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まほろ王国コミュの夜鷹

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                  蝙蝠‥街娼の目      サン=ポル・ルー

月が高くなるにつれ、その界隈には似たような境遇の女たちが物陰に増殖する。
月夜に開く白い茸のようだ。多少の不幸と多少の貧しさを土壌にして日陰に花開く。
細長い、淋しい通りだった。投やりな秋波を送ってくるものもいれば、あからさまな卑猥なことばで誘うものもいる。ひとりで立っているものもいれば、仲間たち2,3人で群れているものもいた。
彼女は、その通りの一番外れにいる。一番暗くて、人気のない角だ。目印のように柳が植わっていて、見えない川面のせせらぎが幽かに聴こえる。
ひとりでこんなところに立っていて危なくないのか、と一度訊いてみたことがあった。彼女は水のような眼差しでうっすらと笑い、失って困るものなど何もない、と答えた。

久しぶりに逢う地本屋と小料理屋で一杯やった帰りのことである。
もとよりわたしは女のフォルムにしか興味がない。それすらも最近あやういくらいの心持であるとなれば、これはもう無駄なそぞろ歩きといえなくもなかったが、何かと世話になっている男に誘われては無碍に断るわけにもいかず、腹ごなしに散歩してみるのもよかろう、と連れ立った。

少し歩いただけで、西は夜伽の相手を決めたらしい。小柄ながら、縦縞の紫を粋に着こなした女だった。若いのか年増なのか、薄闇で一見しただけではよくわからない。すぐに決まったところをみると、馴染みの女なのかもしれない。
北さんは? と早くも女の腰に腕を廻しながら彼はわたしに気を使う。
あたしの連れはどうだい、と女が艶のある声で誘い、隣りでやり取りを聞いていた女が小さく笑った。髪の結い方は悪くないが、こちらも同じように笑って首を振る。
気にしないで、西さんは行っておしまいよ、と促した。俺はもうちょっと散歩して、適当なところで帰るから。
そうかい。じゃあ気をつけてな。あんまり気を詰めるな。 とこれはわたしに。
この男は絵に描く女にしか興味がないんだ。 とこれは女たちに。
西はひらひらと手を振って、選んだ紫の女と横道へ逸れていく。
そんな彼らを見送って、ほんとにあたしじゃだめかい、と背の高い女が低い声で食い下がる。声も悪くはない。だが。 すまねぇな。今日は散歩する気分なんだ。
そうかい、と女は微笑を返し、それじゃあ、と意外なほどあっさり退く。

ここでおしまいかな。そう思った通りの最後に、彼女は立っていた。通りに背をむけて空を見上げている。何かいるのかと思って同じ方角を見上げてみた。小さな蝙蝠がひらひらと舞っていた。
吉兆ですね。 思わず声が出た。 そうですね。 振り向きもせずに女は答える。密やかだが、凛とした声だ。黒尽くめの着物を着ていて、襟足の白さが光るようだ。よくみるとわずかに織が違うだけの黒に黒の市松である。帯も黒。帯揚だけがくすんだ銀色だ。
あなたもお散歩ですか。  女がゆっくりとこちらを見る。 まさか。
口元は微笑んでいるが、目が笑ってない。水のようなまなざしで冷たくこちらを射る。
あんたも、ただ散歩してるだけってわけじゃないでしょう。
いや、わたしはただの散歩です。  力説すると、女は少し視線を弛めた。
じゃあ、あたしも今夜はただの散歩にしようかな。景気が悪くてしかたがねぇや。連れになってくれるかい。
いいですよ。

連れ立ってはみたものの、女はとても無口だった。わたしの方からもこれといって話すこともない。名前くらいきいてみたい、とは思ったものの、職業柄、わたしはあまり名乗りたくもなかったし、かといって偽名を使って名乗りあうのも馬鹿げている。
優雅に歩く女だった。腰を使ってしゃなりと歩く。それだけですれ違うひとびとはちらりと彼女を一瞥するのだった。
ゆったりとしたその歩調にあわせるのには少し苦労したけれども、誰もが視線を投げかける女と歩くのは悪い気がしない。そういえば立ち姿も見事だった。

特に向かいたい場所もないし、どこかで飲みにいくほどの手持ちもなかった。送りましょうか、と申し出たが、送ってもらうほどの家ではない、と瞬時に断られた。あたしがあんたを送ってあげるよ、という。 困らない程度のところまでね。 

気持ちのよい春の宵だった。空気はまだ少し冷たいが、柔らかくて深い。真っ白な月に向って真っ白な木蓮が蕾を膨らませている。どちらへ向うか少し迷って、仕事場にしている長屋へ向うことにした。

玄関先まで来たところで、じゃああたしはここで、と踵を返そうとする女を引き止め、茶を勧めた。女は目の端でつんと笑いながらも、じゃあお言葉に甘えて、と扉をくぐる。灯を燈す。散乱した紙や絵筆、絵の具などを簡単に片付けて、座るスペースをあける。お湯を沸かしながら干菓子でも残っていないかと棚をあさる。気にしなくていいのに、と女のからかう声が背中にかかる。
絵描きなんだね。  まぁね。 
半紙に載せてだした干菓子を齧る。 どんな絵を描いてるんだい。  最近はあまり描いていない。  へぇ。じゃあ描いてた時はどんなだった。  そうだなぁ。描きたいものも描いたし、描きたくないものも随分描いたな。  人生だね。  まったく。ただまぁ、気がすすまない仕事でも、描いてればだんだん愉しくなってくるから不思議だったね。  そんな仕事なら幸せじゃないか。   そうかもしれない。
相変わらず水のような風情の女だった。彼女が座っているところだけが、しん、と静まり返っている。干菓子を齧りおえ、茶を飲み干すと、ごちそうさま。 と彼女は家を出ていった。

それからときどき、女と逢うようになった。わたしが柳のたもとまで散歩しに行くこともあれば、女が訪ねてくることもあった。特に何もしない。会話が弾むというわけでもない。ただ薄闇で沈黙を共有し、干菓子を齧り茶を啜る。ただそれだけ。
最近女を連れ込んでるんだってな、と西には冷やかされたが、別に何もしていない、というと、お前はまたそれか、と苦笑された。女の身にもなってみろよ。 などという。
どうなんだろうか。指一本ふれないでいることはそれほどまでに失礼なことか?
女に尋ねると、女は漣をたてた。 触りたがるお客ばかりだから、あんたみたいなのがいるのも気が休まっていいよ。  ならばいいのだが。  
ふい、と女が茶碗を置いた。身を乗り出す。ああこの女、目が少し群青がかっているのだな。などということに、今更のように気がつく。 嗚呼でも無関心すぎるのも癪だね。
無関心なことはない。無関心な女に茶を振舞う奴がいるかね。 また漣。わたしはじっとその漣が闇に溶けていくのを眺める。水面が鏡のように静まった時、女は席を立った。そして黙って家を出ていった。

もう女は逢えないのだろう。そんな予感がうっすらとして、そうすると不思議に頭の中に絵が拡がった。久しぶりの天啓に、わたしは無我夢中で白紙を探しだし、墨を摺る間も惜しいかな、一気呵成に描きあげた。
頭上には蝙蝠が舞う柳のたもとで、黒衣の女が少し身をよじるようにして立っている。凛とした後姿。

一度だけ女に逢いに行った。相変わらず水のまなざしで微笑む女に、わたしは四つに折畳んだ絵姿を差し出した。女は不審気ではあったが、受取ることは受け取ってくれた。黙って立ち去るわたしの背に、津波。水没した場末の通りを泳いでいくわたし。すべてが哀しげに色褪せ、流れ去っていく。
それから後、わたしは柳のたもとには通っていない。女も長屋には来ない。

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