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イタリア世界遺産(JITRA)コミュのヴィチェンツァ市街とパッラーディオ様式の別荘

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ハート達(複数ハート)富士山7.ヴィチェンツァ市街とパッラーディオ様式の別荘
ヴェネト州のパドヴァとヴェローナの中間に位置する人口約11万人のヴィチェンツァは、最初1994年にアンドレア・パッラーディオの建築したヴィチェンツァの旧市街とその郊外にある館23がタイのプーケットと共に登録基準(?)(?)などで世界文化遺産に登録され、又1996年には、州内の他の場所ヴェネツィア、トレヴィーゾ、パドヴァ、ロヴィーゴなどにある16の建築が追加された。

魚ヴェネト州内でも古い街だったヴィチェンツァは、村落を意味する「ヴィクスVicus」に由来し、古代ヴェネトのエウガネイEuganeiと呼ばれる人々によって街が築かれた。その後「ヴィチェティアVicetia」と呼ばれ、紀元前49年にパドヴァと共にローマ帝国の都市として認められ、紀元157年頃までローマ人が支配していた。その後ゴート族、ロンゴバルト、フランク族などの侵入に晒されたが、現在のヴィチェンツァが出来たのは、12世紀の事である。12世紀から14世紀にかけて、ヴィチェンツァは、ヴェローナ、パドヴァ間の戦乱に巻き込まれ、コムーネの自治は長くは続かなかったが、1404年にはヴェネツィアの支配下に入った。

チューリップ波16世紀初頭ヴェネツィアが、大きな危機に直面した間隙をぬって、ヴィチェンツァはアルヴィーノとサン・ミケーリによって街は整備され、人口も3万人くらいになった。15世紀中葉から16世紀後半のルネッサンス時代、ヴィチェンツァでは、公共建築や一般の館の建築革新が起こった。当時の富裕な貴族や文化人に支えられたパドヴァ出身の建築家アンドレア・パッラーディオ(1508〜1580)とその弟子たちによって、ヴィチェンツァの旧市街、郊外、またヴェネト州の他の町に壮麗な宮殿や館、教会が建てられ、このパッラーディオ様式と呼ばれる建築は、ヨーロッパ諸国、北米のその後の建築に多大な影響を与えた。18世紀後半ナポレオンが侵入し、1813年には、オーストリアの支配下に入るが、1866年にはイタリア王国に編入された、現在のヴィチェンツァは、戦後人口も増えイタリア北東部の有力な経済都市として発展している。

ウマ魚2002年9月私はモンテ・ベッルーナからタクシーでアーゾロへ行った。その途中に美しい邸宅が見えた。聞いてみるとヴィラ・バルバロVilla Barbaroで、パッラーディオの建築だという。翌日
の午後タクシーでここへ行ってみた。広大な庭には黒馬が放牧されていて鬣が黄金の夕日に輝いていた。内部は美しいフレスコ画で飾られ、部屋に入るには靴の上に大きなスリッパを履いて入った。このヴィラは、1549年から1558年にパッラーディオがダニエレ・バルバロのために建てた。
ゲーテがパッラーディオの建築の讃美者だった事はよく知られている。彼はパッラーディオについて「彼は、真に内面的に偉大な、そして内部から偉大さを発揮した人間であった。」と述べている。
ゲーテはパッラーディオの建築の中に、詩人としての自己自身の投影を見ていたと言われる程にパッラーディオに心酔していた。そして短い滞在の中で、テアトロ・オリンピコ、ロトンダ、バジリカなどについて、詳細に記述している。2004年夏ヴェローナの夏の音楽祭に行った時にヴィチェンツァを訪れた。インフォメーションでパッラーディオの建築が記されている地図をもらい、すぐ
ラ・ロトンダに行った。入り口から庭の彼方に見えた建物は、ゲーテが絶賛しているようにとても美しい。内部はルイジ・ドリーニーという画家の描いたフレスコ画で装飾されていた。屋根の下のサロンが円形であるためにラ・ロトンダ(円形)といわれる。パラッーディオは、この建築を1556年に着工し、周囲の四季の自然が堪能できる美しい場所にある。

りんご次に私は、テアトロ・オリンピコを訪れた。パッラーディオ最後の作品で彼は1580年に亡くなったが、息子のシッラが1582年から1583年に完成し、1585年ギリシャの古典劇ソフォクレスの「オディプス王」で開場した。この劇場は古代ローマの野外劇場劇場にいるような不思議な気分に陥る。古代テーベの7つの通りを描いたといわれる舞台は遠近法を駆使して実際よりもより奥行きが深く感じられる。イタリアの劇場を色々見たが、この劇場が、それ以後のイタリアで建設された劇場の規範になった記念碑的作品で、古代の典型的な劇場の形態をとっている。舞台には95の彫像が置かれ、天井の下壁に描かれた青い空の絵が美しかった。私は、オリンピコ劇場の前にあるパラッツォ・キエリカーテーも素晴らしい建築だと思う。特にファサード、建物の上に並ぶ彫像が最高に美しい。この日はバジリカ、バルバラン宮殿、ロッジア・デル・キャピターノなど地図を頼りにヴィチェンツァの街を歩き、パッラーディオの建築を見たがいずれも世界遺産に相応しい素晴らしい建築だった。ヴェネツィアでもパッラーディオの建築は、イル・レデントーレ教会、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会などがあり、これらも訪れたが、ヴェネツィアの中でも一際光る建築だった。レデントーレ教会は後ろのドームが印象的だし、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は丸いドームと高い塔のバランスがよく、サン・マルコ小広場から海上に浮かぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の美しい姿は何度見てもカメラを向けたくなる程素晴らしい。


コメント(10)

ヴィチェンツァは私も大好きですね。バシリカ前の広場でコーヒー飲んで夜の12時くらいまで楽しんでました。
ハート達(複数ハート)ミッフィー様ハート達(複数ハート)

書き込み有り難うございます。コーヒーを飲んだカフェの名前はわかりますか?
メネギーナですとガリバルディの来た歴史的カフェです。
ヴィチェンツァ出身で日本に住んでいる芸術家の友人がいます。
こんな素敵な街で育ったのかぁ、と納得しました。
ありがとうございます。
joschua様

残念ながらカフェの名前は忘れてしまいました。
Googleで検索してみましたが、ちょっとわかりません。
私がうろうろ徘徊していたのはシニョーリ広場の西側です。
メネギーナ、いいですね。次はメネギーナに行ってみたいと思います。
バジリカの下、雰囲気のいいバーありますね。
私は1999年夏に訪れました。
Il Museo di Palazzo Chiericatiの建築の優美さにみとれ、
Hans MemlingやJan Brueghelの作品にも出会え、感無量でした。
イタリアとフランドルの歴史の交差点はこのあたりにもみられたのでしょうか。
ハート達(複数ハート)モコ様、なおみ様ハート達(複数ハート)

書き込み有り難うございます。私は、ヴィチェンツァには5回位行ったことがあります。テアトロ・オリンピコやはり素晴らしいです。ゲーテの本を書いた時、パラーティオの関係する建物を殆ど撮影しました。それと昔イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェの本を書いた時、メネギーナという1790年ごろ創業のカフェがあり、ここの取材の時も訪れました。でもいずれもヴェローナにオペラを見に行った時だったので、今度はいつか泊まってゆっくりしたいと思います。皆様も時間があったら是非このカフェMeneginaへ立ち寄って見て下さい。

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