* 1 メンバー * 2 概要 * 3 バンドの歩み o 3.1 結成とデビュー o 3.2 1stアルバム「ザ・スミス」 o 3.3 2ndアルバム「ミート・イズ・マーダー」 o 3.4 3rdアルバム「クイーン・イズ・デッド」 o 3.5 4thアルバム「ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム」、そして解散 o 3.6 解散後のメンバーのキャリア o 3.7 ザ・スミスのその後 * 4 ディスコグラフィー o 4.1 シングル(UK) o 4.2 オリジナルアルバム o 4.3 ライブ盤 o 4.4 編集盤 * 5 脚注 * 6 外部リンク
ザ・スミスは1982年始め、2人のマンチェスター在住の青年が結成した。モリッシー(本名スティーブン・パトリック・モリッシー)は親と同居する無職のライターで、アメリカのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズのファンクラブを作り会報を発行していた。ジョニー・マー(本名はジョン・マー John Maher だが、バズコックスの同名のドラマー、ジョン・メイヤー John Maher との混同を避け改名した)は既にいくつかのバンドに参加したことのある腕のいいギタリストで作曲の才能もあり、モリッシーの文章の読者でもあった。マーがモリッシーを誘い、モリッシーの作る歌詞に曲をあてることでザ・スミスが始まった。簡単なドラマーのオーディションを行い、マイク・ジョイスが加入した。デイル・ヒバートが当初ベースを担当し、サウンド・エンジニアとして働くスタジオの施設と機材を貸してデモテープを作ったが、2回のライブのあとベーシストはマーの友人アンディ・ルークに代えられた。マーとルークはかつてパリス・ヴァレンティノスというバンドを結成していた仲である(メンバーにはケヴィン・ケネディがいたが、後に彼はマンチェスターを舞台にしたモリッシーも偏愛する長寿テレビドラマ『コロネーション・ストリート』の人気俳優となった)。
セールス的には好調が続いたが、メンバーの考え方の違い―特にモリッシーとマーの間の緊張が高まっていた―によってバンドは分裂の危機にあった。 1987年8月、NMEに掲載された「分裂に向かうスミス」(Smiths to Split)と題する記事をきっかけに、ついにマーがバンドを去ることが発表された。マーは当時この記事を、事実とは異なり、モリッシーの情報提供によるものと疑っていた[3]。マーの代わりのギタリストを募集するオーディションが行われ、アズテック・カメラのロディ・フレイムが加わるのではないかという憶測も当時はあったが、オーディションは成果なく終わった。9月には4枚目のアルバム『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』が発売された(「ストレンジウェイズ」とはマンチェスターの王立刑務所の名前でもあった)が、このアルバム発売後バンドは解散した。
ジョニー・マーは1989年、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとともにスーパーグループ「エレクトロニック(Electronic)」を結成して音楽界に復帰し、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントらを迎えてシングルを出すほか1990年代に3枚のアルバムを発表した[22]。彼は1987年末にプリテンダーズに在籍してツアーに参加し[23]、1989年から1993年までザ・ザのメンバーとなり1989年の『Mind Bomb』[24]、1993年の『Dusk』[25]と2枚のアルバムに参加している。その他セッション・ミュージシャンとして、楽曲提供者として、プリテンダーズ、ペット・ショップ・ボーイズ、ビリー・ブラッグ、ブラック・グレープ、ベック、オアシスらと活動している。2000年には別のバンド、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ(Johnny Marr & the Healers)を結成しているほか、プロデューサーとしても活動している。アメリカのオルタナティブバンド、モデスト・マウスのレコーディングに参加しアイザック・ブロックとも曲の共作を行ったことをきっかけに[26]、2006年夏、彼はモデスト・マウスの正式メンバーになりライブにも参加することが発表された[27]。さらに、2008年夏、クリブスに正式メンバーとして加入することが発表され、2009年のアルバム『Ignore The Ignorant』にも参加した[28]。
* ハンド・イン・グラヴ Hand In Glove -彼らのデビュー曲
* ジス・チャーミング・マン This Charming Man -初のインディース・チャート1位
* ホワット・ディファレンス・ダズ・イット・メイク ? What Difference Does It Make ? -ジャケットにテレンス・スタンプの写真を使い問題になる。詳細。
* ヘヴン・ノウズ Heaven Knows I'm Miserable Now
* ウィリアム William, It Was Really Nothing
* ハウ・スーン・イズ・ナウ ? How Soon Is Now ? -彼らの代表曲。他のロックンロール的な曲とは違い、こちらはニュー・ウェイヴ的である。
* シェイクスピアズ・シスター Shakespeare's Sister
* ザット・ジョーク・イズント・ファニー・エニモア That Joke Isn't Funny Anymore
* 心に茨を持つ少年 The Boy With The Thorn In His Side -ザ・スミスの作品で唯一邦題が付いている。
* ビッグマウス・ストライクス・アゲイン Bigmouth Strikes Again -ジャケットはジェームス・ディーン。
* パニック Panic -内容(後半部での、"Hang the DJ"-DJを吊るせ-と歌う箇所)が問題になる。もう1つの有名な曲。
* アスク Ask -バックボーカルはカースティー・マッコール。
* ショップリフターズ Shoplifters Of The World Unite -ジャケットはエルヴィス・プレスリー。モリッシーはこの曲を「スミスの曲でのお気に入り」と述べている。[要出典]
* シーラ・テイク・ア・バウ Sheila Take A Bow -モリッシーが初めて恋愛観について書いた曲。
* ガールフレンド・イン・ア・コーマ Girlfriend In A Coma -レーベルEMIへの移籍が決まった時に発表した。その後、ジョニー・マーが脱退する。
* アイ・スターテッド・サムシング I Started Something I Couldn't Finish
* サムバディ・ラヴド・ミー Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me -活動中のラスト・シングル
* ジス・チャーミング・マン This Charming Man、ハウ・スーン・イズ・ナウ ? How Soon Is Now ? 、ゼア・イズ・ア・ライト There Is A Light That Never Goes Out -解散後の1992年、販売権のWEAへの移動とベスト盤の発売に伴い、シングル・カットされた。
* アスク Ask -1995年に新しいベスト盤『Singles』の発売に伴い、シングル・カットされた。
オリジナルアルバム [編集]
* ザ・スミス The Smiths (1984年)
* ミート・イズ・マーダーMeat Is Murder (1985年)
* クイーン・イズ・デッド The Queen Is Dead (1986年)
* ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム Strangeways, Here We Come (1987年)
ライブ盤 [編集]
* ランク Rank (1988年)
編集盤 [編集]
* ハットフル・オブ・ホロウ Hatful Of Hollow (1984年)
* ザ・ワールド・ウォント・リッスン The World Won't Listen (1987年)
* ラウダー・ザン・ボム Louder Than Bombs (1987年)
* ストップ・ミー (1990年)
* ベスト Vol.1 BEST...1 (1992年)
* ベスト Vol.2 BEST...2 (1992年)
* ザ・スミス・ヒストリー Singles (1995年)
* ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・スミス The Very Best Of The Smiths (2001年)
* ザ・サウンド・オブ・ザ・スミス The Sound Of The Smiths (2008年)
U TUbe : http://www.youtube.com/watch?v=wcANDk_Q4Ho&feature=related