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いき る*コミュの生きているということ/いま生きているということ /泣けるということ/笑えるということ

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 高校2年の春、初めて親戚以外の葬式に出た。それは、俺の中学からの連れのNの母親のもので、その死因は殺人だった。

 それでもって犯人は父親だった。

 斎場であいつと顔を合わせたとき、何と声を掛けていいか分からなかった俺はただ「やあ」と言うのが精一杯だった。それに答えて「やあ」と言ったあいつの表情は一生忘れない。

 心痛の面持ちという表現がある。本来、人が心配するときに使う言葉なのだが、いったいどのような表情を思い浮かべるだろうか。

 その時のあいつの表情こそまさしくその言葉にふさわしいものだった。

 「やあ」と言ってあいつは軽く微笑んだ。

 人というものは、あまりに心が痛むと、微笑んでしまうらしい。




 俺とNはカトリック系男子修道士会が経営する中高一貫教育の学校に通っていた。その当時、新聞部に所属していた俺たちは、毎日のように会議と称しては、行きつけの喫茶店で煙草を吸いながら、くだらない話をしていた。

 あの日から数日後、久しぶりに学校に来たNと俺は、いつものように喫茶店へ足を運んだ。そこでやっぱり葬式の話になり、「やっぱ、あの場では泣けんわ。」と奴は言い、それから何となく最近いつ泣いたか、という話になった。

 そう聞かれて改めて気づかされたのだが、俺は、物心ついてから、泣いたことがない。そう答えた俺に、喫茶店のママが言った。
「ツグム君は、笑っているところも見たことないわ。」

 「ツグム君」とは、当時ビッグコミックスピリッツで連載されていた玖保キリコの『いまどきのこども』に出てくるヘビメタ好きで極端に無表情な子のこと。ママはこの子を漫画で見て以来「まるで君みたい」ということで、俺のことを「ツグム君」と呼び始めた。俺は、ヘビメタは趣味じゃない、とこの命名を穏やかに拒否したのだが、「そんな本質からずれた理由では通りません」と笑いながら却下された。

 俺は、幼少の頃からとにかく感情を表に出すことが苦手で、泣くことも笑うことも少なかったのだが、それが十代になると、感情表現をむしろ自分で抑制するようになり、高校生になる頃には、どんな時も無表情でいることが自然となってしまった。まあ実に可愛げのないガキだったのだが、それでも、それを丸ごと受け入れてくれる人もいたし、心配してくれる人もいたし、丸ごと受け入れてくれた上で心配してくれる人もいてくれた。



 俺たちが通っていた頃の校長先生は、経営母体の修道士会に属するカナダ人のブラザーだった。で彼ほど慈愛に満ちあふれた人物を俺は知らない。

 カトリック修道士会に属することは、生涯独身を貫くことを意味する。彼も独身で、当然子供もいなかった。だが、俺たち1200人の生徒全てが、彼にとって自分の子供だった。

 休み時間になると、必ず校内のどこかで生徒と談笑していた。先生の誰かが休むと、その受け持っているクラスに行っては、英語の授業をしてくれた。それが本当に楽しそうに教えてくれるのである。あまりに楽しそうなので、俺らも彼の授業は楽しかった。そして、俺たち1200人全員の顔と名前を覚えてくれていた。

 彼と話をするのはだいたい月に1回程度だったのだが、あの葬式以来頻度が増した。といってもおそらく彼はNに会うのが目的で、Nと連んでいた俺も話す機会が増えたというだけなのたが。とにかく、彼はいつものように俺たちに話しかけてきた。その話の内容は、とりたてて書くほどのことではなく、そもそもほとんど記憶にない。ただ覚えているのは、彼の愛情をひしひしと感じたこと、俺たちに語りかけてくるときの彼の笑顔、そして俺と話した後、いつも去り際に残していく一言

「あなたが笑うことができるよう、祈っています。」

 彼と話している時の生徒は、大概笑顔で受け答えしているのだが、俺はいつも礼儀正しく無表情で受け答えしていた。これではただの慇懃無礼と受け取られても仕方ないのだが、彼は、何度か俺と接するうちに、この子は感情表現が苦手なだけだと理解してくれたらしく、この3年程、去り際にあの一言を残していくようになった。これがうちの母親みたいに「あんたも楽しけりゃ笑えばいいのに」などと言われたら、反発してしまうところだが、「笑いなさい」ではなく「笑えたらいいね」でもなく、あの笑顔で「笑うことができるよう、祈っています」と言われたら、返す言葉もない。黙ってただ感謝するのみである。

 この一言で、中学から高校にかけての俺はかなり救われた。



 それからも、俺は相変わらず泣くことも笑うこともなく過ごし、その年の12月になった。



 そして、彼が亡くなった。



 2学期に入り、体育祭が終わって間もなく、彼の姿が校内から消えた。病気のため、モントリオール郊外の故郷で療養しているとのことだった。その時は「カナダならお見舞いにも行けない。クリスマスのミサに間にあえばいいんだけど」くらいしか思わなかった。そして突然
「今日、校長先生の追悼ミサを行います。」
とホームルーム中に言われ、自分の認識の甘さに気づかされるのである。

 そんなもんだから、彼と最後にどんな話をしたのか、全く覚えていない。まあ、最後の言葉はあの一言に決まっているのだが。



 呆然としながら式場の体育館に入ると、壇上は花で覆われ、正面には彼の遺影が掲げられていた。Nの隣に座り、ミサが始まるのを待っている間も「今年のクリスマスのミサはどうなるのだろう」といった下らないことしか頭に浮かんでこない。

 やがてミサが始まった。悲しくてしょうがないのだが、相変わらず泣けない自分がいる。ふと横を見ると、親の葬式でも泣かなかったNの目に涙が浮かんでいた。やりきれない気持ちになり、正面を向いた。いつもの笑顔で写る彼の姿がそこにはあり、そして俺は…





 人というものは、あまりに心が痛むと、微笑んでしまうらしい。


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