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☆☆城マニア☆☆コミュの☆八木邸☆(新選組発祥の地)

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新選組発祥の地。壬生屯所旧跡。

『八木家の歴史』

八木家には元々但馬の国(兵庫県養父郡朝倉の庄)に祖を発し、鎌倉時代初期に、遠祖より八木安高によりて起りました。源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で、頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと云われます。(鎌倉武鑑)十数代の後、越前朝倉を経て天正年間中(室町時代)に、京・洛西壬生村に居を構え、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていました。又、壬生村と京都守護職や所司代とも大変深い関わりがありました。(八木家、前川家文書)
 幕末になり、江戸より浪士を預かり、後の“新選組”発足も京都守護職や所司代との関係であったことが伺われます。
 壬生は往古より湧水の出ずるところで、水質にも大変恵まれ、壬生菜、菜種、藍などの産地でもありました。その藍で染めた水色は壬生の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されています。新選組が使っている羽織の段だら模様の水色は、この壬生の色を拝借したものです。
 当家は、天正年間より当代まで15代を数え、代々血脈相続しています。



『八木家と新選組』

○新選組について

幕末の文久二年(1862)に清川八郎の提案により、幕府が上洛する十四代徳川家茂の警護の為に集めた浪士隊を前身としています。翌年上洛した浪士隊は結果分裂し、京都に残った一部が京都守護職松平容保のお預かりとする形で結成されました。その後芹沢一派等の粛清を経て局長近藤勇、副長土方歳三の体制で落ち着き、主に京都の治安を守る為の警察部隊でした。
彼らを一躍有名にしたのが「池田屋事件」でした。過激派浪士が都に火をかけ、その混乱に乗じて天皇を長州に拉致するという計画を企てていました。それを察知した近藤らは、木屋町三条の池田屋を襲撃、7人を斬殺、23人を捕縛しました。彼らの活躍により、京の都が火の海にならずにすんだのです。
明治元年「鳥羽・伏見の戦い」において幕府軍に参加して戦いましたが敗北し、江戸に逃れた後、各地を転戦しましたが、同年四月近藤は板橋で斬首、土方も明治二年函館の五稜郭郊外での戦闘で戦死しました。


○新選組の歴史と八木家の関わり

幕末の文久3年(1863年)春、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した浪士達は、ここ洛西壬生村に宿所を求めましたが、間もなく江戸に呼び戻されることになりました。しかしその中で当八木家を宿所としていた芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八の13名は浪士隊から分かれて京に残り、文久3年3月16日八木家右門柱に、松平肥後守御領新選組宿という新しい表札を掲げ、ここに新選組が誕生したのです。
当時、当家は11代八木源之烝應迅と申しました。その後しだいに隊士も増え当家では賄いきれず前川家や南部家にも宿所を当てていました。

当家奥座敷は新選組三大内部抗争の一つ芹澤鴨暗殺の場で、文久3年9月18日どしゃ降りの深夜芹澤鴨、平山五郎ら4人が斬殺されました。現存する刀傷の一部がその凄惨さを物語っています。
こうして近藤が実権をにぎってから隊規も厳しくなり、又池田屋事件など新選組の最盛期を築きましたが、慶應元年(1865年)夏、壬生が手狭になってきたのを理由に西本願寺の太鼓番屋に屯所を移しました。その後、鳥羽伏見の戦いで敗れるまで壬生を洋式調練の場所にするなどして江戸に下る最後まで深い繋がりがありました。
壬生に生まれ幕末京都の治安を守った新選組。あしかけ3年の新選組壬生屯所時代。これが真の新選組のすがたではないでしょうか。


『壬生屯所旧跡』(新選組発祥の地)

京都市指定有形文化財
八木家は壬生村きっての旧家でかつて壬生郷士(壬生住人士)の長老をつとめていた。また幕末には新選組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり旧壬生屯所として知られている。
建物は長屋門が東に開きその奥に主屋が南面して建つ。当家に残る普請願から長屋門が文化元年(1804年)主屋は文化六年の造営と知られる。主屋は西端に土間を奥まで通し、土間に沿って居室を三室ずつ二列に配する。入口は土間部分に開くほか東南隅に式台を備えた本玄関を配しての北に仏間奥座敷を一列に並べて格式ある構成をとっている。長屋門の外観は腰に下見板を張り与力窓や出格子窓を開くなど昔のおもかげをよく残している。
壬生地区は今日市街化が著しいが、かつては洛中に近接した農村であり、当家は幕末期の遺構として、また新選組ゆかりの建築として貴重であり、昭和58年6月1日京都市指定有形文化財に指定された。


京都市指定有形文化財
新選組 壬生屯所旧跡(八木家)

●公開時間
 午前9時から午後5時まで(受付は4時30分まで)

●見学料 大人:1,000円(抹茶、屯所餅付き)
中・高生:1,000円(抹茶、屯所餅付き)
中・高生:600円(拝観のみ)

●お問い合わせ
 075(841)―0751(京都鶴屋鶴寿庵)
●所在地 京都市中京区壬生梛ノ宮町24

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