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池田晶子の哲学エツセイを継ぐコミュの池田晶子著『人生のほんとう』(27)

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? 社会
  その虚構を見抜く
■家族という虚構
  その辺のことは非常に面白いです。
私はそうのような、あまり人がしない考え方をしているものですから、血縁とか親類縁者とかの集まりが大の苦手で、ほとんど行ったことがない。

子供の頃から「あそこの晶子は非常に変わり者だ」と言われ続けてきましたけど、私からしてみれば「ただ血がつながっているだけじゃないか」と思うだけですから、集まる理由がないんですね。(笑) まったく単なる血のつながりだけだと思うわけですよ、私は。

なぜ、血がつながっているなんてどうでもいいこことに、人はそんなにこだわるのか。

おそらく家族というのは、もっとも原始的な共同体ですから、そこまで遡(さかのぼ)って考えると、共同体というのはおしなべて皆で生き延びていくためのシステムですから、血縁というのはもっとも結束しやすい絆(きずな)、形であったろうなと思います。血縁に意味があると思うのは、やはり、人がそれに意味を与えているからでしかありませんね。
 だからそれは、そのように、今となっては自覚できるわけですから、血縁というものにそれ以上の過剰な意味を与えるのは、やはり人工的だなという感じが、私はします。

それについて、もっと過激な言い方をしたのが、あのイエス・キリストという人です。「私をとるよりも家族をとるものは、私と縁がない」みたいな言い方をしましたね。「皆、家族を捨てて私について来い」という言い方は、たぶん血縁というものの、その意味での虚構性を、彼は見抜いていたのでしょう。

非人称の「ロゴス」というものを知っている人ですから、それも一つの「作りごと」だということがわかるのでしょうね。

コメント(1)

個人の自由とか、人それぞれとか、また実存とか言って、一人ひとりの生き方が

一番大事なのだ、という考え方が当たり前のように思われているのは、近代にな

ってからだと思います。

人間は主観である、といわれてきたのは最近のことです。それまでは

個人の優位性より、家族、共同体、部族、民族、市民社会、国家としての国民意識等によって、自分は全体のなかの一人という自覚が圧倒的に強かったと思います。

そういった考え方がいままで支配的であったし、現にまた今でもそういった傾向

は世界を見渡せば続いているといってもいい。

民族紛争、国民感情の対立などは世界のあっちこっちで起きています。


キリスト教によって個人の自由な選択、優位性、実存がもたらされたとも言われてます。

しかしながらここにきて、私たちはそのために大きな壁にぶち当たり、ひとりひ

とりがのた打ち回っています。

個としての絶対優位性は、ひとりひとりに全責任を負わせるものです。

われわれは自分の自由を喜びながらも、途方に暮れているのです。

それはニーチェをして、{神なき自由より、何の疑い

も持たず神を信じていた時代のほうがよかった、}といわしめたものです。

かっての超越的、全能な神は、人間の創造したものとして引き摺り下ろされ、人

間自らが神となり、不完全で矛盾に満ちた存在である人間は、あらゆることに全

責任をもって自分で引き受けなければならなくなった、という次第です。


わたしは池田晶子さんも実存主義者と思っていますが、依って立つものを自分の

中に見出し、自分を絶対的に信じ、常に自分と関わりあって、自分であり続けた

いという強固な意志を見るがゆえに、言説はともあれ、大いに共感を抱くので

す。



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