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☆☆城マニア☆☆コミュの☆☆伊賀上野城・忍者屋敷・松尾芭蕉記念館☆☆

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先日は伊賀市までひとっとびしてきました。
そう前々から行きたかった忍者屋敷へ行ったわけですw

まずは近所で腹ごしらえを。

何にもない街です。正直、この街は忍者にあやかって生きてる感じです。ゴハン屋も少ないし、なんで『忍者』の文字ばかりなのか。

それでも観光客はたくさんいるから その店に入ってしまう。
だってあんまり店ないし。

『忍者うどん』

なんと高い。。。うどんがこの価格か。。。ほかのも高いなぁ。。。
手裏剣の形に切られたニンジンやコンニャク。
なぜかたまご焼きがうどんの下に@@;

まぁこの店はどうでもいいや。次行こか。

そして まずは芭蕉資料館へ。


ここでは松尾芭蕉の事ばかりです。


GYAOでアニメのところで 服部半蔵の何代目か忘れたけど、実は松雄芭蕉が、服部半蔵だった的なアニメを見ましたが・・・。
ウソかよ。。。。

伊賀市で生まれたけど父の名も違うし。ただ伊賀市で生まれただけじゃないか。

そんなのどこにも書いてなかったぞ。
ただ貧乏しながら詩を歌って暮らして、晩年それが世間に認められて、いくつかの対決する宗派とともに大きくなったっつーだけで。

自分で3回も家を建てるのはスゴイけど。
『芭蕉庵』らしい。


そして忍者屋敷へ移動。
ここは・・・・なんと・・・・。こんな家作りたい。。。とか思いました。だれか見張りの隠れ場所作るから見張って。

敵が来たら 隠れ部屋にオレは隠れるし、ヤバくなったら隠し通路から逃げるぜ

地下から外へも逃げれるし、仲間の家からオレんちまで道と別に地下道なんてマネして作ったりしてw

武器もああやって隠したらわからんで。。ほんまに。。
マニアなオレにはたまらん屋敷でした。

その後、忍者ショーを見ました。
これはスゴイ。。。

濡れたワラを一晩おいてしめあげた物が人間の首を切るのと同じ感覚らしい。。。。恐ろしい。。。
日本刀でズバッとやっちゃってました。


何より手裏剣。
これはお金払って投げさしてもらったんやけど。たまらん。。。。。
こんな楽しいなんて。。。


なんて重いんだ。こりゃ、グサっとささりますね。
手裏剣にトリカブトを塗るらしい。刺さったら死ですよ。。。


手裏剣は投げるんじゃなくて打つ。
まさにそのままでした。


何より、忍者の物語では何枚も投げたりしますが、あれはウソだそうです。せいぜい持ってて1枚か2枚みたいです。

なんせ重いのと、最後の手段に使うみたいで。
敵に追い詰められた時に最後に投げるみたいです。

投げてみた感覚は こんな重いと当たったら殺傷能力は高いってこと。


ほかにも忍者資料館で忍者が使う道具など。色々見てきました。
これ使えるな。これは厳しいやろwて物までたくさんありました。

でも基本、人間ができる事でした。
これは、伊賀の人たちは どうして忍者になったのか。山しか無い地域だったからなのか。ここが疑問です。


だいぶ古い時代から忍者はいたようです。
秦の始皇帝の時代から忍者はいたようで、それが日本に伝わったようです。
日本では聖徳太子の時代から忍者は情報網として役だったそうです。

日本人が修行ののちに、持って帰ってきて伝えたようです。
伊賀市は 織田信長の息子 『信雄』によって攻撃を受けました。

伊賀市は数千人の兵力。この際は伊賀市の情報勝ちで圧勝したわけですが。
これに怒った織田信長が 伊賀を攻めさせ、5万の兵で押しかけました。人口の半分は死に至る惨劇。

これはエグイですよね。


ま、予断はこのへんで。

んで伊賀上野城へ、ここは井伊家の彦根城なみに色々甲冑から何から残ったようです。
ただ城自体は藤堂鷹虎により築城され、建築中に台風で天守閣がなくなり、天守閣のない城として昭和まできました。今の天守閣は最建築で、天守閣が昭和10年に川崎克とゆうご仁の寄付金により再建築されたようです。

この人は『川崎克』さんはスゴイよね。
個人の金で。。。どんだけぇ〜@@;

なんせ楽しい伊賀の旅でした♪

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