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キッス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Disambiguation この項目ではロックバンドのキッスについて記述しています。その他のキス、キッスについてはキス (曖昧さ回避)をご覧ください。
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KISS

2004年7月17日のアメリカ・ボストンでのコンサート
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
活動期間 1973年〜現在
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
レーベル カサブランカ
マーキュリー
サンクチュアリー
メンバー ジーン・シモンズ
ポール・スタンレー
エリック・シンガー
トミー・セイヤー
旧メンバー ピーター・クリス
エース・フレーリー
エリック・カー
ヴィニー・ヴィンセント
マーク・セント・ジョン
ブルース・キューリック

KISS(キッス)は、ニューヨーク出身のハードロック/ヘヴィメタルバンド。1970年代中期を代表するアメリカンヘヴィメタルバンドとして知られている。ヴィジュアル系バンドの原点の一つとも言われる。 1998年発売のPsycho Circus以来、スタジオアルバムの新作は出していない(ベスト盤を除く)。
目次
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* 1 略歴
* 2 ステージネーム
* 3 特徴
* 4 メンバーの移り変わり
* 5 ディスコグラフィー
* 6 日本公演
* 7 外部リンク

[編集] 略歴

1972年 ニューヨークでWICKED LESTERというバンドで活動していたジーン・シモンズとポール・スタンレーの二人が、より優れたバンド結成に向けて同バンドを脱退。 新バンドメンバー募集の広告を出したことにより、ピーター・クリスが加入。 そして、エース・フレーリーが加入して結成された。最初は"Fuck"というバンド名を考えていたらしいが、さすがにそれは止めたようだ。

1974年 アルバムKiss(キッス・ファースト 地獄からの使者)でデビュー。他のバンドとの差別化を図るためにメンバー全員でメイクをして素顔を隠した事は話題にはなるも、当初の人気は奮わなかった。続くアルバムHotter Than Hell(地獄のさけび)も、同様の結果だった。

1975年 アルバムDressed to Kill(地獄への接吻)発売。 同アルバムからのシングルカット作品である「Rock And Roll All Nite(ロックン・ロール・オール・ナイト)」がヒットする。 ライブで徐々に力を付け始め、大型ツアーであるDRESSED TO KILL TOURを敢行。 同ツアーを収録したライヴアルバムAlive!(キッス・ライブ 地獄の狂獣)が全米チャート9位に入るヒットを記録し、一躍人気バンドとなる。 日本では、これまでのオリジナルアルバムを一斉発売し、主要マーケットの一つとなった。

1976年 アルバムDestroyer(地獄の軍団)発売。 同アルバムからのシングルカット作品「Beth(ベス)」が大ヒットする。 DESTROYER TOURは、前年のツアーをも凌駕する観客動員数を記録した。 アルバムRock And Roll Over(地獄のロックファイアー)発売。 同アルバムからのシングルカット作品である「Hard Luck Woman(ハード・ラック・ウーマン)」がヒットする。

1977年 大阪厚生年金会館を皮切りに、初来日ツアーを果たす。オープニング・アクトにはデビュー間もないBOW WOWが起用されている。初来日時のツアー・パンフレットには、演奏される曲目があらかじめ印刷されており、アンコールも含めて綿密に計画されたパッケージ・ショウであることが裏打ちされていた。4月2日の日本武道館公演ではNHKによる撮影が行われ、後に「ヤング・ミュージック・ショウ」で放映された。 アルバムLove Gun(ラブ・ガン)、77年のライブとスタジオ新作を5曲収録したAlive ?(アライブ2)発売。 Love Gunは予約で100万枚を突破し、オリジナル作品歴代最大の売上を記録する。 Alive ?のシングルカットは「Rocket Ride」がヒット。この頃になるとKISSは全米を代表するバンドとなり、彼らの血液を赤インクに混ぜたものを使用したコミックまで発行された。しかし、同時期からバンド内の確執も起こっていた。 日本においては70年代後半を代表するバンドとしてエアロスミス、クイーンと共に「ミュージック・ライフ」誌などで特集が組まれ大人気を獲得した。 そして、暫くの活動休止を宣言する。

1978年 メンバーの各ソロアルバムが同時発売。エースのソロアルバム収録の「NEW YORK GLOOVE(HELLOのカヴァー曲)」がヒット。 リミックスを施したベストアルバムDouble Platinum(ダブル・プラチナム)発売。 NBCより映画「KISS MEETS THE PHANTOM OF THE PARK(地獄の復活)」が製作される。MEGO社より彼らのドールが発売。遊園地「KISS WORLD」の建設。最早ロックバンドというよりは、キャラクターと化していた。

1979年 2年振りのオリジナルアルバムDynasty(地獄からの脱出)発売。 ロックブームは下火となり、ディスコブームだった当時の流行を意識したシングルカット作品「I Was Made For Lovin' You(ラヴィン・ユー・ベイビー)」が世界中で大ヒットする。この頃のピーターは、アルコールやドラッグ中毒となっており、バンド内ではお荷物的な存在となっていた。

1980年 人間関係の亀裂から、ピーターが脱退。その直後に、アルバムUnmasked(仮面の正体)製作開始。彼の脱退は、アルバム発売と同時にに報じられる。暫くは3人だけで活動していたが、後任の2代目ドラマーとしてエリック・カーが加入する。 UNMASKED TOURは以前ほどの勢いは見られず、アメリカ本国では失敗。主要マーケットであるアメリカと日本での人気は、下火へ向かっていった。しかし、オーストラリアとブラジル、ヨーロッパでは逆に大ヒットを記録した。

1981年 最初で最後のコンセプトアルバムMusic From“The Elder”(〜エルダー〜 魔界大決戦)を発売。だが、売り上げはオリジナル作品歴代最低を記録することになる。この頃から、エースはバンドに失望を感じる様になる。

1982年 アルバムCreatures Of The Night(暗黒の神話)発売。 このアルバムのジャケット写真と同年発売のKiss Killers(キッス・キラーズ)のジャケット写真、『I Love It Loud(勇士の叫び)』のPVにはエースの姿はあるが、レコーディングには一切関わっておらず、エースは事実上脱退していた。大半の曲は、ヴィニー・ヴィンセント(この頃はヴィンセント・キュサーノと名乗っていた)がリードギターを担当している。ヴィニーの腕はメンバーに認められてはいたが、彼は正式メンバーにはされず、あくまでエースの代役としてツアーに参加した。

1983年 エースの脱退が公に報じられ、ヴィニーが2代目リードギタリストとして正式に加入。 アメリカ本国や日本での人気が低迷していた中、リオ公演にて歴代最大の観客動員数である13万人を記録した。 LAメタルブームに乗って製作したアルバムLick It Up(地獄の回想)発売。 心機一転を計るために、今までのメイクを止め素顔を初めてさらした。 しかし、人間関係の縺れからヴィニーが解雇される。だが、後任が決まらない事やツアーの関係から、再度雇用する事となる。

1984年 ツアーの終了後、ヴィニーが脱退(解雇)。 ツアーメンバーでもあったマーク・セント・ジョンを3代目リードギタリストとして急遽加入させ、Animalize(アニマライズ)を完成させた。Animalizeは100万枚の売り上げを記録した(80年代最大のヒット)。しかし、ANIMALIZE TOURの最中にマークは病気にかかりギターを弾くことが出来なくなったため、やむなく半年で脱退(病気は後に完治したが、KISSに復帰する事は無かった。彼の脱退は諸説あり、「ギタリストの神になる」という発言がジーンの気に障ったのも一つの原因と言われている)。後任は、ツアー中にマークの代役を担当していたブルース・キューリックが4代目リードギタリストとして加入する。そして、80年代はこのメンバーで定着する。

1985年 アルバムAsylum(アサイラム)発売。このアルバムもヒット作となり、再び上昇気流に乗り始める。

1987年 Crazy Nights(クレイジー・ナイト)発売。当時流行していたシンセサイザーを導入し、このアルバムはプラチナム・アルバムを記録した。

1988年 新曲を3曲収めたベストアルバム Smashes, Thrashes & Hits(グレイテスト・キッス)発売。名古屋市公会堂にて、10年振りの来日公演も果たす。

1989年 エリック・カーの初ヴォーカル曲を収録したアルバムHot In The Shade(ホット・イン・ザ・シェイド)発売。

1991年 オルタナブームに乗り、ヴィニーとの共作アルバムRevenge(リヴェンジ)の製作を開始。だが、エリック・カーが11月に悪性腫瘍を伴う脳出血で他界してしまう。だが、この悲劇を乗り越えエリック・シンガー(ポールのソロツアーメンバーでもあった)が3代目ドラマーとして加入する。

1992年 Revenge発売。数年振りに、ビルボードにランクインする。

1993年 92年のライブを収録したAlive ?発売。

1994年 TV局から100万ドルでオリジナルメンバーでの出演を依頼されるが、ポールとジーンは即座に断った。

1995年 「MTVアンプラグド」で元メンバーのエースとピーターを含めたラインナップでライヴ演奏を行ったことにより、オリジナルメンバーでの再結成が決定する。だが、それによりブルースとエリック・シンガーは脱退した(当初は有給休暇だったが、その後ブルースは完全に離脱した)。その模様を収めたライブアルバムKiss Unplugged(地獄の再会)発売。  

1996年 13年振りにメイクを施して行った、大規模な世界的ツアーALIVE/WORLD WIDE 96-97開始。

1997年東京ドームにて、オリジナルメンバーでの13年振りの来日ツアーも果たす。だが、大阪公演にてジーンが風邪で喉を痛めてしまい、彼のヴォーカル曲のほぼ全てがセットリストから外されるというハプニングも勃発。 オリジナルメンバーによるツアーは大きな話題を発し、大成功を収めて終了した。海賊版対策として、オルタナブーム時に製作しつつもお蔵入りとなっていたCarnival Of Souls(カーニヴァル・オブ・ソウルズ)発売。 しかし、オルタナブームは既に去っていた為、売り上げは低かった。 ALIVE/WORLD WIDE 96-97の終了後、仕切り直しとしてLOST CITIES TOURを開始(前回のツアーで行けなかった土地だけのツアー)。コロンバス公演のリハーサル中、ピーターが腕の不調を訴え、ドクターストップを宣告される。この日のライブは、エディー・キャノンというドラマーが一夜限りの代役(THE CATMANのメイクも施した)を務めるが、彼のドラムと演奏が殆ど噛み合わないというKISS史上に残るハプニングとなった。

1998年 アルバムPsycho Circus(サイコ・サーカス)発売。話題にはなるも、売り上げは今一つという結果に終わる。だが、同アルバム名を掲げたPSYCHO CIRCUS TOURは無事成功を収めた。

2001年 KISSが解散を宣言(後に完全に破棄)。 THE FAREWELL TOURの直前に、ピーターが再び脱退。ツアーが危ぶまれたが、元メンバーのエリック・シンガーが復帰。ツアーを無事敢行した。

2002年 ソルトレイクシティオリンピックの閉幕式に突如飛び入り、「Rock And Roll All Nite」を演奏。このステージを最後に、エースが再び脱退する。 元Black ‘N Blueのトミー・セイヤー(89 年頃から、裏方やツアーマネージャーとして活動、アルバム『Psycho Circus』のレコーディングにも参加)が、エースの代役として出演したのをきっかけにして、5代目リードギタリストに抜擢。そして、同時期にピーターが再び復帰し、エリック・シンガーはまたも脱退。

2003年 10月16日 LAのクラブで発砲事件が発生。偶然居合わせたブルースが脚を撃たれ、頭部にも掠り傷を負ってしまう。幸いにも、彼の命に別状は無かった。

2004年 ピーターが3度目の脱退、エリック・シンガーが再び復帰。

2006年 ファンが200人集まり、ロック殿堂博物館前でKISSのロック殿堂入を要求するデモが行われる。十分な資格と功績のあるKISSが殿堂に招かれないことに不満らしく、ボードを掲げて30分の抗議活動を行なった。殿堂博物館によれば、こうしたデモは初めてのことだという。 7月23日 日本のUDO MUSIC FESTIVALに出演。大阪と静岡で、KISS史上初の野外ライブを行った。

2007年 4月5日 マークが脳出血で他界。享年51歳。 7月27日カルフォルニア公演当日のリハーサル中に、ポールの心拍数が突如通常の2倍に上がってしまい病院に搬送される。だが、この日のライブは代役を起用せず、ポールを除く3人で決行した(ポール不在のライブは初であり、KISS史上最大のハプニングライブとなった)。ポールは、「この借りはいつか必ず返すよ」とコメントを残した。

[編集] ステージネーム

一部のメンバーを除き、ステージネームと設定が与えられている。

DEMON(ジーン・シモンズ) 地獄からやって来た悪魔という設定。空を飛び、炎を吐く。

STAR CHILD(ポール・スタンレー) とある遊星からやって来た怪人という設定。

SPACE MAN(エース・フレーリー、トミー・セイヤー) 宇宙人という設定。眼から光線を発する。SPACE ACEと表記される事もある。

CATMAN(ピーター・クリス、エリック・シンガー、エディー・キャノン) 猫の怪人という設定。98年にファンタジーコミック化した際は、敵として登場。

FOX(エリック・カー) 狐の怪人という設定以外の詳細は不明。当初はRUSTY BLADEという名前だった。

ANKH WARRIOR(ヴィニー・ヴィンセント) エジプトの戦士という設定以外の詳細は不明。魔術師という設定も考えられていた。 


[編集] 特徴

デビュー当時からメンバー全員が顔面白塗りの奇抜なメイクをしていることで有名だった。特に日本の初期のヘヴィメタルファッションに多大な影響を与えており、キッスがなければ聖飢魔IIや、X JAPAN以降のヴィジュアル系バンドは存在しなかったとも言われる。

当初のバンドのコンセプトは「アメリカ版ビートルズ」であり、メンバー各々(ヴィニー・ヴィンセント、マーク・セント・ジョン、トミー・セイヤーは除く)にリードヴォーカル曲がある。

ジーンは自伝『Kiss And Make-Up』において(70年代の日本の雑誌のインタビューでは歌舞伎の影響があったことを話しているにも関わらず)、メイクが歌舞伎から発想を得ている事を否定している。

邦題によく「地獄」と付く事でも有名。2ndアルバム「Hotter Than Hell」に最初から「地獄のさけび」という日本語のタイトルが付けられていたことがきっかけとなったのか、後に初期の作品が日本においてまとめて発売された際に、「地獄」とは何の関連もない原題のアルバムにまで「地獄の〜」という邦題が付けられることとなった。ことステージにおけるジーン・シモンズの過激なパフォーマンス(口から火を噴く、血に似たものを演奏中に突如吐き出す、あるいはワイヤーアクションによって宙を舞う)の鮮烈さも相俟って、ややもすると的を射た意訳であると解釈される場合もあるが、しかしジーンが上述の自伝の中で述べている限りではステージで行われる数々のパフォーマンスはあくまでも「ショウにおけるアトラクション」という位置づけにあるようだ。

代表曲「デトロイト・ロック・シティ」に象徴されるように特にデトロイトで絶大な人気を持つが、バンド自体はニューヨークで結成されており、デトロイト出身ではない。同じく代表曲「I Love It Loud」の最初のメロディは日本でも馴染みが深く、浦和レッズのサポーターによるチャント「ウォリアー」の原曲となっている。また全日本プロレスなどに参戦したプロレスラー、スティーブ・ウィリアムスの入場テーマ曲でもある。

ちなみに、キヤノンのカメラ「EOS Kiss Digital」の2005年〜2006年のCMで、西洋人の子供4人(男の子2人,女の子2人)が顔にKISSのペイントをして、歌詞こそ違えど「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You)」を歌うというものが放送されていた。

[編集] メンバーの移り変わり

特に80年代〜現在にかけて、メンバーチェンジが激しいバンドでもあった。加入〜脱退、再加入〜再脱退が目立つのも特徴(一部メンバーは、一時的な脱退でもある)。

* 第1期(1973〜80年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリス

* 第2期(1980〜82年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、エリック・カー

* 第3期(1982〜1983年、1983〜84年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ヴィニー・ヴィンセント(83年に一度クビになるが、ツアー等の都合上84年まで在籍)、エリック・カー

* 第4期(1984年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、マーク・セント・ジョン、エリック・カー

* 第5期(1984〜91年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ブルース・キューリック、エリック・カー

* 第6期(1991〜96年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ブルース・キューリック、エリック・シンガー

* 第7期(1996〜2001年にかけての第1期メンバー再結成であるが、敢えて記載)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリス

* 第8期(2001年〜2002年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、エリック・シンガー

* 第9期(2002年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、トミー・セイヤー、エリック・シンガー

* 第10期(2002〜2004年)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、トミー・セイヤー、ピーター・クリス

* 第11期(2004年より現メンバー。第9期と同メンバーであるが、あえて記載)

 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、トミー・セイヤー、エリック・シンガー

[編集] ディスコグラフィー

* 1974年 Kiss  キッス・ファースト 地獄からの使者
* 1974年 Hotter Than Hell  地獄のさけび
* 1975年 Dressed to Kill  地獄への接吻
* 1975年 Alive!  キッス・ライブ 地獄の狂獣
* 1976年 Destroyer  地獄の軍団
* 1976年 Rock and Roll Over  地獄のロックファイヤー
* 1977年 Love Gun  ラブ・ガン
* 1977年 Alive ?  アライブ2
* 1978年 Double Platinum  ダブル・プラチナム
* 1979年 Dynasty  地獄からの脱出
* 1980年 Unmasked  仮面の正体
* 1981年 Music From“The Elder”  〜エルダー〜 魔界大決戦
* 1982年 Kiss Killers  キッス・キラーズ
* 1982年 Creatures Of The Night  暗黒の神話
* 1983年 Lick It Up  地獄の回想
* 1984年 Animalize  アニマライズ
* 1985年 Asylum  アサイラム
* 1987年 Crazy Nights クレイジー・ナイト
* 1988年 Chikara  パワー
* 1988年 Smashes, Thrashes & Hits  グレイテスト・キッス
* 1989年 Hot In The Shade  ホット・イン・ザ・シェイド
* 1992年 Revenge  リヴェンジ
* 1993年 Alive ?  アライブ3
* 1995年 Kiss Unplugged  地獄の再会
* 1996年 You Wanted The Best,You Got The Best
* 1996年 Greatest Kiss
* 1997年 Carnival Of Souls  カーニヴァル・オブ・ソウルズ
* 1998年 Psycho Circus  サイコ・サーカス
* 2003年 Alive ?  アライブ4 〜地獄の交響曲〜
* 2004年 「キッスゴールド1974−1982スーパー・ショック・プライス」

[編集] 日本公演

* 1977年

3月24日,25日 大阪厚生年金会館、26日 京都会館、28日 愛知県体育館、30日 福岡市九電記念体育館、4月1日,2日(昼夜2回),4日 日本武道館

* 1978年

3月28日,29日,31日,4月1日,2日 日本武道館

* 1988年

4月16日 名古屋市公会堂、18日 大阪城ホール、20日 横浜文化体育館、21日,22日 日本武道館、24日 国立代々木競技場第一体育館

* 1995年

1月24日 大阪城ホール、24日 九州厚生年金会館、28日 名古屋センチュリーホール、1月30日,31日 日本武道館

* 1997年

1月18日 東京ドーム、20日 名古屋レインボーホール、21日,22日 大阪城ホール、24日 福岡国際センター、25日 広島サンプラザ

* 2001年

3月9日,10日 横浜アリーナ、13日 東京ドーム、16日 福岡国際センター、18日 名古屋レインボーホール、21日,22日 大阪城ホール

* 2003年

3月11日,12日,13日 日本武道館、15日 横浜アリーナ

* 2004年

5月27日,28日,29日 日本武道館、31日 大阪城ホール、6月2日 名古屋レインボーホール、3日 石川産業展示館

* 2006年

Rising Sun Tour 2006
7月18日 名古屋レインボーホール 7月20日 福岡国際センター
Udo Music Featival
7月22日 泉大津フェニックス、23日 富士スピードウェイ

[編集] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、キッスに関連するマルチメディアがあります。

* KISSONLINE 公式サイト (英語)
* KISS DRESSED TO PLAY 公式サイト (ポルトガル語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B9


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KISS
(きっす) [キッス]
KISSの写真キッス:くちすい。接吻。相手の唇・頬・手などに唇をつけ、愛情・尊敬を表すこと(広辞苑調べ)。
上記のような「キッス」本来の意味から百万光年の隔たりをなす、この地獄のロック軍団は、74年に『地獄からの使者〜キッス・ファースト』でデビューを飾る。コミカルな白塗りメイク、ド派手な衣装、とことんキャッチーな楽曲で話題となった彼らは、75年のライヴ盤『アライヴ〜地獄の狂獣』で絶頂期に突入。エンターテインメントの限りを尽くしたライヴが、キッス最大の魅力であることを証明してみせたのだった。その後は破竹の勢いでヒットを飛ばし、アメリカのみならず全世界の人気者となっていく。80年代に入り、トレード・マークの白塗りメイクをやめ、メンバー・チェンジを繰り返しつつも、目まぐるしく変遷するミュージック・シーンをしぶとくサヴァイヴしていった彼ら。やはりミュージシャン/ソングライターとしての力量がタダモノではなかったからこそだろう。
96年には、オリジナル・メンバーで再結成。アノいでたちでワールド・ツアーを敢行。世界各国で「ロックンロール・オール・ナイト」のアツいシング・アロング(←大合唱)が巻き起こったのであった(感動)。
当初、「20世紀中に解散する」と発表していた彼らだが、01年春、00年夏以降中断していたフェアウェル・ツアー『THE FAREWELL TOUR 1973-2001』を再開し、同年3月に来日公演を敢行。02年には、ソルトレーク冬季オリンピック閉会式でパフォーマンスを披露、そして03年2月には、メルボルン交響楽団と共演(30周年記念スペシャル・コンサート『Kiss Symphony』)して世間を騒がすなど、世紀を超えてもまだまだ地獄のロック軍団の快進撃は続くのであった。
KISSのオフィシャルサイト:http://www.kissonline.com/

* KISSの音楽ダウンロードタイトル一覧 (20件)
* KISSの音楽ダウンロード全曲一覧 (322曲)
*      KISSのCD/DVDタイトル一覧
http://listen.jp/store/artist_10130.htm

U Tube;http://youtube.com/results?search_query=KISS&search=Search

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