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武術兵法で幸福人生! 成功哲学コミュの戦争論

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クラウゼヴィッツ戦争論

序章 『戦争論』を読む

 カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』は、戦争というきわめて複雑な社会的・政治的現象を深く分析し、理論的・体系的に説明した偉大な古典である。

 しかし、『戦争論』は難解な書物としても有名である。そして、長い間、書名こそよく知られてはいるが、実際はあまり読まれてこなかった。したがって、特に現代の読者にとっては、『戦争論』の読み方について、何らかの手助けがどうしても必要になる。

 そこで、序章では、『戦争論』を理解するために必要な予備知識をまとめて紹介。

○ 戦争の理論の発展とクラウゼヴィッツの位置付け
○『戦争論』の成り立ちと主要な命題
○ 戦争論』の読み方

戦争の科学
現代の戦争理論とクラウゼヴィッツ
プロイセンの将校だったクラウゼヴィッツは独自の戦争理論を組み立て、科学としての戦争の研究に道をひらいた。

○現代の戦争理論
 「どうすれば戦争や紛争を防止できるか」、「どうすれば戦争や紛争をよりよい解決に結びつけられるか」は平和を願う多くの人々が考えることだろう。古今東西を問わず戦争は、多くの破壊をもたらし人々の命を奪ってきた。とくに核兵器の存在する現代においては、核戦争が起これば一瞬のうちに人類は滅亡のふちに追い込まれる。このような人類がいままで経験したことがない軍事的環境に直面して、現代では戦争を行うことよりも戦争の発生そのものを防止することの方が重要と考えられるようになった。そして、戦争や紛争を防止するためにはどうすればよいかという論議や研究がなされ、核抑止論など戦争や紛争を抑止するための理論が発展した。

 一方、近年各地で勃発している戦争や紛争を見てもわかるとおり、実際にはこれらの発生を防止できていない。したがって、現実的な問題として戦争が起こってしまった場合は、なるべく速やかに少ない損害で戦争を終結させなければならない。この点で、軍事戦略や防衛戦略など戦争の遂行に関する理論もその存在意義を失っていないといえる。

○クラウゼヴィッツの戦争理論
 プロイセンの将校だったカール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780−1831)は、戦争における活動を「戦争手段を準備する活動」と「準備された戦争手段を使用する活動」に区分した。前者は、防衛力の建設・維持(兵器の研究・開発を含む)、兵士の徴募や訓練、後方支援(兵站=ロジスティックス)などの活動である。後者はいわゆる戦略や戦術である。彼は後者の分野を中心に戦争を分析し、独自の戦争理論を組み立てることで、科学としての戦争の研究に道をひらいた。

紀元前からあった戦争理論
戦争理論の歴史
 紀元前より戦争を分析し、兵法などを記した戦争に関する理論書は存在した。近代ではマキャヴェリの『君主論』などが有名である。

○もっとも古い戦争理論
 もっとも古い戦争の理論書の一つである『孫子』はB.C.6世紀ころに原型がつくられ、A.D.2世紀ころに現在伝えられているような形に整理・編纂された。『孫子』には戦争哲学、国家戦略から戦術まで多岐にわたる内容が書かれており、現代においてもかなりの部分が通用する。

 ヨーロッパにおいて最初に戦略的な概念、すなわち長期にわたる大規模な軍事行動があったことを確認できるのは、紀元前4〜5世紀のペルシア戦争、ペロポネソス戦争やアレキサンダー大王の東方遠征である。

ペロポネソス戦争に参加した将軍で歴史家でもあるクセノフォンは、著書『ギリシャ史』の中でストラテギア(strategia:将軍の行うこと、軍隊の指揮)という言葉を使用し、これがのちの戦略(strategy)の語源になった。また、タクティトス(taktitos:指図する、軍隊の配備に関すること)という言葉はのちの戦術(tactics)の語源となった。

○近代戦争理論の基礎の確立
 ヨーロッパの近代軍事思想の開祖と呼ばれているマキャヴェリは15世紀のイタリアの政治思想家であり、『君主論』や『戦術論』などを書いた。これらの著書の中で、彼は「戦争の目的は自己の意思を敵に強要することである」と述べている。この考え方はクラウゼヴィッツにも受け継がれている。

 フランス革命の中で登場したナポレオンは、その軍事的才能をもって、革命による国民のエネルギーを戦争に注ぎ込むことで戦争を劇的に変化させた。このナポレオン戦争を分析して戦争理論を展開したのがクラウゼヴィッツとジョミニの二人である。次項より、戦争理論とはどういったものかをよく理解するためにも、この二人の理論を中心に見ていこう。

ジョミニとクラウゼヴィッツ
戦争理論の二つの型
戦争理論は戦争に勝利するための方法論[How to Win]型と、戦争の本質を追求するもの[What is War]型の二つに分かれる。

○ジョミニと[How to Win]型の理論
 アンリ・アントワーヌ・ジョミニ(1779-1869)は、クラウゼヴィッツと同時代にスイスで生まれ、フランス軍に入ってナポレオン戦争に参加した。彼は1813年にはロシアに移って皇帝の軍事顧問になり、90才までの長い一生の間に多くの著作を残した。
その代表的な著作が『戦争術概論』である。ジョミニは時代が変わって兵器が進歩したとしても戦争には不変の法則があると考え、戦争を取り巻く政治的・社会的な要因を切り離し、戦争に勝つためのいくつかの法則を抽出した。

 『戦争術概論』のような[How to Win]型の戦争に勝利するための方法論は古くからの主流であった。
また、軍人にとっては戦争ですぐに役立つ戦術理論の方が『戦争論』のような哲学的な戦争理論よりも重要だった。
それゆえ、アメリカの南北戦争では両軍の士官が左手に『戦争術概論』を右手に剣をもって戦ったといわれている。
現在でも、各国の軍隊における士官の教育と訓練にはジョミニの影響が強く残っている。

○クラウゼヴィッツの[What is War]型の理論
 クラウゼヴィッツの『戦争論』は[What is War]型の代表的な著作である(クラウゼヴィッツ自身の生い立ちは第九章を参照)。
『戦争論』は[How to Win]にも触れているが、クラウゼヴィッツはジョミニとは反対にどの時代にも共通する戦争に勝利するための法則があるとは信じなかった。
彼は戦争という現象を政治的・社会的な要因も含めて総合的に考察した。
それゆえ、クラウゼヴィッツの[What is War]型の理論は普遍性が高く、現代においても十分通用する。しかし、『戦争論』は抽象的で難解な部分も多く、一般にはあまり歓迎されなかった。

まったく異なる機能
戦略と戦術の区分
従来、あいまいだった戦略と戦術の概念をクラウゼヴィッツとジョミニは明確に区分して戦争理論を発展させた。

○戦略と戦術の区分
 従来、戦略と戦術の概念はあいまいだったが、クラウゼヴィッツやジョミニはそれらを明確に区分して定義付けることでそれぞれの戦争理論を発展させた。
一般に、戦略とは戦争を全体的・長期的な視点から準備・計画・運用する方法である。
また、戦術とは戦略を具体的に実行する方法であり、戦闘で軍隊の戦闘力を使用する方法である。
 実際、戦略と戦術はまったく異なる昨日である。戦争は長い期間に及び、広い地域や空間にわたって多くの戦闘によって構成される。
このため、戦闘に勝利するための方法である戦術だけでなく、戦争を全体的・長期的に遂行するための戦略が必要になるのである。
一般に戦術は戦略に従属しており、「戦略の失敗を戦術で補うことはできない」という格言は、戦略と戦術の違いを示している。

○戦略の概念の拡大
 ただし、戦略という概念に関しては時代によって意味合いが異なる。
 19世紀末になると、海洋の利用と国家の繁栄や発展までも含む国家戦略の概念が誕生した。また、20世紀初頭には航空機の発明と進歩によって空軍戦略が登場し、戦争の領域は戦場ばかりでなく後方の国民にまで及ぶようになった。
その後、第一次世界大戦の経験から、全国民が参加し、国家の全機構を動員する「国家総力戦」の概念が登場した。
第二次世界大戦には、国家総力戦のさまが顕著にあらわれている。また、第二次世界大戦後は、核兵器の登場によって、戦争を抑止するための戦略が生まれた。

また、新しい国家戦略の概念も登場している。現在の国家戦略とは、国家目標※を達成するために国家の全資源を調整することである。
※国家目標でもっとも重要なものが安全を維持であり、とくに「安全保障」とよばれる。

コメント(4)

普遍的な戦争理論書
『戦争論』の現代的意義
戦争はクラウゼヴィッツの時代とは大きく変化した。しかし、戦争の本質は変わっていないので、現代でも『戦争論』はおおいに役立つ。

○『戦争論』が現代でも通用する理由
 クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争の本来的な意義は闘争である。闘争の必要上、人類は古代から特有な発明を行い、闘争を有利にする方法を求めてきた。この発明によって、闘争は大きく変化した。しかし、闘争がいかなる外見をもつとしても、この発明によって、闘争の概念まで変えられることはない。そして、この概念が戦争の本質をなすものである」と述べている。

 つまり、時代が変わり外見がいかに変化しようとも、戦争には人類の持つ「闘争」というほとんど変化しない概念が存在し、この概念こそが戦争の本質であると彼は指摘しているのである。実際、クラウゼヴィッツは戦争の本質を徹底して追及したため、私たちは『戦争論』の中にこのような普遍的な概念をいくつも見出すことができる。このことが、現代においても『戦争論』が普遍的な戦争理論書として通用し、多くの人に読まれる理由である。

○現代社会と戦争
 二度の世界大戦を経験し、核兵器など大量破壊兵器が量産された冷戦時代においても、世界の各地で多数の戦争や紛争が勃発した。また、冷戦が終結した現在でもテロやゲリラなどの小規模な紛争はかえって激化しているようにみえる。このようなテロや地域紛争に国家や国際社会がどのように対応すべきかが、現在の大きな関心である。

 クラウゼヴィッツは『戦争論』を執筆するにあたって伝統的な国家間の戦争をイメージしていたが、国家以外の集団の間にも戦争状態のような関係は生じる。したがって、現代の戦争や紛争、あるいはテロやゲリラ活動について正しく理解するため、戦争の本質について記した『戦争論』はきわめて役立つだろう。

クラウゼヴィッツのライフワーク
『戦争論』の出版
『戦争論』はクラウゼヴィッツのライフワークともいうべき著作であったが、未完に終わってしまった。

○マリー夫人の序文
 前項まで戦争理論とはどのようなものか、また現代的意義はあるのかといった点から、『戦争論』を概観してきた。ここから『戦争論』の成り立ちと軸となる命題を通してさらに詳しく見てゆこう。

 『戦争論』はクラウゼヴィッツの死後、マリー夫人によって編集され、1832年から1834年にかけて出版された。
マリー夫人によって書かれた序文から、『戦争論』が生まれた経緯と著作に込められた著者の意図を知ることができる。たとえば、1812年にクラウゼヴィッツがプロイセンの皇太子に対して行った軍事学の講義をまとめた『皇太子御進講録』には、のちの『戦争論』の萌芽が含まれていることや、1818年にベルリンの陸軍大学校長になってから、『戦争論』の著作と本格的に取り組んだことなどが記されている。

 また、この序文に引用されているクラウゼヴィッツのメモには、「2〜3年後に忘れ去られないような、軍事学に関心のある人ならばすべての人が一度ならず手にしようとするような本を書くことが私の願望だった」と書かれていて、彼がこの本に込めた意欲がよくあらわれている。

○『戦争論』の成立における危機
 クラウゼヴィッツが遺した『戦争論』の原典には、本文とは別に二つの覚書と著者の序文が収録されている。1827年に書かれた覚書によると、クラウゼヴィッツはそれまでに『戦争論』全8編のうち最初の6編を書き、第7編と第8編の草稿を完成させた。しかし、彼はこれらの原稿では政治と戦争の関係が十分明らかにされていないことに気付き、大幅な書き直しの必要性を認めた。しかし、晩年にさしかかっていたクラウゼヴィッツがコレラで急死したため、ついに『戦争論』は未完となったのである。
紀元前からあった戦争理論

戦争理論の歴史
 紀元前より戦争を分析し、兵法などを記した戦争に関する理論書は存在した。近代ではマキャヴェリの『君主論』などが有名である。

○もっとも古い戦争理論
 もっとも古い戦争の理論書の一つである『孫子』はB.C.6世紀ころに原型がつくられ、A.D.2世紀ころに現在伝えられているような形に整理・編纂された。『孫子』には戦争哲学、国家戦略から戦術まで多岐にわたる内容が書かれており、現代においてもかなりの部分が通用する。

 ヨーロッパにおいて最初に戦略的な概念、すなわち長期にわたる大規模な軍事行動があったことを確認できるのは、紀元前4〜5世紀のペルシア戦争、ペロポネソス戦争やアレキサンダー大王の東方遠征である。ペロポネソス戦争に参加した将軍で歴史家でもあるクセノフォンは、著書『ギリシャ史』の中でストラテギア(strategia:将軍の行うこと、軍隊の指揮)という言葉を使用し、これがのちの戦略(strategy)の語源になった。また、タクティトス(taktitos:指図する、軍隊の配備に関すること)という言葉はのちの戦術(tactics)の語源となった。

○近代戦争理論の基礎の確立
 ヨーロッパの近代軍事思想の開祖と呼ばれているマキャヴェリは15世紀のイタリアの政治思想家であり、『君主論』や『戦術論』などを書いた。これらの著書の中で、彼は「戦争の目的は自己の意思を敵に強要することである」と述べている。この考え方はクラウゼヴィッツにも受け継がれている。

 フランス革命の中で登場したナポレオンは、その軍事的才能をもって、革命による国民のエネルギーを戦争に注ぎ込むことで戦争を劇的に変化させた。このナポレオン戦争を分析して戦争理論を展開したのがクラウゼヴィッツとジョミニの二人である。次項より、戦争理論とはどういったものかをよく理解するためにも、この二人の理論を中心に見ていこう。

弁証法を適用
絶対的戦争と現実の戦争
クラウゼヴィッツは「絶対的戦争」と「現実の戦争」という二種類の戦争を対比させることによって、戦争を解明しようとした。

○絶対的戦争と現実の戦争
 前項でも少し触れたが、クラウゼヴィッツは「絶対的戦争」と「現実の戦争」という二種類の戦争を対比させ、戦争の分析を試みた。

 「絶対的戦争」は、一方の側による他方の完全な打倒に終わる暴力の行使である。これはクラウゼヴィッツが戦争を分析するために作り出した現実にはない概念上の戦争であり、暴力が極限までエスカレートした状態である。
 一方、「現実の戦争」は交戦国の状況やその時代の政治的・経済的・技術的・社会的要因によって影響を受ける。これらは暴力が極限までエスカレートすることを妨げるであろう。また、ある戦争においては敵の完全な打倒ではなくそれより小さな目的、たとえば領土の一部を占領する場合などは、暴力が極限までエスカレートするわけではない。つまり、「現実の戦争」はすべて制限された目的のために戦われる制限戦争となる。

○弁証法の適用
 「絶対的戦争」と「現実の戦争」という二種類の戦争を対比させることは、『戦争論』における弁証法的な分析の一例である。弁証法とは彼と同時代のドイツの哲学者ヘーゲルが唱えた認識における方法である。弁証法では、ある事象に対する一つの考え方(概念)が示され、次にこれを否定する考え方によってその事象の新たな側面が明らかにされる。つまり、「絶対的戦争」によって戦争の一つの側面を規定し、次に「現実の戦争」によって戦争の別の側面を規定することによって、新たな戦争の一面を見出そうとしたのである。クラウゼヴィッツは弁証法を適用することで戦争を理論的に分析していき、戦争という現象を明らかにしようと試みたのである。
シビリアン・コントロールの原点

戦争は政治の一部

戦争は政治的目的を達成するための一つの政治的手段にすぎないという主張は、現代の文民統制(シビリアン・コントロール)に通じる。


○クラウゼヴィッツの主張
 『戦争論』の中でもっとも有名な「戦争とは他の手段をもってする政策の継続にすぎない」という言葉はもっとも重要な定義でもある。つまり、クラウゼヴィッツは、戦争とは政治目的を達成するための一つの政治的手段にすぎないとしたのである。この定義をもとに、彼は政治と戦争の関係は「全体」と「部分」、あるいは「目的」と「手段」であることを示そうとしたのである。


○政治と戦争のあるべき関係
 クラウゼヴィッツは上記の定義によって戦争が独立した存在ではなく、常に政治に従属するものであることを示している。しかし、戦争は人間の営みの中でも重大で特異なできごとなので、戦争そのものの論理、すなわち戦争に勝利することだけに目を奪われて重視されがちである。その結果、本来の戦争の目的が忘れ去られ、戦争の規模が際限なく拡大してしまうという。


 また、彼は『戦争論』の第1編第1章「戦争とは何か」で、戦争を行うにあたって戦争の本来の目的を中心に据えるべきことを強調している。クラウゼヴィッツがいうように「戦争が政治的目的から発生するということを考えるならば、戦争指導にあたってこの最初の動機(政治的目的)に最高の考慮を置くのは当然」なのである。さらに、第8編「戦争計画」では政治と軍事のあるべき関係がさらに具体的に述べられている。その中で、彼は「戦争における重大な事象の判断や計画を純粋に軍事的な判断に任せるべきであるという主張は、許し難い、それ自体危険な考え方である」と述べている。


 戦争を政治の統制下におくことは非常に重要な原則であるが、これまでしばしば無視され、悲劇が繰り返されてきた。クラウゼヴィッツのこのような主張は現代の文民統制(シビリアン・コントロール)の原点でもある。

全8編
『戦争論』の構成
『戦争論』の原著は全8編にまとめられている。とくに第1編と第8編は概要や要旨が述べてあり重要である。


○『戦争論』の各編の構成
 次章より各編について詳しく見ていくが、その前にクラウゼヴィッツの『戦争論』がどのような構成になっているのかを見てみよう。

 まず、全体の概要を含む第1編「戦争の本質について」では、戦争の本質や政治と戦争の関係など『戦争論』での重要な定義や命題が含まれている。また、この編では「摩擦」や「軍事的天才」など独特な概念も論じられている。次に、第2編「戦争の理論について」では、戦争に関する理論の可能性と限界や、分析のための前提条件が描かれている。第3編「戦略一般について」では、戦略に関する戦力、時間、空間について述べられている。第4編「戦闘」では、戦争において主体となる行動である戦闘が論じられ、戦争という全体と個々の戦闘の関係が明らかにされている。

 さらに、第5編「戦闘力」、第6編「防御」、第7編「攻撃」の三つの編では戦術論が展開されているが、これらの現代における重要性は低下している。最後に第8編「戦争計画」ではふたたび第1編の重要な命題がとりあげられ、戦争の政治的・軍事的指導のあり方を分析する中で、戦争と政治の相互関係がより明確にされている。
○戦争論の修正
 クラウゼヴィッツが『戦争論』の修正を思いたったのは執筆の途中であり、その修正は一部にしか及ばなかった。第6編までが1827年以前に書かれ、第7編「攻撃」と第8編「戦争計画」は修正を思いたってから草稿が書かれた。結局、1827年以前に書かれた部分で修正が行われたのは第1編第1章のみである。クラウゼヴィッツはこの第1編第1章だけが『戦争論』で完成した原稿であると認めている。

『戦争論』を読む

『戦争論』を読み解くカギ
難解な『戦争論』の原著を読むには、クラウゼヴィッツが修正を試みた二つのポイントを押さえればよい。

○『戦争論』原著の読み方
 私たちが『戦争論』の原著を読む場合には、クラウゼヴィッツが修正を試みた二つのポイントを視点にするとよい。第一に、「絶対的戦争」は敵の完全な打倒を目的とする現実には起こり得ない概念上の戦争であり、これに対比される「現実の戦争」は現実におけるさまざまな要因によって必ず何らかの制限を受けた戦争であるという視点である。この「絶対的戦争」と「現実の戦争」の力点の置き方は各編や章によって偏りがあるが、この視点に注意しながら読めば『戦争論』の論理の展開がよくわかるはずである。

 第二に、「戦争は政策の継続にすぎない」という視点である。戦争論』のすべての部分をこの視点から読むことにより内容を理解できるはずである。この視点の重要性を理解するためには、第1編第1章を読んだ後、途中を飛ばして第8編を読むことをおすすめする。そうすると、クラウゼヴィッツの重要な主張がもっともよく理解できる。
 この後は、そのときの関心に応じて読み進めばよいだろう。たとえば、第2編「戦争の理論について」は人間の行動にかかわる理論の可能性と限界を示すものとして現代においても非常に価値が高い。

○二種類の戦争の力点の置き方
 クラウゼヴィッツが存命中に『戦争論』の修正は一部しか行われなかったため、「絶対的戦争」と「現実の戦争」それぞれの力点の置き方が異なっている。つまり、第1編第2章から第6編までは「絶対的戦争」よりで書かれており、それ以外は「現実の戦争」よりで書かれている。このことは『戦争論』の誤解を生む原因ともなったが、頭の片隅においておけば私たちが読み進めるうえで役に立つであろう。

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