サン・パウロ・フォリー・レ・ムーラ教会堂San Paolo fuori le Mura は、4大聖堂の一つで、司教座聖堂の中では、サン・パオロ教会についで大きな規模を誇る。コンスタンティヌス帝の時代に聖パウロの遺骸が葬られていた場所に324年に建てられた。その後改装が度々行われたが、1823年火事で消失し、その後元の設計図を頼りに完全に再建された。内部は奥行き131.66m、幅65m、高さ29.7mあり、一面大理石で装飾されている。内部の主祭壇には、アルノルフォ・キャンビオ作の浮き彫りや彫刻があり、ピエトロ・カヴァリーニが制作したといわれるキリストの木像、復活祭の大燭台は、12世紀にヴァルサレット一族が制作したロマネスク芸術の作品である。2004年9月にここを訪れた時は、教会堂の大きさに驚き、中庭は開廊になっていて、中央には噴水が涼しげに水を噴き上げ、庭には色とりどりの花が咲いていた。この美しい庭は人間の天国を表現しているのであろう。内部には豪華な黄金のモザイクもあり、この教会がビザンチンの影響をかなり受けているような気がした。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会Basilica di Santa Maria Maggioreは、ローマ4大教会の一つで、言い伝えによれば356年の8月に奇跡的に夏に雪が降ったのを記念して創建され、エフェソス公会議以降にシクトゥス3世(在位 432〜440)が聖母マリアに奉献した。右に立つ高い鐘楼は、1375年から1376年にかけて造られた。内部の中央身廊は12世紀に造られた床面、天井は16世紀に造られた黄金で塗られているが、この金はアメリカ大陸から初めてもたらされた黄金を使用しているといわれ、見るとこれは本当に豪華で美しかった。1931年の改装の際、一部現れたものに、ニッコロ4世の翼廊があり、そこに若き日のジョット、ピエトロ・カヴァッリーニ、チマブーエなどが描いたといわれる「預言者達」のフレスコ画がある。又1564年から1573年にかけてミケランジェロが設計したスフォルツァ礼拝堂もある。私が行った時は丁度土曜の夕方のミサが行われていてあまり奥まで行けなかったが、雰囲気はとても敬虔な感じがした。最初にイタリアを訪れた当時14歳の少年モーツァルトはこの教会で、1770年7月8日教皇クレメンス14世に謁見した。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会San Giovanni in Laterano は、コンスタンティヌス帝が、313年から318年にかけて、1から3世紀の建物の上に建設した建物で、その後何度か改修された。シクトゥス5世の時代にドメニコ・フォンタナは、祝福の開廊が追加し、1646年から1657年にかけてフランチェスコ・ボッロミーニが大きな改装に携わった。15体の彫像が見られるファサードは、サンドロ・ガリレイが1732年〜35年にかけて制作したもの。内部には聖ペテロと聖パオロの頭部の聖遺骨が納められている。また告解室には、マルティヌス5世(1443年)の墓がある。 2006年8月に訪れた時は、金張りのブロンズで出来た古代の立派な円柱のある聖体の秘蹟の礼拝堂、ジョット派のフレスコ画の断片,マニエリムス様式で描かれたフレスコ画などを見た。又、1586年に再建されたラテラーノ宮殿にも行く事が出来た。ここは、フランスのアヴィニヨンに強制移転させられた教皇が帰還するまで教皇の宮殿であった。部屋は10室位あり、壁や天井はいずれの部屋も美しいフレスコ画で飾られていた。ここはガイドが説明してくるツァーが1時間毎に出ていたが、豪華な部屋の数々には、圧倒された。 全体を撮影するか、近距離で撮影するか悩む。この噴水の雰囲気をうまく撮影するのは意外に難しい。
サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン館博物館 Basilica di San Pietoro e Musei Vaticani ローマに来る観光客が一番訪れるのが、サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン博物館、サン・ピエトロ大聖堂は、カトリック界の中心の建物で現在の建物は1506年ユリウス2世の下でブラマンテの設計で始められ、その後ラファエッロ、バルダサーレ・ペルッツィ、アントニオ・ダ・サンガロ、・イル・ジョーヴァネが設計に携わったが、最終的にはミケランジェロミケランジェロに設計が委託され、その後何人かの建築家に受け継がれ、最後にウルヴァヌス8世がコ1626年にこの大聖堂を献堂した。大聖堂の前に広がるサン・ピエトロ広場にある柱廊は、1656年から1567年にバロックの建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって建設された。 ヴァティカン博物館はエジプト館、アポロンやラオコン群像などの古代の彫刻などが展示されているピオ=クレメンティーノ博物館、エトルリア博物館、ナポレオンによって優れた作品はフランスに持ちされたヴァティカン絵画館には、ラファエッロの「キリストの変容」、カラヴァッジオ「キリストの埋葬」「グイド・レーニ「ペテロの磔刑」などがあり、またラファエッロの傑作「アテネの学堂」のあるラファエッロの間などがある。その中で私にとって特に印象深かったのが、システィーナ礼拝堂、私が初めてここに描かれた絵を知ったのは、1965年に製作されたキャロル・リード監督、チャールストン・ヘストン主演の映画「華麗なる激情」、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の「天地創造」や「最後の審判」の絵などを制作する時の苦悩を描いた作品だった。その時映画の中で「天地創造」や「最後の審判」の絵が詳細に見られ、それ以来いつかこれらの絵をまじかに見たいと思った。それが実現したのは1972年、その後何度も見ているが、いつもその劇的迫力に圧倒される。ミケランジェロは若いころレオナルド・ダ・ヴィンチと絵画の論争をした時「絵画は彫刻に近づけば近づく程優れ、彫刻は絵に近づけば近づく程駄目になる。」と言ったが、その彼の芸術感がそれらの作品に特徴的に見られる。人物の筋肉の盛り上がり、また立体的画面は大理石の彫刻のようだ。この絵が完成し、それを見た教皇は「これは人間技ではない。神自ら筆をとって描いたに違いない。」と語ったといわれるが、私もこの絵を見た時、同じ感動を味わった。ゲーテはこの絵を見て「僕はその瞬間すっかりミケランジェロに心を奪われ、彼を見たあとでは自然さえも味わいを持たないほどだった。それは僕には自然を彼ほどの偉大な目を持って見ることはできないからだ。」との述べ絶賛している。