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BOOKS Hariyコミュの「桜恋詩」

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たまには誰にも話した事がない話でもしようか。

僕はその時、17歳だった。
高校2年生だ。

今なんて、年齢的な事もあるから誰かと付き合うって言う話になると
相手の年齢や職業や家庭環境なんかを気にしてしまうけど、
17歳の気持ちって言うのは限りなく純粋だ。
何故好きか、と言う質問をされたら、理由は「好きだから」。
それ以外ないんだ。

その人の名前はナツキさんと言った。
僕より4歳年上の21歳。
背が高くて細くて、とても綺麗な黒髪の、落ち着いた感じの美しい人だった。
僕の女性の好みを知っている人が見れば「ああ、なるほどね」と言うだろう。
逆に言ってしまうと、僕の女性の理想像はナツキさんから始まったようなものだ。

大学でアジアの経済や政治の事を学んでいた。
ナツキさんは
「将来は向こうの国に行って経済的な発展を促す手伝いがしたい」
と言って、そっと笑った。

正直に言うと、当時の僕は将来の希望なんて
「大学入ったらバンドがやりたいなぁ」
ぐらいしか持っていなかったから、
「自分は将来こういう仕事がしたい」
と真っ直ぐに言えるナツキさんがものすごく遠い存在に見えた。
ガキはガキなりに見栄を張りたかったんだろう。
実現の可能性なんてほぼ皆無な上、何の努力もしていないクセに、
「俺は文章を書いて人を楽しませる事ができるような仕事がしたいな」
なんて言ってしまった。

「それって作家になりたいって事?」

「小説じゃなくてもいいんだ。
 人が読んで面白いって言ってくれれば、それでいい」

「そうなんだ。キミは才能があるから出来るよ。
 そしたら私に一番に読ませてね」

と言って、また雲の間から光が差すように、そっと笑った。
単純なものだ。
それだけで僕はもう「俺は絶対作家としてデビューできる」なんて思ってしまった。

たとえナツキさんが海外に行ってしまっても、
僕の書いたモノを読んでもらえるならそれでいいじゃないか、なんて。

一緒にいた時間は、些細な、だけどものすごく幸せな時間だった。
ナツキさんがいなかったらもしかしたら、
もっとめちゃめちゃな人生になっていたかもしれない。

誰でも思春期に、世の中の全てに憤りを感じてしまう事があるだろうが、
昔から僕は感受性が強かったのでそういう憤りもまた激しかった。
誰にも理解してもらえなかったけど、
10代の僕は、普通に生活している中で
急に目の前に映像が流れたり、耳元で声が聞こえたり、
いきなり壁が出来るみたいに絵が見えたりしていた。
最初のうちは電波でも受信しているんじゃないかと思ったぐらいだ。
14歳ぐらいからそれが起こり始めた。
歩いていて、急に耳元で人の声がする。
でも振り返っても誰もいない。
そんな事はしょっちゅうだった。
ひどい時は実際に目の前にある景色が見えなくなってしまって、
急に真っ暗な箱の中に閉じ込められて延々と映画を見せられるような感覚もあった。
それは一つのセリフだったり、一枚の絵だったり、映像のワンシーンだったり、
本当に様々だった。
僕は絵を描いたり、文章を書いたりするのが好きだけど、
そういう「急に降りてくるもの」を整理して自分なりに把握しておかないと
潰されてしまうから、と言う理由もあった。
趣味でマンガを描いていたから、そういう絵は友達にもよく見せていたけど、
その「急に降りてくるもの」を書き殴ったーそう、正に書き殴ったとしか言えないー
ノートは10冊ぐらいにもなっただろうか。
それは誰にも見せたことはない。

友達に言っても理解してもらえない。
現実主義な母親は「この子は頭がおかしくなった」と言って相手にしてくれない。
現役バリバリのヤンキーで毎日暴れまくっていた弟に言葉が通じるわけがない。
でも実際僕には見えたし、聞こえたし、感じたんだ。

ナツキさんはそういう、僕が見える、普通の人には理解してもらえない世界を
全部そのまま受け止めてくれた。
「こんな声が聞こえたんだ」「こういうシーンが見えたんだ」
と言う僕の言葉を全部一つ一つうなずきながら聞いてくれた。
その時の僕にとっては、自分をそのまま認めてくれる唯一の存在だった。

そういう人がいる事。
そしてそういう人を好きになった事。
おそらく向こうも少なからず僕に好意を持ってくれているだろうな、と言う事。
その全てがとても幸せに感じられた。

ナツキさんがいなかったら、もしかしたら僕も「急に降りてくるもの」に潰されて
酒鬼薔薇聖斗みたいに誰かを殺していたかもしれない。
僕は彼と同い年なのだ。

ナツキさん以外にそういう「急に降りてくるもの」を認めてくれる人が現れたのは
それからもう何年か後だった。
雑誌のインタビューで読んだ、Gackt氏の言葉。
彼はどうやって曲を作るのか、と言う質問に
「曲が、映像と一緒に降りてくる」
と答えた。
それだよ!と思った。
今、僕がこの感覚を説明するのに「急に降りてくるもの」と言う書き方をしているのは
彼がそういう言い方をしていたからだ。
インスピレーションと言えばそれまでだが、
10代の頃見ていたモノは今思い返してもそんなレベルではなかったと思う。
僕は聞こえた声や見えた景色をそのまま文章にしたり絵にしたりしていたけど、
彼のように音楽で表現する技術を持っていればそれを曲に出来たのかな、と今も考える。
もちろん、インスピレーションの感じ方が似ていても、
それが作品として通じる通じないはあるだろうが。

若者にとって、「自分をそのまま認めてくれる人」と言うのは
とても重要で貴重で、必要不可欠な存在だ。
「急に降りてくるもの」に五感を極限まで刺激されていた僕が
何とかギリギリ自我が保てたのは、
確実にナツキさんとGackt氏のおかげだ。



僕が高校3年に、ナツキさんが大学4年になった、4月の夜だった。
とても月が綺麗で、僕は予備校の帰り、夜の道をナツキさんと歩いていた。
国道1号線から少し奥に入った、住宅街の中の道だ。
その道は両側に桜の木が植えてあって、毎年4月になると桜のトンネルみたいになる、
僕が大好きな場所のひとつだった。

風が強い夜で、満開の桜から花びらが舞い散る、幻想的とすら言える光景が広がっていた。
僕たち以外誰も歩いていない。
両側に家があるにはあるのだが、誰も住んでないんじゃないかと思ったぐらいだ。
風の音以外なにも聞こえない。
世界中から僕たち以外の生命の気配が消えたような気がした。

風に踊るナツキさんの黒髪と桜の花を眺めながら
僕はナツキさんの半歩後ろぐらいを歩いていた。
黒い空間に、桜の薄い桃色とナツキさんのオレンジ色のカーディガンと、
白い肌が妙にはっきりと浮かんで見えた。

一緒に歩いていると、ナツキさんがポツリと言った。


「ねぇ。結婚しようか」


その瞬間、風がゴォッと鳴った。
桜の花びらが生き物みたいに舞い上がった。

「え?」

僕はナツキさんの真意が分からず、聞き返してしまった。

「・・・なんでもない」

ナツキさんはいつもの、花が咲いたような笑顔をしたまま言った。

家に帰って、そのことを思い出してみた。
僕は17歳。
満18歳だ。
あと数ヶ月で法律的には結婚できる年齢だが、
大学に行こうかどうしようか、将来何しようか、と言うレベルのガキには重すぎる話だ。
僕はとても怖くなってしまった。
たとえ、ナツキさんが「なんでもない」と言わなかったとしても、
「うん、結婚しよう」とは言えなかっただろう。
でも、とても嬉しかった。
幸せすぎて怖い、と言うやつだ。

それから、何故かナツキさんと連絡が取れなくなってしまった。
5月になっても、6月になっても。
携帯にメールしても返って来ない。
電話にも出ない。
家の場所と自宅の番号を知らなかった僕にはどうする事もできなかった。

当時通っていた予備校で、ナツキさんの友達がバイトしていた。
その人に呼び止められて、僕は信じられない話を聞いた。

「キミ、知ってたの?

 ・・・エリが白血病だって」

目の前が真っ暗になった。
足元の床が崩れていく感じだ。
人は本当の絶望を感じたとき、世界が無音になると初めて知った。

会いたい。

もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。
それなのに僕には一言も「辛い」なんて言わなかった。
涙も見せなかった。
いつもの、暖かい笑顔で僕の話を聞き、自分の将来の話をしてくれた。
そんな中、「結婚しようか」と言ったナツキさんの気持ちを考えると胸が潰れそうだった。


果たして一体僕に何が出来ただろう。
金も地位も名誉も人脈もない、ただの高校生に何が出来ただろう。
僕は自分の無力さを悔やんだ。
誰でもいい、骨髄移植が適合するヤツがいたら病院まで引きずって行って、
医者に「今すぐ骨髄移植しろ」と言うことができたらどんなにいいだろうと思った。
もし僕がその時医者だったとしたら、人権や道徳や法律なんて全部無視して
無理やりにでも適合するドナーを探し出しただろう。

そして笑って刑に服しただろう。

でも実際はそんな事ができるわけがない。

例え死亡率がそこまで高くないとしても、治る可能性があるとわかっていても、
やはり情緒不安定だったんだろう。
学校に行かなかったり、家に帰らなかったりと言う日が格段に増えた。
通っていた高校は県下でも有数の進学校だったので、
明らかに「落ちこぼれ」の扱いを受けた。
正確に言うと、構われなくなった。

「急に降りてくるもの」が酷くなった。
ほとんどは僕の目の前か耳元で誰かが何かを叫んでいる。
今も覚えているのは「俺をここから出せ!!!」とか「どうして私を見放すの?」とか。
映像としては、夜の砂浜を一人で歩いている白い服の女性の姿が
何度も何度も出てきたのを覚えている。
それまで聞いていた声よりも、明らかに大きい声、鮮明な映像だ。

その酷い時期を境に、僕に「急に降りてくるもの」は綺麗さっぱりなくなった。
何も聞こえなくなったし、見えなくなった。
今もそういうものは殆どない。

その後、ナツキさんの友達から、
ナツキさんは治療のためにお母さんと東京に行ってしまったと聞いた。
最後まで、連絡先と病院は教えてもらえなかった。

それが、ナツキさんの「もし自分が死んだ場合、それを僕に伝わらないようにするための手段」
なのだろうと言うことはなんとなくわかったけれど、
それはつまり「僕に自分の死を受け止めることはできない」
と言われているようでとても悔しかった。

「もしかしたらもう死んでしまっているかもしれない」
そういう不安が消えたことはない。
だけど、僕には確かめる手段はない。
東京の病院なんて、一体いくつあるんだ。

高校を出た僕は大学に入って普通の日々を過ごす事になった。
ごく普通のキャンパスライフ。
新しい友達も出来、バイトも始め、どこにでもいる大学生の毎日。
だけど、いつも心のどこかに、悔しさと悲しさを隠し持っていた。




それから4年の月日が流れた。

2005年、僕は22歳だった。
確か9月の半ばぐらいだったと思う。

既に東京で働いていた僕は、仕事の終わりごろ、21時過ぎぐらいに
ふと気まぐれにメールをしてみた。
完全に記憶している、ナツキさんの携帯のアドレスに。
本文に

「元気ですか?」

とだけ書いて。
もしかして死んでしまっているかもしれない人に向かって
「元気ですか?」もないだろう。
だけど他に何と書いたらいいのかわからなかった。
そのままエラーで戻ってくるかもしれない。
アドレスが変わっているのか、それとも死んでしまって解約されているのか。
4年もの間、それをしなかったのは、現実を知るのが怖かっただけだ。

現実は残酷かもしれない。

それをしなければ、「もしかしたら死んでいないかもしれない」と言う期待を持てただろう。
だけど、僕は事実を知りたい。

その決断をするのに4年も掛かったのだ。
本当に、遅すぎる。

送信ボタンを押してからすぐに結果は分かるのだ。
アドレスが変わっていたり、解約されていたら「MAILER DAEMON」と返って来る。


届いた。
絶対変わっていると思ったのに。

「生きてる!!」
と直感的に思った。

そして返事が来た。

「・・・もしかして、Hariy君?」

最初のメールで名乗ってもいないし、
僕の携帯メールアドレスは自分の名前を特定する単語は入っていない。
だけど、ナツキさんは僕だとすぐにわかったようだ。
そして次の休みに会う約束をした。


そして僕たちは4年ぶりに再会した。

「ごめんね」

ナツキさんはいつもの、花が咲いたような笑顔で言った。

床に落ちて割れてしまったグラスが
映画を逆再生するように元に戻ってくっついたような感覚を覚えた。
その一言で、4年間の空白期間と4年前の絶望は跡形もなく消滅した。

やっぱりナツキさんの見た目は変わってしまったけれど、
あの眩しいぐらい輝いていた瞳はそのままだった。

僕は当時に比べたら大分落ち着いた服装をしていたから
「あなたも変わったのね」
とナツキさんは言った。


ナツキさんの病名は、正確には急性骨髄性白血病と言う。
吉井怜や渡辺謙みたいに治った人もいれば、
夏目雅子やアンディ・フグみたいに亡くなってしまった人もいる。
複数の抗がん剤を用いて化学治療で治療したと言っていたが、基本的に白血病は完治しない。
生涯に渡って、異常白血球細胞数の検査を数ヶ月に一度しなければならない。
二次性白血病と言って、再発してしまったら圧倒的に死亡率は高くなる。
骨髄移植も親族以外できなくなるし、放射線治療も化学治療も利きにくくなるそうだ。

それでも、ナツキさんは笑っていた。
17歳の僕が何百回か数え切れないぐらい救われた、
いつもの笑顔で。
一生懸命、生きて。
副作用や検査の辛さなんて微塵も出さずに。

治療のために大学は中退してしまったと言う。
だけど、その後何度かインドやネパールやチベットに旅行に行ったという話を聞いた。
お金を貯めて、また海外に行きたいという事を言っていた。

それ以降も、時々お互いの都合が合う時に会っている。
そしていつも、強く生きる事を教えてくれたあの春を思い出す。

僕ももう25歳だし、ナツキさんも29歳だ。
お互い大人になった。


もう、昔のようには戻れない。
だけど変わらないものは確かにある。
たとえ散ってしまっても
人は在りし日の満開の桜をその木に見るのだろう。


そのうちナツキさんの結婚の知らせを聞くかもしれない。
その時には、出来る限りの祝福をするつもりだ。
そして小さな物語でも書いてプレゼントしようと思う。
プロの作家になんて全然なれていないけれど、
その時の僕が出来る精一杯の物語を作ろうと思う。
「おめでとう」と「ありがとう」を、100万回分ぐらい込めて。




Clavierと言うバンドの「桜恋詩」と言う歌がある。
その歌詞を聴くと、今でも僕の目の前には
17歳の僕が見た光景がそのまま浮かぶんだ。

夜、強い風に舞う桜の花びらと一緒に、
眩しいぐらいの命の輝きを放っていたナツキさんの瞳が。

時間を止めて永遠に繰り返されるんだ。
闇に凛と響く声が。


「ねぇ。結婚しようか」







桜恋詩

作詞:愁耶  作曲:風弥  歌:Clavier

しみじみ色彩とりどり 鮮やかさが舞い散る
ゆらゆら心の中 風の音が響く

雪解けた水の中は あの日の私が映る
春が訪れる前の事 もう一度見せて

桜舞う日にあなたとかわした事
覚えているよ 今もずっと
散る花片のように弱い私は
今年もまた忘れられず待ち続ける

凛とした木の下でただただ 心さわぐ
からから回る風車 水がこぼれだす

春が過ぎて夏の色 去年をまた思い出す
抜け出したくても抜け出せず 自分を責める

他の誰かに優しくされても
誰も代われない あなたじゃなきゃ嫌で
初めて人が こんなにも愛しくて
好きな気持ち それだけじゃ 続かないの?

これから将来(さき)は 桜の木のように
どんな時でも 強く強く生きて
きっと誰より あなたを愛しました
幸せになれる事 信じてます















・・・・

このお話はフィクションかもしれません。

フィクションじゃないかもしれません。

今日も桜は綺麗です。

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