1974年 アルバムKiss(キッス・ファースト 地獄からの使者)でデビュー。他のバンドとの差別化を図るためにメンバー全員でメイクをして素顔を隠した事は話題にはなるも、当初の人気は奮わなかった。続くアルバムHotter Than Hell(地獄のさけび)も、同様の結果だった。
1975年 アルバムDressed to Kill(地獄への接吻)発売。 同アルバムからのシングルカット作品である「Rock And Roll All Nite(ロックン・ロール・オール・ナイト)」がヒットする。 ライブで徐々に力を付け始め、大型ツアーであるDRESSED TO KILL TOURを敢行。 同ツアーを収録したライヴアルバムAlive!(キッス・ライブ 地獄の狂獣)が全米チャート9位に入るヒットを記録し、一躍人気バンドとなる。 日本では、これまでのオリジナルアルバムを一斉発売し、主要マーケットの一つとなった。
1976年 アルバムDestroyer(地獄の軍団)発売。 同アルバムからのシングルカット作品「Beth(ベス)」が大ヒットする。 DESTROYER TOURは、前年のツアーをも凌駕する観客動員数を記録した。 アルバムRock And Roll Over(地獄のロックファイアー)発売。 同アルバムからのシングルカット作品である「Hard Luck Woman(ハード・ラック・ウーマン)」がヒットする。
1978年 メンバーの各ソロアルバムが同時発売。エースのソロアルバム収録の「NEW YORK GLOOVE(HELLOのカヴァー曲)」がヒット。 リミックスを施したベストアルバムDouble Platinum(ダブル・プラチナム)発売。 NBCより映画「KISS MEETS THE PHANTOM OF THE PARK(地獄の復活)」が製作される。MEGO社より彼らのドールが発売。遊園地「KISS WORLD」の建設。最早ロックバンドというよりは、キャラクターと化していた。
1979年 2年振りのオリジナルアルバムDynasty(地獄からの脱出)発売。 ロックブームは下火となり、ディスコブームだった当時の流行を意識したシングルカット作品「I Was Made For Lovin' You(ラヴィン・ユー・ベイビー)」が世界中で大ヒットする。この頃のピーターは、アルコールやドラッグ中毒となっており、バンド内ではお荷物的な存在となっていた。
1982年 アルバムCreatures Of The Night(暗黒の神話)発売。 このアルバムのジャケット写真と同年発売のKiss Killers(キッス・キラーズ)のジャケット写真、『I Love It Loud(勇士の叫び)』のPVにはエースの姿はあるが、レコーディングには一切関わっておらず、エースは事実上脱退していた。大半の曲は、ヴィニー・ヴィンセント(この頃はヴィンセント・キュサーノと名乗っていた)がリードギターを担当している。ヴィニーの腕はメンバーに認められてはいたが、彼は正式メンバーにはされず、あくまでエースの代役としてツアーに参加した。
1983年 エースの脱退が公に報じられ、ヴィニーが2代目リードギタリストとして正式に加入。 アメリカ本国や日本での人気が低迷していた中、リオ公演にて歴代最大の観客動員数である13万人を記録した。 LAメタルブームに乗って製作したアルバムLick It Up(地獄の回想)発売。 心機一転を計るために、今までのメイクを止め素顔を初めてさらした。 しかし、人間関係の縺れからヴィニーが解雇される。だが、後任が決まらない事やツアーの関係から、再度雇用する事となる。
2001年 KISSが解散を宣言(後に完全に破棄)。 THE FAREWELL TOURの直前に、ピーターが再び脱退。ツアーが危ぶまれたが、元メンバーのエリック・シンガーが復帰。ツアーを無事敢行した。
2002年 ソルトレイクシティオリンピックの閉幕式に突如飛び入り、「Rock And Roll All Nite」を演奏。このステージを最後に、エースが再び脱退する。 元Black ‘N Blueのトミー・セイヤー(89 年頃から、裏方やツアーマネージャーとして活動、アルバム『Psycho Circus』のレコーディングにも参加)が、エースの代役として出演したのをきっかけにして、5代目リードギタリストに抜擢。そして、同時期にピーターが再び復帰し、エリック・シンガーはまたも脱退。
ジーンは自伝『Kiss And Make-Up』において(70年代の日本の雑誌のインタビューでは歌舞伎の影響があったことを話しているにも関わらず)、メイクが歌舞伎から発想を得ている事を否定している。
邦題によく「地獄」と付く事でも有名。2ndアルバム「Hotter Than Hell」に最初から「地獄のさけび」という日本語のタイトルが付けられていたことがきっかけとなったのか、後に初期の作品が日本においてまとめて発売された際に、「地獄」とは何の関連もない原題のアルバムにまで「地獄の〜」という邦題が付けられることとなった。ことステージにおけるジーン・シモンズの過激なパフォーマンス(口から火を噴く、血に似たものを演奏中に突如吐き出す、あるいはワイヤーアクションによって宙を舞う)の鮮烈さも相俟って、ややもすると的を射た意訳であると解釈される場合もあるが、しかしジーンが上述の自伝の中で述べている限りではステージで行われる数々のパフォーマンスはあくまでも「ショウにおけるアトラクション」という位置づけにあるようだ。
代表曲「デトロイト・ロック・シティ」に象徴されるように特にデトロイトで絶大な人気を持つが、バンド自体はニューヨークで結成されており、デトロイト出身ではない。同じく代表曲「I Love It Loud」の最初のメロディは日本でも馴染みが深く、浦和レッズのサポーターによるチャント「ウォリアー」の原曲となっている。また全日本プロレスなどに参戦したプロレスラー、スティーブ・ウィリアムスの入場テーマ曲でもある。
ちなみに、キヤノンのカメラ「EOS Kiss Digital」の2005年〜2006年のCMで、西洋人の子供4人(男の子2人,女の子2人)が顔にKISSのペイントをして、歌詞こそ違えど「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You)」を歌うというものが放送されていた。