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フィラデルフィア日本人教会コミュの教会の沿革

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 フィラデルフィア日本人キリスト教会は、1944年11月19日に、ブラウンストリートにあるフェローシップハウスで初めての集まりがもたれた時に創立の起源を置いてます。当時は、一世の方々がほとんどで、初めての会長は内田尭兄(故人)、書記は堀川昇三兄(故人)、会計は樋口久樹兄(故人、ヘンリー樋口兄の父上)でした。また森内平次郎兄(故人)、金田トメ姉(故人)、下川俊悟兄(故人)が役員をしておられました。また名称は、費府(フィラデルフィア)日本人基督同志会、英語ではPhiladelphia Christian Fellowshipと呼ばれてました。

最初の牧師としては、土山牧恙先生(プリンストン神学生)か、長谷川真太郎先生(デラウェアハウス神学生)のどちらかが第一日曜日に、そして西村正元牧師が第二日曜日というわりあてでした。当時はまだ月に2回のみの礼拝で、午後2時からでした。西村正元牧師はもともとバークレー自由メソジスト教会の牧師で、1944年3月に、トパズ転住所(収容所)を出てニューヨークに来られました。当時、ニューヨークにはすでに3つの日系教会が出来ていたので、自分の教会は持たれていませんでしたが、1953年6月にロサンゼルスの自由メソジスト教会に行かれるまでの9年間、フィラデルフィア教会へ、ニューヨークから毎月来てくださいました。


1953年に西村牧師がLAに行かれてからは、自由メソジスト教会の樫谷純郎牧師と、フリーホーリネス派の末広牧師がその後を引き受けて毎日曜日、ご奉仕してくださいました。しかし樫谷牧師はその後アリゾナ州フェニックスの教会へ、また以前よりかわるがわる来て下さった牧師さん達も、カリフォルニアやワシントン州などに移っていかれたので坂口竜雄牧師が牧会されることになりました。

坂口牧師は明治30年11月に福井県で生まれ、南長老派の神戸学校を卒業後、岐阜県中津町で牧会されました。その後渡米なさりカリフォルニア州スタクトン長老教会に来られ、1929年にオーディネーションを受けられました。その後コーデス長老教会、フレズノ組合教会などで牧会された後、戦時下の日系人排斥運動のあおりと受けてアルカンサスの収容所に入れられました。そして1944年5月にフィラデルフィアに来られたのですが、上記のようにちょうど牧師さん達が移っていかれたころに神様はタイミングよく坂口牧師を私達の教会へと導いて下さいました。

それまでは、教会員の金田トメという方が住んでおられたので、フェローシップを借りていましたが、そのミセス金田が移転されることになったので、1954年3月7日より、705
Pine StreetのBarnes Centerで礼拝を持つことになりました。

そのころに礼拝によく出席しておられた教会員は故小岩井玲子姉、故渡辺はま姉、故樋口久樹、初乃夫妻、坂本清三兄、故藤田とく姉、故梶岡アルバート兄、故岡林一夫、ヨシエ夫妻、故石田ウイリアム兄、故井上三郎、ミチ代夫妻などです。

1907 Chestnut Streetのユダヤ人教会の会堂を借りることになったのは、1965年7月4日の聖日でしたが、それまで使っていた建物の老朽化のため、移転せざるを得なかったのです。

1965年11月に坂口牧師は65歳になられ、引退なさることになりましたが、教会の希望により、引退後も継続して主任牧師として奉仕なさることになり、島田嘉隆牧師と交代されるまで働かれました。

島田嘉隆牧師は北九州門司の出身、熊本大学を卒業後渡米し1965年にオーラル・ロバーツ大学の神学校に1年間学ばれました。そしてテンプル大学に移り卒業されました。卒業後はサンオイルという会社に勤めながら、月に一度ほど日本人教会で奉仕されました。礼拝は坂口牧師と交代でなさっていました。

1971年頃より坂口牧師が健康の理由で今度こそ正式に引退なさることになりましたので、かわって今まで坂口牧師を助けておられた島田牧師が教会の仕事を全面的に受け継がれ、それまでと同様、チェスナットのユダヤ人の会堂を借りて毎日曜日の午後に牧会を始められたのです。

1979年に長老会の教会に正式に参加しました。しかしそれまでにも坂口先生も長老派でしたし、島田牧師もフィラデルフィア市郊外のNarberth Presbyterian Churchの教会員でした。また長老派教会のBryn Mawr教会、 Philadelphia Presbyteryからもフィラデルフィア近郊の日本人
ミッションのためいろいろな形で交流とサポートがありましたので、ごく自然に長老教会の組織に参加しました。

ユダヤ人教会から現在の建物に移ったのは1984年9月の第一日曜日です。そして9月16日の聖日に藤尾英二郎先生を東京からお迎えして献堂式が行われました。長い間、祈り求めていた教会堂が神様より与えられたことを心から感謝し喜びであった、すばらしい献堂式でした。

初期の頃のように定期的この教会へ奉仕に来て下さった神学生はプリンストン神学校より、ウェスレー・カミングス兄(1987〜88)、スティーブ・ヤマグチ兄(1987〜88)、トム・ゲッツ兄(1988〜89)が、また日下部拓兄(1989〜93)、白岩正明兄(1990〜92)と宮本憲兄(1990年夏)がやはりプリンストンから来て下さいました。

島田牧師が1991年7月に辞任されてから、長老会は後任牧師招聘委員会を作り田原実長老か委員長となっていろいろな候補者にあまりましたがどなたも適当な牧師が見当たりませんでした。丁度その時にロサンゼルスに居られた藤田正武牧師が自分からフィラデルフィア日本人教会の牧師として来ることを申し出られ、1991年8月から1994年7月まで3年間の臨時担当牧師としてフィラデルフィアに来て下さることになりました。教会は、是非とも藤田先生を主任牧師としてお招きしたかったのですが先生の年齢とメソジスト教会からの移籍ができないとの理由でInterim
Pastor(臨時担任牧師)としてフィラデルフィアに来られたのでした。
藤田先生ご夫妻は3年間、イントリム・パスターとしての役割以上にめざましい働きをされ、教会は藤田先生に名誉牧師の号を送ることを総会で決議しました。そして有志が先生の母校、ドルー大学に藤田記念奨学資金を設けることで、先生の労を報いることになりました。藤田先生はそれまで福岡女学院の院長であり前のトロント日系人合同教会の牧師としてトロントに居られた村田豊恒牧師を後任としてお迎えする準備をされて、1994年7月17日に村田牧師の就任式と同時に辞任をされ、ロサンゼルスののぞみ教会に赴任されるためフィラデルフィアを去られました。

11年牧会された村田牧師が辞任されてから、2005年7月に東京から柴川秀夫牧師が招聘され、就任しました。柴川牧師は50代後半より献身を決意し、 2006年3月にCalfornia Pacific School of Theorogy で学ばれ、Doctor of Ministry を修得し、卒業後、埼玉県大宮の勝利教会での伝道者としての働きを経て、広島県の呉市にある広福音キリスト教会で2000年4月から2004年9月まで牧師として奉仕されていました。柴川夫妻は藤尾英二郎先生が伝道者として仕えてこられた東京中野のキリスト同信会に長年所属し、奉仕されていました。
これからは、新しい柴川牧師ご夫妻をお迎えして教会会員すべてが大きなVisionを描き、神の御国建設の使命にもえて共に労し、共に仕えあってきかなければならないと思います。

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