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古代出雲と出雲神話コミュの邪馬台国は出雲にあったのか!?

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古代史の謎、といえば「邪馬台国」ですよね。
日本各地どころか海外にまで邪馬台国比定地がありますが、ご存じのとおり近畿説、北九州説が有力で、とくに最近では近畿説のほうが持て囃されている様子。しかし、いまだ確証がないのが実情です。
ということで、あいかわらず「××に邪馬台国があった!」といろんな説が(トンデモ説含めて)あります。
そして、出雲こそ邪馬台国だった、という説も当然のごとく存在するわけです。
はたして、邪馬台国出雲説は妥当なのかどうなのか?
ひとつ考えてみましょう。

コメント(7)

邪馬台国ですか〜。
自分は基本的には北九州説支持ですが、とくに持論がある訳でもなく、なんとなく程度ですが(笑)
出雲邪馬台国説の本とか読んだ事ないので一度読んでみたいものです。
>夕風さん

私も実は九州説支持です。こんなトピを作っておいてなんですが(苦笑)
理由は、大卒(もしくは一大卒)という役人が伊都国(福岡県前原市付近)に常駐してたそうなんですが、近畿みたいな遠い場所に邪馬台国があったとすれば統制力が及びそうにない、という気がする、ということです。
曲がりなりにも統一国家であればそういうこともあるかと思いますが、邪馬台国は小国の連合体だったみたいですからねぇ。

しかしまあそれはともかくとして、邪馬台国が近畿にあったとしても不思議ではないし、その他の地域かもしれないので、とりあえず出雲にあった可能性を探ってみましょう。
出雲にあった可能性…… うーん思い浮かびませんあせあせ(飛び散る汗)
そうですねぇ、出雲にあった可能性を、と簡単に言ってもたしかに難しいかも。

しかし、そもそも邪馬台国の位置の比定は、どの説も多かれ少なかろ「ムリヤリ」なんですよねぇ。つまり「魏志倭人伝」の記述どおりに進んでいては海の上に到着するだけなので、かならず方位や距離をねじ曲げる必要が生じるわけです。
ということは、逆に言えば邪馬台国がどこにあってもムリヤリあてはめることができる、ということになります。

ではなにをもって邪馬台国を判断するかといえば、邪馬台国が30国からなる小国をまとめあげていた存在であること、大陸との交渉をもったことなど位置以外の記述から推定するしかない。

邪馬台国近畿説が最近有力なのは、初期古墳の造られた年代が見直されてきていて、邪馬台国のころと重なる可能性が出てきたことや、そのころに奈良県のまき向に広大な都市が出来た可能性があることなどが分かってきたためです。これが、九州諸地域の遺跡よりも先進的であるからこそ、邪馬台国だというわけです。

ただ、邪馬台国の卑弥呼が「親魏倭王」の称号をもらったとはいえ、倭諸国(日本列島)で一番の勢力であったとは必ずしもいえません。別に一番でなくとも中国と交渉することはできるわけで。

となると、邪馬台国比定地の国の詳細を調べてそれを邪馬台国の記述と比較していくしかありません。

…なんだかながくなるのでいったんこのへんで
はじめまして。邪馬台国の時代って弥生時代だったですよね。

荒神谷遺跡とか加茂岩倉遺跡とかから沢山の弥生時代の青銅器が発掘されています。

邪馬台国の時代には出雲地方は先進地域の一つになるんじゃないでしょうか?
はじめまして手(パー)興味あって入って来ました。出雲に邪馬台国があったのか?ですか、出雲は邪馬台国だった可能性はあると思います。何故か、加茂岩倉遺跡の近くの神原神社(かんばらじんじゃ)古墳から卑弥呼の鏡が出土し、現在は出雲歴史博物館にあるからです
面白い仮説だと思います。
これまであまり唱えられてこなかったのは、魏志倭人伝に書かれている方位と合わないこと、出雲神話には卑弥呼を思わせるような強大なカリスマ性を持つ女王が現れないことが、この説の支持者が生まれなかった原因だろうと思います。
イザナギ・イザナミ神話は出雲とも関わりが深いとされていますが、例えばイザナミが卑弥呼だとすれば、イザナミが死んで黄泉国に行き、夫であるイザナギの国の民を殺したという記述は、出雲の南方に狗奴国があり、女王や王国の人々を多数殺害したことを指す、とも解釈できます。この場合狗奴国は吉備あたりを指すのでしょうか。

倭人伝の日程の解釈によっては、例えば帯方郡や狗邪韓国を起点に、南へ10日水行して北九州か本州西端に着き、そこから陸路で一月近くかけて出雲に至ったと考えることは不可能ではないと思います。
それならば沿岸をそのまま船で北上したのではないか、とも考えられますが、当時の航海は季節風に大きく依存したものだったと思われるので、沿岸航路を取ることは難しかったのかも知れません。

邪馬台国を思わせる地名は出雲にはありませんが、たとえば「ヤマタノオロチ」という名前は、この地に邪馬台の大蛇という豪族がいてそれをスサノヲが打ち破ったことを示すのかも知れません。これを殺して草薙の剣を得たというのは、金属精錬技術を持った集団がここにいたことを示すのでしょう。

ただ、私は魏志倭人伝に書かれている投馬国が、出雲か日向(都万)を指す可能性が高いと思っています。

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