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イタリア世界遺産(JITRA)コミュの中世が今も息づくシェナ

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トスカーナの数ある町の中でも最も中世の面影を感じさせるシエナは、登録基準(?)(?)(?)が評価され1995年世界文化遺産に登録された。

ひよこシエナの歴史
エトルリア人の拠点であったシエナは、その後ローマ帝国の植民地となり、アウグストス帝の名前に因んで「ユリウスのセーナSena Julia」の称号がシエナに与えられた。シエナの街の創設者をレムスの息子セニウスSenioまで遡る伝説が生まれ、シエナ市の紋章にローマと同じ狼が見られるのはこの伝承に由来している。1147年、自治都市コムーネ、シエナの執政委員会コンソレに関する文書が記録に残っている。その後シエナはトスカーナ地方の皇帝党の拠点となったシエナとローマ教皇党のフィレンツェとの長い戦乱の時代が1141年から1235年まで続いた。1260年モンタペルティの戦いでフィレンツェに勝利したシエナは、モンテプルッチャーノ、モンタルチーノなどの街を奪還したが、コッレの戦いで敗北。シエナには1270年、教皇党の政府が組織され、9人の政府が街を統治し、その支配は1375年まで続いた。

魚この時代はシエナが一番繁栄した時代で、フィレンツェとの友好関係が維持された結果、シエナは富を蓄える事が出来、町にはゴシック様式の建物が次々と建設された。13世紀末から14世紀前半の間にカンポ広場にマンジャの塔を有する市庁舎、カピターノ・デル・ポポロ館、トロメイの邸宅などが建設された。カンポ広場に面した建物には装飾が義務付けられたが、これは都市計画関連の法案では世界最古のものだった。この時代画家ではシエナ派という流派が生まれ、優れた画家はシエナ市内の教会、宮殿の中に作品を残している。その後シエナは、内部抗争が続き、経済、文化とも衰退を始める。1555年コジモ1世の率いるメディチ軍に降伏し、シエナの共和制は終わりを告げた。その後経済の停滞は続いていたが、18世紀末に農業と商業は徐々に回復し始めたものの、約2世紀の間シエナで建設された建物は、サンタ・マリア・プロヴェンツァーノ教会というバロック様式の教会だけだった。

夏の風物詩カンポ広場で開催されるシエナのパリオが初めて記録に現れるのは、1147年8月16日の事で、盛んになったのは16世紀に入ってからだと言われている。


りんごドゥオーモと付属美術館
私は1998年会社を辞めて、シエナ郊外のイタリア料理を教えてくれる学校に入った。毎日イタリア料理を作る実習をし、午後はイタリア語の授業を受けた。そのコースは2ヶ月で終了し、その後 シエナのレストランで2ヶ月研修を受けた。研修終了後私は3ヶ月シエナの語学学校に通い、この町に約6ヶ月住んでいたので特別な愛着がある。

ドゥオーモDuomoは何回が訪れている。最初訪れた時は、入場料は無料で、左にあるピッコローミニ図書館だけが有料だったが、いつのまにかドゥオーモに入るだけでお金を払うようになった。シエナのゴシック様式の最高傑作であるドゥオーモの建設は、9世紀頃に建設され,それに続く大規模な改築は12世紀中頃に始められたと思われる。

波フィレンツェのドゥオーモの建設に刺激され、それ以上のものを造ろうと設計の改造が行われたが、頓挫し、その後1376年から1382年にファサードとアプスが完成し、オルガンは1376年に造られた。
入るとすぐ床が目に入る。白と黒の石で造られたモザイクは,精巧に加工されとても美しい。身廊はピントリッキオPinturicchio 、ベッカーフミBeccafumiなどシエナ派の画家40名が製作に加わった。身廊左壁面奥にA.ブレーニョによる「ピッコローミニ家の祭壇」(1463)があり、その4体の彫刻はミケランジェロ、一つはヤコポ・デッラ・クエルチャが制作した。主祭壇にはヴェッキエッタVecchiettaによる聖体容器がある。1880年8月21日ドゥオーモを訪れたワーグナーはこの聖堂に感動し、同行した画家のジュコフスキーにそれをスケッツチさせ、これが後に「パルジファルParsifal舞台神聖祭典劇」の舞台装置のモデルになった。

隣にドゥオーモ美術館があり、ドゥオーモのファサードを飾っていたジョヴァンニ・ピサーノの10体の彫像、ドゥッチョの大祭壇画「マエスタ(荘厳の聖母)」があり、他にもシエナ派画家達の名画の宝庫となっている。

衝撃私はいつもドゥオーモに来ると、よくこれだけ凄いものを造ったと感嘆する。内部の装飾、絵画など見所が多く、見るのには最低でも2時間位かかる。ピッコローミニ図書館には、ピントリッキオの描いたフレスコ画「ピウス3世の戴冠」があり、この絵は美しい色彩で、これが16世紀初頭に描かれた絵には見えない程保存もよく、生き生きと情景が描かれていた。1階にあるジョヴァンニ・ピサーノが制作した10体の彫像は以前ファサードを飾っていたものだが、下から見上げるのを考慮して、首を突き出すように造られているが、内在するエネルギーの爆発を感じるような迫力ある彫像だった。美術館には、シエナ派の巨匠ドゥッチョの祭壇画「マエスタ」がある。主要画面の他に30枚のパネルがあり、それらの作品はいずれも繊細で優美に描かれていた。私はいつもこの美術館に行った時は、シエナでは「ファッチャトーネ」と呼ばれる大ファサードに出る。新大聖堂の未完成に終わった建物正面の最上部で、ここから中世の街シエナが一望に見渡せ特にカンポ広場も全体が見える。2006年8月にここを訪れた時は、沈み行く夕日の黄金の光と紫色になった空が美しく時の経つのも忘れて見入っていた。

チューリップカンポ広場の周辺
シエナの市庁舎(プブリコ宮殿)Palazzo Pubblicoは1297年から1342年にかけて建設されたトスカーナの市庁舎の中で最も優美な建築で、カンポ広場に面し、一階は現在も市庁舎として使用されている。建物の上に102メートルのマンジャの塔Torre del Mangia(1338〜1348)が聳えている。私は何度かこの塔に登ったことがある。階段は503段もあり、流石にカメラバッグを肩にかけて、階段を昇るのはつらかったが、上に出るとマンジャの塔が、カンポ広場にシルエットのように影になって写っていて、とても美しかった。旧市街の外は緑豊かな田園風景が開けて見えた。

2、3階は市立美術館Museo Civicoになっており、2階入り口右手は世界地図の間Sala del Mappamondoがあり、シモーネ・マルティーニの「マエスタ(荘厳の聖母)」、「モンテマッシの攻略に向かうグイドリッチョ・フォリアーノ」が描かれている。これに続く平和の間Sala della Paceにはアンブロジョ・ロレンゼェッティAmbrogio Lorenzettiの描いた名画「良き政府と良き政府の効果」、「悪しき政府と悪しき政府の効果」の2枚の絵画がある。これは私の好きな絵で、ワインのラベルなどにもなっていて親しみを感ずる絵でこの絵画では、当時シエナでは世俗音楽が盛んであった様子が描かれている。また当時の絵画に描かれた風景と現在のシエナの景色があまり変わってない事が見られ、面白かった。

バナナカンポ広場 Piazza del Campoは、市庁舎を中心にして扇型に広がっているイタリア屈指の美しい広場で、中央にフォンテ・ガイアFonte Gaiaの噴水 がある。ガイアというのは「喜び」という意味で、丘上にあるシエナは水の供給に苦労していたが、街の中心に初めて水が引かれた事を記念して造られた。その際喜びのあまり大騒ぎした事に名前は由来するといわれている。夏に開催されるパリオが行われるのもこの場所である。1998年の夏パリオを2回見たが、この広場で色彩豊かな中世の衣装を着た人たちが繰り広げる行進、旗振り、パレードなどは美しく壮大な歴史絵巻だった。
サン・ドメ二コ教会 Basilica di S.Domenicoは13世紀から15世紀に建設されたゴシック様式の教会、ここの回心の礼拝堂Cappella delle Volteに、聖女カテリーナと同時代に活躍した画家A.ヴァンニの製作した本物の「聖女カテリーナ・ダ・シエナ」の本物のフレスコ画、またソドマの描いたフレスコ画もある。しかしステンドグラスはカラフルで美しいがモダンなデザインで余り好きではない。ジョヴァンニ・ダ・ステーファノが制作したルネッサンス様式の美しい大理石の聖櫃に中には聖カテリーナの頭部が安置されている。

スポーツ国立絵画館 ピナコテカ・ナツィオナーレ Pinacoteca Nazionaleは15世紀に建設されたブオンシニョーリ宮殿内に設けられた絵画館で、中には12世紀末から17世紀前半ごろまでのシエナ派の傑作、シモーネ・マルティーニの「幼な児を抱く聖母」、ドゥッチョ「フランシス会士の聖母」、A.ロレンゼェッティの2点のヨーロッパ最初の風景画と「聖母子」、他にベッカーフミ、ドメ二コ・ディ・バルトロメオ、ソドマ、ネロッチョ、ジョヴァンニ・ディ・パオロなどシェナ派の画家達の作品が多数ある。サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会 Basilica dei S.Maria dei Serviは1234年にシエナに定住した聖母マリア下僕会会士セルヴィティが13世紀に建設を始めた。内部には13世紀から16世紀にかけてのシエナ派の絵画が飾られている。シエナとフィレンツェが争ったモンタペルティの戦いで、シエナに捕虜として連れてこられた画家コッポ・ディ・マルコヴァルドCppo Di Marcovaldoが自由の身になった1261年に描いた「ボルドーネの聖母」、マッテオ・ジョヴァンニ作「嬰児虐殺」、ピエトロ・ロレンツェッティのフレスコ画「ヘロデの宴」「洗礼者ヨハネの死」など名画が飾られている。教会の外に出ると左側に門があり、入って見るとそこからマンジャの塔が中央に聳え、左にドゥオーモがあり、シエナの街が一望に見渡せ素晴らしい景色だった。


データ

Dati


飛行機アクセス
フィレンツエから68キロ。 列車もあるがバスの方が便数も多く便利。

鉄道:フィレンツェから約1時間20分  http://trenitalia.com
バス:フィレンツェから SITA社 あるいは TRAIN社のバスで約75分間
SITA社 http://www.sitabus.it/wps/portal
TRAIN社 http://www.trainspa.it/  Tel. 0577 204245

その他、ローマ、ミラノからはSENA社の長距離バスがある。
ローマから約3時間、ミラノから4時間15分。
SENA社 http://www.senabus.it/ Tel  0577 283203

衝撃シェナに行かれた方はたくさんおられると思います。どうか皆様
体験をお書き込みください。


コメント(4)

シエナは僕が訪れたイタリアの街の中でも1,2位を争う素敵な街です。ヨーロッパの古い街はよく中世の街並みと言われますが、大体は16世紀以降の街の姿で、シエナには本当の15世紀までの中世の街並みが残っていることが素晴らしいです。街を散策していると、重厚な石造りの建物に囲まれて、気持ちが落ち着きます。そして、カンポ広場の美しさは何ともいえません。広場で寛いでいると、心が癒されます。マンジャの塔や大聖堂博物館のパノラマからは、アンブロージョ・ロレンツェッティの描いたフレスコ画のように、シエナの街並みと城壁の外ののどかな田園風景が眺められます。大聖堂はフィレンツェよりも何倍も美しいです。ピッコローミニ図書館のピントゥリッキオのフレスコ画はとても輝いています。国立絵画館の収蔵品も素晴らしいですよね。まだ街の中で泊まったことがないので、いつかゆっくりと寛いで過ごしたいです。
ハート達(複数ハート)アンジェイ公爵様ハート達(複数ハート)

書き込み有難うございます。シェナは1998年にイタリアに住み始めた頃6か月住んでいた場所ですので、とても懐かしい街です。フィレンツェからバスで来たとき
彼方にシェナの象徴であるマンジャの塔が見えると懐かしくなり、涙が出てきます。そしていつも元修行していたレストランDA Enzoで食事をします。私がレストランで研修していた頃4歳だった女の子がもう大きくなり、中学生になっているのを見て、月日の経過の早さを実感しています。
先週の日曜日に行ってきました〜。
すごい良かったです。
でも、joschuaさんのこのUP見てから行けば、もっと感慨深かったかも…。
とちょっと、くやしくもあり…。
本当、フラっと行った感じで申し訳ないんですが、日記も書いてます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=963962918&owner_id=11403558

ステキな街で、しかも丁度DUOMOの床の象嵌細工が今月までなんですよね?
(冊子によると、毎年8〜10月との事。)
知らなくて行って、帰ってから落着いて冊子を見て驚きました。
見られて本当に良かったです。

あと、DUOMOの床を堪能した後、美術館の方で床の下絵(設計図?)を発見して、
もう1回見に行きたくなったくらいです。(←建築を勉強していた性ですかねあせあせ(飛び散る汗))
ハート達(複数ハート)だっち様ハート達(複数ハート)

書き込み有難うございます。シェナの日記を見ました。とても美しい写真ですね。これからもいろいろな街を訪問して書き込んでください。トスカーナには
シェナのほかにもピサ、ピエンツァ、サン・ジミニアーノなどの世界遺産があります。

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