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ジュリエット・アドベンチャーコミュの高校教師との対決物語

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昨日の夜、珍しくテレビで「金スマ」を見ました。
若かった頃に卓球のチャンピオン選手だったという80歳くらいの一人のおばあちゃんを紹介していました。過去の栄光のVTRが流れ、そして現在も卓球の講師として活躍しているということでした。そして彼女をスタジオにに招待して、芸能人相手にちょっとした試合を行ったのです。

試合が始まると緊張が走る!プレーヤーだけでなく、観客の間にも。。。。
卓球に自信のある芸能人。80過ぎても誰にも負けまいとおばあちゃん。

一球、一球、対立者が燃えています。




それをを見て、思い出しました。

私の卓球の「人生の大決戦!」と呼べるあの日のこと。。。。

ちょっと長い話ですが・・・


それは高校一年生の時のことでした。。

中学三年生までパリの日本人学校に通っていた私は、15歳で始めてフランスの地元の高校に入りました。
9月の新学期。全てがカルチャーショック。
クラスメートはタバコ スパスパ〜。女の子はお化粧ばっちり〜。
決して不良の高校ではないのです。それなりに格式のある学校でもあったのですが・・・
フランスでは、小学一年生のときから、勉強についていけない子は、その子のためにということで落第させられるので、高校一年生にもなると16歳、17歳などの生徒が15歳ほやほやの子と一緒になってしまうのです。この年齢差は結構大きくてドギマギするものでした。

さて、今回のお話は歴史の先生と私の間に繰り広げられた対決のストーリーです。

私はもともと、パリ日本人学校で歴史の成績があまりよくありませんでした。地理もそうなのですが、パリで生まれ育って、日本の奥羽山脈だ、豊臣秀吉だ、なんて勉強させられてもぜんぜん頭に入りませんでした。一方、日本の教科書で学ぶ西洋の地理や歴史にも説得力はありませんでした。

ま、日本語の読み書き、算数や理科は大丈夫だったし。フランス語の読み書きはフランス人だった母に特訓されたおかげでそれなりにできていました。

で、フランスの高校で初の歴史の授業を受けた時です。先生がいきなり黒板に向かって何かを書き始めました。大きな字で「第一次世界大戦前の状況と戦争勃発のきっかけ」と。そして、くるりとこっちを向き「はい、どうぞ、1時間以内で作文にまとめなさい!」

ギョエ〜。
パリ日本人学校で、()内をABCDから選べ、というテストしか受けてこなかった私は目がパチパチ!!


サ、サクブン!!!!
ダイイチジセカイタイセン(???????)

結局、ほとんど白紙で用紙を返し、立派な零点をいただきました。

そんなことで、歴史の先生には初日から睨まれてしまいました。

さてさて、その一ヶ月ほど後に修学旅行が予定されていて、それがなんと、なんと、イタリア、ベネチア旅行と決まりました。

大興奮です。

だが、問題は一つ。
30人ほどの生徒を引率する3人の先生のリーダーがこの、歴史の先生だったのです!

アスケナジ先生。30代半ばか後半くらいか。でも、髪の毛は相当薄くなっていながら頭皮をなんとか隠そうとする髪型が確かにおかしく見えていたのは覚えています。
そしてやはり、私をいつも睨み、その軽蔑するような眼差しが私にはとても重たかったのです。

でも、ベネチア旅行は楽しみ!しかも、その頃にはとても仲のいい女の子の友達ができていたので、彼女と一緒に旅ができることにわくわくしていました。彼女は学年一の美女でモテモテの女の子でした。私よりはおませさんだったかも。

さあ、修学旅行の出発の日がやってきました。旅立ちはパリからの夜行列車。男女別々に分けられた寝台車で一晩寝て、朝にはベネチア到着という予定です。消灯が過ぎ、アスケナジ先生の見回りが済むといきなり、男子生徒3・4人、私と友人の寝台に入ってきました。えっ、と驚くと、友人が「これからパーティよ!!」と笑いながらいい、男子たちは隠し持ってきたウィスキーの瓶を差し出してきたのです。

「だめよ!」きっぱり、私が言うと、みんな、「えええ?」という顔。「お酒は絶対だめ!」「成長に悪いし」と言いながら私はボトルをつかんで、寝台から通路への扉を開けて「捨ててくる!」と宣言したのです。みんな「やめて〜」とざわめき、あれこれ言い合いの結果、飲むんだったらここじゃない場所で、飲まないんだったら、ここでしばらく楽しく一緒に過ごしてから解散する、と提示した選択妓の中で、みんな飲まないで残ることを選んだのです。ということで、私はウィスキーを捨てに行くため通路に出て、そこで窓をあけ、瓶を逆さにして空けてしまいました。
良し!!!
空のボトルを手に、みんなのいる寝台に戻ろうとした時です。通路の向こうから姿を現したのがアスケナジ先生!
ギャアアアアア、やばい!!!ボトルはもう隠せません。
ツカ!ツカ!私のところまで来ると先生は「消灯が過ぎていてどういうことでしょうか!!!!」と睨みを聞かして怒りを表しています。そして・・・・私が持っているものに目がいき、私の腕をつかみ持ち上げ、「いったいこれはどういうことでしょうか」と凍りつくような声で聞きました。
「トイレに行ったときに通路に落ちていたので拾って捨てようとしていたところです。」
とっさに応えました。数メートル先の寝台に男女が一緒にいることがバレませんように。(と祈りながら)。そして先生を反対側に連れ出して、「ここに落ちていました。」とデタラメをいうと、「ふざけるのもいい加減にしなさい!!!」寝台車中に響く声で怒鳴り出しました。もう何を言っても、私が飲んだとしか信じない先生。怒鳴り声が止みません。生徒がぞろぞろ寝台から通路に顔を出し、「何事か?」とガヤガヤする中、男子生徒は騒ぎにまぎれて男子車両へと帰っていくのが見えました。
私は、「お酒飲んでいたらお酒臭いでしょ!」としきりに言っても、先生はいっさい聞こえないようでお説教をしばらく続け、いきなり、「全員もう寝なさい!」と今度は全生徒に対して怒り出し、どたばたの中で眠った初日となったのです。とてもまずいスタートを踏んだのは確かでしたが、自分は悪くないという思いが強かったので、アスケナジ先生ごときで旅行を台無しにされてたまるか、という気持ちで旅が始まりました。

翌朝、ベネチアにつくとホテルに荷物を預け、町を少し散歩したあと、美術館見学が予定されていました。同級生たちにとっては退屈な時間だったかもしれませんが、私は父も祖父も画家であったため、絵が好きでした。美術館にあったルネッサンス絵画にはとても興味があったのです。そして、なんとアスケナジ先生はルネッサンス絵画が得意分野だったのです。大好きな絵画の前で語る語る!情熱的に、手で大きなしぐさをして一枚一枚の絵画を夢中で解説します。
かわいいところあるじゃない!しかも、結構興味がそそられるいい話です。
突然、けたたましい「リリリリリリリ〜」という耳をつんざく防犯ベルのような音が聞こえてきました。私たちのいるホールのドヤドヤっと大勢の警備員が走って現れました。そしてなんと私たちのところに駆けつけたのです。
イタリア語とフランス語で「絵を触ったのは誰だ?」と叫んでいます。
あっ、先生は確かに今、解説に燃えている最中に、絵の構造の説明をするのに、絵を触ったところだったのです。犯人は先生!
私は自分の中でくくく〜と笑いが込みあがってきました。
「この子が絵を触りました」と先生はいきなり警備員に私を指差したのです。
えええええ????????????
違います。触っていません。としきりに応えても、警備員は教師の言葉を信じるばかり。
結局、怒られて注意されたのは私です。
なんて卑怯な!!!!!
警備員が去ると、ショック状態で私は固まってしまいました。先生は私をそっちのけでまた、絵の説明に戻りました。そしてわずか数秒後、その大きなしぐさで再び絵に触ってしまい、再び防犯ベルが鳴り響いたのです。警備員が再度あわてて駆けつけ、誰だ?と怒鳴ると、先生は真顔でまた私を指差し、警備員に再びこっぴどくしかられる羽目になりました。唖然、呆然!!!

私はアスケナジ先生から離れました。そしてすみっこで親友に怒りを打ち明けている時でした。同行していた別の先生が私のところにやってきたのです。「お気の毒に」。「あなたじゃないのはわかってるわ。」「言い出せなくてごめんね。」と謝ってきます。
そんなあああ、守ってほしかったのにい。その女性の先生はアスケナジ先生が苦手というか、かなわないようで、いつも何も言い出せなくて困っているのだと話してくれました。
先生同士でもそんなことがあるんだあ、と思っていると、その女性の教師が「申し訳ないけれど、もういちど、怒られてもらってもいいかしら」と変なことを言い出したのです。
は????どういうこと?
「今はもう2時近く。本当は午前中にここの見学を終えて昼食タイムをとるはずだったのだけれど、大幅に遅れていて、子供たちもみんなおなかがすいてると思うの」「でも、アスケナジ先生、まったく気づかないで熱く語っていて、それをとめることなんて到底、私にはできない。」
そんなあああああ。
でも、確かにぺこぺこ。
もう、どうでもいいや、こんなに怒られてるんだから一回増えたって同じ!という気分になり、私は腕時計をはずしてポケットに入れ、アスケナジ先生のほうへ歩いていきました。先生のそばまで来ると、そこにいたほかの生徒に向かって大声で「今何時か教えてもらえる?時計を忘れてきちゃったみたい。」と切り出しました。先生は自分のスピーチの最中に声を上げた私にまたまた怒りをぶつけようとしているのが目に見えたのですが、その時、友達が「あ、もう二時過ぎている」と答えたのを聞いて、あわてて生徒を集め美術館の見学を終了させたのです。女性教師はそっと私のほうに来て、「怒られないで成功したわね。すごいじゃない!」と感嘆の様子。
みんな変!!!!そんな気分でした。

その日の後半はアスケナジ先生との対立は特に何も起きず、夜を迎えました。
消灯の時間が過ぎたくらいの時、私はホテルの部屋で頭を逆さまにして髪の毛をとかしていました。ルームメートはもう眠っていて、私も髪の毛をとかし終えたら寝るつもりでした。そこで、コンコン。ノックする音がしたので扉をそおおっと開けると、
ぎゃおおおおおおお! アスケナジ先生が立っています。
「消灯が過ぎているのに明かりがドアのしたから漏れているのは君の部屋だけだ!しかも起きている気配もある。けしからん。消灯は消灯。寝る時間を君は今日も守れないのか!!!!」と怒り出します。
私は手に持っていたブラシを見せて、「パジャマも着ていて、ブラッシングさえ済めば寝るつもりでした!」「決して遊んだり騒いだりしているのではありません!!!!」と反論。
「そんなのウソだ!」
その言葉を聴くなり、私は逆上してしまい、大声で「先生のように髪の毛が少ない人にはわからないかもしれませんが、髪の毛がいっぱいあると夜、こうしてとかして寝ないと朝が大変なんです!!!!!」
やってしまいました!オオドジ!!!ハゲのことはタブーって知っていたのに!!!
アスケナジ先生、目が飛び出るほど怒り炸裂。またしても大声で私の反抗精神を非難し、ホテルの廊下にその声が響き、各部屋から生徒やら宿泊客やらが出てきて、何事?とざわめくほどのおおごととなり、最終的には私も、ほかの生徒もさっさと寝るようにと怒鳴られ・・・・こうして二日目が終わったのです。
もういやだなあ、明日は少し控えめにしよう。と心に決めました。

3日目。ベネチアの町をフリーに見学する時間が設けられました。OO時にXXXの船着場に集合。そこは公共のバス代わりにベネチア市民が日常的に使わうバポレットという船のいわゆるバス停みたいな船の駅です。そのバポレットに乗って次の見学場所に行くことになっていました。
アスケナジ先生と別れて、私はほっとして楽しい時間がすごせました。もちろん、集合時間には遅れず、他の生徒の中にまぎれておとなしくしていました。
船着場はどんどん混雑してきました。船が到着してみんな乗った時の事でした。アスケナジ先生が「一人足りない!!」「xx君がいない!」と叫びだしたのです。船にはどんどん他の客が乗りこみ、私たちの団体は奥へと押されていっています。アスケナジ先生はその逆方向を進み、船着場に戻って「彼を探してくる!次の見学場所で待っててくれ」と叫んだのです。その状況を見て、私もあわてて人の間を縫って船の端までたどりつき、船が桟橋を離れる瞬間に飛び降りたのです。アスケナジ先生、私の勝手な行動を見て、またまた、怒り出します。「なんて勝手な!迷子一人で十分なのに君はまた私を困らせたいのか。」非難ごうごう。
私は、先生がxx君を捜しに行っている間に彼がここに来てお互いをミスってしまうのではないかと気にして船から降りてきたのだと。一人がここで待ち、一人が探すほうが成功すると思って降りたんだと、一所懸命説明しましたが、まったく聞く耳を持ちません。怒鳴ってばかりいます。すると、次に船を待つために集まっているイタリア人たちがこの言い合いを間近で聞いていて、いきなり、アスケナジ先生を攻めだしたのです。娘っ子のほうが正しいじゃないか!って。
わお〜。
住民が私の味方になっちゃ先生もかなわないようで、突然「xx君を探してくる。」「君は絶対にここから動くな。」と吐いて町に消えてしまいました。
案の定、5分もたたないうちにその生徒はべそをかきながら「迷っちゃった〜」と船着場に現れ、私を見つけてほっとした様子。10分以上も待って先生がやっと戻ってきたのです。先ほどの住民たちもそこにいたので、(イタリア人って本当にフランス語が達者な人が多いです)、茶化され、恥をかいたアスケナジ先生は一言も発せずに次の船が来ても黙って乗り込み、3人沈黙の中でみんなと合流を果たしたのでした。

また、怒らせちゃった。でも、私、悪くない!!!

でもアスケナジ先生は相当私に腹が立っていたようです。私がどれほど彼の恨みを買っていたのかがその日の午後に明らかになるのでした。

その日は天気予報では晴れだったので、みんな雨具を持たずに出かけていました。昼食が済んでグループ全体で街中を見学しているといきなりスコールのような強い雨が降り出し、気温がぐっと下がり、ずぶぬれになった私たちはあわてて近くにあったカフェに入り雨宿りをすることになりました。みんな寒くて仕方がありません。アスケナジ先生がみんなにおごると言い、オーダーを取りました。「ホットコーヒーの人?」と聞くとみんな手を上げます。「何か他の飲み物がいい人いますか。」アスケナジ先生が続けて聞きます。手を上げたのは私だけ。(あれ?)私はコーヒーが苦手なのです。「紅茶ください。」と言うと「ああ、わかった。」と先生。そしてウェイターがドリンクを運んでくると、私には氷たっぷり入った特大のコカコーラが差し出されたのです。ウェイターにオーダーが間違っていると指摘すると、彼は「このとおりあちらの方からオーダーを受けました」、とアスケナジ先生を指差したのです。先生はにんまりと笑い、「他のオーダーは許さないぞ」と怒鳴ってきます。なんて醜い人なんだ。怒りと軽蔑の気持ちが一層膨らんでいきました。

4日目。この日はガラス工房のあるムラーノという島に行くことになっていました。
天気は回復して真っ青な青空に太陽さんさん。とても気持ちのいい日です。島に行くにはタクシー代わりのモトスカフィというモーターボートを貸切りで使います。前のほうに運転席があり、後ろ3分の2が屋根のついた個室で向かい合ったシートに客人が座って乗るスタイルの船です。一隻につき最高12人まで乗せられるということで、3グループに分かれて乗りました。
私は運よくアスケナジ先生とは別の船に乗ることができてほっとしました。美女の親友と一緒に乗り込むと、典型的なイタリアンナンパ男の若い運転手は私たち二人を見るなり、「お〜美女の乙女たちはどうか、後ろの座席でなく、僕の横に座ってもらえませんか」とナンパ光線を発光。まん前のほうが風を受けて楽しいので喜んで私たちはその依頼を受けました。そして出発、軽やかなハンドルさばきを自慢する運転手君。そして「お譲ちゃんたちも運転してみる?」とハンドルを持たせてくれました。これはとっても楽しいです。ウキウキ〜。
しばらく行くと彼は「今回の旅はどう?」と聞いてきたので、私たちはひどいアスケナジ先生のことを話し出しました。「そいつは最低だね」イタリア兄ちゃんが言います。「で、どの人なんだ?」と聞かれ、ほかのモトスカフィに彼の姿を探しました。アスケナジ先生はちょっと先を進んでいる船に乗っており、生徒を屋根の下に押し込んで自分は外、船のサイドに立っていたのです。
私たちのイタリアン・ボーイは「彼にいたずらしてみないか」と言い出してきました。
「君たちは怒られるのは間違いないが、気分はスカッとするぜ!」
彼の提案、それはこのボートを猛スピードでアスケナジ先生の船の真横までもって行き、突然勢い良くハンドルを切って離れていくというもの。その時に船が作る特大の水しぶきを思いきりアスケナジ先生にかけるのだという作戦です。有頂天の私。
即実行!


アスケナジ先生がかぶってしまった水しぶきはまるで津波のよう!
きっとパンツまでずぶぬれになったのです。ぎゃあははははは。
島に着くまでは先生は怒りを私にぶつけることもできずにいるというのもなんとも気分いい。もちろん、着くなりこっぴどくしかられましたが、最後まで意図的でなくて偶然水がかかったと押し通し、なんと、他の先生も私を守ってくれ、アスケナジ先生は黙らされてしまいました。いい展開です!他の先生たちも若干自信がついてきたようです。うーんこれはいい!!

でも、アスケナジ先生の怒りは沸々と大きくなるばかりでした。
翌日、お互い口を利くことなく一日が過ぎました。そして夕食後、生徒みんなで、ホテルの地下にある卓球ルームを貸しきって遊ぶ許可をもらったのです。卓球台は一つ。人数が30人ほどだったので、一本勝負で勝ち抜きながら負けると選手交代というスタイルで順番待ちながらプレイしていました。アスケナジ先生は参加することなく隅っこで座って何かを飲んでいました。

消灯の時間になりました。おかしなことにアスケナジ先生は何も言いません。あんなに寝る時間にうるさい人なのに。生徒たちは彼が時間に気づいていないと信じ込み、「ゲーム続けちゃおう!」と遊び続けました。

私の前のに並んでいる子が負けると、私の番。その子からラケットを受け取った瞬間です。「はい、今日はここでおしまい!」あの声が響き渡りました。

ええええ?そんなあ?また、私へのあてつけ????絶対にそうなのです。
でも、私は卓球が大好きなのです。自宅に卓球台があって、父親や弟と毎日遊んでいます。好きでたまらないのにお預け?
しかも大嫌いな先生の仕返しでお預けなんて、いやだいやだああああああああ。

先生、もうちょっとだけやらさてください。
先生にお願いすると、「そうか、君はそんなに卓球がやりたいのかね。」とアスケナジ先生が聞いてきました。「はい!」と素直に答えると、「よろしい、じゃあ、私が相手してあげよう。」と言い出したのです。そのとたん、生徒全員の間にざわざわ〜とささやき声が広まっていきました。何?何?この変な雰囲気?
「21点までの試合だ。私に挑戦する気があるのならやらせてあげよう。」
私はその時、知らなかったのです。過去何年も学校の卓球大会ではいつも彼が優勝していたということを。新入りの生徒だったために知らなかったのです。しかも、アスケナジ先生はほとんど相手に点数を入れさせないほど、上手というか相手に恐怖心を植え付け完璧に近い試合を繰り返す悪魔のようなプレーヤーとして有名だったということを何一つ知らなかったのです。
そう、何も知らない私。本当はうちでは父や弟のほうがうまいのだけれど、一応、毎日卓球しているので、そこらの人よりはできる気でいたのです。まして、先生が名選手だってわかってなかったので。この機会を逃すものか!!!!って燃えていました。

よし、倒してやろう!
見せてやる!と心に誓ったのです。先生、試合を申し込んだことを後悔させてやる!!!
今までのつらい思いを全部球にこめて、戦って勝って見せてやる!

観衆は今までの二人の対立をわかっています。みんな息を呑んでいます。でも試合を受けた私がこてんぱに負かされてしまうのがわかっている彼らには悲しみや同情の表情が表れていました。
悲劇を目の前にするような寒い、異様な雰囲気の中で、なんとも深い沈黙の中で、試合が始まりました。

恐ろしい速さの球が飛んできました。じゅうぶんに下がって私はそれを何とか跳ね返し、体制を整え、次に入ってきたボールに全身をかけてバシーン!最初の一点を獲得しました!
わあああああ!!!!すごい歓声です。みんな、驚きの声を上げています。そしてアスケナジ先生は目が充血して顔が変形するほど怒っています。
そして、神様が降りてきました。2点、3点、4点。


7点、8点、9点。アスケナジ先生、負けっぱなしです。歓声はやがて、また、沈黙に変わっていきました。先生の表情が恐ろしくて。そしていつまで、このゼロ点が続くのか、みんな息を止めるように試合を見ています。

長いゲームもあります。超特急スピードのボールの交換が永遠に続くこともあります。そして私がバシーン。それを跳ね返すのに失敗する先生。


17対ゼロ。18対ゼロ。神様は完璧に私の上から光を差し込んでいました。もう負けるはずがない。無罪なのに苦しめられた時間を神様は見てくださっていた。だから、今、私は勝つのだ。まるでそんな感じでした。異次元空間に突入してしまったような感じでもあったのです。私はこんなに上手じゃないんだもの、ふだん。

誰かに動かされているようにも感じ取れる完璧なラケットさばき。そして・・・・


21対零で試合完了。



アスケナジ先生は大声で消灯を叫び、生徒全員をどやしつけました。

その後、先生と私は口を利かずに過ごし、何事もなく修学旅行は終わりました。

ただ、授業が再開すると、私だけ、一年を通じて最後まで席替えをする権利が奪われました。高校一年の間はずっと彼のまん前の席に座るように命令されたのです。ちょっとしたおしゃべりも何もゆるさないぞ、といったような気持ちで彼はそうしたのか。。。。。定かではありませんが。

私がそれに対してとった行動・・・・
それは彼の授業が始まると彼のまん前で毎回、二つの輪ゴムを手に取り、自分の長い髪の毛を左右に分けて、頭のてっぺんから両端にたれるような二つの大きいポニーテールみたいな髪形にすることでした。一番前の席なので、後ろの生徒が意見を言うときは後ろを振り向くので、そのたびにオーバーなしぐさで髪の毛が大きく跳ねるように頭を回し、また、顔を正面に戻すときも派手に動かして髪の毛を跳ね返させました。勉強もして遅れを取り返し、成績を上げていきました。そして一年が過ぎ、高校2年生になると、別の歴史の先生に出会ったときの開放感がうれしく、今まで以上に勉強が頭に入り、ますます成績が上がっていきました。

おばかな高校時代のお話はこれでおしまい。

とんでもないマヌケなレベルの対立ストーリでしたね。でも、これをうちの子供たち(6歳と7歳)に話すと、モーターボートのシーンになると目を輝かせて聞いてくれます。思えばジェームスボンドみたいな船さばきって感じですものね。

あほ談話お許しください。

コメント(6)

臨場感溢れるお話 楽しく読ませていただきました!
先生の酷い仕打ちにもめげず ジュリエットさんのその後の展開がなんとも痛快でした。お子さんたちがモーターボートのシーンでキラキラするのもわかる気がしますね。私も思わず笑ってしまいました。悪戯といっても陰湿さはなく、可愛い悪戯。卓球も凄い迫力ある試合だったでしょうね。ジュリエットさんの活躍は周りで観ていた人達も嬉しかったと思いました^^

おフランスにもヒデェ〜先生がいたもんですな。

でも考え様によっては人間誰とでも仲良く…なんて絵空事をしたり顔で吹聴する教師よりまだマシかも知れませんな。

世の中誰とでも気が合う…なんて事はありえません。

殊更望んで対立する必要は在りませんが人間生きていると絶対に『敵』が出来てしまいます。

なるべく早めにそのことを気付かせるのも親や教師の仕事の様な気がします。

ま、一生そうした敵に出会わずに済めば幸せナンでしょうけどね…
(*´∀`)クスクス最後、髪型のとこも良かったですw先生も大人気ないなぁあせあせ(飛び散る汗)
 あはははっ
 なるほど。。。よっぽど嫌いだったんですね。。w
 
 でもまあ、若かりし頃ってそういうの結構ありますよねえ。。。w

 まあ、一番印象強い先生で合った事は、まちがいないですね。w
>ちーさんへ
楽しく読んでいただけてありがとうございます。モーターボート、また、運転してみたいものです。水しぶきごっこなんてなかなかできない経験させていただいて先生に感謝、なあんて今頃思っています。

>沙羅パパさんへ
アスケナジ先生はきわめてまじめでプライドの高い先生だったということだと思います。出会った最初には私は睨まれるだけのことしてますしね。自分の負を認めないのは問題かもしれないが。。。でも、今になって、会ってみたいと思う自分って変かしら。一緒にあの頃のことが笑えるようになっていたらすごいなあ、と思っています。

>芍薬さんへ
こめんとありがとうございます。髪型でリベンジ、ウケテいただいて、うれしいです。わあい。

>South Blueさんへ
印象強い先生でした。でも、パリ日本人学校でも私先生といろいろあって、印象に残った先生コレクションいっぱいありますよお。またおいおい、お話しますね。
とても楽しく拝読、教師とは世界中どこに行っても不条理に陥りやすい仕事なんですねー
・・我が身を反省・・

そのアス毛無し先生、今はどうされているのでしょう?きっと極楽に行ったら釈迦に説法をして、地獄に行ったらそのまんま鬼に再就職なさってることでしょう。あ・・フランスじゃ地獄極楽ってあるのかな?^^?

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