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池田晶子の哲学エツセイを継ぐコミュのSchopenhauer(ショーペンハウエルまたはショーペンハウアー)が知りたくて[4]

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■哲学余聞[4]

ペシミズムという考え方は、かなり古くからあった。
 その世界史上での圧倒的代表はゴータマ・ブッダその人だろうが、それ以外にも、ペシミズムはのべつ表明されてきた。ギリシア神話でディオニュソスの師になっているシレノスは、「最善のことは生まれてこないこと、次善のことはまもなく死ぬことだ」と述べていたし、聖徳太子も「世間虚仮・唯仏是真」と言ってのけていた。11世紀末のペルシアの大詩人ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』は、全編がすべからくデカダンスともペシミズムともいえる。
 日本文化の担い手の多くもペシミストだった。長明、兼好、心敬、近松、秋成たちが、ペシミストでないわけがない。
 いや、ドストエフスキーだってモーパッサンだって、ランボーだってボードレールだって、漱石だって芥川だって、川端だって中上健次だって、マーラーだってシェーンベルクだって、黒澤明だってタルコフスキーだって、そうとうのペシミストだった。本物のアーティストの大半はどこかに強靭なペシミズムをもっている。とくにぼくが好きなペシミストは、エミール・シオラン(23夜・第4巻所収)だ。シオランは「涙ぐむことだけが福音である」とした。
 そのペシミズムは、しばしば「厭世主義」とか「悲観主義」と訳されてきた。が、この訳語はあやしいと見たほうがいい。何かというとオプティミズム(楽観主義)と比較されすぎた。
 ペシミズムは厭世主義なのではない。むしろ「最悪主義」なのであって、ペシミストは世間を厭っているのではなく、こんなものは最悪だと突き離せているだけなのだ。いや、世間がくだらないというのではない。世界はそういうくだらない世間しかつくれないと見切ったのだ。
 ブッダの「一切皆苦主義」とは、このことだ。それゆえペシミストはブッダがまさにそうであるけれど、世界の再生や心の安寧は「苦しみ」を直視できないところからはおこらないと洞察したわけだった。
 ショーペンハウアーも、そうだった。しだいに本来のペシミズムの只中において世界を認識し、そこにありうるのは「解脱」の可能性でしかないだろうと見たのであった。それは意外にも、ヨーロッパ哲学史上最初の「生の哲学」の開闢というものになる。

 われわれにとって最も悲しいことは、死ではない。死は存在が立ち向かう歩みにおいて、不断に延期された一線にすぎない。だいいち、死は少なくとも退屈ではない。
 ぼくが大嫌いな言葉に「幸福」とか「ハッピー」がある。ショーペンハウアーもそういう感覚をもっていたらしく、もしも幸福というものを定義するなら、何かが欠けている状態のこと、すなわち「欠乏こそが幸福なのだ」と書いた。逆に、何かが容易に手に入った状態が持続すると、かえって恐ろしい空虚と退屈がやってくる。そして新たな欠乏を探索しないかぎりは、この空虚と退屈は覆(くつがえ)らない。
 そう見ればわかるように、幸福的なるものは、実のところは「苦の慰謝料」なのである。だから幸福は高くつく(笑)。これに対して、苦しみは世界の意志のそもそもの発露であって、そのことを理解できるなら、そこからこそ救済も安寧もおこりうる。
 ショーペンハウアーが父の死をはじめ観察した世界とは、決してちっぽけなものではなかった。ヨーロッパの全貌ではないにしても、ナポレオンの支配から凋落まで、ロンドンからウィーンまで、それなりのスケールと劇的性をもっていた。
 しかし、しょせんは五十歩百歩なのだ。いくらそれぞれの因果に理由を与えても、世界がリアルであると見るかぎりは、苦悩が去ることはない。幸福がいつまでも続くとはかぎらない。

 かくてショーペンハウアーは「解脱」による意志の哲学の確立に向かうことを決意する。そして、「生の意志」があるとするのなら、おそらくは倫理的な解脱感か、もしくは芸術的な解脱感をもつしかないのではないかと、まさにペシミスティックに断じたのである。
 これはのちにニーチェを狂喜させた断定だった。ニーチェはただちにソクラテスやプラトンを理論的オプティミズムと批判した。それよりも実践的ペシミズムのほうがよっぽど合理的であり、実践的であると確信するようになった。
 『意志と表象としての世界』では、第3巻が芸術的解脱の可能性に割り当てられている。そこでは、イデア、美、崇高、自然、天才、かわいいもの、建築、音楽、性格、模倣などが議論され、おそらくは真の芸術行為が「共苦」を媒介にした世界意志の発現として、最も可能性に満ちたものだろうと結論づけるのだ。
 このショーペンハウアーの結論に狂喜したのは、ニーチェだけではなかった。ワーグナーこそ心酔した。ワーグナーは詩人のゲオルグ・ヘルヴェークから『意志と表象としての世界』を見せられて強烈な感銘をうけ、その後、4回にわたって読み耽った。のみならずショーペンハウアーその人を『さまよえるオランダ人』に招待し、批評家が『ニーベルンゲンの指輪』はショーペンハウアーの真似事ではないかと皮肉ったときも、むしろそれをこそ自分は実現したかったのだと言ってのけた。
 たしかに『ニーベルンゲンの指輪』の最高神ヴォータンの諦念と、その後の「世界の没落」というテーマの進行は、ショーペンハウアーそのものである。それが『さまよえるオランダ人』から『ローエングリーン』に及んで救済をテーマにしていくあたりも、かなり酷似する。
 ワーグナーとショーペンハウアーの関係がどれほど濃いものであったかということは、まだ十分な研究がない。しかしどうみても、ワーグナーこそはニーチェに先行する最初のショーペンハウアーの継承者だったのである。

 ところで、ショーペンハウアーのペシミズムは、「世界は私の表象である」という言明にも示されているように、あくまで「私」を残響させた解脱の展望である。「滅私」や「無我」までは持ち出さない。
 ここに、ショーペンハウアー哲学の限界もある。そこは仏教哲学の核心そのものとは異なっている。
 それでもショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』第4巻の最後の最後のところで、ついに「無」(Nichts)を持ち出した。そして、こう書いた。
 「意志を完全になくしてしまった後に残るところのものは、まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。しかし、これを逆にまして考えれば、すでに意志を否定し、意志を転換しおえている人々にとっては、これほどにも現実的に見えるこのわれわれの世界が、そのあらゆる太陽や銀河を含めて、無なのである」。
 ショーペンハウアーは、この最後の一文に次のような脚注をつけた。「これこそ仏教徒のいう般若波羅蜜なのではないか。認識の彼岸に到達した世界意志なのではないか」。

 だいぶん長くなってしまった。こんなところで店仕舞にしよう。
 いま、ショーペンハウアーを読む者はほとんどいないと言っていいだろう。それはいま、大乗仏教にとりくむ者がきわめて少ないということにつながっている。しかし、姉崎正治が『意志と現識としての世界』を翻訳刊行したときは、鴎外も花袋も泡鳴も、清沢満之も西田幾多郎も鈴木大拙もショーペンハウアーに熱中したものだった。
 トーマス・マンを読みたいなら、ショーペンハウアーも読んだほうがいい。芥川龍之介や太宰治に何かを感じたことがあるのなら、その奥にショーペンハウアーがいることを覗いてみたほうがいい。ヴィトゲンシュタインも、実はショーペンハウアーなのである。
 ミットライト・ペシミズム。
 ぼくの感じでは、このミットライト・ペシミズムの“共感と共苦の同時感覚”がわからないで、世をはかなんだり、自己意識に溺れたり、世の中に文句をつけるのは、あまりにも杜撰なのである。また、数滴のミットライト・ペシミズムがなくて、頽廃やアヴァンギャルドをかこつのも、かなりぐさぐさなことなのだ。
 とくに仏教において、ミットライト・ペシミズムの彼方についての議論が沸きおこることを期待する。

附記¶ショーペンハウアーの著作は多い。白水社の『ショーペンハウアー全集』で全14巻がある(新版では全16巻)。『意志と表象としての世界』はそのうちの6巻ぶんにあたる。
 そこでお薦めは、西尾幹二が訳した「世界の名著」45巻目の翻訳だということになるのだが、最近は今夜提示した赤と白のブックデザインの「中公クラシックス」にそのまま入った。コンパクトな3分冊なので読みやすいだろう。
 参考になる書籍はそんなに多くない。定番はゲオルグ・ジンメルの『ショーペンハウアーとニーチェ』(白水社)、エドゥアール・サンス『ショーペンハウアー』(クセジュ文庫)、アルフレート・シュミット『理念と世界意志・ヘーゲルの批判者としてのショーペンハウアー』(行路社)などだが、ここでは、湯田豊『ショーペンハウアーとインド哲学』(晃洋書房)、ディビッド・エイブラハム『天才と才人・ヴィトゲンシュタインへのショーペンハウアーの影響』(三和書籍)、梅崎光生『ショーペンハウアーの笛』(新樹社)、橋本智津子『ニヒリズムと無』(京都大学学術出版会)、鎌田康男『ショーペンハウアー・哲学の再構築』(法政大学出版会)など、いかが。とり


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