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池田晶子の哲学エツセイを継ぐコミュの池田晶子著『人生のほんとう』(36)

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? 年齢 その味わい方
  
■隠居・長老はどこへ消えた
 
「敬老」という言い方がありますが、老人を尊敬できるのは、賢いから尊敬できるのであって、賢くないなら、やっぱり尊敬できるものではない。偉いとも感じられない。でも、「老賢者」と呼べて、尊敬できる人など、現代では滅多にいませんよね。

おそらく、かつては、人が今ほど長生きしなかったから、老人はその存在自体が貴重なものだったのでしょう。まわりがそう感じるから、本人にもそういう自覚ができる。長生きしてきた人にはそれなりの知恵がある、だから年寄りの意見を聞こうというふうに頼られるから、本人にもしっかりしなければと思うようなったのでしょう。

「隠居」とか「長老」とか呼ばれていた存在は、そういうものだったと思います。つまり知恵者です。

長生きするということは、知恵を所有するということ以外ではない。だから鶴亀が長生きでおめでたいことの象徴とされるのは、それだけの意味があったのだと思います。珍しいということは、それだけで価値がある、おめでたいということだったのですね。

だけど今や、長生きがめでたい、老人が貴重な存在だなんて、誰も思っていません。ちっとも珍しいものではないからです。これだけ医療が発達して、誰も彼も長生きして、世の中は老人でいっぱいで、しかもその老人たちがあんまり賢くなくなったから、重宝(ちょうほう)がられるはずがない。そして
そういうふうに大事にされない、尊敬されないから、本人にも老人として持つべき自覚がなくなる。いよいよ無内容な人になる。そういう悪循環になっていると思います。

そういう現代の老人のありようを見て、われわれの側、つまりまだ若い方の側は、ああなりたくない、老人はいやだと、いよいよ思うようになる。そうして人は、年をとるのを少しでも遅らせたいと、アンチ・エイジングに励むことになっているのだと思います。

けれども、そもそもの問題は、精神内容、精神のありようだったはずですよね。内容空疎な老人を見て、老醜(しゅう)を感じるのだから、やっぱり肝心なのは中身なわけです。一見老いを肯定しているように聞こえる「成熟した」とか「大人の」とかの言い方がありますが、そう言い換えてみても、これは同じです。

所詮は外見の話で、せいぜいがライフスタイルのことでしょう。そんな言い換えをしても、無駄な抵抗というふうにみえます

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