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清泉女学院 41Kコミュの発表・ボツになった原稿

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みなさん、こんにちは。
エマです。


mixiを通して同窓生に再会し
また、知らなかった先輩たちとの出会いもありました。
昨年は、心ある先輩が、私の活動をHPで知り
同窓会誌に寄稿しないかと声をかけてくださいました。
卒業してからほぼ絶縁状態だった学校と、こうしてまた
つながりができたことも、悪くはないかなと思い、
また、30歳過ぎてから高校時代の友人に支えられることも多く
ここらでひとつ、ささやかな貢献ができればと思って
寄稿しました。

が!

私の作文の内容が、先輩方のお怒り(?)に触れ
まず、カットしてほしいという箇所が指摘されました。
私としては、「それがあって、今の私があるのよ!」という
重要な箇所だったので、それはできないといいましたら、
なんとボツになってしまいました。
私としては、卒業してから随分すっころんだ人生だったので
なにか、後輩に勇気を与えられるような文章を書こうと思って
自分の汚点をあからさまに書いたのですが
それが悪かったようです。
この件については、ラファエラマリア会の会長はじめ、
役員の皆様に異議申し立てたく、私は先月17年ぶりに学校まで行き
お話し合いをしましたが、まさに暖簾に腕押し状態の話し合いでございました。
しかし、ある年齢に達していらっしゃる先輩をムリヤリ説得することが
果たして良いことなのか。
みなさん、それぞれの価値観のなかで生きていらっしゃるのだから、
ボツになったのなら私なりの表現の場を探してゆこうと思いました。

私はこれからも、演劇、映画という表現を通して
人間の負の部分を描き
その中にきらりと光る、生きていることの素晴らしさ、尊さを
伝えてゆきたいと思っています。

しかし、その、ボツになってしまった原稿を
そのまま葬るのもなんだかなと思い
ここに発表させていただきます。
もし、関心を持ってくださる方がいらっしゃったら、
これからキレイ事ばかりではなく、もっと本音の、
それでいて、読む人に勇気を与えるような作文を募集し、
「裏版ラファエラマリア会」として編集し発表したいと思います。


では、ここから、ボツになった原稿です。


「夢を食う、貧乏ロードまっしぐら!」

四十一期 島崎絵麻(鯨エマ)

今年に入って演劇部時代の同級生からメールがきた。「あんた、卒業生名簿に『行方知れず』ってなってるよ。」そりゃ、そうだろう。高校を卒業してから何度引っ越したことか。都内のオンボロアパートを転々とし同窓会なんか一度も出席したことがないのだから、行方知れずで当たり前だ。そのままでも差し支えなかったのだが、三十路に入ってから、ありがたいことに私の芝居を観に来てくださる同窓生が増えているし、(ネットで私の活動を見つけるらしい)あまり不義理をしすぎても、ここらで住所変更届でも出しておこうかな・・・・と、ラファエラマリア会にメールで所在を通知してみると、あっという間に2007年の会報を送ってくださった。冊子に挟まっていた「現在住所が不明な方のリスト」には、私と姉が揃って載っており、「ああ、これか」と納得したのである。姉の行方は私も知らない。何を隠そう、同窓である私の姉は、学校では物静かな優等生であったが、家ではたいそう反抗的な人間で、私に対してはよく冷酷な言葉を浴びせる「恐ろしい姉さん」だった。それは、両親の離婚を機にエスカレートし、大学時代に家を出てからは家族を断絶し、「寅さん」さながら今もどこかをフラフラしているらしい。

では、本題に・・・。「行方知れず」だった十六年ほど、私が何をしていたかというと、俳優として「演劇」にどっぷり浸かった生活を送っていた。これは現在進行形だが、最近は台本を書いたり、ドキュメンタリー映画を作ったりと、スタッフ仕事が半分を占めている。ちなみに芸名は「鯨エマ(くじらえま)」という。役者の仕事はテレビドラマやCMならそこそこ稼げるが、お世辞にも売れ線とはいえないので満足に仕事があるわけではない。活動の中心はもっぱら舞台だが、これは稼ぐ仕事というよりも、むしろ散財する仕事といったほうがいいかも。

思えば、小学生のときに観た舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」と「キャッツ」、両方ともミュージカルだったが、あれを観た時の体の震えは今も忘れることができない。「私も、あの舞台の上に立つんだ!」という想いは、それを職業にした今も変わることなく、ひたすら「芝居漬け」の毎日だ。役をもらうのを待たなければならない役者では飽き足らず、待ってるくらいなら役を自分で書こうと戯曲を書き始め、そのために公演の企画制作までやるのだから、次から次へと作業に追われることになる。

なぜ、こんなに芝居に夢中になるかといえば、先に書いたように、初めて芝居を観た時の感動が忘れられないからなのだが、それほど素晴らしい作品が創れるかといえば、おいそれとはいかず、「もっと、もっと!」と更なる感動を目指すので、いつまでたっても止められない。幸い役者にも劇作家にも定年はなく、自分の経験すべてが芸の肥やしとなるから、挫折しようが、婚期を逃そうが、堂々と続けていられるわけだ。

「貧乏役者」という言葉があるが、私もご多分に漏れず極貧生活を送ってきた。二十代の時にはこのご時世にもかかわらず栄養失調と診断される有様。この歳になっても国民年金は全額免除、交通手段はもっぱら自転車、数年前までは「銭キン」(貧乏自慢をするバラエティ番組)から、出演オファーがよくあった。さすがにお断りしたが・・・。(ちなみに、出演オファーをしてきたスタッフに理由を聞いたら「貧乏で検索したら鯨エマとひっかかってきました。」といわれた。)

芝居・映画を創る→赤字になる→バイトで稼ぐ→そこで新たなネタを拾う→また芝居を創る→赤字→バイト→ネタ拾い・・・・と、自転車やさんもびっくりするような自転車操業だ。最近のアルバイトは夜勤のヘルパー(障害者の介助)と、シニアのアマチュア劇団で、演技指導をすることだ。この二つの稼業は、芝居つくりのときにいつも心がけている「マイノリティへの応援歌」と「発想の転換」になる芝居創りによい影響を与えてくれていて、大変勉強になっている。
こんな生活ができるのは、独身、且つ健康、且つ素晴らしい先輩たちに恵まれたからである。そして、苦い思い出ばかりの家族だったが、親が中学時代に歯列矯正をさせてくれたからだ。これは本当に感謝している。「芸能人は歯が命」というのは本当だ。

こんなに自由の身ではあるが、ここ数年は厄年にふさわしく、かなり辛酸なめてしまった。婚約破棄され、堕胎し(在学中は中絶反対と豪語していた私。人生どうなるかホントわからない)、浮気され、捨てられ・・・こんな人生とは高校時代には夢にも思わなかった。大変ドラマチックで飽きない日々だ。おかげ様で正の世界と同じくらい大きな負の世界を垣間見た気がする。今、人として、女として、ここらで一度、自分の生きてきた道を見つめなおすときが来たようだ。それで、今年の十二月に打った芝居では、私が一番苦手としている「家族」について書いた。20年以上も真実を知らずにいた両親の離婚の理由や、姉の消息を掘り起こす作業は取材に必須だった。断絶していた父親と手紙のやり取りを通し、知らなかったわが家の裏事情がずるずると出てきた。しかしどれが真実なのか、それらを暴いてゆくことが(私を納得させることが)誰かを苦しめはしないか、それを考えなければならなかった。芝居はあくまでもフィクションとして仕上げた。ちなみにタイトルは「いもづる」。果たして公演は大まかご好評を頂く。自分のエピソードを他人が演じるというのはなんとも不思議な気分だったが、ひとつ乗り越えた達成感はあった。

最後に・・・よく、「幸せか不幸かは、自分が決めること」といわれる。それはもっともなのだが、最近考えることは「幸せも、不幸も、そう長くは続かない」ということだ。だから、生きていることは飽きない。そして、貧乏もまた、楽し。

コメント(1)

英語の時間に「TIME WILL TELL」(確か野口先生の授業)を読んでから
何かあると私の中で、野口先生の声が『TIME, WILL, TELL!』と聞こえてきます。
絶好調もどん底も、全部あったからこそ『今のあたしがいると思うから!』って
いえるエマちゃんは、かっこいいね。

実は私の思いやり(?)がきっかけでそんな騒動、闘争に発展したんだったら
私も一緒に連れて行ってもらえば良かった・・!!
今や同窓生も、学生時代のような守られた世界で生きているわけでもなし。
励まされたり、応援したくなるようなリアルな人生を
みんなで分かち合う方が同窓会の意味があると思うわ。
って、力説するんだったのに。

「裏ラファエラ会」(もうちょっと素敵なネーミングに・・・☆)いいねぇ。
“ご活躍”ばかりじゃなくって、別に“フツーの私”を読んで
共感したい。

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