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小説家版 アートマンコミュの仏壇ニューヨークへ行く?

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夜はスカラさん達とニューヨークで知り合った映像クリエーターの試写会を見に行く為に僕の宿の近くにあるバーへ向った。少し到着が早すぎたようで、何の準備もしていなかった。時間を潰す為に僕が暮らしているイースト・ビレッジを散策しながら、食事をする場所を探した。探すというよりも選ぶに近い行為だった。イースト・ビレッジは軒並みにレストランが並んでいるエリアなのだ。そして驚く程、日本食が多い。少し歩くだけで居酒屋、寿司屋、ラーメン屋、焼き鳥屋なんかの日本の看板を見る事ができた。さすがに日本食だけは遠慮させてもらった。僕達は偶然曲がった通りにあったお洒落なメキシカン料理の店を選んだ。理由は日本であまり食べられない物がいいというスカラさんのリクエストだった。外にはり出しているメニューを見たが、どんな料理だかさっぱりわからない。適当に頼めばいいやって思いきって入る事にした。適当ってのもやっぱり恐い。ウエイトレスさんにお勧めを聞いてそれを注文する事にした。ニューヨークのメキシコ料理は美味しいという噂は本当だった。サラダもタコスも何を食べても美味しかった。あまりに美味しいのでビールがすすんでしまった。気がつけば3本コロナビールを飲み干していた。そしてかなり時間がたってしまった。急いで、試写会の会場に向わないと思った矢先、隣の席に座っていた2人組みのお客さんに声をかけられた。それも日本語で。その陽気な外国人は東京で働いているらしく、日本語で話している僕らが気になっていたようだったのだ。相手は日本語、僕は英語で会話をしていた。何か不思議な感覚でつい長話をしてしまった。別れ際に彼が言った「ニューヨークは狭いねぇ」という日本語が妙に笑えた。
 会場に行くと試写会は始まっていた。知り合いになった映像クリエーターの名はフランシスコ。その奥さんの律子さんが彼と一緒にギャラリーに来てくれた。MTVの映像も担当する凄い人だ。彼もまた僕らの作品に感動してくれたようだ。今回はプライベートで依頼された映像で、ちょっと危ない系の映像がバリバリのドキュメンタリーだった。さすがアメリカ、自由の国。僕らが入口から入って直ぐの所で映像を見ていたら、フランシスコが僕らをVIP席に連れて行ってくれた。本当に良い人だ。
 1時間程で試写会が終わり座談会風になった。フランシスコが僕らに紹介したい人がいると言って連れて行ってくれた先にいたのは、有名ロックバンド、ガンズンローゼスの元メンバーの人だった。昔良くガンズの音楽を聞いていたので、本当に驚いた。スカラさんと一緒にハイテンションになってしまった。一緒に写真をとってもらい、お礼に僕が身につけていた「南無阿弥陀仏ネックレス」をプレゼントした。それ以外にもいろいろな人にフランシスコは個展のPRをしてくれた。皆が一応に関心を示してくれた。
 観光では体験できない本物のアメリカに触れた感じがした。それにしてもニューヨークは凄い街だ。たった数日で有名人2人と話をした。このノリで明日は営業にまわるぞ! 少し気合いをもらった夜だった。明日、日本に帰国するスカラさん達を見送って直ぐ近くの宿に戻った。先に帰った伊藤君の携帯に電話して自慢してしまった。誰かに今夜の事を話したくて仕方がなかった。

次の日、最初に営業しにいったのはレノックス・ヒルにある「アジアン・ソサエティ」です。綺麗な美術館で主にアジアの文化を紹介する施設。こんな場所ならば日本の伝統文化の個展をやっていると言えば少しは食い付いてくるだろう。思いきって英語で入口の恐い感じの人にお願いしてみた。個展の案内などは受け取ってくれたが、それどころじゃないらしい。どうやらその日は中東のどこかの国の大統領が視察に訪れるようで、ものすごくバタバタしていた。上までつなげてくる雰囲気は全くなかった。飛び込みで行けば、まぁこんなもんだ。下手な英語で一生懸命話せば話す程怪しく見えたりする。営業って難しいんだな。日本に帰って飛び込みで来た営業マンの話くらいは聞いてあげようと思った。
 少し落ち込み気味で地下鉄の駅に向う途中で、日本の漆器を展示しているsaraというお店の前を通りかった。もう何でもいいやと思い、入ってみた。運が良いのか経営者はナオキさんという日本人だった。事情を説明すると親身になってアドバイスをしてくれた。ついいろいろな話になり1時間近くもそのお店にいた。ナオキさんが僕にくれた言葉「ハチャメチャやって理解してもらえないのなら、もっとハチャメチャやれば理解してくれるかもしれない。理解されないからって人に合わせ始めたら、本当の魅力は無くなってしまう」なんか分るような気がした。その言葉でアジアン・ソサエティでの惨敗を取りかえしたような気がした。

次に向ったのはチェルシー地区。多くのギャラリーがひしめき合っている場所です。その前に腹ごしらえ、偶然見つけた10番街にあったカジュアル・フレンチの店へ入った。ここの料理が絶品。盛り付けも見事だった。ニューヨークで食べた食事の中でナンバー1はここだった。それは夫婦揃った意見。僕らの宿から遠かったので、行ったのはこの1回のみだった。

チェルシーのギャラリーが集まる場所は倉庫街のような所だった。お洒落な場所をイメージしていたので、最初は驚いた。しかし、ギャラリーの数は半端ない。まるでギャラリーの総合ビルのような建物がいつくもあった。これを見て廻るのは大変だ。駆け足で巡っても1日では見る事は無理だろう。僕らは比較的入りやすいギャラリーを数件見て廻った。そして、本来の目的地でもある「大西ギャラリー」へ行った。このギャラリーは半年前くらいまで八木研さんという仏壇メーカーのニューヨーク支店のお手伝いをされていたギャラリーで、ここのオーナーはニューヨークで一番仏壇に詳しい人です。個展前に突然メールをもらったのがきっかけで知り合いとなり、ニューヨークの仏壇事情のお話を聞きに来た次第です。やはり仏壇を仏壇としてニューヨークの人に売るというのは難しいらしく、新たな文化を定着させるにはかなりの時間がかかる。また、アメリカ人にとって祖先を祀るという行為は死者を崇拝する行為ととられてしまうらしく、ジャパニーズ・ブードゥーなんて言われ気味悪がられる事もあったそうだ。お話を聞けば聞くほど納得するような事ばかり、仏壇をニューヨークで売る事は大変だという事がわかった。今後、僕らがどう展開していくかは分らないが、ニューヨークで一番仏壇を知っている人と出会えたのは本当に大きな事だ。仏壇を別用途で使うという僕の発想は決して間違いではなかった事に気がついた。良い出合いだった。

本来、もう2カ所廻ろうと思ったが意外と時間を取られてしまった。気がつけば5時近かった。残りの2件は別の日に廻る事にして、チェルシー界隈を散策する事にした。僕の嫁は有名人を見つける目を持っているのかもしれない、偶然通ったカフェでお茶をしている映画俳優のイーサン・フォークを見つけた。さすがに店内まで入って写真撮影をお願いできなかった。勇気を出していけば良かったと嫁は後で後悔していたが。

夕食は個展会場で知り合った人が働く日本料理屋に行く事にした。個展会場から西へ1km程行った所にあるひっそりとした場所にその店はあった。日本にも店鋪のあるEnという店で包丁を握っていた。僕はイースト・ビレッジにあるような屋台的な日本食屋をイメージしていたので、店内に入って驚いた。正装して来た方が良かったような高級感あふれるインテリアだった。実際ニューヨーカーは正装している人も少なくはなかった。営業に回っていたのでジャケットを着用していた。着ていなかったら少し気後れしてしまったかもしれない。次の日が嫁の誕生日、日本時間だったら本日が誕生日。こういう場合はどちらを祝ってあげれば良いのだろう? 分らないから両方祝う事にした。料理は上品だった。日本でも滅多に食べない湯葉なんか食べたりした。日本でもお店を探さなきゃ。個展会場に来た時に嫁の誕生日の事を話をしてあったので、厨房から何品かサービスしてくれた。ニューヨークで知り合う人は皆優しい人ばかりだった。

個展がスタートして5日目、本日が折り返し地点。未だに何も売上げがない。夫婦の毎朝の会話の自然とその事になる。ニューヨークの生活が気にいた僕達は来年もやりたいと思っていた。その為には成果をあげなければならない。何も成果がなければ趣味でやっている事と同じ、どんなに頑張ったとしても誰も評価してはくれない。昨晩のうちに英語での接客マニュアルを作っておいた。覚えきれたか不安であったが、闇雲に話すよりはましだろう。しかし、相手はマニュアル以外の事を聞いてくる事が多かった。小手先の技が通じない事に気がついた。平日は本当に歩く人が少ない。なので昼休みを利用して思いきって営業に行く事にした。
 まずは近くになる美術館、ニュー・ミュージアムへ行った。名前の通り新しいスタイルの美術館だった。残念ながらその日は展示品を入れ替えているようで半分休みだった。1階のミュージアムショップとカフェだけの営業だった。近いのでまた今度改めて来ようと思って帰ったが、また今度はなかった。
 次に向ったのはSOHOのブロードウエーにあるイセ文化基金。日本の芸術文化を世界へ向けて発信するサポートをしてくれる非営利団体の運営するギャラリーだ。SOHOのど真ん中のビルの地下にひっそりとそのギャラリーはあった。ちょうど仏像の展示がしてあったので、仏像マニアの僕にはワクワクするような展示だった。といっても展示してある仏像は4点のみ。後は現代的な作品が数点あるだけだった。なんとも物足りない展示に思えた。それは伊勢さんと話をするまでだった。帰り際、仏壇でアート活動している事と個展をやっている事を告げると、なんと新聞で読んで知っているとおっしゃった。どうやら5月頃に載った日経新聞の英字版を読んで覚えていてくれたのだ。伊勢さんは僕にいろいろとアドバイスをしてくれた。作品を展示しているだけではダメだ。特に文化が全く違う欧米において工芸品は使い方だったり、バックグラウンドをちゃんと説明しなければいけない。また展示自体にストーリーやコンセプトがなければいけない。来た人を驚かせる演出があるからアートは面白いのだと。作品の凄さに溺れて、自己満足な展示にしてはいけない。正直、僕の心にずしんっとくる言葉ばかりだった。正直僕は甘かった。小細工はいらない、作品を展示さえしておけば凄さは通じると考えていた。だから、展示方法を深く考えていなかった。乱暴な言い方だが、置いておけば売れるだろうと思っていたのかもしれない。ニューヨークで個展を開催できた事で少し満足してしまっていた。売れない理由はそこにあったのかもしれない。僕らの展示はつまらなかった。伊勢さんの言葉で今までと違う何かが見えて来たような気がする。自分の作品を愛するのならば、より良く見せる方法を学ぶべきだ。それができればきっと言葉はいらない。名画や名作には言葉の壁は必要無い。そのステージに行きたくなった。ニューヨークに来なければ、そんな思いになる事もなかっただろう。僕は日本を代表するアーティストになりたいと本気で思うようになった。
 イセ文化基金では年2回の公募が通れば、SOHOにあるギャラリーで個展やグループ展ができると教えてくれた。僕は即決で申込むと伝えた。また、この地に戻って来たい。もっと高いレベルで展示をしたいと思った。

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