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はじめまして。
これからたまに書かせて頂きます飛田(とんだ)と申します。
以後お見知りおきを。

さて、皆さん「大津事件」というものをご存知でしょうか?
これは1891年5月11日に滋賀県大津市で起きた暗殺未遂事件でして、現在の三権分立の意識を広めた事件として知られています。

今日は、その大津事件に登場する「房州の烈女」、畠山勇子(はたけやま ゆうこ)のお話をしようと思います。

その前に、そもそも大津事件とは何なのか?
先にも述べたように、1891年5月11日に滋賀県大津市で起きた暗殺未遂事件で、訪日中であったロシアのニコライ皇太子が警備にあたっていた巡査に襲撃されたという事件です。幸い命に別状は無かったのですが、天皇が見舞いに出向くまでの騒ぎになったらしいです。というのも、当時まだまだ弱小国であった日本は、これを口実にロシアが侵略してくれば壊滅は免れない状態だったんです。

三権分立どうのに興味がある方はご自分で調べてもらうとして
ここからが本題の「房州の烈女」の話です。

「房州の烈女」こと畠山勇子は、千葉の出身で魚問屋にお針子として住み込みで奉公していた一般人でした。ただ政治や歴史に深い興味を持ち、それゆえに周りからは変人と見られていたらしいです。

滋賀へ日帰りの旅の帰り(当時ニコライ皇太子は京都に滞在)、大津事件が起き、ニコライ皇太子が本国からの命により急遽帰国する事になった際、「このまま帰られたのでは、わざわざ京都まで行って謝罪した天皇陛下の面目が立たない」と嘆いたらしい。
そして5月20日に「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」と書かれた嘆願書を京都府庁に投じ、京都府庁前で死後見苦しくないよう両足を手拭いでくくった状態で、首と胸を剃刀で切り自殺を謀ったのだ。しかし、その場では死ぬことは出来ず、運ばれた病院で出血多量により絶命した。

彼女の話は世間に広まり盛大な追悼式が行われたという。
一説には、彼女の死がロシア側の寛容な態度(武力報復・賠償請求ともになし)につながったとの評価もある。

こんな話をなぜ持ち出したかと言うと

最近、多くの日本人が愛国心を忘れてるのでは?と思ったからです。
「国の為に死ね」とはさすがに言いませんし、私自身嫌ですが、このように命懸けで国を守ろうとした「一般人」が居たんですよ。そして、その上に今の日本があるんです。それを忘れてほしくありません。

あと己の名誉や利益ばかり擁護しようとする政治家さん達にも見習って欲しいものです。まあ、世界的に政治が利益追求に走っている現状を見ると難しい話かも知れませんが。

結局何が言いたいかというと。

もう少しで良いから愛国心を持てば日本はもっと良い国になるのでは?
って事です。


長々と駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
FUJIYAHMAN出版から飛田でした。

飛田・チルリアン二世

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