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全立正佼成会ネットワークコミュの立正佼成会の邪義

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■コロコロと変わる本尊

立正佼成会には、これまでに6種類もの本尊が登場しました。

現在でこそ「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」が本尊となっていますが・・・

佼成会は霊友会の祖霊信仰を受けついだ教団ですから、独自の本尊がもともとないのが当然ではありますが、それにしても、その雑乱(ぞうらん)ぶりは驚くべきです。

その要因は、副会長だった長沼妙佼の神がかり霊感によるものです。

庭野日敬の自伝には、 「霊友会では、降神して啓示(けいじ)を聞くことを重要な行としていた。(中略)下がってくる神は、不動明王、八幡大菩薩、毘沙門天、七面大明神、日蓮大菩薩が主だった」などと書かれています。

神がかりだの霊感だのは、仏教とは何の関係もない外道です。

法華経をあれこれと知りたげに語る日敬と佼成会ですが、その実は迷信・邪心に振り回されていたわけです。

日蓮大聖人は、こうした本尊雑乱について、
「諸宗は本尊にまどえり。(中略)例せば、三皇已然に父をしらず、人皆(ひとみな)禽獣に同ぜしがごとし」
と厳しく断じておられます。

仏教においては、教理・経文をもって厳格に定められるべき本尊が、長沼の「神のお告げ」などという、いかがわしい外道義によって変遷してきた経緯だけを見ても、この教団が仏教、さらには法華経などとはまったく無縁のシロモノであると断定できます。


■法華経を踏みにじる庭野

法華経の開経である無量義経には、「四十余年未顕真実」という経文があります。
これは
「四十余年には未(いま)だ真実を顕(あらわ)さず」と読みます。

釈尊(お釈迦様)は50年間にわたって八万法蔵(はちまんほうぞう)という膨大な教えを説きましたが、そのうち42年間はさまざまな方便の教えを説き、最後の8年間に法華三部経(法華経の開経である『無量義経』、真実の経である『法華経』、結経である『観普賢菩薩行法経』)と涅槃経を説きました。

「42年間に説かれた膨大な諸経は、教えを受ける相手の機根(きこん)に合わせ、それぞれの病気に応じて薬を与えるという方便の教説であり、
仏の悟った真実の成仏の法ではない。
これから説く法華経こそ一切を成仏に導く真実の教えである」というのが「四十余年未顕真実」なのです。

そして『法華経』方便品には、「正直に方便を捨てて、但(ただ)無上道(むじょうどう=唯一最高真実の法、すなわち法華経)を説く」と示されているのです。

ところが庭野日敬はこの「四十余年未顕真実」について、

「ここで誤解してならないのは、今まで真実でないことをお説きになったというのではない。
今までの説法もすべて真実には違いないのだが、まだ真実の中の真実を<すっかり>出しきってはいなかったという意味です」

などと、信者が何も知らないのをいいことに、デタラメな解釈をして平気な顔をしています。

これでは前述の、方便品の「正直に方便を捨てて」の意味が通らなくなってしまいます。
真実ではないからこそ「捨てる」のです。

庭野の法華経解釈など、一事が万事この調子で、佼成会で法華経の根本的な教義として教えている
『四諦(したい)』
『八生道(はっしょうどう)』
『十二因縁(じゅうにいんねん)』と、
大乗仏教の示す『六波羅密(ろっぱらみつ)』は、法華経の中では、ただ単に過去の方便の中でこういう教えがあったと紹介されているだけで、法華経の教えとは、まったく違う小乗教・方便教の教理であります。

それをあたかも仏の真実の教えのように信者に教え、精神修養を勧め道徳論を押しつける庭野は、法華経を踏みにじる者と言わざるを得ません。


■日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」を盗む

霊友会も同じですが、佼成会では会員に、庭野が勝手に作った本尊に向かって、題目を唱えさせています。

しかし、この五字・七字は、釈尊(お釈迦様)の法華経の文上には、いっさい説かれていません。

末法(まっぽう)の時代に至って、日蓮大聖人が初めて説きいだされた本門三大秘法であります。

したがって、釈尊の法華経を依経(えきょう=よりどころの教典)とする佼成会には何の関係もありません。

この題目は、本門三大秘法の「本門の本尊(弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊)」に具足する「本門の題目」であります。

したがって、日蓮大聖人が顕(あらわ)された本門の本尊に向かい奉り唱えるところの題目です。

日蓮大聖人は、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」(『経王殿御返事』)

「日蓮等の類の弘通(ぐづう)する題目は(中略)所謂(いわゆる)日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是(これ)なり」(『御講聞書』)

と御教示であり、

庭野が勝手に作った本尊などに向かって唱えるのは論外です。


■日蓮大聖人を悪(あ)しく敬う

庭野日敬は日蓮大聖人について、
「日蓮聖人は考えられました。禅も、念仏も、その他の宗派も、それぞれいい教えには違いないけれども、いずれも仏の教えを一点だけ集中的に見つめているだけで、円熟した完全さがない」
(仏教のいのち 法華経)

などと馬鹿げたことを言っています。

しかし日蓮大聖人は、念仏や禅宗他について、
「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」
と一刀両断に斬り捨てられているのであり、
庭野の言う「それぞれいい教えには違いない」どころではありません。

まるで大聖人の御精神に理解が及んでいないのです。

また庭野は「『法華経』が最高の教えであることは間違いないのですけれど、それを讃(たた)えるために他の教典をけなしたりするのは心得ちがいといわなければなりません」などとも言っています。

しかし日蓮大聖人は、
「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願わば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」
と仰せであります。

いったい庭野は、この日蓮大聖人の御聖訓をどう解釈するつもりでしょうか。

信者が何も知らないと思って、好き勝手に言いたい放題であります。

日蓮大聖人を悪しく敬う不逞(ふてい)の輩(やから)、それが庭野日敬です。

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