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リーニエ(Linie)コミュのちょっとしたアイディア(3)

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●著書「大転換‐脱成長社会へ」(佐伯啓思・京大教授)を読んで

一つの考え方として大変興味深い。ここでは「脱工業社会への具体的なプログラム」を取り上げ、コメントしてみたい。

・脱工業社会への具体的なプログラムについて、そのいくつかを挙げれば(p272)、

(1)基本的には「社会」の再建が急務。より具体的には、医療の質・量の充実と、医療の効率的で公正なシステムを構築すること。さらには、先端的で大規模な研究機関の設置。

(2)これも「社会」の再建としての地方の中核都市の整備、地域のコミュニティの再建。日本的経営や長期的な雇用慣行の再構築。日本的経営の最大の長所は、信頼を基礎にした組織づくりにあった。もう一度、新たに日本的経営システムを再構築すべき。

(3)自由主義か保護主義かという二項対立はあまり意味がない。自由貿易の建前を唱えつつ、保護主義を取り込む。広くは自由経済の枠組みの中で、領域によって保護主義や管理貿易を持ち込む。

(4)基本的な生活物資の自給体制へ向けて、食料・自然資源・エネルギーの安定確保を戦略的に目指すべき。そのための部分的な産業保護も経済ナショナリズムの当然の発言である。

(5)京都議定書の枠組みをベースにした環境戦略によって世界の過度な開発的競争をよく死すべき。そのことは同時に、日本自身がある程度、環境立国を目指すことになる。

(6)都市環境の整備と住宅政策、さらには、高齢化社会に向けた住宅環境、公共交通システムの構築。

(7)確かな判断力と総合的な知識を持った人材教育。

コメント(8)

*コメント

・脱工業社会、脱成長社会への転換に異論はない。

・工業社会、成長社会そのものは文明の進展過程として非があるわけではないが、問題は極端な形にいくこと、それを抑制する枠組みの履行が旨くいかないことである。欲の解放につながる資本主義では、解放されてしまった欲には歯止めが効きにくいことによる。従って、工業社会、成長社会に対するアンチテーゼが生まれるのは当然である。

・工業社会、成長社会では、行き過ぎれば破綻が来ることは誰も分かっているが、危ない兆候が見えてからでは回避できないのが現実。負帰還の効かないメカニズムが働くからである。

・脱成長社会実現への方策は示されているが、移行へのシナリオと移行した後の姿はあまり明確ではない。
・「自由主義か保護主義か、市場主義か公共主義かという二項対立」ではなく、いずれをも兼ね備えるバランス型社会へというのは現実的である。しかし、一旦解放された欲を抑え込むことは非現実的で、欲を満たせる逃げ道が要る。その逃げ道は成長社会に通じており、どこにどうどれだけ脱成長の中に織り込むかが大きな課題になる。

少なくとも、自然資源(自然環境を含め)の保護は大前提になる。向かうところは金融商品が筆頭だろう。カネ余りを公共財に向けた必要な投資に向かわせるものでないといけない。自然資源消費には、全世界的に、大きな関税をかけて抑止しなければならない。その方向は、教育・医療・福祉・安全・インフラ整備・環境保全などの公共分野で投資意欲の湧く、リターンの大きい金融商品ということになる。

例えば、今後増える病種、罹患率の高い病種、致死率の高い病種に対する医薬品・再生医療・医療システム開発、医学生・理工学生他の人材育成(大学・学部対応、奨学金対応)・教育システム開発、循環型再生産技術の開発、安全対応システムの開発など、開発品の将来性に価値とリターンの道筋をつけた金融商品になる。公共財は市場化に向かないというのが一般的な見方だが、決してそうではない。短期的でないところに妙味は薄れるが、長期投資の主力対象にはし得る。短期ものは普通の株や投信でやればよい。但し、情報開示や底なしに繋がる仕組みに対する規制は必要になる。
・公共財の開発や建設には、民間の余裕資金を回す仕組みはとれるが、できた公共財を使うカネを皆が持てなければ意味はない。産業では自然資源を従来のように使えないから、再生型の生産にしなければならない。

それにはコストがかかり、可処分所得を減らす方向に働く。パイを増やすなら、再生不能な資源関係以外の業種、例えば、農漁業、医薬品製造、情報、金融(鉱工業向け特化は対象外)、通信、娯楽、観光、食品サービス、などへの資金的助勢が、その効果に繋がる。その領域の雇用者の利用に期待できるからである。

これらの業種の構造改革、効率化、合理化や新付加価値商品の開発などにカネを落とすなら将来のリターンに繋がる。単なる一時しのぎのばらまきではない。これらの可処分所得増が、できた公共財の利用に回っていくはずだから、公共経済は回転する。

ただ、これらの業種が、全業種(鉱工業、自動車、家電、運輸などを加えた)の雇用人口に占める割合が多くない問題はあるが、それでも、経済基盤を支える力はあるはず。時間はかかるが、脱成長社会への大事なステップになる。

その過程で、他の業種もエコ的な構造に変革していくはず。この資金は、主に国債に頼ることになるだろうが、それは国内で持ちこたえるしかない。5〜10年のスパンで意味のある財投であることが証明されるだろう。
・この形が取れれば、カール・ボランニーやダニエル・ベルが心配する「大きな社会的コンフリクト」は避けられるだろう。「非市場的なもの」を「市場的なもの」に変換することで可能になる。これで、「経済化様式」と「社会学化様式」のコンプロマイズが可能になり、「脱成長社会」実現の現実的な解が提供できる。

・この結果、市場主義に基づく野放しに近い欲の追求・利益の追求はできなくなり、別の捌け口を求めて余剰資金が動くだろう。人材や研究みたいなものが、いろいろ工夫されて新たな金融商品が生まれるだろう。それらの成功は、企業の株価とも連動する。
・「社会学化様式」は、「経済化様式」とコンプロマイズしても、本質的な分野である「社会・文化的資産の充実」を目指す方向への発展はなくならない。それは公共財という共通資産の充実で、個人的にも集団的にもより動きやすくなるからである。

・「「脱工業社会」では、経済人というより、「公共計画」に携わるような知識人や技術者が大きな役割を果たす。専門家、技術者、そして彼らを纏めて一定の方向づけを与える政治的・行政的指導者が養成される。「公共的精神」をもった専門家と、リーダーシップをとれる人材である」といった人材の重要性は論をまたない。
・「重要なのは、資源やモノではなく、人材なのである。人こそが価値を生む。「人とモノのゲーム」ではなく「人と人とのゲーム」の時代になる」は、少し飛躍があり過ぎる。モノなしには人は生きられない。再生技術・再生産・ものは大事に使うことは「人とモノのゲーム」であって、「脱工業社会」では極めて大きな意味がある。

・「よりよい社会を作り出すために、知的資源を有効に活用し、そのための人々の合意を形成していく。それができるような専門家、技術者と、政治的なリーダーシップが欠かせない」というのは、私の論でも意味は違うが、同じような面を持つ。ただ、ここでは、公共財は「経済化様式」と相容れない立場のため、同じ知的資源といっても中身は異なる。
・「私的財産の拡充というよりも、医療、教育、環境、自然、都市景観、安全性、資源、文化の進展といった社会・文化的資産の充実を目指すという了解がなければならない」とあるが、私論では、私的財産の拡充は程度問題であるが否定する必要はない。

・「ここで注意しておかねばならないのは、この社会は、大きな社会的コンフリクトを生み出す可能性が高いこと」については、前述の通り余り心配はいらない。

・「脱工業社会では、ひとつの「社会的決定」を行わなければならない。「公共計画」の策定には公共的な合意を得られる価値が選択されねばならない。ところが、人々や集団間の多様な要求が乱立して、調整や合意が困難となる。政治的要求と社会的権利が増大し、過去の伝統的な指針と道徳観念を損なう」ことはあっても、そんなに大きな問題とは考えない。
・「情報が中心的資源になり、組織の中における権力の源泉になる。専門主義が地位の基準になるが、より多くの権利と社会へのより多くの参加を要求する大衆主義と衝突する」とあるが、専門主義、情報優位に偏り過ぎた、学者的な視野が気になる。むしろ、大衆を巻き込んで、専門性に繋いでいかないと、混乱するだけである。

・「組織と共同体における専門家と大衆の衝突が脱工業社会における紛争の特質である。人と人との相互関係を適切に取り結ぶ工夫が大きな意味をもってくる。だからこそ、教育や文化、メディアの質、多様なコミュニティ形成、都市や住環境の整備、医療などが公共計画の焦点になってくる」とあるが、衝突云々は先に示した通りとして、人同士の相互関係は非常に重要だし、最後にある公共計画の焦点については、別に異論はない。

・程度に差はあるが市場主義経済を肯定し、むしろ積極的に市場主義経済的手法を公共主義経済に同化させる考え方をとった。オバマのグリーンディールもこの方向を目指すのだろう。

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