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「引き寄せの法則」研究会コミュの「引き寄せの『質問』」世界のメンターから授かった究極の知恵〜あなたの引き寄せ力を高めるために

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こんにちは、ひろ健作です。

お久しぶりです。


これまで、どうすれば、引き寄せることができるか?というテーマで、こちらの方で、書き込みをさせて頂きました。

誰にでもわかりやすいかたちでメンターの知恵を届けたい――その想いで、この場を借りて、皆さんのご質問にお答えして来ました。


たとえば、シークレットやホ・ポノポノが広まるきっかけを作ったジョー・ヴィターレ、彼の処女作「スピリチュアル・マーケティング」とお金持ちの法則「豊かさは、与えたものに比例する」の要点を説いたり、

また引き寄せの達人、とんとんさんからもありがたいコメントを頂いた「引き寄せの『本質』」を執筆するなどして、成功者の知恵をわかりやすく説いて来ました。

その後、しばらくお休みしていました。

ひと通りお答えしましたし、ネタ的にも尽きたかな、と思っていたからです(笑)。


ですが、皆さんから頂いたご質問の中で、ひとつだけ気になっていたことがありました。

それは、「引き寄せ力を高めるための簡潔にまとめたポイントが知りたい」というご質問でした。


そう言われてみれば、これまでの内容は、私がお答えした長〜い、長いコメントを読んで頂くか、小冊子を読んで頂くか、の二通りしかなく、忙しく時間の無い方は読むヒマが無いし、携帯でしか観られない方は、読むことができません。

そこで、これまでの長いコメントや小冊子に取って代わる、何かいいアイディアがないかと、ずっと考えていました。


その中で思い付いたのが、「引き寄せの『質問』」。

皆さんの引き寄せ力がどの程度か、どの程度知識があるかを測るものさし(=的を得た質問)があれば、役に立つんじゃないか、と思い付いたのです。


ふり返ってみれば、シークレットを始めとする成功法則を知っていても、それを実際に使いこなすのは、なかなか難しいもの。

まして「実際に」願望を達成するため「行動」しようすると、さらに難しく感じてしまいますよね。


そこで「引き寄せの法則」を始めとする「成功者の知恵」を、「誰にでもわかりやすいかたちで」、楽しく学べるものがあれば、多くの方のヒントにもなるし、自分でアレンジもできる――そう考え、新たにトピックを立たせて頂くことにしました。


さらにこれを「質問」形式を中心とすれば、これまで「常識」としてわかっていたつもりの教えでも、意外とわかっていなかったと気づいたり、ストンと腑に落ちたりするのではないか、と考えました。


また回答やコメントを頂ければ、それをも参考にしながら、さらにヒネリを加えた質問を考えて行けば、相当役に立つのではないか、と考えました。


これまでの私は、どちらかと言うと「答え」的なコメントを書いていたため、お答えする方の学びを少し取っていたような気がして、少し気が引けていました。

ですが、今回は「ヒント」的なコメントを中心にするため、ご自身の学びにつながるのではないか、と思います。


なお質問への回答やコメントは、どれが「正解」ということはありません。ご自由に答えてみてください。そうすれば、皆さんの「引き寄せ力」がひとりでに高まって行くことでしょう。

お楽しみに。

【参考トピック】
・スピリチュアル・マーケティング⇒ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32068037&comm_id=2793619
・お金持ちの法則「豊かさは、与えたものに比例する」⇒ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46083003&comm_id=2793619
・引き寄せの「本質」⇒ http://mixi.jp/view_event.pl?id=43580274&comm_id=2793619

コメント(1000)

マサさん、kurousagiさん。少し思うところがあって、これまでのことを振り返ってみたくなったので、お話させてください。

私がこれまで、何をやってもうまくいかなかった理由。そして少しずつ願望が叶い始めた理由をお話します。ヒントになることがあるかも知れません。

1 何をやってもうまくいかなかった理由

ずい分前のことです。私は10代のときから漠然とした成功願望がありました。自分の好きなことをして人の役に立ち、注目を浴びたい。女性に好かれたい。という想いでした。

それは漠然とした夢でしたが、強い想いでした。その想いを実現するために、たくさんの成功法則を読み漁り、試してきました。

そのほとんどは「潜在意識」や「ポジティブ・シンキング」に関するものでした。前向きな姿勢・態度が願望を叶える。顕在意識がポジティブでも願望が叶わないのは、潜在意識がネガティブだからだ。

こういった成功者を事例に解説した成功法則をずっとやっていたのです。

ですが一向に願望が叶うことはなかった。叶うどころかかえって悪くなって行ったのです。


たとえば、明るく女性の前で振る舞い、確固たる態度と信念を持って接しても、なにか「引かれている」感じがし、思うように反応してくれないのです。

それは異性だけでなく、同性や上司、後輩との関係においてもそうでした。思うように想いが伝わらず、注意されたり、ケチをつけられたりして、傷付いていたのです。

それでも人生を変えたい、と思った私は、片っ端からいいと思えるものを試しました。当時言われていたニューエイジ(いまのスピリチュアル)、心理学、説得術、各種宗教、道徳的な教えまですべて試してみたのです。

ですが一向に人生は変わらなかった。それが15年も続き、どうしていいかわからなくなったのです。

悪くなったのは人間関係だけではありません。原因不明の倦怠感、絶え間ない車の事故、膨らんでいく借金でした。それがどうしてうまくいかないのかわからなかったのです。
何か違う、何か腑に落ちない、そんな思いのまま長い年月が過ぎました。そしてある日のことです。「引き寄せの本質」でご紹介したメンターと出逢ったのです。

そのメンターは、知識をひけらかす私にこうひと言つぶやいたのです。

メ「きみは、ほんとうの想いを言っていないね。だから人と出逢えないんだよ」

そう言われた私は、初め、何を言われたのかさっぱりわかりませんでした。だから食ってかかったのです。

私「言ってるじゃないですか!本音を!それがどうしていけないんですか!」

と。するとその人はおだやかに、しかし少し厳しく諭すように言ったのです。

メ「いいや。言っていない。そんなのはきみの『知識』だ。そこに隠れているだろう。その胸の奥に。その想いを言うんだよ」


そう言われてもピンとこなかった私は、しばらくその講師と押し問答をしていました。ところがふと、自分の中からひょっこりとことばが浮き上がって来たのです。


ひ「ヒ、ヒトが怖いんです・・・」

と。

そのことばは、自分が言ったような気がしませんでした。誰か他の人が言っているようなへんに不思議な感覚がしました。しかしのどの奥につっかかっていた魚の骨が取れたような、不思議な爽快感があったのです。すると横にいたトモコという女性が、


ト「やっとひろがで・て・き・た・ね」

と言ったのです。私は訳がわからず、「こんな自分は自分じゃないよ。僕はもっと明るいんだ」そう叫びました。するとその子は、

ト「ううん。明るいあなたもあなただけど。暗いあなたもあなたよ。どちらもステキじゃない」

と言って来たのです。

講師と同じセミナーの参加者に促されるように導かれ、私は、涙があふれていました。
2 少しずつ人生が好転し始めた理由

それからです。人生が少しずつ好転し始めたのは。

まず、事故がピタリとやみました。

それまで事故だけでなく、駐車していて前面にクギで傷を入れられたりするいたずらを2回受けたりして、さんざんな目にあっていたのが、ピタっとやみました。

事故やいたずらだけでなく、交通違反もです。おかげで無駄な出費がなくなりました。

倦怠感が消えました。

それまで彼女とデートしているときでもたとえようのない倦怠感に襲われ、デート中に車を止め、いねむりしないといけないほどでした。仕事中など電話をしながらコクリコクリと眠ってしまうほどだったのです。

それがなくなりました。

人からの攻撃が消えました。

それまで言われの無い攻撃をよく受けていました。罵倒されたり、ケチをつけられたり、さんざんな目に遭っていたのです。

そういう人に対し、言ってくれてありがとうと内心思っていたのですが、そうするとそれをいいことに、もっとケチを付けてきていました。

いい人をしていたからでしょう。聴いてあげ、自分にも非がある、と認めると、ますます言われ続けました。

それが減っていきました。

いい人を辞めたからです。言われたらいったんは受け止めたうえで、こちらの意見を言ったからです。すると攻撃していた人は落ち着いていきました。

成功する人を見つけるのがうまくなりました。

この人は成功しそうだな、と思う人をまだ誰も知らないときに見つけました。するとその人はあっと言う間にブレイクし、世間で認知されていきました。

お金が入ってくるようになりました。

それまで出ていくばかりで、借金は膨らんでいました。それがふとしたことからお金を受け取れるようになっていきました。収入が増えていったのです。それを有効なものに回すと、人やお客さんがさらに喜んでくれて、また増えていきました。

人に感謝が生まれました。

かつて法則の通りに「ありがとう」と言っても違和感があったのは、そこに悲しみや怒りがあったからでした。それを隠したまま、いいことを言っても、マイナスエネルギーに乗ったプラスことばであるため、相手に響かなかったのです。

しかし自分の想いを言えるようになり、相手に響くようになると、相手のこともよく理解できるようになり、ありがたいという気持ちになれるようになりました。ごく平凡な日々の中に幸せはあり、感謝することはある、と思えるようになったのです。
なぜ、このような変化が起きたのか、なぜ、成功法則を使ってもうまくいかなかったのが、このようにうまく行き始めたのか?いまではそれを明快に説明できます。

1 誤った解釈、安易な解釈をしてしまうため

成功法則は、非常にアバウトな教え方をしています。こう考えればうまくいくよ、と。しかしながらふつうの人(特に日本人)は、ネガティブに考える人が多いため、ポジティブに考えようとすること自体が、ストレスになります。

ストレスとは、言っていない想いそのものです。言っていない、隠している想いがあるため、人と出逢えないのです。人と逢ってもどこかぎこちない。それは自分を隠しているからです。

成功者と実際に逢い、ふだんの姿をよく観察してみると、必ずしも映像や文字に出ている雰囲気とは違います。やたらジコチューだったり、やたらタカビーだったり、やたら気にし―だったりするのです。

ふだんの姿は私たちとさほど変わらなかったりするのです。そういう事例をたくさん観てきました。しかしそういう事例は知らされていないため、ふつうの人は、法則をうのみにし、誤った解釈をしてしまうのです。それをやるだけで成功する、と。

2 ポジティブでなくても成功できる、ということを知らないから

ポジティブでなきゃというのは、一種のとらわれです。ネガティブと表裏一体なのです。ポジティブな人の心の奥底を観ると、ネガティブになりたくはない、という一種の恐れが隠れていることがよくあります。恐れがあるためポジティブでいようとするのです。

そういう人はすぐにわかります。ポジティブを人に強制しようとしたり、ネガティブな人やことばを観ると、いや〜な顔をするからです。ですがいや〜な顔をする、ということは、その人の中にもそういう面がある、ということを意味します。

3 ネガティブな気持ちを言えばいい、と言う訳ではないから。

こういうお話をすると、ネガティブな人は、ぼやいたり、愚痴や不平不満を言ってもいいんだ、と安心します。

たしかに言ってもいいのですが、それを言うだけで、自分を省みようとしないと、人生はあまり変わりません。その場しのぎのストレス解消にしかならないからです。

本来の自分らしさ、とは、ネガティブでもポジティブでもない状態。とらわれのない状態を指します。対極を両方持ち合わせている状態です。その状態は、怒り、悲しみ、喜び、楽しみのすべてを統合しているため、非常に安定しています。フラットシンキングとでも言いましょうか。

4 体系化された実践的な知恵を身に付けたから

たとえば感謝するとうまくいく、とか、掃除したら運がつく、という教えがあるとします。そしてそれをせっせとやってうまくいったという体験談を持つ人がたくさんいたとします。

そういう集まりの中で、ありがとうと言いたくない、掃除したくない、面倒臭いと思うとします。するとあなたは、道徳心の強い人たちから白い目で観られることでしょう。

それは、先生の言うことをよく聴く生徒が、一人のヤンキーを白い目で観るように、です。

白い目で観られたヤンキーはますますふてくされ、唾を吐きます。やってらんねーよ、と。

まあこういう風にオレ流を通せる人はいいのですが、ほとんどの人は、

■「やっぱし感謝した方がいいのかなあ。やっぱし掃除した方がいいのかなあ」

と、付和雷同的に人に合わせようとします。本当は合わせたくない、という本心があってもそれを隠し、出る杭は打たれる、とばかりに人に合わせるのです。


しかしうまくいきません。なぜならうまくいくというその本質を知らずに方法だけをまねようとするからです。自分には合っていない方法なのに、それをうのみにして使おうとするからです。だからうまくいかないのです。


感謝とか掃除をすればいい、というのは、

それをやっているうちに、生まれて来る感情を期待して、やることです。ありがたいなあ、恵まれているなあ、という気持ちです。

そういう気持ちが出て来ると、それは何となく周りに伝わります。表情は穏やかになり、喜びは溢れます。するといいことが起きて来るわけです。

しかしそれを「義務感」でやっていたらどうでしょう。やらされでやるのです。するとますます反抗心は強くなるでしょう。表面的に従っているように観えても、怒りや悲しみは消えることはありません。

義務感に動かされた仕事、

恐れからやる健康法、健康食

というのがうまくいかないのは、そこに「喜び」がないからです。そこに喜びがあれば、うまくいくのです。

ヘビメタやお笑い芸人が下品なことやののしるようなことばを吐いて、みんなも喜ぶのは、正直だからです。自分の中に表れて来る感情をそのままストレートにぶつけているからです。だからヘタに感謝のことばを吐くより、相手に響くのです。

このあたりの理解をしていないと、成功法則を単にお題目のように唱えることになり、いつまでも同じような状態が続いてしまいます。


ちょっとふり返りの意味を込めて、メモしておきました。参考にしてください。

上記の気持ち、分かるような気がします。
潜在意識……
私の潜在意識はたぶん今はネガティブな部分があると思います。
病気になる前はかなり前向き思考で周りを優先してきたり例え周りから見たら不自由な環境でも自分なりに満足いく生活だった。病気になってからは[ありがとう]という言葉さえ何?意味は何?[ごめんなさい]て何?謝ったじゃん!みたいに上っ面だけの言葉に変わってしまった。病気してからは苦しい日々を過ごして大きなストレスこそ落ちて楽になった部分はあるけれど未だよぎる不安な部分は残ります。けれど確実に良くはなってるんです。
潜在意識が明るく前向きになってくれたらいいな、と思いながら今を明るく過ごせたらいいな、と思ってます。
まごまごさん、初めまして。

>病気してからは苦しい日々を過ごして大きなストレスこそ落ちて楽になった部分はあるけれど未だよぎる不安な部分は残ります。けれど確実に良くはなってるんです。

そのお気持ち、よくわかります。私も病気をして苦しい思いをしたこともあり、また上司から罵倒され、逃げられない苦しみに葛藤したこともありました。そんなときに、付け焼刃的な教えでは全く通用しなかったんですね。

病気にもそれぞれに合った治療法があるように、その人その人の症状にあった教えの使い方があります。そういうきめ細やかな教え方がいるんじゃないか、と、いまは思います。

>潜在意識が明るく前向きになってくれたらいいな、と思いながら今を明るく過ごせたらいいな、と思ってます。

そうですね。無理に明るくしようとしてもなれるものではありませんよね。かつて明るくふるまっていてもどこか影があり、さびしさが漂っていました。それは自分の中に悲しみを持っていたからです。

いまは喜びも悲しみも怒りも楽しみも、あっていいって思っています。それがあるからこそ人間らしい、と。そしてそれがあってもいいと思い、自分を許せたとき、人をも許せている自分がいました。

考えてみれば、感謝できない、というのは、怒りや悲しみがまだあるからです。それを覆い隠していくらいいことを言ってもなかなか自分や人に響かないんですね。
4年前の12月のことです。当時、新橋でセミナーを開催したのですが、そこにホテルのスタッフ業をやっているエリさんという女性が北海道から参加しました。

そのエリさんという女性は、一昨日まで病院に入院していたと言い、最後まで居続けることができないかも知れない、とおっしゃっていました。

ですが私たちから観て、この方は、上司の女性からいつもベッドメイキングでケチを付けられ、それに言い返せないがために、病気を作り出し、その怒りの気持ちを訴えるしかない状態に陥っていることが観て取れました。

そこで私たちは「大丈夫ですよ。言いたいことをしゃべってってください」と促しました。すると「話す」度に、どんどん元気になっていくんです。最初は胃がチクチクして痛い、と言っていたのが、「なんだか終わりまで行けそうです」と言った。そこであるワークをやってもらったのですね。


それは上司にケチを付けられている状況を再現するワークです。そこで思いの丈を言ってもらったのです。別の女性に上司役Aになってもらい、ケチをつけてもらったのです。

A「エリさん!ベッドメイキング、何度言ったらちゃんとやれるんですか!できていないじゃないですかっ!」

エ「やってます」

最初、弱かったのですね。そこで私がもっと思い切り言ってみてください、と促した。思いの丈、怒りの丈をぶつけてみてください、と。でもう一度、言ってもらった。

エ「やってますよっ!!!言われたとおりに!!!」

その言い方は、Aさんが後ろにたじろぐほど強いものでした。否定された、というその想いが病気というカタチとなって表れていた。そこを「クリア」したことによって、スッキリとさせたのですね。すると、

エ「なんだかスッキリした気がします。胃もチクチクしないです」

と言い出しました。そこでそのセミナーが終わった後、2週間後にそのエリさんからメールが届きました。

>この間、ある知り合いの男性が、なんだか変なんです。よそよそしいというか、なれなれしいというか、なんか違うんです。気がある感じなんです。

とこうおっしゃいました。そこでまずは友だちからと言えばいいですよ。と伝えた。それから音沙汰がなかった。その後、8カ月してその人の友だちから風の便りに結婚したという話を聴きました。

メールでお話した所、それ以降、上司からの攻撃がピタっと止まったそうです。自分の中のネガティブな思いこみを一掃した結果、「愛されてもいい」という想いがあふれてきた。その結果、彼氏というカタチを惹き付けていったのです。

シェア(自分を語る)⇒クリアリング(自分の中の思い込みを知り、クリアにする)⇒スピリチュアル・マーケティング(引き寄せる)望むものがカタチとなってやってくる。という流れを惹き付けたのですね。
自分の中の恐れや怒りをクリアにし、受け取ってもいい、と深いレベルから思えるようになると、異性やお金が向こうからやってくることがあります。それはこちら側が積極的に動かなくても、です。発見されるんですね。


軽いタッチで喜びを感じられるようになると、望む「それ」は向こうからやってくることもあるんですね。
kurousagiさんのそのコメントを読んで、ある方のことを思い出しました。メルマガ読者と名乗る方からある日、メールが送られてきたのです。そのタイトルには、

「数年以内に自殺すると思います」

とありました。そう書かれて、私は返事に苦慮しました。返事すればその人の人生を一部背負うんじゃないか、かといって返さなければ、本当に自殺するんじゃないか、そう思ったのです。

その文字には、バラのトゲのような雰囲気が漂っていました。文字がケバだっていたのです。

で、悩んだ末、送ることにしました。お役には立てないと思うけど、あなたのことを考えている男がここにいることを知ってください、と。

するとお返事が返ってきました。「救われました」と。教会などにも相談したことがあったそうですが、引かれて返事が来なかったそうです。

人は誰かにわかってもらえたらそれだけで生きる希望はあるのだとそのとき気づきました。

私はかつて親をものすごく憎んだことがありました。否定ばかりし続け、ケチばかり付ける父。まったく取り合おうとせず、傍観者の母に育てられ、漂流し続ける日々を送りました。

当時は先も観えず、もがいていました。ですがいまはなぜ、そういう親になったのか、自分がなぜそういう自分としてできたのか、がわかるようになったため、もがいた分、人のこともよくわかるようになりました。

私の場合、ひとひねりも二ひねりもしないと解けなかった人生でした。だからこそ人の人生の脚本を読みとき、解放するお手伝いができる喜びはひとしおです。

心からありがとう、と言えるとき、それはすでに自分の中にあるんですね。喜びと幸せは。
かつて15年前、あるビジネスに誘われたことがありました。そのビジネスは、参入するベストタイミングで、参加すれば成功する確率はものすごく高い、と言われていました。

私に伝えてきたのは、同級生の男だったのですが、その男に伝えた人たちは皆、成功していきました。年収10億クラス、数億クラス、1億クラス・・・と続いたのです。

で次から次へと参加者が増える中、私はあるセミナーのアシスタントをしていました。朝から晩までそのお手伝いに明けくれ、ボランティアどころか出費ばかりするその生活に疑問を持っていました。

一方で成功していく人たちを尻目に、自分は何をしているんだろう。何の役に立つんだろう、こんなことをして、と思っていました。その当時、二人のメンターに付いたのですが、その一人がマーフィーの教えを広めた人に付いた人だったのです。
かつて15年前、あるビジネスに誘われたことがありました。そのビジネスは、参入するベストタイミングで、参加すれば成功する確率はものすごく高い、と言われていました。

私に伝えてきたのは、同級生の男だったのですが、その男に伝えた人たちは皆、成功していきました。年収10億クラス、数億クラス、1億クラス・・・と続いたのです。

で次から次へと参加者が増える中、私はあるセミナーのアシスタントをしていました。朝から晩までそのお手伝いに明けくれ、ボランティアどころか出費ばかりするその生活に疑問を持っていました。

一方で成功していく人たちを尻目に、自分は何をしているんだろう。何の役に立つんだろう、こんなことをして、と思っていました。その当時、二人のメンターに付いたのですが、その一人がマーフィーの教えを広めた人に付いた人だったのです。
ひろさん
ここでちょっとまたお尋ねしたことがあるのですが・・・、間が悪かったらすいません。

>#964 ひ「ヒ、ヒトが怖いんです・・・」

と書かれてました。”ヒト”という言葉のニュアンスは、とても漠然としていると思ってしまうので
すが、その”ヒト”とは、具体性があったのでしょうか。また”ヒト”の何が怖かったのでしょうか。
少しでもその時に覚えていることがあれば、お聞かせ頂ければと思います。
その人は、マーフィーの教え(いまの引き寄せの法則)をマスターした後に、コミュニケーションの力を教えた人Bさんでした。だから法則を使わなくてもコミュニケーション力でカバーできることを教えてくれたのです。当時のやりとりを再現しましょう。

B「潜在意識とか信念とか、言うけれど、きみたちは、それがどこにあるか、わかってんのかい」

みなキョロキョロと周りを見渡す。

B「あなたたちのはみんな概念なんだよ。潜在意識ぃ?そんなモンどこにあるんだい。勇気が出ない。その勇気はどこなんだよ。好きなら好きと言ったらどうだい。きみかわいいね、素敵だね、と。言わないで思うだけで通じるなんて思ってるだけじゃ、100年経っても伝われないよ」

でも・・・としり込みをするセミナー参加者にそのB講師はたたみかけるように言いました。

B「だいたい、思ってるだけでどうして相手に伝わるんだよ。言わなきゃ伝わるものも伝わらないじゃないか」

ひ「でも、好きかどうかわかんないような漠然とした気持ちです」

B「ステキだね、というからステキが現れるんだよ。好きだ、と言うからスキな相手が出て来る。言ったら現実になるんだよっ!」

それは、先に紹介した講師とは別のアプローチをする人でした。先の人は、本当の想いを言いなさいと言って、クリアリングを先に勧めたのですが、B講師は、まず言え、言ってから考えよ、と行動を促したのです。

そこで引き寄せの本質で紹介したような、女性に声をかけていく、という訓練をしたのでした。思ってもいなくてもとにかく声をかけたのです。どうせダメだと思いながら・・・。

するとダメだとおもっているのにホイホイうまくいったのです。勢いがあったのでしょう。お見合いパーティー50対50というのがあったのですが、そこで一番可愛く、魅力的で、とても私に手は負えない、と「思う」女性二人に声をかけたのです。すると・・・

「いいですよ。お話しましょう」と話してくれたのです。こういうことが何度も何度もあったのです。


人は、引き寄せの法則を始めとする成功法則をなまじっか知っていると、うまく行かない場合、自分の思考がいけなかったのだ、と思います。で、ネガティブなシンキングになると、行動すら起こさなくなるのです。

ですが原因はまったく別の所にあることも多いのです。向こうの気分、忙しさ、環境、などです。そのことに気づき、淡々と話しかけるようになったら、相手がふり向いてくれるようになりました。引き寄せは、声をかけてみたときに初めて、起きたのです。
マサさんへ。

>”ヒト”という言葉のニュアンスは、とても漠然としていると思ってしまうのですが、その”ヒト”とは、具体性があったのでしょうか。また”ヒト”の何が怖かったのでしょうか。

>少しでもその時に覚えていることがあれば、お聞かせ頂ければと思います。

とのことですが、別に意味はないんです。ただ、怖がりながら、しゃべったので、それを表現する意味で、漢字以外のことばを使ったまでです。

マサさんは、なにか、ことが起きたときに、理屈を頭で考えよう、説明しようと考えるタイプですね(笑)。人生はそう難しくはないですよ。シンプルでカンタンに解けます。
kurousagiさん。

>誰かにわかってもらえる。すなわち、自分の気持ちをすなおに、だす。ことなんでしょうね。

>それができないから、鬱など、自分の気持ちを閉じ込めた結果なんだと私は思います。以前の私がそうでしたから。。心が壊れたんでしょうね。

まさしくその通りです。自分を出せないから、病気になったり、うつになったり、人によっては犯罪を犯したり、してしまうんですね。それがいけないことだと思っても。でも声を発することによってどこかにわかってくれる人はいるものです。

>私は自殺未遂をした結果、体が元の通りにならなくなりました。当然の報いです。甘んじてうけてます。もし、生き返らなったら、私は、とんでもない報いを受けていた事でしょう。

私がこうした教えを知り始めたとき、苦しんでいる人を観て、それは自分自身が創っている、と思っていました。たしかにそうなのですが、必ずしもそれだけではない、と後になって知りました。

毎日、毎日罵倒され続け、誰も助けてくれなかったときに、あぁこうやって人は追い込まれ、死んでいくんだな、と思いました。鬱になったり、自殺したりする人たちの気持ちがわかったのです。

でも負けるもんか、という気持ちがそのときありました。負けたら終わりだ、と。その想いを実小説という形でまとめ、自分を癒していったのです。

そしてある日のことです。その上司がオマエのせいで、会議の資料遅れたからな。すべてオマエのせいやっ!と激しい口調でののしりました。そのときに私は2週間かけて修正し続けた文章に赤字を入れられたその紙を観ながら、みるみるその赤字がにじんでいくのを感じました。

パソコンの文字が涙で観えなくなった時、職場で、いい加減にしろう!勝手にしやがれっと自分では発したことのないことばを言い、画版を机に投げつけたのでした。その光景を観た上司は、初めて目を見開き、神妙な顔をしたのです。

誰も周りは助けてくれなかった。あのとき声をあげたからこそ、現実が変わった。それまでは感謝しても謝ってもどんなしてもダメだったのです。攻撃され続けた。

私は、こういう経験をし、必ずしも教えの通りにいかないのだな、ということを身を持って体験したのです。
ひろさん
ご回答ありがとうございます♪
そこで言われた”ヒト”という言葉は、もしかして”自分自身”だったのかと思い浮かんだで、
その真意を確かめたかったのでした。

>マサさんは、なにか、ことが起きたときに、理屈を頭で考えよう、説明しようと考えるタイプですね(笑)。

昔はたまにそう言われましたよ。ほんとはただの脳天気野郎なんですが。(笑)

>人生はそう難しくはないですよ。シンプルでカンタンに解けます。

そうですよね♪
そのシンプルなことを、もっとさらにシンプルにできないかと試みたいと思ってます。
マサさん。私はいつもマサさんのやさしさに触れ、癒されていますよ。決して人を責めないそのあり方は、多くの人々を癒しています。私はマサさんに多くのことを学んでいますよ。特にそのお人柄に、ね。感謝しています。心からね。
私も人間ですから何気ないひと言に怒ったり、腹が立ったりもします。また逆に私の放ったひと言で気分を害したり、イラっとした方もおられると思います。この場を借りて、そういった方には謝ります。ごめんなさい。

私は父に否定され続けた。だから自分から謝ることができなかったのです。悪いと思えなかったから。でもいまはすなおにそのことを言えるようになりました。

ホ・ポノポノでは、ありがとうとごめんなさいということばがでてきますね。こういうことばをすなおに出せるようになったとき、豊かな恵みはやってきているのでしょうね。そう思います。ありがとう。。

すみません。
ただ漠然とですが、みなさんのコメントを読みながら思うのですが、理屈で考えようとしてしまう自分、シンプルに考える自分、いて良いものだけど、思い通りにならないことに、いつまでもしがみついてることは、やはり違うのでしょうか。思い通りにしようと思っているのではなくて、受け取る側の考えや気持ちが理解できない場合、自分の発したことが相手を怒らせたり、そんなつもりがないのに怒らせてしまう。
そんな自分が嫌になります。相手が合わないのでしょうか?例えば相手を理解したいしのに考え違いでずっときてしまう。受け身になったりしても絡んだ糸がほどけなかったり…
どう自分がしたらいいのかわからないんです…
ひろさん
文章にしてしまうと、文章力が劣ると、相手に伝わりにくい、ということをよく経験します。でも
そこをなんとか乗り越えたいと、日々試みています。あせあせ

私は10年前くらいから、自分を責めてしまう習慣に気付き、今ではほとんど止めました。
自分を責めないので、おそらくかもしれませんが、人も責めることがかなり減ったのではと
思います。そしたら、なぜか喉・鼻系の持病がすっかり直りました。呼吸をするのがとっても
楽なんです。それだけでもほんと幸せなことなんです♪

>私は父に否定され続けた。だから自分から謝ることができなかったのです。悪いと思えなかったから。でもいまはすなおにそのことを言えるようになりました。

その後の体験として、お父様に何か謝られたのでしょうか。
私以外の人も結構気になっているかと思われます。
まごまごさん。

コミュニケーションを取る場合、話していることばだけでなく、発していないことば(雰囲気として伝わるもの)があります。それに反応してしまうのです。

頭で考えると難しく感じますが、どういうことばと雰囲気に相手が反応しているか、それに対してこちらがどう反応しているか、を解けば、意外とものごとはシンプルです。

人間はことばを発するため、ことばによって反応します。その人その人の会話タイプがあるのです。それがどういうメカニズムで動いているかが解けるとそう難しくはないんです。

私の場合、基本は、「どうせ私はわかってもらえない」「やっぱり一人だ」というのが会話の基本パターンでした。そこから相手と接するのです。

しゃべっていることは、こんにちは、今日どうぉ?とか言っているんですが、相手がそっけないように観えると、ムクムクと自分の中からさきほどのメッセージが出てきていたのです。でイラっとしたり、悲しくなったりするのです。

ほとんどの場合、理解しあえている、出逢えていると思っても、会話がスレ違っていることが多いのです。

自分の基本会話パターンから表面的にことばを変えているだけなのです。その基本の型が観えたら、自分がどういう人に反応し、言動をしているか、が観え、人生の縮図、構図がすべて解けます。
マサさん、お答えします。

>その後の体験として、お父様に何か謝られたのでしょうか。私以外の人も結構気になっているかと思われます。

そうですね、そのときの体験が役に立つと思います。父にそのセミナーに参加して欲しくて、誘いました。そして父にわかって欲しくて涙ながらに訴えたのです。ふつうならここでハッピーエンドという風に終わってシャンシャンというところでしょう。ですが・・・

父は目を逆さ三日月にして怒ったのです。「なんで男が泣くんか!」と。そこで私は絶望感を感じました。謝っても感謝しても理解されない。そんな父に絶望感を味わいました。

よくご両親を許せない、とか、なんで自分から謝らないといけないのか、という方がいますが、その気持ちよくわかります。わかってもらえないという気持ちがそうさせるのでしょう。

その後、何年も確執は続いたのですが、徐々に諦めたんです。わかってもらうことを。どうでもいいや、と。そうすると執着が無くなったのですね。許せたのです。

父は、幼い頃誰にもわかってもらえず、父を亡くした。そのせいで母一人に育てられたものの、すごい苦労をしたのです。お金はあったけれども母は他に男を作った。毎日情事を見せつけられていた父は、ことあるごとにヒステリーが出ていたのです。

そういう人生の縮図がわかってきたので、父を理解できたのです。父は父と言う役割をしてはいますが、会話の反応パターンがそういう風にできていたのです。
ひろさん
たいへんお答えしにくいことを、お聴きしてしまい、申し訳ございません。

ただ、日本でも屈指のクリアリングの先生から、是非、今のお父様に対する気持ちをお聴き
してみたかったのです。たいへん厚かましい行為でした。m(_ _)m

私の父も少し、ひろさんのお父様に性格が似ているところがあり、「私を理解してほしい」と
いう願いを私はずっともってました。そして父が亡くなる前の1年間入院をして毎日見舞い、
看護をしてました。そしてとうとう私を認めない・理解してくれないまま亡くなくなったと思い
ます。今から思うと、恥ずかして、言葉に出せなかっただけだったかもしれません。
そして1年間父と会話を続けた結果、不思議に、すべてを許せたました。私も父の幼い頃の
事情をある程度知れたからかもしれません。
今となっては、父の入院生活は私にとって、親子として輝いた1年間でした。

今まで何千とあるひろさんのコメントの中で、一番胸が熱くなりました。
ありがとうございました。ぴかぴか(新しい)

そしてたま〜にですが、ひろさんのコメントの端々に、気のせいかもしれませんが、お父様に
対するアツイお気持ちが今でもちょっと感じるところもあるのですが、気のせいでしょうか。(笑)
> ひろ健作さん

そうですね。
解釈的にはそうなのでしょうね。
ん。。。。。。
では[かみ合わない]という感覚というのは、やはり合わないからなのでしょうか?私は病気をする前は[この人とは合わない]と思うことがなく価値観が違うことすら[そういう考えなんだ]と思うか間違っているようなら自分の意見を言ったりするのですが、また更に価値観の違いが重なり
自我が強くなるのは良くない結果を生むのでしょうか。
マサさんへ。

>たいへんお答えしにくいことを、お聴きしてしまい、申し訳ございません。

いいえ。そんなことはありませんよ。考えてみると私はふだんでも、初対面の人であっても、言い、すぐに打ち解ける方ですから。

マサさんに言われてみて、なぜ成功者もふつうの人も私たちに安心して本心を見せてくれるのか、いま改めて気づきました。

「安心感」があるのでしょうね。私たちが自分をさらけ出しているから、安心してくれるのでしょう。

先日、お金持ちの芸術家や事業家、有名人が来る料亭の料理人兼オーナーの方たちのパーティーに呼ばれ、雑談したのですが、その方たちも意外と素でしゃべれる機会というのは少ないのだな、と気づきました。またぜひご一緒したい、と言われましたから。

私たちが自分を見せ、お話すると「安心」してくださるんです。ああこんなに正直に自分を見せていいのだと。すると堰を切ったようにみなさんしゃべりだします。場のエネルギーがグングン上がります。元気になるのです。

私たちには、そういうお役目があったのか、と書いていて気づかされました。
>ただ、日本でも屈指のクリアリングの先生から、是非、今のお父様に対する気持ちをお聴きしてみたかったのです。たいへん厚かましい行為でした。m(_ _)m

先生なんて思ったことはありませんが、何年も、何十年もご自分の反応や行動パターン、起きている現実(人間関係、恋愛関係、人生)の縮図がわからず、また、いろんな教えを試しても一向に変わらない、という人でもお逢いする前に大体ある程度、解けている、というのはあります。お話して数分から数十分で、ものすごく深刻な顔をされているのが、別人のように晴れ晴れとした表情に変わります。

なぜ自分がそういう現実になっているのか、なぜああいう親なのか、なぜ自分がそういう自分になったのか、なぜ、いまの人間関係がそうなっていて、その仕事を選んでいるのか、がわかると、「安心」なさるんですね。深いレベルで。

するとその「安心」の雰囲気がじんわりと周りに伝わり、親や上司、彼氏、彼女、奥さん、旦那さん、取引先の人などに伝わって行って、流れがどんどん変わっていくのですね。自分が発しているエネルギーが変わるため、違う現実を惹き付け始めるんです。

>私の父も少し、ひろさんのお父様に性格が似ているところがあり、「私を理解してほしい」という願いを私はずっともってました。

>そして父が亡くなる前の1年間入院をして毎日見舞い、看護をしてました。そしてとうとう私を認めない・理解してくれないまま亡くなくなったと思います。

>今から思うと、恥ずかして、言葉に出せなかっただけだったかもしれません。
そして1年間父と会話を続けた結果、不思議に、すべてを許せたました。私も父の幼い頃の事情をある程度知れたからかもしれません。

そうですね。私もいまだから明かしますが、高校の頃、男子校で友だちがいなかったことがあり、その頃、携帯もパソコンもなく、唯一、雑誌で募集していたペンパルとの文通だけが、唯一の楽しみでした。

夕食の家族のだんらんの時間は、目をさかさ三日月にした父がNHKニュースばかりを観、私は無言のままごはんを食べていたのです。

雑誌の募集コーナーに載ったため、何人もの女の子からお手紙が来ました。私は唯一救われた気がして、毎日、それだけが楽しみで送っていたのです。

そんなある日のことです。何でも告げ口を言うような母がぼそりと夕食時に言いました。

母「最近、ひろはペンパルにばっかし夢中になってるのよ。勉強もせずに・・・」

そのことばを耳にした父は、目をつり上げてこう言いました。

父「チっ(舌打ち)。しなければいけない(勉強)をせんどいて、好きなことばっかしするねえ。なんでね・・・」

その後、ねちねちと説教が続きました。

私は内心はらわたが煮えくりました。今日という今日は許さない。僕の唯一の楽しみ(光)さえも奪おうと言うのか。

激しい憤りが噴出してきました。説教される間、チキショウという想いがあふれ、手は震えました。説教される間、自分の怒りを抑えるのに必死で、手元にあった皿を手にし、その角で木のテーブルの角に当て、キズを付け続けました。

30分くらい続いたでしょうか。その説教は。ようやく終わり、NHKを観始めた父の背中に激しい怒りを感じました。

そのテーブルはその後も何年もの間、そのまま置かれていましたが、当時の傷は私だけがする怒りの象徴でした。

あのときよく手を出さなかったな、と思います。手を出せなかった、といってもいいかも知れません。誰にもこの苦しみをわかってもらえず、唯一の光さえも奪われる、その想いに手を出しそうになりました。

でもそれをしてしまったら終わってしまう。どうなるか先が観えるだけにそれだけはできませんでした。

20年くらい前からでしょうか。すごくまじめそうな子がとんでもない事件を起こしたりするのを目にする機会が増えました。

そして事件で捕まった子がどうして?とばかりにいろんな専門家が分析したりします。ですがその問題の発端はささいなことなんです。それが私にはわかります。

自分を出せる場がなく、理解してもらえる機会がなく、どのように生きていけばいいのか、わからない。そのために道に迷うんです。

私は何としても人生を変えたかった。どんなことがあっても変えたかった。その想いが成功法則を始め、いろんな教えを学ぶきっかけと原動力となったのです。

ですがそのどれも自分を助けてはくれなかった。唯一その講師だけがそう言ってくれたのです。

当時、セミナーのアシスタントにその日のセミナー参加者9人が応募しました。私はあまのじゃくで、僕はしないよ、と断りました。

すると女の子たちがみな説得するのです。ひろやったがいいよ。ボランティア・スタッフとして半年間コーチトレーニングを受けた方がいい。と。

仕方なく申込み用紙に記入し、提出しました。すると女性の講師が言いました。

「あなた、自分で決めた?」

「・・・」

「違うみたいね。じゃあもう一度考えなさい」

そう言われ、申込み用紙を持ち帰りました。一日考え、再提出しました。

「やります」

そう言い、提出しました。一条の光を信じて、提出したのです。

後になって知ったのですが、そこのスタッフの方たちは、私の採用に反対だったそうです。あまりにも子どもっぽい発言が多く、あの子はムリだろう、と言ったのです。

しかしその講師だけは、言いました。

「やらせてみる価値はある」

と。





そして半年間のとても厳しいトレーニングが続きました。仕事以外の時間はほとんど出、徹底的なハウス・クリーニング、会場づくり、講師のお世話、セミナーに必要なものの手配、プレゼンの訓練etc。

お手伝い料が一切出ない代わりに、コーチトレーニングがただで受けられる、というものです。

ですがその反面、安いもので3万、高いもので20万くらいするセミナーをたくさん受けて来ました。

気づいて観ると私に勧めた友人たちは誰もいなくなりました。半年間のトレーニングを終えて言われたその男性講師のひと言はいまも鮮明に覚えています。

講「初め、きみは箸にも棒にもかからない男の子だと思った。だが役者もどうにもならない人であってもたたきにたたき上げて一流にするものだ。きみにはそれと同じ、可能性があると思った。

自由な発想の子どものイメージがある。地球の人ではなく宇宙の人と話しているようなそんなとっぴょうしもない発想をする所がある。

可能性の塊だよ。おめでとう」

そう言われ、一人祝福されました。結局私はその後も数年に渡り、やり続け、人が怖くて仕方なかったのが、人前で話すのが大好きな人へと生まれ変わりました。

あの否定し続けた父、理解してくれなかった母がいたからこそ、いまの自分があるんです。その意味では、ありがたい存在だといまは思えます。
>今となっては、父の入院生活は私にとって、親子として輝いた1年間でした。

>今まで何千とあるひろさんのコメントの中で、一番胸が熱くなりました。
ありがとうございました。

そうでしたか。それは良かった。

いま、12歳(小6)になる娘がいるのですが、親の気持ちをよくわかり、やんちゃだけど純粋です。その娘が実家に行き、父といると父は、穏やかになっていくんです。▼の目をしていても娘が行くとやさしい目に変わるんです。

私たちがしなくても娘が私たちに代わって父を癒しているんですね。

考えてみれば、父も不幸な境遇でした。幼い頃、父を亡くし、まだ若かったお母さんは夜な夜な丁稚を寝室に招き入れていた。その光景を影からのぞいていた父もはらわたが煮えくりかえっていたのでしょう。

お金はあったけれどもそのお金さえも信じられない。きたないものだと映ったのでしょう。性に対して、お金に対して、屈折した観方をする理由もよくわかります。

それによって「父」という人ができた。父はささいな自分を否定するようなことばを聴くと、身うちに対してキレるんです。外には善人、うちでは悪人に映っていた。

当時はそれがなぜ、そうなるのかわからず、父のような人には絶対になりたくないと思っていました。

がいまはよくも悪くも似たなあと思います。根っこは父に似ているんです。表面は母。その二人が同居しているんです。

人は、親の影響を少なからず受けるものです。その親もまたそう。そうやって人はでき上がっていくのですね。

娘ももうお年頃になってきて、対等に話せるのですが、その純粋さに胸を打たれるときがあります。何気ない日々の中で、話していて涙があふれてくることがあるのですね。

自分が遊んでもらえなかった分、この子には存分に遊んでやろうと思うのです。

>そしてたま〜にですが、ひろさんのコメントの端々に、気のせいかもしれませんが、お父様に対するアツイお気持ちが今でもちょっと感じるところもあるのですが、気のせいでしょうか。(笑)

そうでしょうね。人に対してつい熱く語ってしまうのは、かつての自分を思い出すからでしょう。そっちじゃないよ、こっちだよ、とつい余計なひと言を言ってしまう。まだ聴ける状態じゃない人でもつい言ってしまうんです。

いけませんね(笑)。

でも少しでもこうしたお話がお役に立てるのなら、本望です。


ネットが普及しても人間関係の本質は変わらない気がします。表面的な話ばかりしていても人間関係は深まらない。出逢わない。ゆるい関係がいいというのもありますが、誰か一人でも語り合える人の存在、それがあれば、人生渡っていけるものです。

その意味で私は、一人でも多くの人にこの想いを伝えていきたい、と思っています。
まごまごさんのような悩みを持つ人は多いです。自分の意見を主張しても理解されない、スレ違う、わかってもらえない、という人は。

「日本語」という共通言語を話しているため、さも話しているような気がします。コミュニケーションを取っている気がするものです。でもその多くは、

■「自分の都合のいいように」意味を変換して「聴いている」

のです。

それを「聴き耳」と言うのですが、

ことばではなく、相手が発しているメッセージの本質をキャッチできていないのです。キャッチできていないため、ことば尻だけをお互いがとらえ、そのことばに反応して、返してしまうのです。

それが人間関係や恋愛関係、夫婦関係や親子関係がズレる原因です。

その人が発している真のメッセージ、それがなにかをキャッチすることができ、ストンと受け止めることができれば、相手は落ち着いていきます。


これは「コミュニケーションのあり方」と言うのですが、コミュニケーションのあり方について、きちんとした形で学ぶ機会のない私たちは、スレ違ったまま、相手のせいや自分のせいにし、長い年月と労力だけを使ってしまいがちなんです。


■「ほんとうはなにを言いたいのか」

■「ほんとうはなにを訴えたいのか」

静かに自分を振り返り、自分の想いや相手の想いをキャッチすることです。


と言っても文字だけではその意味する所は、なかなか伝わらない、と思いますが。


結局、引き寄せられるかどうかは、

「人と話せるか、どうか」「話を聴けるかどうか」

です。自分の想いを人に話せ、要望を伝えられるかどうか、聴きたいことを聴けるかどうか、です。

それさえできれば、引き寄せるのはそう難しくはなくなるでしょう。

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