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酒仙境心の景色コミュの将東遊題壁

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(写真)釈月照、「眉目清秀、威容端厳にして、風采自ずから人の敬信を惹く」と伝えられている。


日本人の漢詩もええのがありますので紹介しまっさ

将東遊題壁    釈月照
(将に東遊せんとして壁に題す)

<原 文>
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間至処有青山

<書きおろし文>
「将東遊題壁(まさにとうゆうせんとしてへきにだいす)」
男児志を立てて郷関を出(い)ず、
学若(も)し成る無くんば復(また)還(かえ)らず。
骨を埋むること何ぞ墳墓(ふんぼ)の地を期せん、
人間到る処青山有り。

<呉弁訳>
あんた男じゃろうがあ、男がのう、故郷を出て一旗あげにゃあいけんと決めたとしょうや。

言うとくが、名をあげんと絶対に家には帰れんで、風(ふう)がわりいけんね。

死ぬ場所は墓所だけじゃないで〜。

どこに行ってもあるんよ、死ねるとこは、格好つけんと素直になりんさいよ。
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釈月照: Wikipedia抜粋
月照(げっしょう、文化10年(1813年)- 安政5年11月16日(1858年12月20日))は、幕末期の尊皇攘夷派の僧侶。名は宗久、忍介、忍鎧、久丸。
文化10年(1813年)、大坂の町医者の長男として生まれた。
清水寺成就院に入り、住職になった。しかし尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持ち、徳川家定の将軍継嗣問題では一橋派に与したため、大老の井伊直弼から危険人物と見なされた。西郷隆盛と親交があり、西郷が尊敬する島津斉彬が急死したとき、殉死しようとする西郷に殉死を止めるように諭している。安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出する。そして薩摩藩に逃れたが、藩では厄介者である月照の保護を拒否し、日向国送りを命じる。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬り捨てるというものであった。このため、月照も死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に入水自殺した。月照はこれで亡くなったが、西郷は奇跡的に一命を取り留めている。享年46であった。

(さとしpapa)西郷さんだけが生き返り、以降意気地なしコンプレックスの塊となる。。。

人間:「ジンカン」と読む、人間の意ではない、世間の事、
青山:墓の事

友人が転勤・退社とかの際に、ワシは色紙に「人間至処有青山」を縦に書かせて貰っています。

コメント(1)

さとしpapa さん、ご投稿有難うございます。
日本にもええ漢詩があるもんです。
かなり気合が入りました。
教えてくださってありがとうございます。

格好が良いのは良い事ですが、もっといいものがあるんですね。
それが「素直」とは・・・。
この冬の酒造りにも生かしましょう。

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