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アントニオ猪木&新日本プロレスコミュの引退試合/語録「道」動画

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                    位置情報 アントニオ猪木・引退試合 位置情報
   
                             「 道 」

私は今・・・感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。
心の奥底から湧き上がる、皆様に対する感謝と、熱い思いを止める事が出来ません。
カウント・ダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました。
イヨイヨ今日が、このガウンの姿が最後と成ります。

思えば右も左も解らない一人の青年が、力道山の手によってブラジルから連れ戻されました。それから38年の月日が流れてしまいました。
最初にこのリングに立った時には、緊張と興奮で胸が張り裂けんばかりでしたが。
今日はこのような多勢の皆さんの前で、最後の御挨拶が出来ると言う事は、本当に・・・熱い思いで、言葉に成りません。

私は、色紙に何時の日か、闘魂と言う文字を書く様に成りました。それを称して、ある人が燃える闘魂と名付けてくれました。
闘魂とは己に打ち勝つ事。そして、戦いを通じて、己の魂を磨いて行く事だと想います。

最後に、私から皆さんにメッセージを送りたいと想います。
人は、歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと想います。

この道を行けばどうなるものか。この道を危ぶむ事なかれ、危ぶめば道は無し。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ〜! 行けば解るさ〜! ありがと〜!!!
(ゴング10〜べトーベン・運命〜猪木のテーマ)
〜元気ですか〜 行くゾ〜! 1〜・2〜・3〜 ダ〜!!!

【アントニオ猪木引退試合・動画】
映画アントニオ猪木VSドンフライ(引退試合)

映画アントニオ猪木 引退の挨拶「道」


【引退〜引退後】 〜引退〜
なお、この落選の前年の1994年5月1日に福岡ドームでグレート・ムタと対戦、フォール勝ちしたものの、この試合より引退への布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まる(なお「ファイナルカウントダウン」と銘打ったが、「 1、2、3…」とカウントがダウンせずにアップしたことが話題を呼んだ)。 その後も政界への復帰を画策してかスポーツ平和党を解党しなかったものの、猪木本人は政治活動を殆ど行わなかった。猪木自身笑っていいともにゲスト出演した際に「選挙に出馬した時点でレスラーとしての第一線からは事実上退いた。」と話した事がある。

1998年4月4日に東京ドームで行なわれた引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で、小川直也などと対戦し勝ち上がったドン・フライと引退試合で対戦、グランド・コブラで勝利し引退した。 引退の際の一休の言を引用したスピーチは、いまだに盛んに春一番らがものまねの対象にしている。

【引退〜引退後】 〜引退後〜
引退後はUFO、PRIDE、INOKI BOM-BA-YEの盛り上げ役や、猪木完全プロデュースによる「ジャングルファイト(MMA/VT)」をブラジルで開催していく。 なお、2002年8月28日に行われた「Dynamite!」では、上空3,000メートルからのスカイダイビングに挑戦。 91,107人(主催者発表)の観衆が待つ国立霞ヶ丘陸上競技場への着地に成功した。

その後の2005年11月14日に自身の持つ新日本プロレスの株式(全株式の51.5%相当)を株式会社ユークスに売却し、事実上新日本プロレスの経営から身を引いた。 以降は自身が提唱したバングラデシュ興行が中止になる等、同団体への影響力は全盛時ほどは無くなりつつある。

その後、2006年4月にはアメリカの新興総合格闘技団体IFLの世界大使に就任し、同年9月には、IFL参戦のため東京サーベルズを結成し監督に就任する。 同9月には自らが企画し、モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明した格闘技イベント「INOKI GENOME 〜格闘技世界一決定戦〜」の開催延期を発表するなど。

試行錯誤を繰り返していたが、 2007年3月、新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」を発足させ、自身が社長となると共に6月に旗揚げ戦を行った。 なお、同時期に娘婿であるサイモン・ケリー猪木も新日本プロレス社長を辞職、IGFへ合流した。

また、2007年7月11日、交友のあるTRIPLE-Pと“TRIPLE-P vs アントニオ猪木”を組み、アントニオ猪木の名言「道」を曲にして発売した。 道のCDジャケットの裏側はアントニオ猪木の手書きの「道」が書かれている。プロモーションビデオにも出演しDJプレイしたりサンプラーを叩いたりする。

2007年12月20日の有明コロシアムの小川直也対安田忠夫戦でレフリーにまで反抗した小川直也を止める為、乱入するまで裸絞めし、失神させ、小川は「もうお前は師匠ではない、敵だ」と言い、猪木に対し反旗を覆す、猪木自身もプロレス復帰をする模様である。

2007年12月31日の大みそかハッスル祭りに先日の事もあり、急遽ハッスル軍としてハッスル初参戦し、プロレス復帰する予定。 なお対戦相手は2007年6月にハッスル軍に造反して、高田モンスター軍に移籍したモンスター・セレブ、小川直也を指名する模様。

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