サン・フランチェスコ聖堂 私が最初にこの聖堂を訪れたのは1990年ローマに「トスカ」を見に訪れた時で、日帰りで行ったのが思い出される。それ以来何度かアッシジを訪れている。 サン・フランチェスコ聖堂Basilica di San Francescoはフランチェスコの亡くなった2年後の1228年から建設が始まり、1253年に献堂された。内部は初期ルネッサンスの絵画で飾られているが、やはり私が一番素晴らしいと思ったのはジョットとその弟子たちが描いた28枚の聖フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画で、鮮やかな色彩で、聖フランチェスコの生涯が劇的に描かれていた。それ以前の絵画がややくすんだ暗い感じの画面だったのを思うと、このフレスコ画は鮮やかな色調で、この時代から絵画がより写実的になり、テーマが明快に意義付けられ、緊迫感がある絵画に移行しつつあるのを感じた。この絵はジョットの初期の作品で、2世紀後のルネッサンスにおいて開花する黄金時代のイタリア絵画に新しい道を拓いた画期的作品といえる。
主要な見どころ 聖フランチェスコの伝道を助けたサンタ・キアーラを祭った教会、サンタ・キアラ聖堂Basilica di Santa Chiaraは、街の少し外れにあり、ウンブリアの田園を見渡せるテラスがある。この教会が建設されたのは、1257年から1265年にかけてで、内部には、多くの芸術作品で埋め尽くされているが、聖キアーラの生涯を物語る、恐らくジョット派の人たちによって描かれたと思われるフレスコ画がある。隣接しているこじんまりしたサン・ジョルジョ教会には、キリストの磔刑像があるが、伝説によればこの像が、フランチェスコに声をかけた像であるという。又地下の礼拝堂には聖キアーラの墓がある。私はカトリック教徒ではないがこれらを見ていると清冽なすがすがしい気分になり、身が引き締しまる思いがした。
私が2004年にアッシジに行った時泊まったホテルは市の中心から少し離れた駅に近いダル・モーロDal Moro、ホテルの近くにあったのが、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂Basilica di Santa Maria degli Angeliで、ここは聖フランチェコが亡くなった場所だという。高い優雅なクーポラのある巨大な教会で、1568年から1679年にかけて、ガレアッツォ・アレッシの設計で建てられた。内部のポルツィウンコラ礼拝堂には、ピエトロ・ぺルジーノの「キリスト磔刑」があり、その他14、15世紀に描かれたフレスコ画で飾られている。右の聖堂内陣にあるトランジト礼拝堂Capella di Transitoは、ここで聖フランチェスコが1226年10月3日に亡くなった場所だといわれている。礼拝堂内部はスパーニャのフレスコ画で飾られ、アンドレア・デッラ・ロッビアの制作した聖フランチェスコの像がある。私は内部の詳細は覚えていないが、巨大なフレスコ画に圧倒された記憶がある。他に聖フランチェスコゆかりの場所としては、聖ルフィーノ大聖堂Duomo di San Rufino、サン・ピエトロ聖堂などがある。
ゲーテのエピソード 1786年10月26日にアッシジを訪れたゲーテは、サン・フランチェスコ聖堂については関心がなかったらしい。この聖堂についてゲーテは「聖フランチェスコの眠っているバビロン風に積み重ねられた教会の下層建築には嫌悪をおぼえて、これを左に見て通り過ぎた。」と述べている。ゲーテがアッシジで一番見たかったものは、アッシジの旧市街の中心コムーネ広場にあるマリア・デッラ・ミネルヴァヴァで、通称ミネルヴァ神殿Tempio di Minervaと呼ばれ、紀元前一世紀に建設され、1539年に改築され、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会になった。