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屋根裏のたぬき会/空班コミュの國分啓司『おむすび坊や』

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2009_09_18_國分_おむすび坊や
作・國分啓司


   異臭騒ぎ

「最近、やけに臭いが気になる」
 おむすび坊やは、体調の変化を感じていました。ルームメイトは、季節のせいよ、なんて言います。そうかもしれないな、などと思いつつ、さて、季節とはなんだろう、と坊やは思いました。
「季節っていうのは、巡ってくるものなのよ」
 ルームメイトの説明もよくわかりません。
 おむすび坊やは、おむすびです。かつて地上には沢山のおむすびがいました。沢庵のおむすびもあったといいます。しかし、現在ではわずか八百体を残して死んでしまいました。おむすび坊やや、ルームメイトは、そうしたおむすびの標本として、大切に管理されているのです。
「ちょっと、でかけてくる」
「あら、どこいくの?」
「ガローのところにいってくる。臭いが気になるんだ」
「臭い?」
「うん。なんだか、埃っぽい、無機質な臭いがツンとするんだ」
 そういうと、坊やは出かけました。
 ガローは、みんなの悩みを聞いてくれる機械で、町の至る所に設置されています。大きな目がついていて、のびる腕もあります。言葉を話すことはできず、いつも「フシュー」と音を立てています。
「フシュー」
「ちょっと、悩みがあってきました」
「フシュー」
「はい。最近、なんだか変な臭いがするんです」
「フシュー」
「そうですねえ。埃っぽくて、無機質な臭いなんです」
「フシュー」
「臭くはないんですが、なんだか気になって」
「フシュシュー」
「今まで、こんなことはなかったんですが。そういえばルームメイトの様子もおかしいし」
「フシュー」
「季節は巡ってくるものなのよ、なんてことを言ってました」
「フシュー」
「聞いていますか?」
「フシュー」

   ルームメイトの死

 おむすび坊やが帰ってくると、ルームメイトはベッドで休んでいました。
「ただいま」
「おかえり」
 奥の方から、声だけがします。
 坊やはそのままキッチンへ行きました。棚から袋をだして、自分の顔に振りかけます。それは防腐剤でした。
 世界に八百個残ったおむすびは、これ以上数を減らさないために、防腐処理がされていました。そして、万が一外敵に襲われても大丈夫なように、右腕が機械化されています。
「なにしてるの?」
「防腐処理だよ」
「そう」
 おむすび坊やはルームメイトの部屋に入りました。
「やけに暗くしているんだね」
「うん。気分がすぐれないの」
「大丈夫かい?」
「平気よ。それより、あなたは? 問題は解決した?」
「いいや、臭いはあいかわらずだよ。電気つけるよ」
「あっ」
 電気をつけると、そこにはルームメイトが寝ています。
「どうしたんだい? その顔。黒ずんでいるけど」
 見ると、ルームメイトの顔の一部が、黒く変色しています。
「なんでもないわ。すぐなおるわよ」
 おむすび坊やは、変だな、と思いましたが、考えてみるとルームメイトは朝から変だったので、変だということはつまりなにもおかしくはない、ということに気づきました。
「そう。じゃあ、あまり無理しないようにね」
 しかし、ルームメイトは一向に良くなりませんでした。日に日に、ルームメイトは弱っていきます。
 そしてとうとう、ぼそぼそになってしまいました。
「ねえ、一体どうしたんだい? ちっとも良くならないじゃないか」
「実はね」
 ルームメイトは、防腐処理をずっとしていない、と言いました。
「なんだって? だって、僕らは防腐処理することに決まっているじゃないか」
「ごめんなさい。隠すつもりはなかったの。でも、心配させたくなくって」
「いや、すんだことは仕方ない。で、どうすればいいの?」
「それが、治す方法はないの」
「なんだって? そんなばかな。病気になったのに、治す方法がないなんて、そりゃあ、まるで、病気じゃないみたいだな。なんともならないのかい?」
「こればっかりはむりなの。これはカビといって、一度生えたら二度ともとにはもどれない」
「しかし、あんまり見ていて気持ちのいいもんじゃないねえ」
「あたしね、死ぬの」
 ルームメイトは、静かにそういいました。
「もうじき、顔が崩れて、おしゃべりもできなくなる。だから、今のうちに話しておかないといけないわ。あたし、あなたのこと、好きなの」
「僕もだよ。一緒にすんでいるんだもの」
「そうじゃないの。もっと、すごい意味で言ってるのよ」
「君の言うことは少し難しすぎるねえ。もっと、わかるように言ってくれよ」
「ねえ、聞いて。時間がないの」
「うん。わかった。話して」
「実は、あたし、あなたの防腐剤をすりかえたの」
「え?」
「あなたも、防腐処理されてないの」
「僕も防腐処理されてないの?」
「そうなの」
「でも、僕、ちゃんと粉をふりかけていたぜ」
「あれはあたしがすり替えた粉、だしの素よ」
「じゃあ、全然意味がないんだね」
「ええ。強いて言えば、ちょっとおいしくなったくらいだわ」
「なんてことだ」
「このところ、臭いがするっていってたわね。あれは、防腐処理剤の効き目がなくなった証拠よ」
「じゃあ、僕も」
「ええ、いずれは、こうなるわ」
「どうして、どうしてそんないことするの?」
「言ったじゃない。あなたが好きだから」
「わからない。好きな相手をどうして苦しめるんだ?」
「ああ、もう前がみえなくなってきた。お別れの時間ね」
「なんてことしてくれたんだ。ああ、もう終わりだ」
「ごめんね、ごめんね」
「許さない。僕は絶対君を許さない。この顔をみてみろ。すっごい怒っているんだぞ」
「ごめんなさい。もう、あなたの顔を見ることはないわ。大好きなあなたの顔を」
「嘘つけ! 君は、死ぬのが怖くなって、僕を道連れにしたんだろう」
「そうかもしれない。顔がカビはじめてわたし、すっごく怖かった。
こんなに怖いの、初めてだったのよ。もうじき死ぬ、あなたともあえなくなると思って、あたし、すっごく怖かった。ひとりぼっちになったと思ったの」
「だからって、なんで僕をまきこむのさ。僕は全然関係ないんだぞ。ただ、同じ部屋に住んでたという理由で、どうして無惨に腐って死ななきゃならないんだ。死ぬんなら、一人で死ねばいいじゃないか。関係ない人間を巻き込むなんて、最低だ」
「ごめんね」
「あやまってもだめだ。もう、僕は死ぬことに決まったんだ。死ぬまで君を許さないからな」
「・・・・・・」
「おい、どうした」
「・・・・・・」
「何か言え」
 ルームメイトは死にました。

   弔いの日

 坊やは外へ出て、お酒を飲みました。全然酔えませんでした。メタリックな町の臭いが、ツンと鼻をつきます。
 家に戻ると、ルームメイトは死んだ時のまま、そこに横たわっています。坊やは無性に悲しくなりました。そして、もはや以前の自分ではないことが分かりました。死ぬのが怖くなってからの世界は、すべてが見納めのような、名残惜しさを感じさせました。
「君と話すことも、もう無いんだね」
 そういうと坊やは、ルームメイトの顔からご飯粒を一つずつ拾い集めました。黒い粒は黒いおむすびに、白い粒は白いおむすびになりました。
「これで、僕が死ぬまではずっと一緒だ」
 それから、坊やはルームメイトの部屋を調べてみました。
 ルームメイトの部屋には、沢山の造花が生けてありました。
「君は花が好きだったんだね。ん? なんだこれ」
 それは花の図鑑でした。かつて地上に存在した沢山の花の写真が載っています。それは、普段坊やが目にする造花とは全然違うものでした。
「そうか。これが本物の花か」
 坊やは、ルームメイトとの思い出を懐かしむように、一ページ一ページ、図鑑を読み進めました。
 そこには、様々な花のことが書かれてあります。そして、花の育て方も書いてありました。どうやら、花を育てるためには、「太陽の光」、「水」、「土」、そして「ことよさし」が必要だということです。
 図鑑を読み終わって、坊やはいいました。
「よし、本物の花を観に行こう」
 坊やの住んでいるところは、どこも特殊セラミックでコーティングされていて、土がありません。本物の花を見るためには、土のある地上に降りねばなりません。
「脱藩しかないな」
 この世界から地上に降りるためには、どうしても脱藩する他ありません。普通なら、特別な防腐処理を施して地上に旅行する所ですが、すでに防腐処理をしていないおむすび坊やには、正式な旅行の申請も難しいでしょう。第一、殿様はもう、おむすび坊やの犯罪、防腐処理していないということに勘づいているはずです。何しろ、すべての情報は管理されているのですから。
「こうしてはおれない」
 おむすび坊やは、右手のロボットアームを一番強力なアタッチメント「緊急迎撃用」に取り替えました。そして、家を飛び出しました。
 しかし、既に家は包囲されており、坊やはあっさりつかまってしまいました。

   裁判

 つかまった坊やは、殿様の前に引っ立てられました。
 メタリック殿様は、とても大きなちょんまげを結った、ゆえに、とても大きな権力を持った独裁者です。おむすび坊やの住むメタリック駿河(するが)は、メタリック殿様がおさめています。
 メタリック殿様はいつも空飛ぶ上座に腰掛けていて、立ったところを見た人はいません。実は、空飛ぶ上座は殿様の足の一部なのです。坊やと同じように右手が機械化されています。通称「万能ナイフ」とよばれる機械の腕は、様々なハンドを隠し持っているという噂です。背中には完全防弾仕様の金屏風が立っています。
 メタリック殿様の前に進み出たおむすび坊やを待っていたのは理不尽な裁判でした。裁判官は、ヒットーガロー。ガローの中でも一番年寄りのガローです。
「フシュー」
「ガローもこういっておる。お前は直ぐに腐るであろう。残念だが、燃えるゴミになってもらう」
 殿様はタロットカードをしながら言い放ちました。燃えるゴミは一番重い刑です。無期限冷蔵の方がまだましです。
「殿様、お願いがあります」
「ほう、朕にお願いをするとはいい度胸をしておるなあ。普通、お願いは朕からするものではないか? なあ、ヒットーガローよ」
「フシュー」
「お前は燃えるゴミになったのだ。さっさといけ」
 殿様がそういうと、巨大なアームがどこからともなく出て来て、坊やをゴミ箱に捨ててしまいました。
 燃えるゴミのゴミ箱には強烈な腐臭が漂っています。
 おむすび坊やが泣いていると、一匹のゴキブリがやってきました。
「よお、新入り」
 それは、ゴキブリの阿Qでした。
「おまえさん、防腐処理忘れちまったのか? バカだねえ」
「あなたは誰ですか?」
「オレはなあ、この世界に遥か昔から存在する由緒正しい民族の末裔だ」
「へえ」
 阿Qはそういうと偉そうにしました。
「ねえ、阿Qさん。ここから出るにはどうすればいい?」
「なんだ、お前、ここから出たいのか? やめとけやめとけ。オレの祖先は、世界中のありとあらゆるところに居たが、どこも大したことないらしいぜ。それより、ここはいいぜ。食べ物はいっぱいあるし、何もすることが無いから楽だしな」
「僕は花が見たいんだよ」
「なに、花が見たいだと? やめとけやめとけ。オレの祖先によると、花は大したことないらしいぜ」
「それでも、花が見たいんだよ」
「あんなもん、食べてもおいしくないらしいぜ」
「食べたいんじゃなくて、見られればそれでいいんだ」
「ふうん」
「ねえ、花がどこにあるか知らない?」
「そりゃあ、おめえ、オレは、アレだ。すげえ昔からこの世界にいる生物の末裔だからな」
「じゃあ、知ってるの?」
「ええ? 知ってるって、知ってるも何も、おめえ、あれだ」
「知らないの?」
 阿Qは汗まみれになりました。いよいよアブラっぽくなった阿Qはギラギラと黒光りしています。
「ばか。知らないわけないだろ」
「じゃあ知ってるんだね」
「あ、ああ。お前、ひまわり知らねえだろ?」
「うん、知らない」
「お前、ひまわりはよう、太陽の方をむくんだぜ」
「へえ。で、どこに行ったら見れるの?」
「おっといけねえ、長話している場合じゃないぜ。オレはやることがいっぱいあるんだ。じゃあな、あばよ」
 そういうと阿Qは行ってしまいました。
 取り残された坊やは、仕方なく、一人で出口を探しました。
 燃えるゴミの中を歩いていると、一カ所だけ、壁が薄くなっているところがありました。
「ここからなら出られそうだぞ」
 坊やはその壁をぶちぬいて、外に出ることにしました。あまり大きな音をさせると気づかれてしまうので、パワーは必要最小限にしぼって、音を抑えることにします。
 壁の位置を確認して、二歩、三歩、抜き足差し足、周りを見て、
「よし、だれもいない」
 坊やは右手をそっと前にむけて、いち、にの、さんでビームを発射しました。
 ドオン!
 ものすごい音がして、壁が破けました。直ちに警戒警報がなります。
「やばい、逃げよう」
 こうして坊やは外に出ました。その様子をこっそり見ていたゴキブリの阿Qもあとに続いて外に出ました。

   黒おむすび

 警戒警報に気づいた憲兵がおむすび坊やを捉えにやってきます。坊やはビームで応戦しますが、なかなか追っ手の数はへりません。
「もうだめかも」
 物陰に隠れながら、坊やは絶望の淵に立っています。
「ん? なんだこれ」
 胸元に自分の背負って来た荷物があります。それはルームメイトで作ったおにぎりでした。
「もう、僕もここで終わりみたいだ。君を食べるよ」
 そういうと、坊やは黒い方のおにぎりを食べました。するとどうでしょう。もりもりと元気が湧いてきました。それと同時に、すべての理不尽に対する怒りが込み上げてきました。
「何もかもぶっ壊してやる」
 それは、荒魂=アラミタマでした。黒おむすびを食べた坊やは、何らかの成分の影響をうけて、アラミタマをみなぎらせます。
 アラミタマをみなぎらせた坊やは、一定時間、あらゆるものを破壊し続けます。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ」
 アラミタマをみなぎらせた坊やは、一定時間、あらゆるものを破壊し続けます。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ」
 アラミタマをみなぎらせた坊やは、一定時間、あらゆるものを破壊し続けます。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ」
 気がつくと、すべての追っ手を振り切って、坊やは下水道に居ました。右手は熱くなって煙をあげています。
「君のおかげで、生き延びることができたよ」
 坊やは、残った白い方のおむすびに語りかけました。
 今更ながら、最後にルームメイトに放った言葉が悲しく思い出されました。
「ああ、どうして僕は、あんな呪いの言葉を放ったんだろう。ありがとうと言えば良かった」
 坊やの目から、ぽとり、ぽとりと涙がこぼれました。

   カエル道

 坊やが顔を上げると、下水道の向こうの方に、一匹のカエルがいます。じっとこちらを見ています。
「追っ手かな」
 けれども、追っ手にしては動く気配もありません。
 カエルはくるりと向きをかえて、向こうの方にジャンプしていきます。
「あ、見失っちゃう」
 思わず、坊やはカエルを追いかけました。無意識のうちに、帰る、ということを考えていたのかもしれません。
 カエルはどんどん進んでいきます。
 ようやく、あかるい所に出ました。外は朝になっていて、目の前には相変わらずのメタリックな世界が広がっていました。でも、なんだか、どこかいつもと違うように見えました。朝日を浴びて輝く世界に、おむすび坊やはいつもと違う何かを感じていました。後で分かることですが、それは、命の終わりに気づいた坊やの、有限に対する共感でした。
 カエルは、どこかへ跳んでいきます。
「カエルさん、ありがとう」
 カエルは背を向けたまま、ゲコゲコというだけでした。坊やはまた歩きはじめました。

   島根

 ほうぼうを彷徨い歩いた末、おむすび坊やはメタリック島根にいました。ここなら、もしかすると土が残っているかもしれない、と聞いたからです。
 おむすび坊やはすでにいくつかの花の種を持っていました。しかし、なかなか土が見つからなかったのです。そんな坊やも、ついにここ、メタリック島根で土と出会うのでした。
「これが土か」
 こうして、花の生長には欠かせない、太陽、水、そして土が集まりました。
 しかし、土を手に入れてから、坊やの体に異変が生じはじめました。とうとう、カビが発生したのです。おそらく、土の中にたくさんの微生物がいたのでしょう。
 でも、土が手に入った坊やは満足でした。これで花を見ることができる。さっそく、坊やは花の種を埋めました。調べて来た通り、毎日水をやりました。しかし、いっこうに芽が出る気配がありません。待てど暮らせど、芽は出ないのです。
「おかしいな、どうしちゃったんだろう」
 日に日に、坊やの体は腐ってきます。坊やはだんだん不安になってきました。
「もしかすると、花は見られないんじゃないか」
 そんな不安が頭をよぎります。
「ごめんよ。もしかすると、僕は花を見れないかもしれない」
 ここまで来たのに、坊やは悔しく思いました。
 今では、坊やは鏡に映った自分の顔を見る時に体を傾けるようになりました。できるだけ、自分の腐った姿が映らないようにするためです。そのため、体がいがんできました。
 体がいがんできて、右手の機械化された腕が重く感じました。坊やはそっと「緊急迎撃用」のハンドを取り外しました。

   阿Qとの再会

 坊やはがいつものように、水やりに行きますと、聞き覚えのある声がしました。
「よお、おむすび坊やじゃねえか」
 それはゴキブリの阿Qでした。
「おまえ、どうしちまったんだよ、その顔」
「やあ、阿Q。僕はね、もうじき死ぬんだよ」
「死ぬ? 死ぬって何だ」
「この世界からいなくなるんだよ」
「ふうん。そりゃ、大変だなあ。でもまあ、オレの祖先は何万年も前からこの地上にいるからな」
「でもねえ、阿Q、君もいつかは死ぬんだよ」
「そんなバカな」
「本当さ。だって、君は生物(なまもの)だろう? 防腐処理を施さない限り、あらゆる物は死ぬんだ。この世で死なないのは、防腐処理を施したものと、鉄でできた人工物だけなんだ」
「ええ、嫌だよう。オレ、この世から消えてなくなるのは嫌だよう」
「わがまま言うな!」
 坊やが怒りました。それは、黒おむすびを食べた時と同じような感情でした。阿Qはびっくりしています。
「僕だって死ぬのは嫌だ! でも、仕方ないじゃないか。そういう運命に生まれてしまったんだから。いやだいやだと言ってたって、死ぬものは死ぬんだよ」
「そんなんだったら、生まれてこない方がよかったぜ。それか、そんなこと知らずに生きていたかったよ。なんでお前、オレにそんなことを教えるんだよう」
 坊やは、もう、このゴキブリを殺してやろうか、と思いました。でも、右手の「緊急迎撃用」のハンドは取り外されていたため、ビームをうつことができませんでした。坊やは、この荒くれた気持ちを抑えるために、懐から白おむすびをとりだしました。そして、白おむすびを食べました。
 すると、心のそこから優しい気持ちがわいてきました。こんなゴキブリにも、深い哀れみと愛おしさを感じたのです。それは和魂=ニギミタマでした。
「ごめんよ。でも、それが運命というやつなんだ。君は僕と出会ったことで、知りたくない現実を知ることになった。巻き添えだね。それは不幸なことかもしれない。でもねえ、そこに居合わせたものの巻き添えになるのも、死があるからなんだよ。死ぬことの無いものは、何の巻き添えにもならない。何も巻き添えにしない。だって、時間が関係ないんだから。
 僕たちには時間が関係している。生きている間に出会うものと、出会わないものがある。生きている間に見るものと、見られないものがある。知られることと、知られないことがある。それが運命だ。そして、有限であるからこそ、有限なものに共感できる。自分の有限と照らしあわせて、他の有限なものを感じられるんだ。僕が君を感じられるように、君も僕を感じられるはずだ」
「そうかよ。畜生。それでもオレは、死ぬのはいやだ」
「僕もさ。できることなら、君が死ぬときそばに居て慰めてあげられたらいいんだけど。どうやら、順番は違うらしい」
「おい、おむすび。どうしたんだよ」
「だめだ。もう、目がぼそぼそになったから前が見えない。阿Q、どこだ」
「ここにいるぞ。しっかりしろ」
「だめだった。僕はとうとう花を見ることができなかった」
「あきらめんな。もう少しがんばれよ」
「ありがとう」
 そのとき、雲に隠れていた太陽が顔を出しました。
「あったかいねえ」
 坊やが言いました。
「ああ、春だからな」
「春?」
「季節のことだよ」
「季節。ああ、巡ってくるんだね」
 ニギミタマにみたされた坊やは、今ならルームメイトの言っていたことが分かるような気がしました。また巡ってくるのであれば、もしかすると、死はただつらいだけではないかもしれない、と思いました。
「おい、おむすび」
「ぼそ、ぼそ」
「聞こえるか、おむすび」
 坊やには聞こえていたのですが、どうも、口の部分がうまく動きません。
「なんか、緑色のハートみたいなのだ出て来たぞ。なんだこれは」
「ぼそ、ぼそ」
 芽が、出た、と言ったつもりなのですが、言葉になりません。
「おまえ、死んだのか? おむすびが死んだら緑色のハートが出た。そうか。これが花なんだな。きっと、おむすびが死んだら、花が咲くんだ。これは末代まで伝えることにしよう」
 それは違う、と言おうとするのですが、もう、声も出ません。
「聞こえるかおむすび。オレは花を見たぞ。お前の花を見たからな」
 阿qの間違った見解を聞きながら、坊やはそれで正しいんだと思いました。坊やは、ぼそっと音を立て、地面に突っ伏して死にました。

   偏屈じじい

 ゴキブリの世界にも、芸術があって、芸能人がいます。ここに、元清というゴキブリがいます。モノマネを発展させた演芸でのちに歴史に名を刻むことになるのですが、今はまだだれもそのことを知りません。
 元清は行きつけの茶店で、店長としゃべっているところです。
「このお茶、いいにおいがするな」
「摘みたてだからね。ゆっくり飲みな」
「なあ」
「あん?」
「メタリック島根に変なゴキブリがいるらしいな」
「ああ、阿Qのことだね」
 店長は馬鹿にしたように言い放ちました。元清は続けて聞きます。
「なんなんだ、その阿Qっていうのは」
「お前さんとおなじ、ゴキブリだがね。お前さんみたいに教養のあるやつじゃないよ。どうしようもないグズで、仲間の間でもうまくやっていけなかったらしい」
「で、どうしてこんなに有名なんだ」
「なんでも、毎日妙な生物(なまもの)に水をやっているらしい」
「水?」
「そうしないと、腐るんだと。普通、防腐剤をふりかけるところを、やっこさん、水を防腐剤とはきちがえてるんだね」
「おもしろそうだな。一度、島根には行ってみたいと思ていたんだ」
「ネタ探しかい?」
「ああ。こういう仕事をしていると、各地の伝説には敏感になる」
「エピソードを嗅ぎ付けやがったな。無駄足になっても知らないよ」
「空振りには慣れっこだよ。その阿Qというじいさんが生きているうちに話をきいてみたい」
「やれやれ。あんたは役者より、ジャーナリスト向きだね」
「似たようなもんだろ。ありがとよ」
「もう行くのか?」
「人生は有限だからね」
「気をつけて。楽しんでおいで」

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