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イタリア世界遺産(JITRA)コミュのアグリジェントの考古地区

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ハート達(複数ハート)富士山アグリジェントの考古地区ハート達(複数ハート)富士山
古代ギリシャ植民都市時代の遺跡が残るアグリジェントは、登録基準(?)(?)(?)(?)などで
1997年世界文化遺産に登録された。
アグリジェント Agrigentoは、ギリシャ時代「アクラガス」と呼ばれ、シチリア最後のギリシャ植民都市のひとつで、紀元前580年ごろにロードス島とジェーラ植民都市出身のギリシャ人たちが建設し、紀元前480年頃には、経済、文化が絶頂に達し、有名な哲学者エンペドクレスがこの地に暮らし、著作を記し、また詩人ピンダロスは、アクラガスを「人間の都市のうちで一番美しい」とまで賞賛している。その後ローマが紀元前262年に侵入し、210年にはほぼ完全に平定した。帝政時代に入り、シチリアが交易の主流から外れ、アグリゲントゥムは徐々に衰退の街を歩み始めた。828年にイスラム教徒に侵入され、ジェルジェンティと呼ばれるようになり、再び人口を増やした。
今でも路地や庭園などにイスラム趣味の模様や装飾が見られる。1087年ノルマン人による征服、次いでホーエンシュタウフェン家の支配を経てジェルジェンティはシチリアにおけるイスラム教徒の中心になり、北アフリカとの通商が行われ繁栄した。それ以後数百年町は,交易が振るわなくなり、町は停滞し、その頃勢いを得た封土は、領主の住まいとなり、諸教団は修道院、邸宅などを建てた。18世紀に経済が復興すると町の中心は、ドゥオーモ地区からアテネア通りに移り、更に19世紀に現在の「ヴィットリア通り散歩道」が開通し、ローマ広場(現在のアルド・モーロ広場)が建設され、町の発展は南東に伸びて行った。1927年からラテン語の名前をイタリア語風に変えたアグリジェントに変更された。私がこの街を訪れた時は、2002年のアーモンドの花祭りのあった2月初旬で、神殿のある谷には、白いアーモンドの花が咲き乱れ、美しかった。ゴッホはアーモンドの花が好きで、弟のテオの息子が生まれた時、アーモンドの花の絵を描き、プレゼントしている。私達は、コンコルディア神殿の見えるホテルヴィラ・アテネに宿泊した。朝食はあまり美味しくなかったが、夜になると神殿がライトアップされ、それは素晴らしい景色だった。アグリジェントに着いた日アーモンドの花祭りのエベントが夜あるというので、私達はコンコルディア神殿の前に行った。丘の上から見ているとローソクに灯をともした人たちの集団がオレンジの帯の様に続いてこちらに向かっていた。そしてやがて全部の人たちが到着すると、そこには沢山の美しい色彩の民族衣装を着た子供達がローソクを手に持ち歌を歌い、イタリアの3色旗をたすきがけにした市長が世界の平和を訴える挨拶をした。コンコルディアの神殿の前は大きな火がたかれ、人々は歌を合唱し、その熱気は暗い神殿の谷にこだましていった。翌日は地図を見ながら主要な古代の遺跡を撮影した。最初に行ったのがユーノー・ラチニア神殿 Tempio di Giunone Laciniaでゲーテはこの神殿の事を「こうして町の端に達したが、そこにあるユーノーの神殿の廃墟は、そのもろい石が風雨のために腐食するので、年毎に朽ちて行くのである。今日はただざっと見物する予定であったが、クニープは明日スケッチしようと思う地点を既に選定していた。」と述べている。この神殿は紀元前5世紀半頃に建設され、手前に生贄用の祭壇がある。前日の夜訪れたコンコルディア神殿 Tempio della Concordiaは、ドーリア様式で建設された神殿の中では、屋根は落ちているが、最も保存状態がよく、5世紀半ばに建設され、ディオスクロイ神に奉納された。私が訪れた時、神殿の前は白いアーモンドの花が満開に咲き、風に吹かれて花びらが散って行く様が限りなく美しかった。次に立ち寄ったのはユピテル神殿 Tempio di Giove で、この神殿はアグリジェントにある神殿の中では一番大きい。紀元前480年テーロンがカルタゴを征服後、戦勝記念として建立されたが、完成には至らなかったといわれている。神殿の谷の入り口に位置するヘラクレス神殿 Tempio Ercoleは紀元前6世紀末に建設されたアグリジェント最古の神殿といわれ、沢山の柱が立ち並び、横に長く高さはあまりないアルカイック建築の特徴を有している。私が見た時、神殿は黄金色の夕日を浴び、神殿は格別に美しかった。エスクラピオ神殿 Tempio di Esculapioは、西暦5世紀ごろに建設された神殿で旧市街の壁の外に位置している。また神殿の谷の裏にあるテーロンの墓 Tomba di Teroneは、ネクロポリ・ジャンベルトー二Necropoli Giambertoniと呼ばれ、紀元前1世紀頃のローマ時代の墳墓で、昔の城壁の外側の斜面に広がる広大な墓所の一部をなしている。
私がアグリジェントに来たのは2002年2月6日だったが、私がこのアーモンドの花祭りで一番見たかったのが、祭りの最後の日曜日に開催されるシチリアの極彩色に飾られた荷馬車の行進だった。それが開催されるのは、2月10日の日曜日だというので、私達は予定を変更し、アグリジェントからマルサラ、トラパニ、エリチェ、セジェスタなどを観光し、2月9日土曜日に再びアグリジェントに戻って来た。翌日は素晴らしい青空が広がり、旧市街の視界の広いピランデッロ広場で私はフォルクローアと舞踏のコンクールの行進が来るのを待っていた。最初世界中から来た人たちの民族衣装を着た人たちの行進、地元アグリジェントの行進は男性が黒、白の衣装に赤の蝶ネクタイ、ギターを持って音楽を奏で、女性はカラフルな衣装でタンバリンを持って踊っていた。その他ブルガリア、スペイン、ロシア、ユーゴスラヴィアなどの団体が色彩豊かな民族衣装を着て、ダンスと歌を歌いながら行進した。一番最後に美しい色彩で装飾された荷馬車が隊列を組んだ行進があり、馬が前足を高く上げたり、馬のつけていた鞍なども装飾され、それはシチリアらしい賑やかで美しい祭りだった。

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