにがあったの。そう言えって誰かに言われたの?」

「これは夢ですね」

「答えなさい」

「これは夢ですね」

「ちょっと待って・・・ホラ、電卓。適当に数字を打つよ。24587×98564=2456395168。夢ならこんな計算一瞬で出来る?でたらめな数字じゃないってことを検算して確かめましょうか?」

「これは夢ですね」

「夢じゃない」

「これは夢ですね」

「・・・どう言えばわかるのかな。なにか急いでしなくちゃいけないことがあるんじゃないの」

「これは夢ですね」

「怒るよ」

「これは夢ですね」

「いいかげんにして」

「これは夢ですね」

歩くさんはなにか言おうとして、それを止め、深いため息をついた。

「どうしてわかってくれないの。これが夢だってことはどういうことかわかる?現実だと思っている今の自分が、贋物だってことよ」

疲れたように、壁にもたれかかる。

「あなたにとって現実ってなに?」

黒い瞳が真っ直ぐ向けられる。

「よく考えて答えなさい。するべきことは、その怪我の手当をして、問題を一緒に解決することではないの?」

俺は一歩、土足で彼女の空間に近付いて、言った。

「これは夢ですね」

その瞬間、彼女は表情を歪め、蒼白になった顔を突き出した。
そしてたった一言

「よくわかったわね」

と言った。
静かな声だった。
世界は暗くなった。
目は開いている。
薄闇の中、天井が見える。
瞬きをする。
背中に、畳の感触。
身体を起こす。
師匠の部屋だ。
明かりの消えた室内に、毛布にくるまった歩くさんと簀巻きになった師匠がいる。
胸がドキドキしている。
静かな夜の空気に漏れ出るくらい。
簀巻きの師匠から、乱れた呼吸の気配がした。
呼びかけてみる。
反応はないが、明らかに寝たふりだ。
抜け出ようとしてもがいている時に、俺がいきなり起き上ったから驚いたというところか。
簀巻きをバシバシと叩く。

「わかった起きてる。起きてる」

師匠に、今あったことを伝えた。
最後まで身じろぎせずに聞いていた師匠は、ひとこと

「巻き込まれたな」

と言った。
脳裏に、以前あったことが蘇る。
冬に夢を見た。
恐ろしい夢だった。
現実の続きのような。
けれど目が覚めたとき、時間が巻き戻っていた。
俺は恐ろしい夢が現実にならないように、別の選択をした。
あのときも歩くさんと同じ部屋で寝ていた。
歩くさんの見る予知夢に巻き込まれたのだと師匠は言う。
あの、公園のベンチのそばのゴミ箱がフラッシュバックする。
あの匂いの生々しさも、夢だったのか。
怪我をした痛みも。
今が現実だと思ったあの判断も。
では、今の自分はどうだ。
手の平を広げてじっと見つめる。
あれが夢ならなにも信じられないじゃないかと思う。
油汗が流れる。
俺は歩くさんの不思議な力について、ずっと重大な勘違いをしていたのではないかという予感がした。

「とにかく、これ、ほどいて」

師匠がモジモジする。

「だめです。ほどくと死ぬらしいですから」

そう言ってから気付く。

「心当たりは?」

「え?」

「命の危険があるような目に遭う、心当たりです」

師匠は考えるそぶりを見せていたが、やがて首を振った。

「今夜は夜遊びをするつもりだったけど、行く先は決めてない」

今夜こうして簀巻きにされて行けなかった場所に、明日行くのだろうか。
そして恐ろしい目に遭う?

「僕が行くとしたら、あそこかな。いや、あの心霊スポットも行ってみたかった」

師匠はぶつぶつと呟いている。

「いずれにしても、洒落にならないなにかが夜の街にいるらしいな」

あっけらかんとそう言う。
そうして毛布に包まって寝ている歩くさんに視線を向けた。
ぼそりと言葉が漏れる。

「いいか。もう絶対にこいつにあの言葉は言うんじゃない」

「あの言葉?」

「しつこく繰り返したっていうあれだ」

「はあ」

「わかるだろ。こいつが今夜ここへ来た理由が」

なんとなく、わかる。
うまい言葉が出てこない。
結節点。
いや、違う。楔か。
巻き戻りを止める、楔。
そのタイミングをなんらかの予感で彼女は知り、こうして俺たち3人をこの部屋に揃えたのだ。

「師匠は、その夢を本当に見てないんですか」

「・・・こんな状態で寝てられないだろう」

表情を窺ったが、嘘とも真ともつかなかった。

「しばらく、夜遊びは控えることにする」

師匠はそう呟いて目を閉じた。
歩くさんも眠ったままだ。
再び静かになった部屋の中で、俺はじっと考えていた。
あの師匠をあんな風にした、恐ろしいなにかのことについて。
そんな致命的な傷を負った世界が復元するという暗い奇蹟について。
まったく想像もしていなかった、もしかして、ひょっとすると、本人さえそう思っていないかもしれない、眩暈のするような、口に出すのも憚られる、現実から目覚めるという、おぞましい、不思議な力のことについて。

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