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ザ・ヨーガ・ライフ・ソサエティコミュのわたしの初めてのインド・24

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わたしの初めてのインド・24

ハリオーム! 成瀬です。
アーシュラムの生活に少しずつ慣れてきました。Oさんとわたしに加え、ローナワラから井上先生と森さんが来て、アーシュラムも日本人で賑やかになりました。


●アーシュラムでの生活
12月21日。
昨夜遅く井上先生がアーシュラムに到着し、わたしの部屋に泊まりました。一緒に来た森さんは女性なので、どこか他の部屋に泊めてもらったようです。もしかしたら、Oさんの部屋かも知れません。
5時ころに起きて、井上先生と一緒にアーサナのクラスに。12月ともなるとリシケーシも寒いことは寒いのですが、井上先生がものすごく厚着なのには驚きました。先生はもともとあまり身体が丈夫ではないようで、そのためにヨーガを行なっているのかも知れません。
アーサナのクラスは西欧人が多く、日本人はOさん、井上先生、わたしの三人だけです。アーサナはダイナミックでスピードがあり、Oさんや井上先生にとっては少しハードだったかも知れません。
アーサナの後、朝食に行ったのですが、なぜか今日はチャイしか出ませんでした。

今日は「ギーター オブ アニバーサリ」という特別な日ということで、アーシュラムのいつものプログラムとは異なります。ギーターと名前が付いているところから察すると、『バガヴァッド・ギーター』に関係する記念日なのでしょう。
いつもの9時半からのシャンカラーナンダさんの部屋での講義も今日は休講に。その代わり、9時からバジャン・ホールでギーターの朗読がありました。今でこそたいへん関心がありますが、当時のわたしはギーターの朗読やヒンディー語交じりの講義を聴き続けるレベルにはありませんでした。途中でバジャン・ホールを抜け出してガンジス河のほとりに行き、ぼんやりと坐っては川の流れを見つめていました。
途中、森さんと会いました。ローナワラ以来の再会です。井上先生と一緒に昨夜遅くリシケーシに着いたということなど少し話をしました。近くのお店でチャイを飲んでから、昼食を食べにダイニング・ホールへ。最初の食事に間に合わなかったので二回目の食事に。
アーシュラムの昼食は、仕事や何かの事情で最初の昼食が食べられなかった人のために、30分ほど後に二回目の食事があるのです。
Oさんや井上先生は一回目の食事を摂ったようですが、井上先生はアーシュラムの食事は辛すぎてあまり食べられなかったということでした。
たしかにローナワラのカイヴァリャダーマの食事と比べると、シヴァーナンダ・アーシュラムの味のほうが、スパイスが効いているかも知れません。
しかし、どちらかというと濃い目の味が好きなわたしにとってはカイヴァリャダーマの味付けは病人食のようで物足りませんでした。その点、シヴァーナンダ・アーシュラムの味付けはたいへん気に入っています。

昼食後、井上先生と森さんがアーシュラムから部屋を貸してもらうことに。井上先生はわたしの隣の部屋に、森さんは少し離れた建物のようです。
井上先生の荷物の整理が終わったので、今度は森さんの部屋に行き荷物を置いたら、三人でチャイでも飲もうということになりました。森さんの部屋は、お湯をもらいに行く建物の2階です。この建物はアーシュラムの中心的な施設から少し離れていて、一般の人の住居も近くにあり、あまり環境が良いとは言えません。
そして、三人で近くの茶店でチャイを飲んでいるほんの15分程度の間に、とんでもないことが起ってしまいました。
森さんが部屋に荷物を置き、チャイを飲みに行ったほんのわずかな時間だったのに、部屋に戻ったら鍵が壊されていて貴重品の入ったバッグが盗まれていたのです。これにはわたしや井上先生もびっくりしました。ほんの十数分の間です。たしかに森さんが部屋の鍵を掛けたのをわたしも井上先生もしっかりと見ていたのですから…。しかも用心深く、二つも掛けたのを知っています。
わたしたちがチャイを飲みに誘わなければ、こんなことにならなかったかも知れません。嫌な気持ちです。きっとだれかが最初から目をつけ、わたしたちの後をつけてきたのでしょう。そうでなければ、ほんのわずかな時間で鍵を壊し、貴重品を盗んでいくなんて出来ません。

盗まれたカバンの中にはパスポートやカメラやトラベラーズ・チェックや現金など、貴重品がすべて入っていたようです。昨夜リシケーシに着いて、まだ一日も経っていないのにほんとうに気の毒です。それに、少し生意気なところがあるとはいえ、まだ二十歳そこそこの女の子です。
アーシュラムの関係の人やシャンカールなどが来て、壊された鍵を見たり部屋の中を調べたりしましたが、もうどうしようもありません。
森さんはガッカリするやらふてくさるやらで、取り付く島もありません。英語の堪能な井上先生がアーシュラムの人たちと交渉に当たってくれました。
ちょうどこのときはプレジデントのスヴァーミー・チダーナンダは外遊中で、アーシュラムには居ませんでした。わたしたちはバイス・プレジデントのマドヴァーナンダさんに会い、いろいろと手続きをお願いしました。
とりあえずはトラベラーズ・チェックの取り消しです。森さんがチェックの番号を控えていたということで、これは銀行に電話をして取り消すことができました。今でこそインド中どこにでも電話があり携帯電話も普及していますが、当時は電話などほとんどなく、アーシュラムだったからこそ手続きがスムーズに行ったのだと思います。
次にはパスポートの再発行です。これらのことは、井上先生がすべて英語で交渉して手続きを取ってくれました。カメラや現金はあきらめるしかありません。現金は400ドルもあったそうで、トラベラーズ・チェックの220ドルと合わせるとたいへんな金額を盗まれたことになります。いくら物価の安いインドでも、ある程度のお金は必要です。わずかなルピーしか残っていない森さんのためにわたしたちはカンパをすることにしました。

後から聞くと、昨夜遅くアーシュラムに着いたとき、やはり日本語のできるシヴァシャンカラーナンダさんがリセプション・オフィスに呼ばれたようで、そのときに大事なものはアーシュラムに預けるようにと言われたそうです。それなのに自分で持っていたために、結果的にたいへんなことになってしまいました。しかし、アーシュラムでこんなことになるなんて誰も想像すらしません。森さんだけを責められません。
昔と比べるとリシケーシも物騒になり、泥棒もたくさんいるようです。スヴァーミーたちも講演などでアーシュラムを出るときは、その間必ずだれかに部屋に泊まってもらうということです。1977年当時でそうなのですから、今日ではなおさら注意が必要です。リシケーシといえども安心はできません。アーシュラムといえども注意を怠ってはいけません。
その後も、警察が来ていろいろ調べたそうです。

森さんは別の部屋をもらうことになりました。そういえば、ローナワラにいるときに森さんに貸した『インド・ネパール 精神世界の旅』と生徒が日本から送ってくれた情報も一緒に盗まれてしまったのか心配になりましたが、今の状況ではそんなことは聞けません。
森さんの盗難の話はあっという間にアーシュラム中に伝わってしまい、会う人ごとに、「盗難にあった女の子はどうしている」とか、「お前も気をつけろ」などといわれます。中にはわたしの顔をじっと見て行く人もいます。

Oさんは、森さんのことを素直な良い娘だけれど少し年上の人を軽んじている、と言っていました。たしかに彼女は年上から一方的に何かを言われるのを嫌う傾向はあるようです。
実は森さんが最初にアーシュラムからもらった部屋は建物の1階だったのですが、そこが嫌で2階に変えてもらったということでした。それを聞いたOさんは、アーシュラムでそんな我を出したら神様から見放されてしまうといっていました。こんなことを直接森さんに言ったら大変なことになりそうです。

夕食後、Oさんの部屋で霊のことや前世のことなどを話しました。わたしも自分の前世や魂の傾向を見てくれと言ったところ、興味半分の人はお断りです。と言われてしまいました。
Oさんの話では、佐保田先生は来世はインドに生まれ、宗教改革のようなことをされるということでした。そして、あと○回生まれ変わった後、神の世界に住むということです。
また、Oさん自身はあと○回生まれ変わった後、肉体を持たなくなると言っていました。
Oさんが言うには、その人の背後霊ではなく背後神を見るのだそうで、佐保田先生には龍神、井上先生には釈尊の弟子であり従者の阿難尊者が付いているということです。また、藤田鳳子先生にも龍神が付いているとも言っていました。
このとき、Oさんはわたしの前世や魂は見てくれませんでしたが後で見てくれたようで、その結果を手紙に書いてくれました。その手紙は今でもわたしの手元にあります。

盗難にあったショックのせいか、森さんは2、3日リシケーシに居てからローナワラに戻ると言い出しました。


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