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ブライス:@naiラボ:BlytheコミュのBlythe Another History

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皆さんもご存知のとおり、ブライスという人形は1972年にアメリカのKenner社から発売され、当時日本ではTOMYから「まほうのひとみアイアイちゃん」という名前でパッケージと衣装のみ変更して発売。結局お子様の人気を集める事が出来ずに一年間で 姿を消してしまいました。

2001年1月にCWC Limited Edition: PARCO Limited ¥10,290(税込)の発売からネオブライスとして今に至ってるワケですが、公式サイトでは発売時期と価格だけの記録をBlythe Historyとして紹介されています。
ここでは当時PARCOの模型屋の店長だった@naiからの目線でのAnother Blythe Historyとして(不定期に)初期ブライスとその背景を紹介させていただきますので、気楽に読んでやってくださいな。

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最初にブライスを見たのは2000年冬のPARCOのCM。この人形が「ブライス」という名前って事も知りませんでした。
当時のPARCOの社員の名刺にはブライスのプリクラが貼られていて、「なんかヘンなの〜。仕事とはいえ、ちょいと恥ずかしいよね」とさえ思っておりました。

写真が当時のキャンペーンで配布したストラップですね。
『Have a Blythe Xmas. Parco 2000 Gina Garan-CWC/PARCO』と書かれてます。もらったけど、オレはストラップ使う習慣が無いのでそのまま保存されてます。
翌年(2001年)夏のキャンペーンもPARCOはブライスを起用し、ブライスのレジャーシートやカップやフォトスタンドなどなどの景品も作られました。
同年5月25日(土)〜6月18日(月)までの期間、渋谷PARCOパート1・B1Fロゴスギャラリーで『Blythe by Gina Garan展』が催され、ジーナ所有のヴィンテージブライス21体や写真作品47点を展示。

この時にCWC Limited Edition: PARCO LimitedとMondrianの2体が発売になりました。PARCOリミテッドは限定1000体で、渋谷PARCOで500体を販売。
渋谷は長蛇の列が出来たそうです。

残りの500体は全国のPARCOに分配されて販売されましたが、当時の地方のPARCOによっては2000年冬のCMをそれほどヘビーローテーションで放送されていなかったのか、当然ながら今の様なブライスの知名度もありませんから、『限定』なのに殺到するというほどでは無かったんですね。
それでもPARCOキャンペーンキャラクターなワケですから、しかたなく買っちゃったPARCOの社員もいたとか・・・。

当時名古屋PARCOに勤務していたオレの店では、すでに予約販売して完売となったPARCOリミテッド50体の受け渡しのみを任されました。(他のPARCOでは販売方法も様々だったようです。)受け取りに来たお客さんの数名から「この人形人気あるの?」なんて聞かれ、「さぁ〜?よく知らないんですよね」なんて答えていたオレでした。

え?知らない人形を1万円で買っちゃうの?と思う方もいるでしょうけど、この頃Spawnをはじめとするブリスターパックの人形が大人気で、『限定』のフィギュアや人形はとにかく買う!っていうコレクターも多かったんですよね。

同時に発売されたモンドリアンはというと、当時全く売れませんで・・・ウチの店では20体を約1年くらいかけてやっと完売したと記憶しています。本社は100体くらい在庫抱えていました。
そんなこんなで発売されたPARCOリミテッド。
オレが買ったのは、その後発売されたハリウッド、ロージーレッド、オールゴールドインワン、コージーケープの後だったんですね。
それまでは商品であるブライスを買うなんて、気は全くありませんでした。
模型店の店長やってたのに、模型やフィギュアを買った事がほとんど無かったんですよ。なので、人形買うなんて考えなかったワケです。

で、なんでPARCOリミテッドを買ったのか?
2001年に吉祥寺店に転勤となりまして、前任の店長との引き継ぎをするべく店内を整理してたんですが、なぜだかバックヤードに未開封のPARCOリミテッドが1個あったんです。「これなんであるの?」と聞くと、前任の店長が「オレが買ったんですよ」と言う。人形好きなのか??いやいやそうでは無くて、「買うハメになった」というのが正しかった様です。

というのは、全国のPARCOでの販売方法が違っていたため、当初吉祥寺PARCOはウチの店に販売を委託すると思われていたらしい。それで数名の予約を承けちゃってたみたいなんですね。
ところが実際はPARCOが直接販売する事になり、「クレームになる!」と慌てたウチのスタッフ達は予約数を確保するべく、発売日に並んで確保したらしい。
で、せっかく自腹で買ったのに、1名受け取りに来なかったという事で・・・。
結局彼は「どうしましょう?」と困惑。「じゃあとりあえずオレが買うよ」ってコトになったんですね。

当時の吉祥寺の店にはPARCOリミテッド以外の全種のブライスが売れ残ってました。
モンドリアン、ハリウッドとロージーレッドは各20体くらいだったんですが、オールゴールドインワンとコージーケープは各150個くらい抱え込んでいて、「これは定価(¥8000)じゃ売れないだろ〜。」と困った在庫だったんですね。

この頃、ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードでも30%OFF(¥5600)で売られてましたし、たぶん全国に余りまくっていたはず・・・。
「この発注、オレの責任じゃありませんから特価にして下さい」と上司に相談し、ゴールドインワンとコージーケープはバーゲン価格になりました。が、やっぱり売れませんでした。

写真はPARCOリミテッドに付属している限定ナンバーカード、今と違って横開きの外箱です。
さて、この頃バーゲン価格になっても売れない困った在庫を抱えた@nai店長は、表のウィンドウにこれでもかとブライスを並べてみました。すると、行き交うお客さん達の反応は・・・「なにこの人形?きもい〜。」このセリフを何百回も聞きました。

とりあえず正面のピンクとオレンジの目が(悪い意味で)ヤバイみたいだぞ?と、ほとんどの目をブルーとグリーンに変えてみました。すると悪評はちょっと減った。
う〜ん、それでも売れないとまずいよな〜と、模型屋の強硬手段に出ました。
いくつかのブライスのアイギミックを取り除いて、ドールアイ(アクリルアイ)に交換してみたんですよ。これがカスタムの始まりでした。

すると、アクリルアイの特価コージーとゴールドはパラパラと売れ始めました。
ん?イケるかも?そのうちに、「アイシャドウを塗り替えてもらえますか?」とか、いろんな要望が出て来ました。そんな事なら簡単ですよと即答。もちろん無料です。
(この時点では、まだ削ってません。)

そもそもブライスは1972年にアメリカで1年間だけ販売されたって事は知っていたんですが、そのKenner Blytheが日本にあるなんて思ってませんでした。が、すでにeBay(イーベイ)のオークションで買ってた人もいたらしく、突然修復の依頼がありました。「この部分だったら分解しないと出来ませんね」と言うと、問題無いですと即答されたので、初のヴィンテージブライス分解となりました。
この頃の相場は・・・箱入りの程度が良いもので日本円で10万はいってませんでしたね。ネオブライスが発売される前までは、「フリマーケットで5$で買った」って方もいました。

ここから続々とKenner Blytheの修復が持ち込まれる様になりました。これも無料。
とにかく、当時の模型屋ってのは男性しか足を踏み込まないって感じでしたから、当然ながら「女性客を増やさないとブライスは売れない!」ってコトです。
ネオブライスの名前になっているRosie Red、Kozy Kape、Aztec Arrival、Lounging Lovely、Pow Wow Ponchoなどは、1972年当時にKennerが発売したアウトフィットの種類だったんですね。TAKARAが発売したものとちょっと違うけど、同じイメージでしょ。サングラスやワードローブケース等も発売されてました。

インターネットとデジカメの普及にともなって、個人サイトも増えはじめ、ネットオークションも盛んになってきましたから、ビンテージを買う方もどんどん増え始め、Yahoo!オークションの相場も徐々に高額で取り引きされる様になって来ました。
行きがかり上PARCOリミテッドを買っちゃった@naiでしたが、この頃はまだ「限定品だし、そのうち売れるだろう」程度に思ってたんですね。でも、膨大なブライスの在庫を抱えていたので、ちょいと考えが変わりました。

一般的なお店というのは、その月に仕入れた商品は(出来るだけ)その月に売ってしまいたいんですよね。仕入売上対比の計算をした場合、その月の売り上げよりも仕入れが上回っているのはヤバイって事です。もちろんそれぞれの商品の仕入れ価格というのは様々なので、そこから光熱費・家賃・人件費などなどを差し引いたら・・・ディスプレイの問題以前に店を見た時に、何度行っても同じ商品が売れ残っているというのはお客さんから見てもわかりますよね。在庫のスペース的な問題もあります。

なので、お店の感覚として「すぐに完売する商品」が良い商材という事です。
何ヶ月もかかって完売したという場合は、ギリギリセーフという感じですかね。
「定価じゃもう売れないかも?」と考え始めたら、その仕入れは「失敗」ですからその後同様の商品の発注は激減するか、ゼロとなります。
オークションや骨董品店とは違いますから、「数年後には価値が出る」なんて事考えて商売やってる店は単なる「店主の趣味」なんですね。一般的に「年間に全在庫の合計金額の3倍が回転していないと、その店は危ない」と言われていました。
1000万の在庫の場合だと、1000×3÷12ヶ月=250なので、毎月250万の売り上げでセーフという事ですな。

なので、当時ヤバかったブライスを売っちゃうべく、普通の店だったら「完売したらラッキー♪」であるブライスを、各1種類ずつ自分で買って展示する事にしました。
もちろん欲しくて買っていたのではなく、家にも持って帰らないワケですから、ある意味「展示用に自分のお金を払ってるだけ」って状態です。
5〜6種類あったらそこそこ見栄えも良くなりますから、PARCO、モンドリアン、ハリウッド、ロージー、ゴールド、コージーを展示していた頃から(待望の)女性客が店に来てくれる様になりました。
でも、人形だけを並べて展示していてもパッとしないですよね。
だけど当時のウチの店には男性スタッフしかいません。お客さんからリサーチしたり、隣の店の女の子にブライスの髪型変えてもらったり、PARCOのブライスイベントのポスター貼ったりで悪戦苦闘。
ブライスの着替えも問題だったんですよね〜。男がお人形の服着替えさせてるってのは、通路を歩いてるお客さんからも不思議な目で見られるものです。部下に命令するのも可愛そう。なので、こっそりノートパソコンで隠しながら着替えさせてました。
すると、隣の店の女の子から「@naiさ〜ん!逆にヤバそうに見えるから、堂々と着替えさせた方がいいよ。」なんて言われちゃいました。あ、そーなんだ。

ガチガチのガレージキット屋として怪獣やヒーローを作りまくってたVOLKSがSDを販売し始めた頃、元々いたスタッフはけっこう動揺したんだろうな〜と他人事ではありませんでしたね。ホント。

そんな頃、TAKARAの担当さんから「女性誌のVOGUE NIPPONで毎月12ヶ月間ブランドの衣装着せたブライスを掲載してますよ。」との情報。早速毎月買ってブライスのページを切り取り、額に入れてディスプレイしました。この写真はその後に発売された『BLYTHE STYLE』の写真集にありますね。
この時に参加されたブランドはGucci、D&G、PRADA、Vivienne Westwood、MARNI、SONIA RYKIEL、Christian Dior、John Galliano、VALENTINO、Versace、Paco Rabanne。

ウィンドウのブライスに興味を持って見ているお客さんには「VOGUEに載ってるんですけど、いろんなブランドもこの人形の服を作ったんですよ。」と説明すると、「そうなんだ、この本買って来るわ!」って・・・簡単にブライスを買ってもらうワケにはいきませんでしたが、これも良い影響になったみたいでコージーとゴールドも売れ始めました。
初期ネオブライスの箱のデザインを見ていただくと、今のブライスの箱みたいに左下にブライスの名前の記載がありませんね。裏側には「BL-5コージーケープインスパイアード」などと書かれてるんですが、PARCOやモンドリアンには品番すら書かれていません。

さて、CWCのVOGUE企画によるブランドイメージと、2002年・春、トイザらス限定のドッティとCWC限定のミス・アミバーサリーの限定が続いた影響で、ブライスのリピーターが増えて来ました。吉祥寺店のコージーとゴールドはほとんど売れてしまい、新製品だったアズテックアライバル、サンデー、ボヘミアンも安定して売れ始めました。と言っても地域によって温度差があったんですね。
吉祥寺店以外の全国のチェーン店の動きは変わらず、同業の店でも同様だったみたいです。

この頃の発注は各20個程度でした。今でも同じだと思うんですけど、当時の価格(¥10290(税込))は気楽に手を出さないですよね。模型店的にはモデルガン1丁分、ガンプラだったらPG(パーフェクトグレード)くらいの価格帯です。
しかも箱も小さくはありませんから、在庫の展開・収納も問題。だけど、ブライスは他の商品と違ってリピート(再発注・補充)が不可能だし、返品も不可。他店が売れてるワケでもないので商品の交換も不可能。リスキーな商品なんですね。
ここは腹をくくって発注するしかありません。ピカデリーはバッグ付きという事¥16,590(税込)でちょっと怯みましたが、50個〜60個と発注を増やすというバクチに突入していきました。
アジアンバタフライが発売の頃、そろそろ新製品の予約をしてくれる方も30名くらいに増えて来ました。そこで、次に発売される(問題の)スケートデートの発注数を100個と覚悟を決めたんですよ。とはいっても、当時発注数どおりには入荷してませんでした。約50%〜60%だった気がします。入荷しても60個ですね。ですが、発注してるわけですから、本当に100個入荷する覚悟は必要です。
実際に入荷したスケートデートは・・・予約数ギリギリでした。セーフ!
1個でも足りなかった場合、クレームになってもしかたありません。前日にしか確実な入荷数を確認出来なかったんですが、実際怖くなりました。

待てよ?他の店はどうだったんだろう?と、ネットでブライス予約販売してる店を調べたら、想像より恐ろしい事になっていたんですね。
静岡県の某ショップは、苦情でBBSが炎上状態。他にもいくつか同様の店を見つけました。発注数の分だけ予約を承けちゃった結果です。一歩間違っていたらと思うと・・・今後の扱いに最善の注意が必要だと本気で思いましたね。
当然、予約した店で買えなかった方達は他のショップで探しまくった事でしょう。

問い合わせがあった店は「ブライス売れるぞ!」と、その後の発注数を増加させたはずです。でも、ここで冷静に考えれば、1名が5〜10店に問い合わせをした場合でも、買うのは1店。惑わされると過剰在庫になっちゃう事も確実。
100%安全な商品だとはまだ思えませんでした。買えなかったから欲しい!という連鎖は、昨年もありましたよね。予約もせずに普通に買えたんだったら、そこまで欲しがらないもんです。
仕入れていない商品は支払いも無いわけですから、損も無い。「売り損ねた」と思う事を優先に考えてしまって残してしまった場合は確実に「損」なんです。それが習慣になってしまうと確実につぶれますね。経営ってキビシイです。

「足りない!欲しい!」となると、お客さんだけでなくお店も同じ反応になりがちです。それまで「売れないからいらない」と答えていた多くの店は、問屋やメーカーにあの手この手で「もっとブライスを下さい」と要求する様になります。ここでも問屋・メーカーは簡単に信用はしません。

当時のブライスの新製品は3ヶ月〜6ヶ月前に発注数を提出しなければいけませんでした。もちろん実物の写真はありません。イラストさえ無くて名前だけで発注した事もありますね。では、そんな先の事がわかるのか?わかるワケありませんよ。
失敗したら6ヶ月分の在庫が店に積み上がっちゃうのは確実ですが・・・。
ここでイレギュラーなブライスも登場。TAKARA製なんだけど、アメリカで発売されたFAOハリウッドです。対象年齢は7歳以上なんですね。
箱は初期ハリウッド、なのに艶肌でリカボディ。その後に発売されたエクセレントハリウッドは艶肌でしたが、初期は艶消しでしたよね。なので、2種類中間と言える特種なパターンです。他にはFAOモンドリアンもありました。
もちろん通常流通してませんでしたので、並行輸入業者から仕入れました。

この頃から香港からのお客さんが増えて来ました。今では世界中にブライスファンがいますが、最初にネオブライスに注目したのは香港でしょう。
そんな時に「取り引きしたい」と連絡がありました。香港のSugar magのオーナーであるMaggieの友人のTonyさんです。彼は18歳で日本へ来て大学を卒業して就職し、そのまま吉祥寺で暮らしていたので、日本語がとても流暢でした。
なによりとても良い人だったので、彼が香港に帰国した今でも友人です。
その後来日したMaggieにも合って話し合い、我が社の社長との交渉に同行し、契約成立。(@naiが退社後に契約解除しました)

毎月恒例だった店長会議でも「吉祥寺店だけが異常にブライスを売っている」という事が議題になり、状況報告とレクチャーをした時に、「女性誌のVOGUE NIPPONでブライスを注目しているのに、商品展開している我が社(Hobby Japan)で扱わないのはおかしい」と訴えました。そのせいかどうかわかりませんが、後日Dollybird誌が創刊される事となりまして、編集長に任命されたSと何度か打ち合わせしつつ、創刊号が発売となりました。
さて、続き。
時期的によく憶えていないんですが、たぶん2003年あたり?にブライスのアニバーサリーイベントなるものがあるとお客さんから聞きました。なんだそれ?
ショップは問屋やTAKARAと取り引きしてるだけなので、CWCのイベントには疎かったんですね。
参加した方の話では、ドレスアップしたブライスを持ったモデルさんが歩くそうな。ほほぉ〜、それは不思議な催しですな。確かにブライスは歩かないしね。
ドールイベント(ドールショーやI Dollなど)ってのもあるらしい。う〜ん、関係ないけど、お人形の世界ってのは不思議なもんだなと思ってました。

カスタム希望のお客さんは更に多くなって、飛び込みの依頼には対応出来なくなって来たので、毎月自分の出勤スケジュールが決まった翌日の開店時から、予約するシステムに変更。その後2004年には地下1階から5Fにリニューアルオープンする事になりました。

ブライスの売り場もがっつり確保。Sugar magも展開して「お人形コーナー」がある模型屋になっちゃいました。
リニューアルオープン前日、当時のPARCOの店長から「オープン前にお客さんが並ぶ様でしたら、警備員つけましょうか?」と聞かれ、「そんな事無いですよ〜。」と笑ってましたが・・・翌日の開店前、PARCOの入り口に行列が出来てました。
それでも、ウチの店じゃないよ♪と開店準備した時点で、「朝礼やりなさい」と専務命令。他店からのヘルプもいたので、15名ほどのスタッフの前で「リニューアル作業お疲れさまでした。」と挨拶してたら、「今日の売り上げ目標は?」と専務。
う〜ん、やっぱり3桁は言っておかないとな〜と思い「100万!」と答えました。
もちろん根拠は全くありません。
カスタムの完成品もいくつか(たぶん5〜7体)出したし、プチやステーショナリーは全部50%OFFにしたけど、平日オープンだし、そんなに売れるもんかな?と・・・。

オープン!静かなPARCOのウチの店だけ、エラいことになってしまいました。
店の入り口から入れないくらいの女性客が殺到。悲鳴みたいなのまで聞こえます。
カスタムの箱掴んで「私が先につかんだのよ!」なんて言ってる人もいます。
レジも列が出来ていて、ガンガンやっても行列は減りません。
ヘルプのスタッフ達は異様な光景を前に、店の前で茫然としている状態。

開店から2時間後、少し落ち着いて来ました。専務から「今の売り上げは?」と聞かれ、チェックしたら、200万オーバー。おぉ〜、1時間100万円ペースじゃん。
夕方には社長が来店「@naiくん!夕食に行こう!」って、まだPARCO閉店してませんけど・・・あ、でも行きます。社長は上機嫌でした。なんか怖い・・・。
突然オリコン1位とっちゃった歌手が、「次の曲もよろしくね」って事務所に強制されてる様な感じ?ま、売り上げは良いに越した事は無いけどね。
この時のオレの漠然とした不安は、残念ながら的中してしまうのでした。(続く)
2003年になると、ブライスが安定して売れ始めた店も多くなったようで、「発注の100%の納品をして欲しい」という要望も多くなってたんですね。もちろんTAKARAは「努力します」という事になったんでしょうけど、まだそんなに状況は変わりませんでした。でも、「入荷していない商品は支払いも発生しないから、損は無い」という事なので、漠然と「もっと入荷すればいいのにな〜。」と思っていた程度でした。この頃の発注数は100〜150個ペースだったと思います。

ディスコブギー、ラブミッション、フルーツパンチあたりで予想外(?)な状況になります。まず発売日に40%納品。数ヶ月後に残数を納品するという事でした。
発売日の納品数だったら、それまでのペースと同じなので過剰在庫にはなりません。
数ヶ月後に残りが入荷しちゃうと、新製品でもないので残る確立は高い。
でも、実際に残数は入荷するのか?過去にそんな事は無かったので、入荷しないんじゃないかという予測をしていた店が多かった気がします。それに、最初の40%は欲しいですからね。ところが・・・数ヶ月後に予告どおり残数は納品されました。
当然エラいことになります。数ヶ月前に発売され、お客さんも購買欲も落ち着いちゃったブライスが連続で追加納品されるワケですからね。全国の店も慌てた事でしょう。すでに半年後に発売される予定の新製品まで発注完了してますしね。

この時金型を変更したスペリオールのポンチョとスケートの発注も出されていました。それまでのエクセレントブライスよりKennerのブライスに近いと期待されていただけに予約者も多く、当時ウチの店では220名の予約を承けてました。
でも。実際に入荷した日には毎回重労働になるんですよね。
マスターケース1個から5個入ってるブライスを取り出し、更にダンボールから取り出すという作業の繰り返しで200体やると、握力無くなって来ます。
入荷連絡するスタッフは200に以上に電話するわけですから、午前中の2時間で声が嗄れてしまいます。

当時の常連客には現在「有名作家」と呼ばれてる方も多く、皆さん熱心だったので「スペリオールを最初に分解しちゃうのは@naiさんだ。」と予想した事もあって、ポンチョとスケートが入荷した日の夕方にぞろぞろ集まって来てました。
早速分解して、全員で内部パーツを確認。スムーズな分解方法を理解して解散。
すでにかなりの数のブライスの在庫を抱えてしまっていた@naiは、「全部カスタムして売ってやる〜。」と無謀な挑戦に突入するのでした。(続く)

写真はリニューアル後の吉祥寺PARCO店のウィンドウ、倒産寸前の頃(1979年)のKenner社のカタログ、Kenner社が最も儲けていた頃に発売してたSTAR WARSフィギュア(だけど、Dangarは人気無かったな〜)結局Kenner社ってエイリアンやSTAR WARSの初期3部作の模型・フィギュアで大儲けしたんですが、その後の家庭用ゲーム機ブームで任天堂ファミコンに完敗したのが引金になって、結局倒産しちゃったんですよね。
さて、大忙しになっちゃったカスタムは相変わらず無料で承けてましたし、吉祥寺店で買ったブライスじゃなくても問題無いというコトにしてました。だって刻印なんか打ったら嫌な感じだし、会員証なんか作るのも煩わしい。「これってホントにウチで買ったんですか?」なんて疑われるのも気持ち悪いでしょ?
なので、当初は関東圏内から来てくれる方がほとんどだったんですが、あっという間に全国に広がっちゃいました。海外からの依頼が届き始めたのもこの頃です。

それでもカスタムは無料。おかげでブライスはもっと売れる様になりましたが、せっかくカスタムするんだったら皆さん自分が気に入る様にしたいものです。
お店だから、オークションみたいに「ノークレーム・ノーリターン」「素人の趣味の範囲で」なんて都合の良い事は言えません。納得してもらえるまで何度も確認しつつやってました。(今でも修正・修復は無料で承けてます)

2003年の時点で「とりあえず喜怒哀楽は作ってみよう」と、泣き顔や怒った顔も作ってました。コンタクトにグラデーション塗装を始めたのもこの頃です。
イメージとして「少女マンガの目みたいに、上部が濃くなったら可愛くなるんじゃないかな?」という発想で試しにやってみたら良い感じ。最初は好き嫌いもありましたが、そのうちにオレ以外の人もやるようになってきました。
表情の変えるのを最初に依頼されたのは、奈良美智さんの個展に行くというお客さん。「イラストみたいに怒った顔にしてもらえますか?」というオーダーからでした。(その後この顔は「ナナメちゃん」と呼ばれる様になりました)

それまではヴィンテージ至上主義(?)だったらしく、カスタムといえば「ヴィンみたいにして下さい」というオーダーでしたから、深く彫る事は無かったんですが、その後は表情もメイクもアーティスティックなものまで多種多様。
とりあえずやってみよう!と何でもやっちゃいました。エアブラシと電動ルーター使いまくる毎日が続きます。
(この当時の写真に「@nai100w」と記載してますが、「100w」は大分に住んでた頃のウチのバイクチームの名前です。)
ドールショーやCWCのイベントとは全く縁が無く、日々ブライスだらけの毎日に突入していたんですが、2004年に豆千代さんがアニバーサリーイベント『Art Attack』に参加する事になり、3体のカスタムを依頼されました。(写真はDollybird vol.4)
カスタム自体は楽だったんですがメイクの色指定が特種で、カラーチャートを見ながらそれぞれを調色・塗装する度に豆千代さんと確認しつつ制作。

下駄・ポックリ・草履は実物を持って来てもらって採寸し、別々の素材を削り出して作りましたが、ピンクの草履は透明アクリルカップの底をカットして研磨。予定外に辛い作業になりました。
翌年のチャリティーオークションでは最高額で落札され、オークション終了前後に豆千代さんとメールで「なんかすごいね〜。」と他人事の様なやり取りしてました。
(2枚目の写真は2005年の『Cinema Princess』に出品した豆千代ブライスの下駄と、その素材(キャストブロック)。この頃はすでに慣れていたので、15分くらいで成型できました。)その後、豆千代さんはCWC限定のMargaret Meets Ladybugをプロデュースする事になります。

さて、2005年になるとCWCは新宿マルイでイベントを企画。その後のアニバーサリーにも展示される事になるカスタムをBABY,THE STARS SHINE BRIGHTより依頼され、正面の瞳に『B』右向きの瞳にBABYのハートマークのロゴを入れました。どちらもメーカーからIllustratorのデータを送ってもらい、適度なサイズでプリントして瞳の裏にエポキシ樹脂で固定。その後同じパターンで嶽本野ばら氏(その後2007年のアニバーサリーで、審査員として同席)の依頼で、コンタクトに「野ばら」マークを入れたカスタムを作る事に・・・。

そして本格的に2005年アニバーサリー『Cinema Princess』にシザーハンズ他、各ブランドの合計20体以上のカスタムを出品する事になるのでした。(続く)
2005年アニバーサリーのテーマは『Cinema Princess』早速Dollybirdチームの打ち合わせが始まりました。まずはどの映画のカスタムを作るかって事になりますよね。
『Princess』といえば、思いつくのは『ローマの休日』とかなんだけど、それって似てるかどうかわからないし、ドレスで記憶してる人っていなそうですよね。
ともかく「普通のお人形」になっちゃいそうで却下。

なので、とりあえず「お姫様」は意識せずに好き勝手なタイトルをあげてみました。
会議は脱線しまくりながらも、最終的に『シザーハンズ』のエドワード、『時計仕掛けのオレンジ』のアレックス、『ゴーストワールド』のイーニドに決定。
この時点で『ゴーストワールド』だけ見た事が無い@naiでしたが、とにかくポスターのイメージ写真に似てればいいんじゃないの?と見切り発車。(完成後に映画を鑑賞しました。)

作るものは決まっても、そこから「どーやって作るか」ってのが問題です。
まずはシザーハンズのハサミから作業開始。同時期に衣装担当Jujuさんもスタート。
最初はアルミ板から切り出してハサミを作ろうとしたんですが、1本作るだけでやたら時間がかかってしまったので、急遽素材をプラ板に変更。左右対称に2対ずつのハサミを作って行きました。あれ?手がハサミなワケだから、実際にある手は必要無いよね?切り取っちゃって良いものなのかな〜。と、早速CWCに確認。「ダメです。」やっぱり・・・。

だったら手を残したまま複数のハサミを固定しなきゃです。手の甲にアルミプレートを固定して、全部のハサミの軸を固定。順番に完成したハサミを組み込んで行きます。せっかくなので動かしたいと考えたので、可動ストロークも確認しつつ完成。
いやいや、実際顔のカスタムの3倍ハサミの方が時間かかってます。
衣装担当のJujuさんも、「出来る限りタイトに」という希望から、脱げなくて良し!という割り切った方向で完成。スタンドには庭木を剪定したイメージの動物を固定。
仕上げは髪のスタイリング担当のPさんに委ねました。

同様の試行錯誤を繰り返しつつ、『時計仕掛けのオレンジ』のアレックス、『ゴーストワールド』のイーニドも完成。(写真のアレックスはスタイリング前です)
これだけでは終われません。Dollybirdチーム以外も豆千代さんなどなど、計20体を期限までに完成しなきゃです。あれ?これって仕事じゃないよね?なんて思ってたら作れませんから、もう何も考えてませんでした。(続く)
ここで番外編。
1971年にKenner社がブライスのプロトタイプ(試作品)のアイギミックの構造を特許申請した時の書類らしいです。
で、完成したプロトタイプがこれ。かなり顔の形状は違いますし、アイチェンジはヒモでは無くロッドを引くタイプだった様です。
さて、2005年アニバのカスタムは全て完成したけど、衣装を着て髪のスタイリングまで終わった状態まで見てないのがほとんどだったので、完成状態は想像のみ。
いくつかは完成写真を見せてもらったけど、多くの場合は完成したらそのままCWCに提出されちゃいますからね。宿題提出したけど点数教えてもらってないみたいで、実感が全く無いワケですよ。しかもアニバのカスタムの提出期限は、イベント(6月末)の3ヶ月〜半年前(その年によって違う)だったりします。

そんな5月末。吉祥寺PARCOでのCWCのイベントの打ち合わせだったか当日だったか忘れたけど、(たぶん当日)ジュンコさんとジーナ・ガランが来るらしいとの噂があり、「ま、ウチは取り引きしてるのはTAKARAとだし、ウチの店とは関係無いもんね〜。」なんて思いつつ、いつもの様に寝ボケ状態だったある日の午前中の事。何かの写真で見た事ある顔の女性が店にやって来て、「ジュンコ・ウォングと申します」とご挨拶。ん?あ!CWCのジュンコさんだ・・・。まだ寝ボケてます。
豆千代さんや他のお客さんからウチの店の事を聞いていたそうな。

午後にはジーナと一緒に再度来店。「今年のアニバーサリーには是非来て下さいね。」と言われ、あのブライス持って歩く(不思議な)イベント?でも、今年はいっぱい出品したし、反応も見てみたいし・・・と快諾。
この時ジーナは妊娠中だったので、ハグしてもらった時にけっこうな迫力でした。

で、6月のアニバ『Cinema Princess』当日。過去最多の出品数だったので、約2時間半のショーになってしまい、自分のカスタムが登場した時以外はボケボケでほぼ寝てる状態。そもそも(映画を除いて)学生の頃以後は会議くらいしか、じっと椅子に座ってないもので・・・。
ともあれ、完成状態の自分のカスタムは見れたのでOK。この頃オレ以外の出品作の多くはヘアスタイルとメイクの変更程度だったので、ジザーハンズ達はそれなりにウケた気がしました。(会場だと反応わかりにくいんですよ)
*写真の靴はRouge Noirの付属品を加工したもの(だった気がする:塗装前)。
続く。
ちょっと話題が戻っちゃいますが、2003年より取り引きを始めた香港のSugar magのオーナーであるMaggieが2004年4月末に結婚する事になったので、結婚式の招待状が届いたんですね。
そもそも土日祭日を始め、年中行事には忙しくて休めないってのがショップ店長の運命。友人だけでなく親族の冠婚葬祭もなかなか出席出来ない状態でしたが、「あれ?これって取引先でもあるから、会社的にもOKなんじゃないか?」とGW寸前にもかかわらず休暇を申請しちゃいまして、初の香港へ行く事になりました。
ブライスのカスタムやってたら、香港に行く事になるとは・・・。しかも日本以外の結婚式に出席です。

友人のTonyさんも一緒なので、広東語も大丈夫。彼は一足先に香港へ帰省していたので一人で出発し香港の空港で合流して、とりあえずホテルにチェックイン。
この頃はまだ香港ディズニーランドも建設中。
4月末なのに、日本の夏状態の気候で暑いくらいでした。予定は2泊3日です。

早速Tonyさんがツアコンになり、怒濤の観光ラッシュがスタートしました。
まずは銀行に行って両替し、旺角のブライス売ってる店をガンガン周り、途中で飲んだり食ったりしながら通菜街 (女人街)、VICTORIA PEAKなどなど、夕食はMaggieと合流したので、結婚祝いに作ったカスタムをあげました。で、食後は更に観光!
ホテルに戻ったのは深夜でした・・・。

ここでTonyさんに「で、香港の結婚式ってご祝儀どうすんの?」と聞くと、「僕は18歳で日本に行ったから、香港の結婚式のシステム知らない。」えぇ〜?
「でも、お父さんに聞いたから、ご祝儀の金券を明日用意するね。」何?金券??
翌日持って来てくれたんだけど、確かに500香港$(¥7000くらい?)のご祝儀らしい。なんか安くないか?いいけど・・・。
2枚目にはお祝いのメッセージを書く様になってます。ほほぉ〜。国が違うと全くわからないものですな〜。翌日はMaggieの店の客(もちろんブライスファン)もいっぱい出席するらしいから、どーなる事やら・・・?
続く。
さて、ブライスがらみで香港の友人の結婚式に行く事になったオレですが、今回は結婚式当日のお話。
「朝10時に迎えに来ますね」と昨晩言ってたTonyさんは、しっかり10時にホテルへ来てくれました。早速例の「金券」にメッセージとサインをして、日本から持って行ったスーツに着替え、30分前には海辺の結婚式会場に到着。

2階の式のフロアーに行くと、ウェルカムドールになったブライス達が展示されてます。やっぱりそうなるか。ちょっと早いみたいだから、ホテル周辺を散歩。
天気も良いし、キレイな所です。そろそろかな?と思って会場へ戻ってみると、まだパラパラと招待客がいる程度。え?会場時刻なんだけど??ま、いいか。
披露宴会場を覗くと、一部のテーブルで麻雀やってる人がいます。噂に聞いた事があるけど、ホントにやってるんだ・・・。っていうか、フォーマルなのはオレ達だけなんじゃないの?と見渡すと、けっこうな割合で(特に男性は)コンビニでも行きそうなかっこうです。そんなもんかいな?あれ?じゃあスーツ一式持って来るんじゃなかったな〜。Tonyさんはここでも「知らなかった・・・。」ま、いいや。

30分後。まだ始まりません。会場の前では軽く食べられる物や飲み物も準備されてますから、皆さんのんびりしたもんです。
ここで新郎新婦登場。新婦はいかにも高級そうなチャイナ服、新郎も伝統的な中国の衣装(ちょっとキョンシーっぽい)です。早速お祝いの挨拶をすると、新郎新婦より新郎のお母さんが「多謝多謝!(トーチェ)」と熱烈歓迎。このお母さん、若くてキレイな方だったんだけど、式中に新婦より多く衣装をチェンジしておりました。

それでも始まりません。これも風習らしいんだけど、親族の方が来たら新郎新婦がお茶を振舞って挨拶するんですね。これが終わらない。しかたないので待ってたら、Tonyさんがブライス持って来てる人達を紹介してくれました。で、「@naiです。よろしく」と言うと、日本語で丁寧に言う時は名前に「さん」をつけると知ってたらしく、自分の名前に「さん」をつけて自己紹介。
そうでなくても香港の名前なのに、10人以上なんて憶えられませんよ。

1時間後、やっと席につき始めました。10名ごとの円卓です。
300名くらいいたのかな?そのうち20名ほどがブライスのお客さんらしく、料理が運ばれるまでは円卓にヴィンテージブライスが数十体並んでおりました。さすがに廻してなかったけどね。
日本から出席したのはオレだけらしく、いろんな人が交代で来てくれるんだけど、Tonyさんがいない時には、自力で英語のコミュニケーションです。基本的にお酒を飲む方が少ないらしく、皆さんシラフで盛り上がりますが、式の流れ自体は日本と似た様なもんですね。

そんなこんなで披露宴も終わりに近づき、ステージで記念写真大会になりました。
写真を撮りに行ったオレも(広東語で)紹介されてステージに上げられて記念写真。
その間、なんだか見た事あるな〜と気になった女性がいたんですが、女優のグロリア・イップでした。『孔雀王』の実写映画でアシュラを演じたヒトですね。
三上博史やユン・ピョウ、安田成美、緒形拳も出てたな〜。彼女は人形や子供服のデザインもしてるそうな。

さて、披露宴も無事終わり、「カラオケ行きましょう!」と誘われたんだけど、ちょいと疲れたのでTonyさんと退散。ホテルへ戻って着替えてから、またまた観光の続きです。25時帰宅。翌朝10時から残り時間をフルに使って観光!
香港歴史博物館では古代の地形の変化から、事件や文化的な事まで細やかな展示で、近代の映画産業まで紹介していてブルース・リーやジャッキー・チェンの映画も見れちゃいます。しかも無料。その後はホテルに預けていた荷物持って空港へ。

2泊3日だったけど1週間分の観光した気分で帰国しましたとさ。
それから5年後の2009年には、ワークショップのために再び香港へ行く事になるのでした。(続く)
写真はビーチの近くに建つ高級マンション(龍が抜ける穴?を表現してるそうな)
続いて披露宴風景。最後に観光で行ったお寺。
さて、2005年アニバーサリーでシザーハンズを見た方は、同時期に発売されたDollybird vol.6で「ピッピ」と「ミィ」のカスタムもご覧になったと思います。
実は前年の2004年9月にはこの2対のカスタムは完成していました。
依頼者はCinema Princessに参加した際のDollybirdチームのPさんです。

カスタムは@naiがやったんですが、これまた各パートを専門の方々に振り分け、想像通り(以上?)の完成度になっちゃうトコロがPさんの名プランナーというか名ディレクター的な才能でしょう。しかも、関った全員に楽しい仕事をさせてくれる人柄なんですよね〜。
その後もいくつかご一緒させていただいたんですが、毎度ブライスの比率になった場合の完成予想図(イラスト)を準備してくれて、向かって行く方向性が具体的で迷いが無いので仕事もやりやすいんですよ。

ピッピの企画はドールイベントで人形サイズのカバンを衝動買いした事から妄想(?)がスタートしたそうです。お父さんの靴を履いていたという設定らしく、これは本物の靴職人の方に依頼したそうで、ある意味フルオーダーの革靴です。
ベースドールはFruit Punchだったと記憶してますが、髪はウィッグで針金を仕込んでいるのでこんな感じになれちゃいます。
アウトフィット担当のKさんもウチのお客さんで、『時計仕掛けのオレンジ』も彼女の仕事。

ミィは眉山を彫って機嫌が悪そうにして、コンタクトの色は実際の設定どおりに4色ともグリーンになってます。ベースドールはPow Wow Ponchoで、髪はガッチガチに固めてます。このアウトフィットもKさんが担当。
Dollybird誌の写真の傍らにあった大きな帽子は、『時計仕掛けのオレンジ』の帽子も作った有名作家チーム「あるふぉ〜と」のTちゃんが担当。

この2体のカスタムは、その後@naiが異動になった池袋PARCOに展示させていただきました。(続く)
さて、まだ2005年のお話。CWCのジュンコさんから「DollybirdチームでアニバーサリーのDVDに出て下さい」というオファーがありまして、初のCWCオフィスへ。
午前の撮影だったので、例によって寝ぼけた状態のまま代官山へ。しかもこの日は休暇を取ったので、夏休みのガキみたくハーフパンツ&サンダルで出動。
基本的にこんな場面では緊張しないヒトらしく、寝ぼけたまま撮影終了しました。
腹も減ったのでそのまま代官山で昼食となりまして、お店に到着したら豪雨に!
小雨になってから帰宅。

その後、2005年6月。アニバーサリー直後に池袋PARCOへ異動との辞令が出ました。大分PARCO時代には徒歩2分、名古屋PARCOには自転車で10分。吉祥寺PARCOには電車で2駅という通勤時間。池袋までは40分はかかりますから、確実に記録更新決定です。これは予定外!新宿までのラッシュは確実です。でも決定事項なので退職しない限り断れません。

池袋店もプラモデルやモデルガン、ミニカー等の全アイテムを扱ってはいるんですが、「レジも別にして、人形中心の仕事でいいから」と言われたので、そのつもりで吉祥寺店の在庫はもちろん全店から人形をかき集めて展開。スタッフも女の子のバイトを2名。
これで(吉祥寺にもIさんという女性スタッフがいましたが)男所帯の違和感あるお人形屋さん(?)から脱却です。でも、「カスタムは有料にする事」というお達しでした。う〜ん、いったいどーやって料金設定にするんだ?

全店から集めた人形はプーリップ、LDD(リビングデッド・ドールズ)、Tiny Betsy McCall、momokoなどなど、ブライスは500個以上(全10種)展開しました。
ほぼ2日のオープン準備でスタート。
吉祥寺店に来てくれていたお客さん+新たなお客さんがグッと増えて、バイトの2人も少しずつ慣れて来ましたが、池袋店の営業時間は9:45出勤で21時へ移転なので、フルには仕事出来ません。もちろんオレは(ほぼ)フル出勤だったので、毎日8am起きで出勤して閉店まで働くと、帰宅は22時。もう一日中仕事って気分でした。

アニバの効果もあってか、吉祥寺の頃よりも広範囲(世界中)からお客さんが集まる様になりました。が、当初の予定と違っていたのは、やっぱり他のアイテムもタッチしなきゃ行けなくなった事でした。結局、人形のレジとモデルガン、プラモデル等のレジを行ったり来たりです。吉祥寺の頃よりも確実にハードになったオレでした。
(続く)
さて、これまでもカスタムの作業中に「教えて下さい」って話はけっこうあったんですが、池袋店では外国の人からも頼まれる様になりました。
最初に言って来たのはスウェーデン人のAnna。彼女は建築デザイナーらしく、勉強のために数ヶ月間東京に滞在してるとの事。でも、オレはSverige(スヴェーリエ:スウェーデン語)なんて話せませんよ?
幸い彼女は英語も堪能・・・だけど、オレのいーかげんな英語力でなんとかなるんやろか??

とりあえず、各パーツや顔の部位の名称を確認しておかなきゃいけません。
こんな事もあろうかと、池袋店には秘密兵器のEくん(19歳までL.Aで育った帰国子女)をバイトに雇っていたのでした。でも、Annaが来る時間帯にはEくんは出勤していないので、やっぱり自力で頑張る事になったワケです。やれやれ・・・。
前日、Eくんに瞼や眉間、筆圧、などなど、通常使った事が無い単語を確認。
イザとなったら「Here, This position, This part」なんかでごまかせばいいや。

Annaはとても賢い人で、教えた全てのメモをとりつつ、電動ルーターやエアブラシも使って自分のブライスのカスタムを完成。メモはスウェーデン語なので、オレにはさっぱりわかりませんでしたけど・・・。

その次はスペインの豪快オバサンElenaがやって来ました。いきなりでっかい荷物を持って来て「この荷物重いから預かってよ!」なんだ??「ウィンドウのブライス見せてよ!」はいはい。とにかくすごい勢いで話しまくります。
この日はEくんがいたので、「ちょっと頼むわ」と彼に任せると、「アンタはもっと英語が話せるの?」ときた。結局Elenaは日本にブライスの仕入れに来たって事らしい。
だったら問屋に行った方がいいんじゃね〜の?と浅草橋の数社を教えると、「行って来る!」あ〜、なんかすごいオバちゃんだった・・・。
たぶん問屋にも無いと思うけどね。

翌日、やっぱりElenaはやって来ました。「浅草橋に行ったけど、どこにも無かったわよ!」そりゃしかたないっすね。やっぱりウチで買う?と聞くと、「安く買いたいのよ!」はぁ〜、それは無理。
それからも、いろんな国から強烈な人達が次から次にやって来ました。
ブライスもグローバルになって来たもんだな〜と実感する日々でした。
2005年8月。シザーハンズのプランでもお世話になったPさんから、「角川書店からの依頼なんだけど、月刊Asukaって雑誌に連載中のD・N・ANGELってマンガのキャラで、ダーク・マウジーのカスタムしてもらえます?」と連絡あり。
もちろんCWCにも許可を取ってる企画です。そのキャラは知らないけど、とりあえずOK。追って担当者から連絡があるとのコト。

で、担当さんと電話で打ち合わせ。カスタムしてる様子も取材したいというコトで、作家さんと一緒に来店するそうな。「その作家さんって何て言う名前なんですか?」と聞くと、「杉崎ゆきるです。」は?ゆきる?変わった名前ですねぇ。
今時のマンガに詳しいバイトのTちゃんに「杉崎ゆきるって知ってる?」と聞くと、「何言ってるんですか〜!有名ですよ。」と言われ、はぁ、そうなんだとネットで検索して絵を見てみたけど、やっぱり知らない。

どんなカスタムにするかは、実際のマンガや希望設定のイラストも添えて準備してくれました。さすがプロだけにお上手です。
アウトフィットはシザーハンズも担当したJujuさんに依頼、髪色は作家さんの希望の色でというコトで、急遽SPLASH & SAMMYさんに全植毛を依頼。
その全部が揃った段階で、カスタムに取りかかる事にしました。それまでにとりあえず必要な物を集めます。マント着てる上に黒い羽根も生えてるから、どうやって固定するかも考えないと・・・。
設定では衣装がかなりバイオレンスな状態になってるので、そこも再現しないとね。

数日後、カスタム以外のパートが完成し、仕上げの段階で担当さんと杉崎ゆきるさんが来店。それぞれのコンタクトの色も指定してもらう。そもそもブライス好きらしく、普通のお客さんみたいにテンション高めで立ち会ってくれました。
それから、オレに教える為にTちゃんが持って来てくれた杉崎ゆきるさんのイラスト集に「サインもらって下さいね!」と命令されたので、使命を実行。

完成したカスタムは、イベントで展示する様なコトだったと思うんだけど、杉崎ゆきるさん本人が欲しい!と言ってくれた様で、その後どうなったかは不明です。
ともあれ、数ヶ月後の月刊Asukaで綴じ込みポスターになってたので、初めて月刊Asuka買っちゃいましたとさ。
ひさびさに、午前中約30分おきに3回も宅配くんから起こされました。
3回目はさぞ「えぇ〜、また?」って顔してた事でしょう。雨なのにご苦労様ですが、せっかく見てた夢がその都度ブツ切りになったやないの!
内容ぜんぜん思い出せないけど・・・。

最近は2日に1体くらいのペースでKB(ヴィンテージブライス)の修復をやってる感じなんですが、そんな中で「@naiさんですか?」と始まってるメールが届きました。
「ブログを発見し、あの@naiさんかなと思いまして・・・」と続くその送り主は、2001年吉祥寺PARCOに転勤してすぐに、最初のヴィンテージブライスの修復を相談に来られた方です。
確かに当時は「@nai」なんてHN使ってませんでしたもんね〜。
多くは「店長さん」と呼ばれてた気がします。

さて、ここからはしばらくサボってたBlythe Another History vol...20?
当時はレプリカの簡単なカスタムを始めたばかりだったし、ヴィンテージに関しても「1972年に約1年間発売された」という簡単な知識しかありませんでしたから、当然構造もわからない。

そもそも見るのも初めてで、所有してる人がいるのに驚いていた状態です。
なので、自信も無い。「分解しちゃっても良いですか?」と聞くと「はい、問題無いです」と答えていただいたけど、ホントに大丈夫なのかな〜?と、正直不安もありましたね。
当時は程度の良いもので10万円前後だったような・・・?

慎重に分解しつつ、レプリカとの違いを確認。
それまでずっとモデルガンの修理をやっていたため、分解図無しで記憶しながら修理というのには慣れてはいたので、「リボルバーの構造に似てるな」という印象でした。さすがアメリカ設計。レミントン社がマシンガンの構造をミシンにフィードバックしたのは有名なお話です。
なんとか無事に修理出来たんですが、その方はすでに複数のヴィンテージをコレクションされていたらしく、次の1体の依頼がありました。
その頃、徐々にブライスのお客さんが多くなっていた時期だったので、「展示用に貸していただけませんか?」とお願いすると、すぐに箱入りのヴィンテージブライスを貸していただけました。
早速ウィンドウ内の乾燥や温度で腰が割れちゃったりしないように、水を入れたコップを入れておいたり、照明からの距離も考えつつ展示。
これが初めて見たヴィンテージブライスって方も多かったんじゃないかな?

いやいや、その後1000体以上のヴィンテージを手に取る事になるとは、当時想像もしてなかったですよ。

Kenner社がパテント(特許)申請した時の資料を見てみると、実際に発売されたものとはかなり違いがあるんですよね。
眼球を通っている軸にコンタクトが固定されてるし、眼球の上部に睫毛がセットされてる。
眼球の位置を決めるパーツは中心でなくサイドに組み込まれてるし、眼球を廻す(持ち上げる)のは別のスプリング(78)なんだね。
(これってS&Wリボルバーのシリンダーハンドと全く同じ構造)
瞼パーツは前後で組み合わされて、眼球を完全に覆う状態になるらしい。

う〜ん、この構造のまま発売されてたら、今無事に動いてないかもな〜。
かなり合理的に推敲され、複数のパーツの機能を兼ね備えたシンプルなパーツに設計しなおしたのがわかります。これが一番難しいもんね。
アリソン・キャツマンさんのデザインを具体化した(故)マーヴィン・グラス氏の能力の高さがうかがえますねぇ。

2006年、実際にお会いした時のアリソン・キャツマンさんは、とても賢明で陽気な婆ちゃんで、少し足が悪い感じがしたけどステキなヒトでした。

アニバの最初のコンテストの審査をするために、2時間前にスパイラルへ行ったら大柄な年配の外国人がいたので、とりあえず挨拶してたらジーナ(Gina Garan)が寄って来て「この人があのアリソンさんよ」と紹介してくれたんですね。

1970年頃に、アリソンさんの娘が眼科でコンタクトレンズを受け取った時に、指定した色とは違うものを渡されて「間違ってます」と言ったところ、「指定した色が届くまで、これを使ってて下さい」とラフな事になっちゃったらしいんですが、しかたなくそのコンタクトを使ってる娘を見て「あら、いいじゃない」とアリソン母さん。その時に「人形の目の色が変わると楽しいんじゃない?」と思いついたワケですが、当時すでにアメリカではカラコンがあったって事にも驚いたオレでした。(日本ではその10年後あたりから徐々に普及したはず)

ま、こんな方だからいろんなヒントを人形にフィードバック出来たんでしょうね〜。当時売れなかったのは「宣伝にお金かけてくれなかったからよ!」と言っちゃうところが彼女っぽい。
しかし、最初にヴィンテージブライスを手に取った時に、それをデザインしたアメリカの婆ちゃんに会う日が来るとは思いませんでしたよ。
その当時売れなかった人形が30年以上経った日本で再販し、人気が出るとは彼女も想像してなかったと思うけど・・・。
ひさびさに連載(?)開始。

何度も見てたKenner Blytheの広告なんですが、以前は解像度が悪い画像だったため、文字が読めなかったから気にしてなかったんだけど・・・。
けっこうキレイな画像を発見したので、読んでたら___え?ってコトが・・・。
まず、マンガっぽい広告。
アイの説明を見ると、向かって左がGROOVY GREEN、ま、これはいいとして、正面の1つはBEAUTIFUL BLUE、え?正面にブルーなの??

で、もう一方の正面はBOUNCY BROWN、ブラウン?オレンジをブラウンって表記したってコトでしょうか?でも、やっぱオレンジはオレンジだよな。
最後に右がPRETTY PURPLE、ピンクをパープルって解釈も無理っぽいけど・・・。
ともかく、位置関係も違ってるし、広告してるくらいだから、実際にこの位置関係だったり色のヴィンテージが存在するんやろか?
いやぁ〜、今まで1000体以上見て来たけし、海外のコレクターの写真でもそんなの無いもんね。ってーことは、単純にミスなのか・・・。
それとも、この広告は発売前の告知で、発売時には変更されちゃったってコト?

さて、もうひとつの広告。
こっちはしっかり製品化してからなんですけど、アウトフィットのセットが6.88$というコトは、1972年当時は1$=¥360だったから、6.88$=¥2476.8、まぁそんなもんでしょう。
ウィッグ+サングラスのセットは2.88$=¥1036.8、ちょっと安い気もする。

で、本体セットは・・・5.88$??だったら¥2116.8になっちゃうけど・・・。
安過ぎる・・・。でも、アレか?当時提携販売してたトミーの「まほうのひとみアイアイちゃん」の定価も¥1500となってるから、間違ってない気がする。(当時は香港で作ってたから、アメリカより日本の方が送料かからない分だけ安くなったのかも)
よほど在庫抱えていて、処分価格みたいな設定なんだろうか?
PSPやニンテンドー3DSみたく、本体価格だけだと赤字だけど、オプションをあれこれ買う事によって利益を上げるってシステムなのかな?
そうとしか考えられないなぁ。

そう考えると、現在の諸物価は上がってるにしても、ネオブライスの価格ってどうなんでしょう?
ネオブライスはシンプリーシリーズで¥10290(税込)なので、5.88$=¥2116.8と比較すると、約5倍になってますね。
1972年=昭和47年の物価は・・・。封書20円 はがき10円 、初任給:大卒 5万4001円・・・確かに約5倍になってるな・・・。
当時大ヒットしたオセロゲームは2,200円!現在はオセロは100均でも売ってますね。
あ〜、でも、当時の2200円はブライスに近いなぁ。
でも、現在2200×5=¥11000・・・オセロ買わないね。

ごきぶりホイホイ1セット5枚で500円、ごきぶりホイホイっていくらだ?AMAZONだと¥966を¥598ってコトなので、特価だとほぼ変わってないね。
ま、結局は時代の流れで安くなったものも高くなったものもあるんだけど、なんとなく「約5倍の¥10290」は納得したのでした。
さて、ほぼ1年弱ぶりの続きです。
今回はブライスを販売しているショップについて。特にブライスショップ、現在のトップショップですね。
この「トップショップ」になる事によるショップ側のメリットを考えてみましょう。

たとえば公式サイトに記載してもらえるので、全国のお客さんからのアクセスの可能性がある事。同じ都市・近隣の都市のライバル店との差別化。
そして、トップショップ限定の商品が入荷する権利。そんなもんですかね?
単純にユーザーとしては、購入できるブライスの種類が多いほうが「頼りになる店」という事になるんですが、ご存知のとおり「CWC限定」の商品は基本的に入荷しません。この「基本的に」というのは曖昧なんですが、入荷する事もあるんですよね。

ショップサイドとしてウェルカムなのは、当然ながら新発売のタイミングに入荷する事なんですが、実際にそんな事があったのはかなり以前。
シネマプリンセスのプチブライス(たしか¥12000くらいだった記憶です)とか、ネオの場合だとキュリアスあたりかな?
かなり大きなショップでも2個とか5個程度の入荷でしたが・・・。
高額すぎてCWCが売り切れなかったダーリングディーバ(\40000)の場合は、発売日からかなり遅れた時期に、タカラより「少数お分けできます」という半強制的(?)な感じで納品されたみたい。そもそもその価格で売れなかった・人気が無かったんだから、お分けされても迷惑な話ですよね。

それではショップ限定はどのくらい入荷するのか?というと、事前の人気にもよりますが、ドロンジョの時期みたいにオークションでも価格が沸騰している時は、タカラとの取引自体が長く、通常商品が100体程度入荷している大きなショップでも10体程度だったと記憶しています。この数はいろんな条件で誤差があるんですが、もっと少ない場合の方が多いかも。

オークションでの価格が沸騰しているという事は、ショップで購入するのも競争率が高いワケで、通常1種類に対して100体仕入れ、販売している店でショップ限定が10体であれば、10倍の競争率。それをお客様に対してどう販売するのか?
これってひとつ間違うと大変な事・大クレームになっちゃいますよね。
多くの店は「発売日の開店時刻に来店した方から抽選」というパターンが安全だと判断した様ですが、それでも「どうしても欲しい!」という熱が高いのだから、抽選に外れて納得するはずがありません。
どうにかして、発売日に買いたいわけです。

そもそもトップショップにも当然ながら「常連客」というのがいらっしゃいますから、競争率が高い時こそ常連のお客様にメリットがあるシステムにしたいワケです。
では、どのあたりからが「常連客」なのか?という判断は、「私はあの店でいつも買ってるから・・・」なんて顧客側の自意識もあるんでしょうけど、ショップとしては「いつもはネット通販で安いショップから買ってるのに、時々はウチの店で買ってくれる」というお客様は「常連客」とはいいにくい。
「安いネット通販や安売りの店は知っていても、いつも自分の店で買ってくれる」というのが、ありがたいお客様・大切にしたい顧客なのは当然です。
でも、どのあたりから?という線も引きにくい・・・。

そんな「常連客」。
大人気の新製品を買うべく、常連では無いお客様と同じ条件で開店前に並び、抽選で外れたとして「あ〜、残念!」なんて思ってくれる場合は少ない気がします。「いつもこの店で買ってるんだから、こんな時こそ優先的に売って欲しい」と考えるでしょうし、ここで頼りにならない店だったら、こんな時に優先してもらえる他の店に流れちゃおうかな?と考えても不思議はありませんよね。
ともあれ、(人気がある)限定品が発売される時に、売り手と買い手の双方にこんな思考が働くという事です。
さて、現在の「トップショップ」というのは、公式サイトを確認してみると全国に約50店舗。大都市には数店ありますから、1店も存在しない都道府県もあるわけです。
ピーク時にはその数倍はありましたが、なぜ減ってしまったのでしょう?

その理由としては、上記の様な「トップショップ限定」の扱い・入荷数の問題や通常商品の売れ行きが影響しているんだと思われます。
一時期「CWC限定商品」というのが連続して、トップショップには数ヶ月新製品が入荷しないという不思議なパターンがありましたよね?
こんな時は完全に「蚊帳の外」状態。
やっとトップショップ限定が出たとしても小数しか入荷しない(そもそも発売寸前にしか入荷数は確認出来ません)。
この流れは、最も優先的に新製品が購入できる「コンプリート会員」になる事を促しているとしか思えません。ジュニームーンみたいな直営店以外にはデメリットでしか無いシステムです。

コンプリート会員になっちゃったら、最寄のトップショップで購入するメリットは・・・・「(通常商品を購入する際に)送料がかからない」「実物を確認して買える」そんなもん?ですね。
大人気になるかもしれない限定商品を確実に購入したい方は、当然コンプリート会員になっちゃいます。
「年会費¥10000で全ての新製品を購入できる権利」がある事になります。

この年会費\10000の権利を納得して入会できる条件としては、トップショップ限定でも開店前に並んだり、競争したくない・もし買えなかった場合にオークション等でプレミア価格で買うしかないという事を考えれば、安心して「定価で」購入出来るという事なんですが・・・

これもイレギュラーな場合があったんです。
コンプリート限定で発売された「プリマドーリーマリーゴールド」。なんと数ヵ月後にCWCのイベント会場で抽選販売されました。これも「コンプリート会員に限り」というのであれば問題も大きくなかったのかもしれませんが、イベント当日に並んだ方々から抽選というシステム。コンプリでなくても買える可能性ありだったんですね。
プリマドーリーピーチの場合は生産数が会員より少なかったらしく、コンプリート会員でも抽選になりました。この時点で欲しかったのに買えなかった会員は、翌年の更新をしなかった思われます。

トップショップにもメリットが少ない(デメリットは確実にある)、顧客がコンプリート会員になってもイレギュラーな販売方法がある。
いったいどこ・誰に対して合理的なシステムにしたいの?と考えてしまいます。
もちろん、人気がある時ほどショップも顧客も「手に入れたい!」と熱くなるのに、そうでない時期・普通に購入出来る時期には渋るというのはあるんですけどね。
もっと合理的で納得できる安定したシステムであった方が良いと思います。
そうでないと、せっかくブライスを好きで応援しているショップや顧客が離れてしまいますもんね。取り扱いショップは多い方がいいでしょ?


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