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まほろ王国コミュの毒蜜想 (3)

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 一度だけ、生理があった。忌まわしい、魚の匂いのする暗い血が、だらだらと体から堕ちていく。
 そんなことは、私の体には許されない。
 母が血の色をしたご飯を炊く。私は赤飯には一切箸をつけない。
 生理は一回で終わらせた。簡単なことだ。食事を1/3だけで済ませる。まだどちらのものともつかぬ体は、すぐに少年に戻る。
 やせっぽっちの私。氷を齧って空腹をしのぐ。

 それでも、異質なものを体内では育む可能性が怖かった。薬ならたくさん知っている。蔵にある本にのっている薬なら、たいてい調合することができたし、体の中の蟲を殺す方法だって幾通りも知っていたけれど、それでも。

 沙南をゆっくり殺していくことを決意したのは、その頃だ。
 沙南だけがこどものままの私を抱く。沙南だけが私の体の静かで緩やかな変化を知っている。彼を生かしておくことは、これ以上できない。

 とはいえ、屋敷で一番薬について熟知している彼を毒殺するのは至難の業だった。数ヶ月、書庫をひっくり返して暗中模索した結果、私が選んだのは膏薬だ。無味無臭、蓄積されていく鉱毒を含む。そんな膏薬を彼が愛撫するであろう部位に刷りこんでおく。あまりに猛毒だと私自身にも毒が廻る。その辺の匙加減が難しかったが、難しいことほど、やりはじめると楽しいものだ。
 半年で、沙南は体調不良を訴えるようになった。沙南は自分で薬を調合して飲むようになったが、原因がよくわかっていないので、気休めのような薬しか作れない。私はこっそりと彼の飲む薬やお茶に、同じ鉱毒を注入しはじめる。効果は覿面だった。
 彼は次第に四肢の自由を奪われ、意識がなくなり、縮こまるようにして死んでいった。
 彼の黒く歪んだ死体は明らかになんらかの中毒を思わせるものだったが、己で薬を調合していたことが災いしたのだろう、と誰も彼の死を不審には思わなかった。
 いまだ土地の細かなあれやこれやに強い影響力を持つ旧家に深く関わろうとするものが誰もいなかったこともある。蝮部に関わると呪われる。近隣の人々、ことに年配の人々はそういって魔除のまじないをした。今まで、そんなことは年寄りの繰言だ、と小馬鹿にしていた人々ですら、沙南の死に方をきくと震え上がったという。
 なにか蟲に嫌われることをしたのだろう、と。

 沙南の葬式は、本家で仰々しく行われたものの、空虚であっけないものだった。皆、目を伏せてお悔やみを述べるが、だれも本当に悲しんではいない。私はその時はじめて、沙南に家族とよべるものがなかったことに気がつく。
 彼は、蝮部の私生児のひとりだったのだ。祖父の腹違いの弟のひとりだったらしい。
 威圧的で魔物のようにみえた沙南も、ぼろぼろに崩れた骨になってしまうと、儚いものだった。私はこっそりと骨をひとかけらポケットにしのばせる。あとで壜にいれて飾っておこう。孤独な生涯を送った沙南の記念に。

 もしかしたら私の父だったかもしれぬ彼の記念に。

 学校の授業は、可もなく不可もなく、退屈だった。クラスメートたちの中に、私を苛めようとする子がいなかったわけではない。彼らにしても暇つぶしだし、私にしてもそれに耐えるのは暇つぶしだ。ところが、沙南の不気味な死について親たちから聞かされたのだろう、喪があけて登校すると、陰湿な嫌がらせはしんとなりを潜めてしまった。
 変わりに奇妙な信奉者の一団が密かにできていた。私は知らないうちに「呪いの会」の教祖様に祭りあげられたのだ。所属しているつもりも、ましてや統率しているつもりはさらさらなかったのだけれども。彼らは月に一度、会報と称して粗雑な小冊子を私に捧げに来る。断る理由もないので受取っていたが、気が向いたときにぱらぱらめくってみるだけで、特にきちんと読んでみたりはしなかった‥‥その記事に出会うまでは。

『 世にも奇妙な書物―ヴォイニッチ手稿―
今回、われわれが紹介するのは、世界でもっとも奇妙な書物として知られている文書である。表紙や幾つかのページは紛失しているが、見たこともないアルファベットや不思議な植物が描かれたおよそ230ページからなる古文書だ。われわれはこれらを、呪術的な秘密文書であることを信じて疑わない。事実、専門家も薬草学や錬金術に関係深い文書であるという見方をしているそうである。 』

鮮明とは言い難い図版が白黒で紹介されていた。薬草学ときくと、私は目を通さずにはいられない。しかも蝮部の蔵書にはなかった文書の名前だ。
 奇妙な植物と、奇妙な文字。わたしの背中に冷たい戦慄が走る。
 私にはこの文字が読めたのだ。曽祖父が幼い私に教え込んだ秘密のことばで、古文書は書かれていた。摩蟲守の失われた秘伝書はこれだったのだ。

 これほど有名な文書に、なぜ一族が気がつかなかったのか不思議といえば不思議なことだろう。おそらく、みな余りに前近代的だったのだと私は思う。屋敷の外に拡がる世界になど興味がなかったのだ。たくさんの戦火をくぐって細々と生き永らえてきた古い書物と草の種、そして秘密の言葉と秘密の儀式。1000年の間、蝮部はそれらを守り伝えることのみに汲々として、新しいものはなにひとつ獲得しようとしなかったのだ、おそらく。ましてや、海の向うの、言葉の違う国の書物など、知るよしもなかったのだろう。

 曽祖父が思いもつかなかったであろう電子の海を、私は泳ぐことが出来る。
元は蝮部のものから写したのにちがいない古文書の写しを、遠く異国の図書館からとりよせることができる。
どれほど危険な言葉が綴られているのか知らない大学図書館の文書の扱いは、鷹揚として親切すぎるほどだった。新大陸の図書館に納められていたことも幸いしたのかもしれない。大量に入ってくるその国のイメージは、あけっぴろげで陽気であり、親切そうだったから。
 門前の枝垂桜が美しく咲き誇りはじめた夕方、私は重たい包みをうけとる。すぐさま、美しい絵葉書を買ってきてお礼を書いた。習いたての異国の言葉で。
 曽祖父がこのことを知ったら、さすが濃の選んだ跡継ぎだと金の目を細めたろう。この時ほど、幼い頃にはあれほど恐れた爬虫類の目が懐かしかったことはない。この広い世界で、この古文書が読めるのは私と亡くなった曽祖父だけなのだから。
 むろん、このことは秘密だ。

 「呪いの会」のメンバーにも少なからずお礼をしなければ、と(妙なところで律儀なのは、古い礼儀作法で躾けられたからだろうか)、ちょうど本家の桜が綺麗だったので、お茶の会に招待する。
 すこしばかり装ったメンバーたちが、おそるおそる本家の門をくぐる。市松模様の石畳を照らす燈籠には、まだ日中なので薬香が入れてある(客人のある徴だ)。数10m歩いた先の玄関前で腰を折っている女中をみつけて、彼らが目を丸くしている。私は、白と見紛うような若草色の着物姿で彼らを出迎える。それにも驚いたのかもしれない。「お茶の道具をあとで何首鳥の間に運んで」私はそっけなく告げた。「はい、カヲルさま」彼女は一礼すると、音もなく屋敷の奥へ小走りに去る。私は、双頭の蛇に見据えられた彼らが落ち着きなく靴を脱ぐのを見守った。東の廊下を通って、庭が一番綺麗に見られる広間へむかう。
 お茶をたてて出しても、彼らはますます戸惑うばかりのようだった。
「毒は盛ってないよ」私は軽く微笑んで、お茶を飲んでみせ、和菓子を口に含む。
 メンバーたちの固い表情が、少しだけ緩む。「作法も気にしなくていい。大人たちはいないから。それに僕がこの屋敷の当主なんだ。だから、あなたたちは当主のお客様ということになる」
「たじひべさん凄い。やっぱり呪いの会の教祖様だわ」メンバーたちは口々に私とこの屋敷を、お茶とお菓子を、庭の桜を誉めそやした。
 広間の隅ではあのお香がしずしずと煙をあげている。私はお茶をどんどんたて、お菓子もどんどん持ってこさせる。メンバーたちは酩酊し、呪いの話やさまざまな忌まわしい噂を嬉しげに語り合う。
「たじひべさん綺麗だよねー 色も白くってさー 本当に深窓の若君、って感じがするー」
「無口で冷たくて賢そうでミステリアス。こんなひとが今の世にいたんだなーて驚きー」
呂律のほとんど廻らなくなった口と口と口。私も少し気持ちよくなってくる。この香煙の効果は本当に素晴らしい。午後が深まっていくにつれ、少年と少女たちはあられもない姿で交わりあい、だらしない微笑みを浮かべて、昏倒する。私は楽しくて仕方がない。桜の花弁がはらはらと散って、私は昔のことを思い出したりする。

 秘伝書を読み解くのは、素敵な作業だった。実用的な薬もあれば、呪術的なもの、迷信まがいのものもある。使われている植物や鉱物にしても、知ってるものもあれば知らないものもあり、入手が可能なもの、困難そうなもの、不可能なもの、と色々だ。
 一番嬉しかったのは、蔵にあった読みにくい古書に比べ、異国からとりよせた古めかしい写しの方が私にとってずっと読みやすかったことだろうか。
 秘伝書らしいところとしては、材料を採取する時や調合する時にお呪いの文句を呟け、という薬が少なくないところだろう。そしてそれらのお呪いの幾つかは、蝮部家に古くから伝わる言回しや魔除けの呪文だったりするのも、素敵な発見だった。
 秘伝書にある薬だからといって、すべて知らなかったわけではない。むしろ、紹介されているほとんどの薬は、私にとって見覚えがあったり馴染深かったりするものばかりだった。
 長い間行方不明になっていた懐かしいものに出会えたような、そんな気分である。

 読書に疲れると、わたしは薬草畑を散歩したり、モルモットたちと遊んだりした。忠実な植物たちに語りかけ、従順な黒い目に報告をする。草花は風に揺らいで緑の匂いで応じ、モルモットたちは賢そうに耳を傾ける。
「毒蜜草をみつけたの。伝説の毒薬よ。」 開け放した窓からは、春がおわっていく匂いがする。ゲージを開けてもモルモットたちは逃げたりしない。わたしの掌に載って、寛いだ様子でいつもより少し上等の餌をつつく。「簡単にみつかる道端の草の中に、あんな宝物が隠れてるだなんて。昔のひとは賢いね」 黒い目がくりくりとわたしを見上げた。 「おまえたちもね」

 毒蜜草。まさしく毒でありながら蜜の味がする致死薬。かつ、6時間で薬を使われた痕跡は消えてしまうという(秘伝書には、呪文を唱えれば、とあったが)。
 なにげない、ささやかな、小さな雑草に秘められた、恐ろしくも甘美な力。
 抽出するのはかなり難しく、秘伝書に指示された「薄水に澄んだ液体」をつくりあげるまで何度も失敗したが(私にしては珍しいことだ)、一度コツを掴んでしまうと、丁寧に作業をすれば必ず作り上げられるようになった。毒蜜草に出会った季節もよかったのだと思う。毒蜜草のか細い槍状の葉が猛毒を持つのは、春から初夏にかけて、白い小さな花が咲いている間だけなのだが、秘伝書を読み解いたのがちょうどその季節だったから。
 わたしはこの季節を逃すまい、と原料の草を採取しまくった。庭、街路、近所の公園、畑の畦、校庭、隣町にいたるまで。それらの保管のために新しく冷蔵庫を買ったくらいである。
 みんな変な目でわたしを見たけれども、見られるくらいなんでもない。
 だってわたしは蝮部だ。変なヤツであることはみな承知だ。

 薄水いろの液体は、三角フラスコに入れて揺するとうっとりするほど優雅で綺麗だった。
かつての貴人たちが、いざという時美しく自死するために毒蜜草の小瓶を持ち歩いていた、というのもうなずける。

 ウサギを使った実験が終わったら、次は人間だ。
 私はまず母を殺すだろう。蛇の紋を持ち、いまやほとんど正気にかえることのない、永遠の少女を。私をこの呪わしい世に産み落とした女を。
 それから父を。もしかしたら遠い血縁かもしれぬ、継承者から外されてしまった柔和な男。
 そして一族のものたちを根絶やしにするだろう。毒蜜草を煎じることのできる秘儀こそ、本当の秘儀だ。伝説の毒薬で死に絶えるだなんて、これほど劇的なことはない。
 甘美で優しい夢の中で私たちは地獄へ堕ちる。これこそ摩蟲守らしい最期だ。


 8月某日、異臭がするという知らせをうけてS市加々知の旧家蝮部家に入った警察官3人は、終生忘れえないであろう恐ろしい光景を目にした。
 屋敷に近づくにつれ、鼻が曲がりそうな酷い腐臭はより一層強くなり、寺の山門と見紛う立派な正門をくぐったところで、堪えきれず全員がマスクを着用。門から屋敷に到るまでの道は夏草が生い茂り、数週間ひとの出入りがなかったことを伺わせる。嫌な予感に背筋を震わせながら、玄関に到着すると予想通り施錠はしていない。おそるおそる屋敷内に踏み入れていく。ひどく取り乱してひとびとが脱出した気配が残っているものの、特に荒らされた形跡もなく、広々とした日本家屋内はみたところ無人だ。蝉の声だけが姦しく響いているのが、余計に森閑とした印象を3人に与えた。
 腐臭は離れの平屋からしているらしい。その建物を見た途端、3人が3人とも、真夏の最中であるにも関わらず冷や水を頭から浴びたような心持になった。開け放たれた襖の向うにもはや人の形をとどめぬ物体が幾つも幾つも転がっている。平屋のその入口は、口を開けた動物が涎を垂らしているかのごとく、だらだらと滴る蛆虫で一杯になっていた。
 加々知の集団殺人事件は、こうして世間にセンセーショナルを巻き起こす。
 死者は33名。32名が白い着物に白い仮面姿で成人。1名の少女のみが仮面は被っていなかった。腐敗がひどく、個人の特定は困難をきわめたが、屋敷の部屋に残っていた私物から死者の名簿は迅速に作成された。全国から寄り集まったらしい40代から70代までの男20名、女12名、それと蝮部の姓をもつ14歳の少女A。集まった男女は親族にしては幅が広すぎることと、死者が集っていた家屋に千手観音が祀られていたことから、なんらかの秘密結社、もしくは宗教団体の集会だったのではという見方が有力だ。死因ははっきりしない。蔵に収められていた大量の薬草学の書物から、毒殺だったのでは、といわれているが、死体からはいまだ証拠がでていない。
 なお、家宅捜索により少女の使っていた実験室から不可思議な文書のコピーが押収された。世界的に有名な怪文書であり、今まで解読できたものはいないのだが、彼女には読めたらしい。というのも、少女はコピーに記載している暗号と同じ文字でメモをとっていたのだ。それを知った、少女に航空便で文書のコピーを送った老舗の大学図書館は読み方がわかっていたのなら教えて欲しかったと悔しがったという。冷蔵庫に残されていた壜のいくつかには薄水色の液体が入っていたが、未発見の液体らしく詳しい分析にはかなり時間がかかるという。
彼女が飼っていたらしいモルモット23匹はすべて死亡。あるものは共食いをし、あるものは病気で死に、あるものは餓死したと思われる。
 少女の通っていた中学校では、彼女が入学して以降、飼育されていた兎が何匹か病死したらしいが、特に不審な点はなかったと理科教師は報告している。
 加々知では、蝮部家に関係するひとびとがこの2〜3年で何名か亡くなっていたが、明らかに薬物死とみられていたにも関わらず、特に捜査されることがなかったことに対し、マスコミからは批判の声があがっている。
 しかし、加々知に古くから住む近隣の住民は、そんなマスコミを逆に嘲った。
「蝮部家は蟲に喰い殺される運命だったのじゃ。それを邪魔したら、逆にわしたちが喰い殺される」
 少女のパソコンには、通常の日本語で書かれた文書も残されていた。ファイル名は『毒蜜想』。7月末に更新されている。「昨日の真夜中、学校のウサギを殺した」と、その手記は語り始める。

コメント(1)

 遅ればせのあとがき

長い間、暖めていた物語である。
否、暖めていた、というのは語弊があるかもしれない。ほったらかしていた。

05年末に報道された、女子高生が実母を毒殺しようとしたという衝撃的な事件が、この物語を書こうと思った発端である。
世間では、化学好きで毒殺犯に憧れていた彼女を異常視したけれども、母親が中毒に犯されていく様子を冷徹に綴っている様子に震撼したけれども、わたしはそんなに異常なこととも思えなくて。
たまたま彼女は手段を知っていて、実行する勢いがあっただけで、きっと誰しもそういう『闇』は持ってるんじゃないかなと、思ったのである。
誰もが隠し持つ闇。気がつかずにいる闇。
そういうものを書きたいなと、彼女に石を投げる人々に「あなただって大して違いはない」と石を投げ返したいと思ったのだ。

結局、全然ちがう物語になってしまいましたが。
段々、ちがう方向に流れていく物語の筋が追えなくて、長い間ほうっておいた。
たまたま扉をあけると、明確に流れがみえて、一気に書き上げてしまった。
そんな感じ。

語られている生理的なものに対する嫌悪は、実際わたしの中にあるものです。
命を育むことに関しての、生きながらえていくことに関しての、違和感。
声高に主張することでもなく、一般的には「間違った」考え方だと非難される事柄ではありますが、だからといってそれがないことにはならない。生きていくことへの嫌悪や恐怖が心の底に巣食っているひとは少なくないと思う。
「いいこと」「正しいこと」だけで成り立たない歪みを、歪みとして眺め、受け入れること。
それが、わたしが物語を語りたくなる時の、動機なのです。

                              080804 水幻冴月

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