小説を書こう！！コミュの『恋愛』一まとめver

　俺の名前は蒲田恭介。異界町にある清明中学に通う３年だ。異界町は周りからかなり疎外されていて、ここ数年ほど前まではほとんどの地図に載っていなかった。最近になって国が載せるように指示しているらしい。だから俺らは小学時代、自分の町が載ってる地図帳を使うどころか目にすることすらなかった。それほどまでに嫌われた町だ。だけど、決して田舎だというわけではない。確かに娯楽施設は少ない。映画館、ゲームセンター、カラオケ。その３つくらいだろうか。しかも町自体小さいからそれらの施設も１件ずつしか存在しない。だけど、企業に関しては目を見張るものがある。自動車業、漁業、メディア関係など、色々なジャンルの会社がこの町に支店を置いている。だからある意味都会だ。この話は、そんな町で育った俺と、俺を取り巻く数人による話だ。
　「おはよう。」
ある日曜日、俺はいつも通り朝７時に目を覚まし、一階に下りた。一階にはいつもなら仕事でいないはずの母さんがいた。
「あれ？今日仕事は？」
「今日はちょっと事情があって別の人にお願いしてもらったの。今回はヨーロッパが仕事先だから、しばらく帰って来れないしね。ほら。早く着替えてらっしゃい。朝ごはんの用意はできてるんだから。」
そう言って母さんは、テーブルの椅子を俺が座れる程度にテーブルから離してくれた。
「別に無理しなくていいのに。母さんだって仕事で疲れてるんだし。」
俺がそう言うと、母さんは決まって強がる。
「あら。これでもまだ若いんだから。まあ確かにお父さんが生きていてくれたら少しは楽だったんだろうけどね。」
「親父か・・・。でも、そんなこといまさら言ってても仕方ないだろ。過去は過去。悲しいけど、死んじゃった人間は二度と生き返らないんだから。」
そう言いながら俺は着替えに戻った。俺の親父は俺がまだ小さい頃、仕事で海外に出たきり帰らぬ人となった。その時、仕事仲間の異音の両親も一緒だった。つまり、異音の両親も既に他界しているということだ。異音（本名　飯田異音）は、俺より一つ下の幼馴染。俺が小さい頃から一緒に遊んでたせいか、やたら生意気だ。でも、身寄りがいないから仕方ないと思って俺はそれを受け入れている。両親が死んだ時、異音は近所の親戚の家に引き取られた。だけど中学入学の時、あまり迷惑を掛けたくないと言って家を出て、かつての自分の家に一人で住んでいる。仕送りはなく、生活費は親の遺産で賄っているという話だ。母さんは何度も異音を俺ん家に住むように誘っているけど、異音はいつも苦笑いを浮かべてこう答えるらしい。
「恭介に迷惑なんてかけられないから・・・。」
まったく、普段は生意気なくせにこういう時だけ優しくなるのはどうかと思う。が、それが異音のいいところでもある。
「いただきます。」
着替え終え、俺は母さんと二人きりの食事を約数週間ぶりに摂った。普段、通訳の仕事で世界中を飛びまわっている母さんと飯を食うことはまずない。家に帰ってきても夜遅く、おまけに次の日の早朝にまた仕事といったハードスケジュールのせいで、家に帰ってきても休む暇すらないからだ。
「なあ、母さん。」
俺は黙々と食べ続ける母さんに声をかけた。
「何？」
「なんで今日休んだんだよ。体の具合でも悪いのか？」
俺がやや不安そうに訊くと、母さんは妙な笑みを浮かべて言った。
「恭介。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いい？」
「別に、今日は部活もないからいいけど。」
「あのね、今日母さんとお父さんのお友達の娘さんがうちに来るの。」
「ふぅん。で、迎えに行けと言いたい訳だ。」
何が言いたいのか大体見当が付いた俺は、母さんより先に答えた。母さんは相変わらずすごいと言いたそうな顔をしていたけど、俺にとっては普通だった。
「で、そいつの名前は？」
「ええとね、願(ねがい)涙(るい)ちゃん。１５歳だよ。恭介と同学年で、しばらくうちで暮らすから。」
あまりの急展開に、さすがに俺の頭もついていかなかった。しばらくぼーっとした後、俺は椅子から落ちた。
「願！？願って、あの願株式会社の？」
「そうそう。そこの娘さんなの。涙ちゃんは。駅までは自分で来るらしいから、１１時までに迎えに行ってあげて。母さんは今日仕事休んだからその分の仕事しないといけないし。よろしくね。」
さすがの俺も度肝を抜かれた。一、大企業のお嬢が家に泊まりに来る。しかもしばらくということは学校に通うということだろう。これからの通学が楽しみだ。
「あれ？でもなんでよりによってもうすぐ卒業って時にわざわざこんな辺鄙なところに来るんだよ。」
素朴な疑問を洗い物をしている母さんにぶつけた。
「詳しくは聞かされてないけど、なんでも一大事らしいよ。命に関わることだとかって。」
「命？大袈裟だな・・・。まあいいや。その辺は本人に会って聞くとするよ。」
そう言って、俺は部屋に戻った。
　「１０時半に出れば間に合うな。それまで寝転んでるか。」
時は既に2月になろうかというところ。つまり、既に俺の進学は決まっているということだ。とはいえ、行くところはエスカレーター方式で清明高等学校なんだけど・・・。
「最近だらけてるな。俺・・・。」
そう呟きながら、俺は無駄でのんびりしたひと時を過ごした。そして１０時半になり、俺は厚手のコートを羽織って家を出た。外は雪がちらついていた。
「寒いな。もう２月だから当たり前だけど、ここの冬は他のところより寒いからな。ったく。早く用済ませて帰るか。」
俺はぶつくさ言いながら駅に向かって歩いていった。家からこの町唯一の駅まで歩いて２０分ぐらい。だけどいくつもの坂を経由しなければならないから、相当疲れる。途中、コンビにやら自販機がいくつかあるから夏場でも死ぬことはないけど、汗でずぶ濡れになる。そんなこんなで冬空の下、俺は駅に辿り着いた。
　駅に着くと、俺は願涙なる人物を探し始めた。
「母さんの話によると、確かこのホームの６号車のはず。ここにいれば分かるだろ。お嬢さんらしいやつを探せばいいんだからな。」
俺はとりあえずあたりを見回してそれらしい人物がいないかどうかを調べた。だけど、俺と同じくらいの年頃の女の子といったら、さっきから俺同様誰かを探している様に見える、金髪の少女ぐらいだ。
「・・・いないな。ったく、母さんも写真くらい見せてくれればいいのに。おそらくどこかですれ違ったか・・・。ちょっと戻ってみるか。」
そう思って金髪少女の隣を通り、階段に向かおうとした。すると、金髪少女のつぶやき声が聞こえた。
「おかしいなぁ。おばさんの話によるともう着いてる頃だって話なのに。どこにいるんだろう。」
予想通り、この少女も人を探しているようだ。あまり関わらないようにしようと思いつつも、なんとなくこの少女の相手がどんな奴なのかが気になって、俺も声が聞こえる範囲で待機した。まるでストーカーだ・・・。
「どこにいるんだろう。しばらく会ってないからなぁ。おじさんに似てかっこよくなったんだろうなぁ。恭介君。」
ん？恭介？どこかで聞いたことある名前だな。と、一人ぼけしながら、俺は今の言葉を思い出した。恭介。確かに少女はそう言った。でも待てよ。もしかしたら京介かもしれないし京助かもしれない。ということで、俺はもう少し様子を見ることにした。
　それから２分ほどたった。
「おかしい。おかしすぎる。もう次の電車来るぞ。ああ、きっと乗り遅れてるんだな。うん。そうに違いない。」
自分でもわけの分からない独り言を呟いていることに気づいた。俺の近くでは、少女がまだ人探しをしていた。というより、ずっと動かずきょろきょろしていた。俺は、そのときあることに気づいた。少女の足元には旅行用バッグがあった。
「まさか。まさかな。願涙って名前からしてもそうだけど、外国人なわけないよな。確かに日本人のはずだ。」
俺はそう自分に言い聞かせた。けど、やはり気になり、とうとう声をかけることにした。
「あの・・・。」
俺が声をかけると、少女は驚いた様子で俺の方に向き直り、返事をした。
「は、はい！なんでしょうか？」
見た感じ、あまり大企業の社長の令嬢には見えない。金髪。蒼い目。小物のピアス。どこにでもいそうな感じの少女だ。
「さっきからここにいますけど、誰かを待ってるんですか？」
「そうなんですよ。本当ならもうとっくに来てるはずなんですけど、どうやらどこかで道草食ってるみたいで・・・。恭介って名前なんですけど、知らないですか？」
やたら積極的な少女だ。そしてなんとなくいやな予感がしながらも、俺はその少女に尋ねた。
「恭介・・・。そいつ、苗字は？」
「ええと、確か蒲田です。」
間違いない。俺だ。知らないですと言ってその場を立ち去りたかったけど、さすがに彫っておくわけにもいかないから、仕方なく名乗ることにした。
「俺だよ。俺が蒲田恭介。」
「え・・・？」
その時、少女願涙は驚きを隠せない様子だった。
「え、え、え～！あなたが恭介君ですか！？うそぉ。おじさんよりかっこいい。」
「あのなぁ、大声で変なこと言うのやめろよ。ほら。とっとと帰るぞ。」
そう言って俺は足元に置いてあった荷物を手にとって歩き出した。
「あ、荷物は自分で持ちますよ。悪いですし。迎えに来てもらった上に待たせてしまって。」
見かけによらず責任感が強いところは、さすが令嬢といった感じだ。だけど俺はその好意を拒否した。
「いいよ。これくらい軽いし。それに母さんも荷物要員目的で俺を送り出したんだろうしな。気にすんな。ほら。ついてこいよ。」
俺はそう言って歩き出した。家に向かって。
　初めは軽い荷物だった。いや、そのはずだった。だけど、いざ家に着いてみると、俺は汗でぐしょぐしょになっていた。
「くそ。あの上り坂め。真冬なのになんでこんなに汗かかなきゃいけねぇんだよ。それも真昼に・・・。」
「ごめんなさい。やっぱり私が持ったほうが良かったですね。」
すまなさそうな顔で願涙が言った。
「だから気にするなって。俺だからこれくらいで済んだけど、ひ弱なお前みたいなのが持ったら汗かくどころか半日かかってたところだ。」
俺はそう言いながら家の扉を開けた。
「ただいま。」
俺が家に入ると、いい匂いが台所からしてきた。靴を脱ぐと、母さんが台所から出てきた。
「あ、おかえり。遅いから心配してたんだよ。」
そして俺の後ろにいる願涙を見るや否や、態度が急変。接客モードになった。さすがは現役通訳。上客への接し方はどこにいても心得ているらしい。
「俺、汗かいたから汗流してくる。」
俺はそう言って部屋に上がろうとした。が、襟首を母さんに掴まれ、それを阻止された。
「恭介。今母さん料理作ってて手が離せないから、悪いけど涙ちゃんを部屋に連れてってあげて。」
「部屋？どこの？」
「恭介の隣の部屋。もう掃除は済ませてあるから。」
「俺の隣ね。って、おい。まだ部屋は他にもたくさんあるだろ。なのになんでわざわざ俺の横の部屋なんだよ。」
俺はなんとか部屋を変えさせようと試みた。だけど、母さんがいる家での俺の権力は無に等しく、まったく効果はなかった。
「ったく。なんで一軒家なのにこんなに空き部屋多いんだよ。ホテルか。俺ん家は。」
愚痴をこぼしながら階段を上り始めた。
「しょうがないでしょ。父さんがいた時は仕事の関係上お客さんが多かったんだから。それより早く案内してあげなさい。」
「分かったよ・・・。」
かあさんにせかされながら、俺は部屋に向かって歩き始めた。その姿はまるでホテルのボーイだった。
　「ほら。ここがこれからお前の部屋だ。」
俺は部屋の扉を開け、持っていた荷物を床に降ろしながら言った。
「わぁ。私の部屋と広さ変わらないなぁ。」
願涙はやたら感動していた。そして、俺の方を向いて言った。
「ありがとうございました。荷物運んでくれて。」
「だから気にするなって。これで３回目だぞ。」
俺はため息をつきながら言った。
「そうだね。ごめん。これからは色々とご迷惑おかけしますけど、よろしくお願いします。」
そう言ってぺこりと頭を下げた。そこまでされると、さすがに対応すべきだと思い、俺も軽く会釈した。
「ところで、呼び方についてなんですけど・・・。」
「俺のことは別にどう呼んでもいいよ。変な呼び方じゃなかったらな。」
「いえ、そうじゃなくてですね。さっきから恭介君、私のこと、お前としか呼んでなかったから・・・。」
うつむきながら願涙は言った。
「じゃあ、どう呼べばいいんだよ。願でいいのか？」
俺が言うと、願涙は首を横に振って答えた。
「いえ。涙でいいです。願っていうのはどうもしっくりこなくて。」
「そうか。じゃあこれからは涙って呼ぶことにする。それじゃあ、俺は部屋に戻るから。」
「はい。ありがとうございました。」
涙の笑顔に見送られながら、俺は部屋を出ようとして振り返った。
「そうそう。涙、学校はいつから？」
「明日から早速登校することになってます。色々教えてくださいね。」
「ああ。それはいいんだけど、その前にさ、その、髪の毛と目、どうにかならないのか？」
俺は頭を指差しながら言った。
「あ、そうですね。すぐに染め直してカラーコンタクト外しますね。」
「別に明日までだから急ぐ必要はないけど、明日その格好で登校って言うのだけはやめてくれよ。頼むから。校則厳しいんだよ。俺の学校は。」
「はい。ご忠告ありがとうございました。では。」
そう言われ、俺は部屋を出て自分の部屋に戻った。
「・・・さてと、汗流してくるかな。」
俺はすぐまた部屋を出て、シャワーを浴びに脱衣所に向かった。
　「ふぅ。やっぱり汗流すと気持ちいいな。」
俺は濡れた頭を拭きながら階段を上っていった。すると、上りきるのと同時に涙が部屋から出てきた。
「あ、恭介君。どうですか？染め直したんですけど。真っ黒は嫌なので、少し茶色混ぜたんですけど、いけないですか？」
俺が風呂に入ったのはついさっき。あれから１０分とたってない。一体どんな魔法を使ったんだ。などと思いつつも、俺は答えた。
「いや、それくらいなら問題ないよ。普通に俺の学校にもいるから。」
そう言って、涙の顔を見た。
「？どうかしましたか？私の顔なんて見て。」
涙に声をかけられ、俺は我を取り戻した。駅で会ったときとはまるで別人だった。涙こそまさしく、転校した当日に男に言い寄られるキャラだ。
「いや、別にどうもしないよ。それより昼飯だから、そろそろ下に下りろよ。」
「あ、はい。わざわざありがとうございます。」
礼儀正しさだけは一人前だな。そう思った。そして俺も部屋で髪の毛を乾かし、すぐに下に下りた。
　「久しぶりにまともな物を食べたな。」
昼飯をたいらげ、ソファーに寝転びながら俺は言った。
「久しぶりって、恭介。あんた料理できるでしょ。」
母さんは少しだけ驚いた様子で言った。
「作れるけど、お世辞にも美味いなんて言えないからな。段々飽きてきたし。母さんみたいにバリエーションにも富んでないから。」
俺はあくびをしながら言った。進学が決まっているとかなり楽だ。おまけにもう部活もない。部活がないのは少し寂しくもあるけど、部長兼キャプテンと言う重荷が肩から降りたと思うとうれしくもあった。
「ま、これからは母さんがいなくても涙ちゃんがご飯作ってくれるから心配はしてないけどね。」
「そいつ、飯作れるの？」
俺は半信半疑な気持ちで訊いた。
「当たり前じゃない。涙ちゃんはプロ級の腕を持ってるんだから。ね、涙ちゃん。」
同意を求めるような声で母さんが涙のほうを見た。涙はおどおどしながらも、それほどではないですけど料理はできますと小さく答えた。
「ふぅん。じゃあ今夜は涙に飯作らせてよ。ほんとに美味いかどうか確かめるから。」
「母さんはかまわないよ。涙ちゃん次第ね。どう？涙ちゃん。」
俺と母さん二人の視線を受け、顔を伏せながら涙は答えた。
「は、はい。私は大丈夫です。それで、今日は何を作りましょうか？」
「別にメニューなんてなんでもいいよ。お得意の料理で。」
「そうですか。それでは今夜、頑張って作りますから。」
そう言って涙は階段を駆け上り、そそくさを退散してしまった。
「相変わらず可愛いねぇ。涙ちゃん。」
「相変わらず？母さん、あいつと会ったことあるの？」
「何言ってるの。昔あの子、この町に住んでたじゃない。とは言え、恭介がまだ小さい頃に都会のほうに出てっちゃったから覚えてないかな。」
まったく身に覚えがなかった。
「へぇ。でも、悪いけど覚えてない。」
「勉強以外のことであんたの記憶に期待なんかしてないわよ。」
これはこれでムカつく言葉だが、取り合えずその場は何も言い返さなかった。
「願さんはお父さんの同級生でね、親友だった人。母さんとも顔なじみなんだから。」
「偉い出世の差だな。親友の片方は外交官で片割れは日本でトップクラスの大企業の社長。」
「あんたねぇ。父さんだって外交官の中じゃトップクラスだったんだから。」
母さんは懐かしそうに言った。だけどその懐かしさの中には、夫を失った悲しみのようなものが渦巻いていた。一瞬時が止まったような気がした。俺はソファーから起き上がると、部屋に戻っていった。あれ以上あの重苦しい雰囲気に汚染され続けたらいずれ自我を崩壊することになりかねないと思った。
　部屋に戻ると、まず、パソコンの電源を入れた。最近は勉強もそっちのけでパソコンのチャットに没頭している。当たり外れが多いらしいけど、とりあえず俺が行った場所はいい人ばかりの当たり部屋だった。画面が全て表示されると、俺はインターネットに接続し、チャット部屋に向かった。
「今日は日曜日だし、誰かいるだろ。」
そう思ってチャット部屋に入った。だけど、部屋にいたのは一人だった。
「修輔だけか。」
現在の入室者のところには、俺のHN、つまりネット上での名前であるkyoと修輔という名前しかなかった。
『kyoじゃん。今日は早いんだな。』
早速修輔が話しかけてきた。この修輔がどういう奴で、どんな顔をしているのかは知らない。ただ分かっているのは、俺と同じ中３でとある島に住んでいるということだけだ。この情報は俺と修輔が仲良くなって携帯のメールアドレスを交換したときに入手した。
「今日はやることなくて暇なんだよ。」
『暇ねぇ。俺なんか昨日受験でさ、結果がどうなのかマジ心配だよ。』
「昨日受験だったんだ。そりゃ大変だったな。お疲れ。で、手応えは？」
『まあまあかな。とはいえ、俺が受けた高校人気高くて偏差値も高いからかなり厳しいって感じだな。』
「でも、やれることはやったんだからさ、後は気を楽にして結果を待ちなよ。」
『そうだな。』
そこまで話したところで、別の人が入ってきた。そこで俺らの受験話は打ち切りになり、あとはどんどん増えていく中で楽しく会話をした。チャットは時を忘れる。そのおかげで、気づけばもう午後６時になろうとしていた・・・。
　「恭介～。ご飯よ～。」
母さんの声が下から聞こえてきた。
「あ、そろそろ夕飯みたいだから落ちるな。また今度。」
『おう。またメールするな。』
『ばいばい☆』
『じゃあね。また今度♪』
と、修輔を筆頭に別れの挨拶が飛んできた。俺はパソコンの電源を切り、下に下りた。下に下りると、なかなか美味そうな中華が並んでいた。
「へぇ。中華作れるんだ。これで美味かったら問題なしだな。」
俺はいすに座った。
「恭介。涙ちゃんに失礼でしょ。そう言うのは食べてから言いなさい。」
母さんに軽く怒られ、俺らは箸を手に取り、涙の手料理をつまんだ。
「・・・！これは・・・。」
俺は箸を落としそうになった。体中を電撃が走る。
「どうですか？不味かったら残してください。遠慮せずに。」
涙は不安そうな顔で言った。だけど俺はその不安そうな表情を打ち消した。
「いや、不味いどころか美味いよ。マジで。ぶっちゃけ母さんのより美味いと思う。」
「そうねぇ。母さんもこんなに美味しいのは作ったことないわ。さすが願さんの娘さんね。」
大絶賛だった。その評価があまりにもうれしかったのか、涙は嬉し涙を流し始めた。その日の夕食は、みんな何一つ残さずに完食した。
　平和な食事を終え、一息ついて、俺は風呂に入ろうと脱衣所に向かった。脱衣所に入ると、すでに風呂には誰かが入っていた。
「母さんは仕事してたから今入ってるのは涙か。後で何言われるか分からないし、退散退散。」
そう呟きながら脱衣所を後にしようとした。すると、風呂から呼び止められた。
「恭介君ですか？ちょっと待ってください。」
俺は脱衣所の出入り口で立ち止まった。
「なんだ？」
「恭介君・・・いくつか質問してもいいですか？」
「質問なら風呂上がってからでもできるだろ。」
「そうですけど、面と向かっては恥ずかしいから・・・。」
「・・・。」
そこで会話が一瞬止まった。だけどすぐに涙は続けた。
「あの、恭介君って好きな人いるんですか？」
「は？」
いきなり意味不明な質問が飛んできた。
「いや、はっきり言って恋愛沙汰は苦手だし、よく分からないからな。今のところいないよ。」
「そうですか。」
壁越しに、涙の安堵の一息が聞こえた気がした。
「質問はそれだけか？」
「はい。わざわざすいませんでした。」
「そっか。それじゃあ俺からも一つ聞いていいか？」
この際だし、俺もふと疑問に思ったことを涙にぶつけることにした。
「どうぞ。あの、変な質問はやめてくださいね。」
「あほ。違うって。あのさ、涙、なんでこんな時期にこんな辺鄙なところに来たんだ？見た感じ頭よさそうだし、もっといい高校行けただろ。」
その質問に対する答えはしばらく返ってこなかった。何分たっただろうか。あまりにも返事が遅かったから、俺は答えにくいなら無理に答える必要はないと言おうとした。だけど、タッチの差で涙が先に口を開いた。
「それについてなんですけど、今、言わないといけないでしょうか？」
「いや、どうしても話したくないならいいよ。」
俺はそう答えた。風呂場からは本当にすまなさそうな声で涙が謝ってきた。
「いいって。あれだけ悩んで話したくないってことは相当言いにくいことなんだろ。そんなに言いにくいことをわざわざ聞き出そうとするほど知りたいってわけでもないしな。まあ気が向いたら話してくれればいいよ。」
「はい・・・。今は無理ですけど、いずれ・・・いずれ分かります。私がここに来たわけが。」
「ああ。それより、俺も早く風呂に入りたいんだからそろそろ上がれよな。のぼせるぞ。」
そう言い残し、俺は脱衣所を後にした。その時は、さっきの涙の言葉なんて気にもならなかった。いや、もしかしたらどこかで気にしていたのかもしれない。だけど、その時の俺には理解することができなかった。
　翌朝、俺が着替えて下に下りると、母さんは既にいなかった。その代わり、居候の涙が台所にいた。
「朝早いとは言ってたけど、まさか俺が起きるのより早いなんてな。」
俺が言うと、俺に気づいた涙が挨拶してきた。俺も軽く答え、朝のニュースをつけた。
「涙。お前、昨日何時に寝た？」
「昨日は・・・１１時です。」
「起きたのは？」
「６時です。」
「そうか。」
そう言って、俺は新聞を広げた。まず確認するのはスポーツ欄、そしてテレビ欄だ。
「なんでそんなこと訊くんですか？」
「母さんがいない間は俺が保護者みたいなもんだろ。」
俺が普通に答えると、涙は珍しく声を張り上げて言った。
「なんで私の保護者が恭介君なんですかぁ！悪いですけど、私のほうがしっかりしてますよ！」
「はぁ？少なくとも俺はお前みたいにドジして部屋間違えたりしないぞ！」
「それは仕方ないでしょ。まだ慣れてないんですから！」
「それでも自分の部屋くらい覚えてる！」
そして俺の発言に発言を重ねようとする涙を見て、俺は言った。
「待て。冷静になって考えたら今ここで無駄に体力を使うわけにはいかん。」
「？なんでですか？そんなに授業きついんですか？」
ようやくおとなしくなった涙が不思議そうに訊いていた。
「いや、すぐそこの家に一人賑やかなのがいてな。一つ下なんだけど・・・。」
「その子って男の子ですか？」
「いや、女だよ。幼馴染。飯田異音って言うんだけど・・・。根はいい奴なんだ。正直、親がいないのに一人でよくやってると思う。だけど、あいつの嫉妬心にはどうしようもないんだよ。」
「そうなんですか・・・。じゃあ私が一緒にいたらまずいですね。」
「まずいもなにも、俺と同じ家から出るとこを目撃されたら学校の掲示板に写真張り出すぞ。あいつなら。かといって、涙を一人で学校に行かすわけにも行かないから、今日はばれないように登校しよう。」
「そうですね。それじゃあ早くご飯食べないと。」
「ああ。そうだな。」
俺と涙は朝食にありつき始めた。時は７時３０分。異音が家を出るのは８時くらいだからこのままだと鉢合わせだけは避けられそうだ。さっさと朝飯を食べ終え、俺と涙は家を出た。が、俺の判断は甘かった。ドアを開けた瞬間、目の前に異音が現れた。
「よっ。恭介。元気？」
「あ、ああ。俺はいつでも元気さ。あはは・・・。」
俺は体を張って後ろにいる涙を隠そうとした。だけど、異音の目は節穴ではなかった。
「へっへ～。隠しても無駄だよ。」
「う！ばれてたのか・・・。」
「うん。だって、昨日おばさんが電話で言ったんだもん。今日から家族が一人増えるけど、そろそろ異音ちゃんもうちで暮らさないかって。」
そして、後ろを覗き込むと、言った。
「女の人って聞いてたけど、いやはや、かなり可愛いねぇ。」
「可愛いなんて・・・。そんな・・・。」
涙は顔を伏せた。相当照れているらしい。まるで金髪青眼で外を歩いていたのがうそのようだ。
「へぇ。お前が嫉妬しないなんて珍しいな。」
「恭介、私をなめてるでしょ。勝てない相手に喧嘩売るほど、私も馬鹿じゃないんだから。」
「なるほど。ってことは、お前は涙を認めたってわけか。それなら一件落着だな。」
俺は胸を撫で下ろした。
「さてと、それじゃあ学校に行くか。」
俺は右手に花束、左手に厄介者を従えて、学校に向かった。
　涙と俺は違うクラスになった。結構人見知りする涙は、俺と同じクラスになることを願ってたらしいけど、ぶっちゃけあと数日の学校生活にクラスなんて関係ない気もする。ただ、俺の予想通り、転校初日から告白する男子が現れた。俺はちょうど現場に居合わせていたため、涙が俺に助けを求めてきたけど、俺は「試練だ」と言ってそそくさと逃げ去った。あまり関わると俺の命が危険にさらされる気がしたから。
「それにしても、すごい人気だね。願さん。」
俺の横に座っているクラスメート、岸本優が茶化すように俺に言ってきた。実は、家から一緒に出るところを数人に目撃されていたため、俺が同棲してると言う事実は俺が学校に着いたときにはすでに広まっていた。恐るべし。学生の口。
「まあな。人気があるのはいいことだ。うん。」
「まるで人事みたいな言い方するね。可愛そうに。願さんはきっと白馬の王子様の迎えを待っているのに。」
「殺すぞ。」
どすをきかせて言った。だけど何事にも屈しない不屈の精神をもった優にそれはまるで意味がなかった。それどころか、余計に茶化された。
「ところで、蒲田。」
「なんだ？」
手に持った缶ココアの飲み口を口に持っていきながら答えた。
「今日暇？」
「今日？もう部活もないから特になにもないな。それがどうした？」
俺はココアを一気に飲み干し、言った。嫌な予感がしながらも・・・。
「今日買い物ついてきてくれない？」
やっぱり。以前、優の買い物に付き合わされて散々な目にあったことがある。くそ暑い夏場に冬物が安いからって言って無駄に冬物買って、しかも全部俺に持たせるという、悪魔のような仕打ちを・・・。
「あ～、急に用事思い出した。ごめんなぁ。ははは・・・。」
俺は冷や汗をかきながら適当に答えた。もちろん嘘だとばれる確立は１００％。だけど、その日の優はどこか違った。
「そっか・・・。分かった。じゃあまた今度誘うね。」
そう言って、教室を出て行ってしまった。
「あれ？いつもなら嘘だって言って強引に連れて行くのにな・・・。どうしたんだ。あいつ。」
不思議に思いながらも俺は次の授業の準備をした。
　放課後、涙はHRが終わるや否や、俺のクラスに飛んできた。
「恭介君、早く帰ろう。前の中学と違ってここには男子がたくさんいるから・・・。」
「涙、女子中通ってたの？」
「うん。だからなんだか慣れてないんですよ。こういう状況に。」
なるほど。これが告られてきょどってたわけか。恋愛に関しては俺よりも進んでても告られることはあまりなかったようで、苦手らしい。
「そっか。でもな、悪い。ちょっと今日は用事あるんだ。道くらい分かるだろ？悪いけど一人で帰ってくれ。な。侘びならいつでもするから。なんでも聞いてやるから。頼む。」
そう言って、俺は頭を下げ、手を合わせた。涙は目に涙をためていたけど、それを拭い、笑顔で答えた。
「分かりました。一人で帰ります。そうですよね。私たち、恋人でもないんだから一緒に帰るのはまずいですよねぇ。でも、その代わり、約束守ってくださいよ。」
「ああ。悪いな。それじゃあちょっと先行くな。また家で。」
そう言い残し、俺は走って下駄箱に向かった。
　「優！」
正門まで行くと、一人寂しく歩いている優に声をかけた。
「あれ？蒲田、まだ学校にいたの？」
「ああ。それより、用事なくなった。だから買い物付き合ってやるよ。」
俺が息を整えながら言うと、優の目は輝きを取り戻した。なんでそんなにうれしがるのか、俺にはわからなかった。
「ほんと？」
「ああ。でも、あんま長い買い物はごめんだけどな。」
俺が言うと、優は俺の手を引っ張って歩き出した。
「お、おい。」
俺はあわててついて行った。
「気にしない気にしない。」
満面の笑みを浮かべながら優は言った。その時の笑顔は涙に負けず劣らずといった感じで、かなり可愛く感じられた。
「（やばいな・・・。俺、最近変だぞ・・・。）」
そう思いながらも、俺は優に引っ張られながら歩いていった。
　次の日、俺らはまた異音に遭遇し、３人で学校に行った。途中の野郎の視線がかなり痛かった。
「おはよぉ。」
俺はだるそうにそう言いながら教室に入っていった。
「あ、蒲田。おはよう。昨日はありがとうね。」
「ああ。」
そこにはいつもどおりの優がいた。昨日の優はどこかおかしかった。買い物しているにも関わらず、ほしいものはないなんて言ったり。まあ女子の買い物なんて見てるだけでも楽しいんだろうけど、何より変だったのが、まるでこの世の終わりみたいな顔をしながら言った、あの言葉だった。
『恭介、私、今日のこと絶対忘れないね。この幸せをいっぱいに、かみ締めておく。どんなことがあっても、絶対に今日のことだけは忘れないからね。』
確かに優はそう言った。これだけは聞き間違いではなかった。だけど、優はなんでそんな不吉な、まるでもう死んでしまうかのような言い方をしたんだろう。俺にはいまいちよくわからなかった。ただ一つ、確かなのは、何かが狂い始めているということだけ。それだけは断言できる気がした。
　その日、久しぶりにサッカー部の昼練に参加した。なまっている体を動かすとかなり気持ちいい。昼練が終わると、２つ下の後輩でサッカー部マネージャーの神宮神子が俺にタオルを差し出してきた。
「先輩、どうぞ。」
「ああ、さんきゅ。神宮。」
俺は微妙にかいた汗を、受け取ったタオルで拭った。
「あの、いきなりですけど、先輩って、迷信とか信じますか？」
俺がタオルを肩にかけると、神宮が出し抜けに訊いてきた。
「迷信？たとえば？」
「あの、この話はこの町でしか通用しないんですけど、聞いてくれますか？」
おどおどしながら神宮が聞いてほしそうに俺を見つめた。俺は微妙に顔を赤くしながら、俺の学校は基本的に可愛い子が多いなと、くだらないことを考えていた。
「ああ。いいよ。聞くよ。」
「そうですか。それじゃいきますね。まず、先輩はこの町に異界っていうものがあるのを信じますか？」
「ああ、聞いたことはあるな。確かこの町にしか入り口がなくて、この世界にそっくりなもう一つの世界のことだろ？確か小さいときに母さんから聞かされたんだっけ。懐かしいな。で、その異界がどうしたの？」
確かに異界というものがあるという話は知っている。というか、この町の住民なら誰もが知っている。ただ、その異界を見た人間があまりにも少なすぎるため、迷信だといわれ続けているらしい。
「私、異界に行ったことがあるんです。」
なんの前置きもなく、神宮は言った。
「え？」
俺もつい変な声で返事してしまった。でも、神宮の顔は真面目だった。
「私、異界に行ったことがあるんです。それも何度も。私、異界に行けるんですよ。」
「う～ん、信じていいのか悪いのか。そもそも異界って俺らにどういう関係があるんだ？」
普通の住民なら絶対に訊くであろう質問をした。異界と住民の関係。それはここに住むなら誰もが知りたいものだろう。
「私は詳しくは知らないんです。ただ、ものすごく暖かくて、心が癒される場所なんです。」
「へぇ。それは行ったことがある奴しか知らないな。」
俺が言うと、神宮は目に涙を浮かべ始めた。
「先輩、信じてませんね・・・。」
今にも泣き出しそうな顔だ。普通ならそこで謝るのに俺は、
「だってさ、異界自体あんまり信じられないのに異界に行ったなんて、信じるのは難しいよ。」
なんていう馬鹿なことを言ってしまった。すると神宮は声を上げて泣きながら走り去っていった。
「やべ・・・。俺なにやってんだろ。」
俺がその場に立ち竦んでいると、後ろから１年の後輩が言ってきた。
「あ～。蒲田先輩、神宮泣かしちゃったんですか？」
「泣かすつもりはなかったんだけどな。」
俺はため息をつきながら言った。
「駄目ですよ。もっと優しくしてやらないと。神宮の奴、蒲田先輩のこと好きなんだから。」
「へぇ。そうなんだ。」
俺が答えると、後輩に指摘された。
「ほら。その答えかた。まるで人を信用してない感じじゃないですか。それじゃあ泣きますよ。一生懸命話してるのに。」
「たしかに、なんでこんなにそっけない返事しか返せないんだ？だけどさ、そういうお前は信じられるか？」
俺が言うと、後輩は一瞬困った顔をした。だけどすぐに自信に満ち溢れた顔へと変貌を遂げた。
「確かに俺は異界なんて行ったことないけど、信じますよ。」
「なんでそんなに自身満々なんだよ。怖いぞ。何か隠してるな？」
いよいよ俺は、後輩いじめを始めた。こうして聞き出した情報はざっと３０。我ながらすごい記録だ。
「まあ、これは俺と蒲田先輩だけの話ですよ。誰にも言わないくださいね。」
「任せろ。男と男の約束だ。」
「それなら言いますけど、俺、神宮が好きなんですよ。」
恋愛沙汰に鈍い俺でもそれくらいは予想できた。
「それはそれは。まあ確かに神宮可愛いからな。無理ないな。」
「俺、他の奴には神宮渡したくないけど、蒲田先輩にならいいって思ってるんですよ。蒲田先輩なら神宮といい恋人になれるって思ってるんですよ。」
そう言われて、俺の顔はなんだか火照ってきた。
「で、でもなぁ。俺そういうの苦手だしさ。それに神宮にとっても俺なんかよりお前の方がいいと思うよ。２年に聞いたところ、再来年のキャプテン、つまりお前らが３年になるときのキャプテンは今のところお前らしいからな。お前だって神宮にふさわしい男だよ。」
そう言って後輩の方をぽんと叩いてやった。
「先輩は、神宮のこと好きじゃないんですか？」
「好きだよ。でも、恋愛の好きとは違うな。一後輩として好きなんだよ。」
「そんな！神宮はあんなに先輩に認めてもらおうとして頑張ってるのに、なんで先輩はそれを認めてやらないんですか！」
後輩の口調が段々強くなってく。それつられ、俺の怒りも少しずつ高まってきた。
「あのなぁ。俺のことは俺のことだろ。お前が神宮の恋を実らせてやりたい気持ちは分かる。だけどな、それは神宮自身が決めることだろ。本気で好きじゃない相手と付き合うほうが神宮にとっても可愛そうだろ。」
「だけど、それなら先輩から何か言葉の一つくらいかけてやってくださいよ！俺、小さいときから神宮と一緒だったから分かるんです。あいつが内向的だって事が。だからあいつは自分から切り出せないんですよ！だったら先輩から言ってやってくださいよ！声くらいかけてやってくださいよ！それが先輩ってものじゃないんですか！」
そう言った後輩の目は真面目だった。当たり前だけど。そして俺は冷静になりながら答えた。
「俺には無理だ。俺は不完全な人間だからな。神宮みたいな子に俺は相応しくないよ。」
「なら・・・。」
「でもな。」
後輩の声を掻き消して、俺は強制的に続けた。
「でも、もしずっとこのままだったら、神宮は自分からは何も言えない人間になっちまうだろ。それこそ神宮のためにならないんじゃないか？」
「・・・・・・。」
理解したのか、後輩は黙ったままだった。しばらくして、後輩は俺に謝ってきた。
「すいません。ちょっと熱くなりすぎました。」
「いや、好きな奴を守ろうとするのはいいことだって。気にすんな。それよりも問題はどうやって５時間目の途中から授業に乱入するかだ・・・。」
「あ・・・。」
俺に言われてようやく気づいたのか、既に５時間目が始まってから１５分がたとうとしている。だけどこのままここにいるわけにもいかず、俺らは仕方なくチョークスリーパーを食らいに教室に戻っていった。
　「さんざん酷い目にあったな。」
帰り道、俺は横にいる涙に愚痴ばかりこぼしていた。
「でも、元はと言えば恭介君が悪いんですから反省しないと駄目ですよ。」
「厳しいご意見ですな。」
「そうじゃないと恭介君治さないから仕方ないでしょ。」
「ま、その辺は否定できないけどな。」
まるで恋人みたいだな。俺はそう思った。涙は俺のことどう思ってるんだろうか。聞いてみたい気持ちを抑え、俺らは歩き続けた。
　家に帰り、夕飯を食べ、一服したところで俺は時計を見た。
「そろそろ１０時か。涙はいつも８時には風呂入ってるからもう大丈夫だな。」
俺は重い体を起こし、風呂に入るべく風呂場に向かった。途中台所の電気が消えていることからも、少なくとも１階にはいないだろうと思った。けど、ここでも俺の予想は外れた。脱衣所のドアを開けると、そこには涙がいた。幸い着替え終えた後のようだったけれど、そんなことよりも気になることがあった。
「おい。なんだよそれ。」
「・・・・・・。」
「それもカラコンか？にしても趣味悪いなぁ。赤かよ・・・。」
それがカラコンじゃないことは分かっていた。見ると、コンタクトケースが洗面台に置いてあった。そしてその近くには謎の錠剤・・・。
「とうとうばれちゃいましたね。もう少しくらいならごまかせると思ったんだけどなぁ。」
「ふざけるなよ！なにが思っただよ！何があったんだよ！その薬はなんだ！？」
勝手に声が大きくなっていく。それほどまでに感情的になっているということだろう。つまり、俺は涙を心配しているということだ。
「恭介君。今、すべてを話します。お風呂か上がったら私の部屋に来て・・・。」
何かを決意したかのような顔で涙は言った。俺は無言で頷き、涙と入れ違いに風呂に入った。
　風呂から上がり、俺はすぐに涙の部屋に向かった。ドアをノックし、静かにドアを開ける。何もなかったドアの向こうには、いかにも女の子らしい部屋が広がっていた。肝心の涙はというと、ベッドに腰掛けていた。俺が入ると、
「こっちに、横に座ってください。」
と言って手招きした。さすがに抵抗はあったけど、とりあえず言われるとおりにした。
「で、すべてって言ったよな。いくつ隠してるんだ。大事なこと。」
「たくさん。そう、たくさんです。でも、今話します。まず、恭介君はキメラって知ってますか？」
「キメラ？あの、２種類以上の動物を合成した？」
「そうです。恭介君は、そのキメラがこの世に実在すると言ったら、信じますか？」
意味不明な会話の切り出し方に、冗談でも言ってるのかと思った。だけど、話をする涙の顔は真面目だった。
「キメラはさすがに信じられないな。異界ですら半信半疑なのに・・・。」
「そう・・・だよね。でも、キメラがいることは事実。」
「え？」
「正確にはキメラじゃないけど、似たようなものです。その人はDNAの中にわずかずつ数種類の動物の情報を持っています。」
涙の口からは信じられないことばかりが語られていく。まるで自分のことのように。
「都会に、一人の企業の社長とその奥さんがいました。」
そして今度は謎の話をし始めた。
「その社長は日本でもトップクラスの企業の社長ですけど、仕事以外に一部の社員にやらせていることがあります。それは、キメラの生成です。」
「馬鹿げてるだろ！神にでもなったつもりか？人が人の命で遊ぶなんて、絶対に許されないことだ！」
勢いのあまり、俺はベッドから立ち上がっていた。だけどすぐに我をとり戻りし、一言謝って座った。
「その社長の奥さんは、やがてお腹に一人の子を儲けました。この、汚い環境で生き抜く子供になってほしい。そう思って、社長は様々な動物のDNAをまだ受精卵であるその子に摂取しました。もちろん奥さんは反対したけれど、社長が説得し、強い子供を作るという信念のもと、その子を産みました。産まれてきたその子は、完全に人間の形をした、いわゆる成功作でした。でも、決定的な違いが一つ。それは・・・。」
「片目だけ赤かった・・・だろ？」
全てを察したかのように俺は答えた。涙は静かに頷き、そして言った。
「確かに、私は純粋な人間じゃないです。でも、私、父を恨んでなんかないんです。父は私にすごく優しくて、家族のためにも一生懸命で、そうやって私は今まで生きてこられたんです。それに父が私に施した合成。それはもともと弱い人間の抵抗力を強めるものです。おかげで、私は生まれてから一度も風邪を引いたことないんです。私、父に感謝してます。」
涙はぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。
「それで、なんでお前はわざわざここに来たんだ？それにあの薬は・・・？」
気になることがまだ二つもあった俺は、なんだかせわしない気持ちだった。
「先日、父の研究所で事故がありました。その事故は些細なものでしたけど、ほっておくと地球上全体に被害が及ぶ恐れがあったんです。研究所のすぐそこに家を持っていた私たちは、泊り込みで原因を調査。なんとか放射能が漏れないようにと色々調べました。でも、原因は不明。父は生命をもてあそんだ罰が当たったんだなって言って、私に逃げろって言いました。もちろん私は嫌って言いました。大好きな父と母をおいて一人で逃げるなんて、誰もできないじゃないですか。でも、父は社員に無理矢理私を逃がすように命令したんです。私には妹もいたのに、妹は父と一緒にいるのに、父は、私に好きな人がいることを知っていたから・・・。」
だんだん声がかすれて聞き取りにくくなってきた。でも、俺は聞こうと必死だった。
「だから私は、身支度をし、父に託された願家の血を絶やさないため、ここまできたんです。昔私もここには住んでいたし、初恋の人がここにはいるから。」
「今は恋愛話なんてしてるんじゃないんだ・・・。続きを、頼む・・・。」
「でも、私が外で一人で生活するのは困難です。その理由がさっきの、あの、薬です。あの薬は私が体のバランスを維持するための、いわば麻薬みたいなもの。あれがないと私はすぐに死んでしまう・・・。それが、どんな病気にも負けない私の唯一の弱点・・・。」
そう言いながら、ポケットから薬を取り出した。
「昨日、研究所のほうから連絡がありました。また数人が被害を食い止めるべく命を落としました。研究所にはフィルターが張ってありますけど、もし何らかの衝撃でひびが入って、充満した放射能が漏れたら、地球は終わりです。それを食い止めようとして、最後まで父についていった社員。その中に、この薬の生成法を知る人もいました。でも今はもう、いません・・・。この薬の作り方を知ってるのは、あとは、父だけです。」
「その薬の精製法って、どこかにメモしてないのか？俺の家にもいくつかそういった化学薬品がある。親父が昔そういう仕事してたからな。だから俺が・・・。」
「無理です。生成法を書いたものはもうないです。それに、生成するのには父の会社で作られた薬品が必要です。だから、会社以外では作れないんです・・・。」
「そんな・・・。じゃあ俺はこうして涙が死ぬのを指をくわえて待ってろっていうのかよ！そんなの、そんなの酷すぎるだろ・・・。」
俺はこぶしを壊れんばかりに強く握った。
「恭介君。まだ私は死なないです。父も必死に頑張ってます。それに、私だって、まだ死にたくないし・・・。まだ、遣り残したことがたくさんあるから。でも・・・。」
涙の表情はさらに曇った。
「父が死んだとき、私も死にます。」
涙がそう言ったとき、俺は無意識のうちに涙に飛びついていた。
「えっ！？恭介君！？」
涙はかなり混乱していた。それもそうだろう。いきなり男に飛びつかれたら無理もない。だけど俺は涙を離さないようにしっかり掴んみながら言った。
「死ぬなんていうな！簡単に死ぬなんて・・・。諦めるなよ。そんなの、お前らしくないだろ！」
「恭介君・・・。」
涙の顔は涙でぐしょぐしょだった。
「俺、絶対お前を死なせない。薬が何だよ。そんなの克服しろ！どうしてもできないなら俺が克服してやる！」
「うん・・・。ありがとう・・・。」
頷きながら涙は答えた。そして、涙の口からついにあの言葉が出た。俺が、いつの間にか求めていた言葉。
「好きだよ。恭介君・・・。」
「・・・分かってるって。」
目の前で言われるのはさすがに恥ずかしいらしく、俺はついついそっけない返事を返してしまった。
「恭介君は、私のこと、どう思ってるの？」
不安そうに俺を見つめる涙。俺は何の迷いもなく一言、俺も好きだと答えた。二人の気持ちが通じ合った瞬間だった。
　それからは、二人で平凡な毎日を送っていた。母さんが帰ってきてもすぐまた出て行って二人きりになる。そんなことがしばしばだった。そして、ついに卒業の日を迎えた。中には都会の高校に通う子もいて、女子の間では涙の嵐だった。
「卒業おめでとうだよ。恭介君。」
「あほか。お前も卒業したんだろうが。高校も一緒だ。な？」
「そうだね。」
やたら他人行儀の癖も直り、ようやく学校にも馴染み、涙は申し分ない学校生活を送っていた。
「今日はどっか外にでも食いに行くか？」
「それってもしかして、デート？」
俺の発言に、涙が目を輝かせながら言った。
「あのなぁ。まあ確かに、今までデートらしいデートなんてしてないからたまにはいいかもな。」
「そうだよ。よし。じゃあ今夜はデート。」
「そうだな。そうと決まれば早く家に帰って、夜に備えて休むか。」
「うん。」
俺らは二人仲良く手を繋ぎながら歩いていった。俺らがカップルだと認められ、異音も急に大人しくなった。今までが賑やか過ぎただけあって、少し寂しい感じがした。優は優で、あれ以来あんな表情は見せなかった。それでもまだ何かを隠している気がしたけど、あまり詮索はしないようにした。
「よし。それじゃ家まで競争するか。」
「そうだね。」
なぜなら、俺にはもう涙という立派な恋人がいるから。もう、俺の気持ちは変わらない。
　家に着くと、郵便受けに便箋が一つ入っていた。だけど郵便受けをチェックするのは涙の仕事だから、俺は先に家に入った。どれくらいたっただろうか。涙がなかなか家に入ってこないのに気付いた俺は、玄関に向かった。すると、そこには涙を浮かべた涙が立っていた。
「恭介君・・・。」
「・・・どうした？」
嫌な予感がした。できればこれから涙が言うことが嘘であってほしいと思った。
「父が・・・死にました・・・。母も、妹も、みんな・・・。」
「そっか・・・・・・。」
それ以上に返す言葉が見つからなかった。せっかく恋人同士になれたのに、せっかく卒業してめでたいと言うのに、神様がいるなら一発殴ってやりたい気分だった。涙は右手に握られている便箋をくしゃっと握りつぶしながら言った。
「でも、いいこともあったんですよ。原因が分かって、今では放射能を中和する特殊な薬を撒いているそうです・・・。」
そう言って涙は頑張って笑顔を作った。でも、悲しみのどん底に突き落とされた人間に笑うことなんて不可能だ。涙の笑顔は、ぎこちなかった。そして、俺も涙を流し始めた。全てが嘘であってほしい。そう思った。
　結局、その日の夜は家で食べることにした。あんな知らせの後じゃ仕方がない。二人ともまったく乗り気にならなかったから。夕飯を食い終えると、俺はいつものようにソファーに寝転んだ。そして、側に腰掛けた涙に訊いた。
「薬、あと何日分あるんだ？」
「もってあと１週間です・・・。それで、そのことでお願いがあるんだけど・・・。」
「お願い？内容にもよるけどな。」
「そんなこと言って。約束、覚えてないの？なんでも言うこと聞くからって言ったでしょ。」
そう言われてようやく思い出した。俺は体を起こすと、涙の横に座った。
「ああ、覚えてるよ。というよりも、思い出した。」
「どうせそんなことだろうと思った。それで、私のお願い聞いてほしいの。」
「この際だ。銀行強盗でもなんでも付き合ってやるよ。」
「もう。そんなのじゃなくて。・・・明日、１日中デートしてくれないかな。私の記憶に、恭介君との楽しい思い出を残しておきたいの。無理にとは言わないけど・・・。これが、私の最初で最後のお願い。」
「ばか。無理なわけないだろ。さすがに１日中はちょっときついけどな。いくらでも付き合ってやるよ。それに、最後なんて言うな。諦めたらそこで終わりだ。希望を持て。な。」
そう言って俺は涙の手を握り締めた。死への恐怖か、それとも嬉しいのか、涙の手は震えていた。その日は明日に備えていつもより早く寝ることにした。
　次の日、いよいよ涙との初デートの日がやってきた。とはいえ、この町でできることなんて限られているけど。俺が着替えて下に下りると、涙は準備万端といった感じで玄関に立っていた。
「恭介君、遅いよ。」
「悪い悪い。って、朝飯は！？」
俺は台所を見ながら言った。
「朝ご飯くらい食べなくても大丈夫だよ。ほら。行こ。時間は待ってくれないんだから。」
涙があまりにもせかすから、俺は仕方なく朝飯抜きで付き合うことにした。
「初めてだよね。デートなんて。」
家を出るなり、涙が俺の腕を掴みながら言った。
「そうだな。今までデートらしいデートなんてしなかったもんな。」
「そ。だから今日は思い切り楽しもうよ。」
「ああ。ま、はしゃぎすぎてばてない程度にな。」
俺と涙は二人で話しながら町に向かって歩いていった。この時期にはちょうどいい感じで面白い映画がやってる。だから俺たちはまず映画を見ることにした。二人っきりで映画なんて初めてで、なんだか照れくさい気がした。その後はゲーセンでプリクラ写真を撮った。涙は友達と交換した無数のプリクラを張った手帳に今日のプリクラも大事そうに貼り付けた。ここまでくると身分の差なんてまるで感じられなかった。昼飯を食べた後は、涙の買い物に付き合った。そこでは身分の差を痛感させられた。これくださいと言って涙が財布から出したのはクレジットカードだった。よく見ると、財布に入ってるお札は１０００円札が１枚だけ。さすがはお嬢だ。学校のみんなはあんまり知らないみたいだけど。本人自体自覚してなさそうだから。
「しかしどうして女子ってのはこうも買い物が好きなんだ？」
いい加減飽きてきて、俺が言うと、涙はまた何かを手に提げてきた。
「それは女子にはほしいものがたくさんあるから・・・じゃないかな？」
「ああ、ああ。いい回答だなぁ。ってか、もう６時だぜ。昼もあんま食べてないし、俺、腹減ったよ。」
俺が泣き言を言うと、
「これじゃ姉と弟みたいだね。」
なんてことを言われた。その後、さすがに買い物はやめにして、とりあえずどこかで夜飯を食べることにした。
「せっかくだから高いもの食べようよ。私が笑うからさ。」
そう言って涙はクレジットカードをちらつかせた。だけどここは男としてそれだけは譲れなかった。
「いいや。今夜はデートなんだから俺が奢る。普通彼氏が払うんだから、ここで涙に払われたら俺の立場がないだろ。」
「そっか。分かった。それじゃあお言葉に甘えるね。」
涙は満面の笑みを浮かべながら答えた。この笑顔がもう見れないと思うと、やりきれない気持ちになった。だから、極力そういうことは考えないようにした。
　「う～む。」
夜飯を食べ終えた帰り道、レシートを見ながら俺は唸った。
「家ではそうでもないくせになぜ外だとこんなに食べるんだ？」
「だって、せっかくの外食だもん。贅沢しないと。」
「ははは・・。その贅沢は俺にとっては逆効果なんだよなぁ。」
俺はうなだれながら歩き続けた。一日が終わる。もう、一日たってしまう。早いものだ。学校があった頃はかなり長く感じられたのに・・・。俺らは帰り道も、色々話しながら帰った。家に着いて、俺はあることを涙にお願いしようとした。
「涙。まだ６日。６日あるんだろ？だったら、今日だけなんて言わずに明日も明後日もデートしよう！」
だけど、涙はただひたすら首を横に振った。
「私も、デートしたい。でも、そんなにたくさんデートしたら、大事な日じゃなくなっちゃう。思い出としても、薄いものになっちゃう。そんなの嫌だから。私、嫌だから。だから、デートはこれでおしまい。家に入ったら、もうデートは終わり・・・。」
「そんなこと・・・。はっくしょん！やばいな。風邪引いたかも・・・。なんか寒気がしてきた。」
俺は震える体をさすりながら言った。
「大丈夫？今から病院行く？」
涙が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。だけどこれ以上涙に心配かけさせたら寿命が縮む恐れがあった。だから俺は家で寝ることにした。ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだところで、涙が呟いた。
「救急車・・・。事故があったみたい。」
「へ？救急車？聞こえないけど。サイレンなんて。」
俺が不思議そうに言うと、涙は苦笑いを浮かべて答えた。
「私、いろんなDNA持ってるから、目もいいし鼻もいいし、耳もいいんだよね。だからかなり遠くの音まで聞こえるの。」
一瞬、触れちゃいけないものに触れた気がした。そしてそれは、仇となって俺に返ってきた。
「あ、やば。眩暈が・・・。」
俺はついにダウンし、その場に倒れた。涙が驚いて、荷物を放って俺を抱き起こして呼びかけてきた。俺は必死にそれに答えようとした。だけど、それを最後に俺の意識はとんだ。
　耳に雨の音が聞こえてきた。俺はゆっくり目を開け、体を起こした。
「あ、恭介君。大丈夫？」
「あ、ああ。ごめんな。看病なんかさせちまって。なんでこんな時に風邪なんか引いたんだろう。」
俺は鼻をすすりながら訊いた。
「涙。ずっと俺の看病してくれたのか？」
「そうだよ。もう。恭介君ったら、起こしても全然目覚まさないんだから。」
「悪かいな。それで、どれくらい寝てたんだ？」
訊くと、涙は一瞬だけ悲しそうな笑みを浮かべた。すぐに元の表情に戻ったけど。そしてその表情のまま答えた。
「もうすぐお昼の１２時だよ。それじゃあ、目も覚めたみたいだし、私は部屋に戻ってるね。もし、何かあったら病院に電話した方がいいよ。」
そう言いながら、涙はドアの前まで歩いて行った。そして振り返って言った。
「じゃあね。」
そして、部屋から出て行った。隣の部屋のドアが開き、閉まる音がしたところからも、涙が部屋に入ったのは事実のようだ。
「俺、１２時間以上も寝てたのか・・・。」
そう呟いたとき、またもや嫌な予感がした。
「ん。待てよ。俺は何時間寝たのか訊いたんだよな。なのになんであいつは昼の１２時って・・・。」
そこまで言うと、俺はベッドから飛び起き、時計を見た。
「３月２０日・・・。」
涙がもってあと一週間と言った日から８日が過ぎていた。
「あの馬鹿っ！！」
俺は急いで部屋を飛び出した。あいつはさっき、何かあったら病院に電話しろって言った。俺は、勢いよく涙の部屋のドアを開けた。ドアの向こう、涙の部屋は、以前とほとんど同じだった。唯一つ、違ったのが、ベッドに横たわる一人の少女・・・。
「涙っ！！」
俺は涙を抱きかかえた。涙の体から生命は感じられず、体も冷たくなってきてた。
「冗談はよせよ・・・！なんでだよ・・・！なんで俺に声かけないで死んじまうんだよ・・・。じゃあねって、あれで俺と別れたつもりかよ・・・。涙っ！」
俺はぐったりした涙の体を強く抱きしめた。壊れない程度に。そして、即座に冷静さを取り戻し、ある行動に移った。
「かすかだけどまだ脈はある。死んではない。まだ間に合う！」
俺は寝巻きのまま涙を抱きかかえ、雨の中を病院に向かって走り出した。
「こんなのって、こんなのってありかよ！こんなの嘘だ！嘘だ！嘘だ！」
ひたすらそう叫びながら走り続けた。
　病院に着くと、受付の看護士は俺の格好を見て驚いていた。当然だろう。寝巻きを着た少年がずぶ濡れになって病院に少女を抱きかかえながら走ってきたんだから。病院に入るや否や、俺は受付に向かって叫んだ。
「急患だ！頼むからこいつを、こいつを先に診てやって下さい・・・。お願いします・・・。」
俺の目からは涙があふれていたけど、雨のせいで他の人には分からなかっただろう。だけど、看護士さんは状況を把握し、担架で緊急手術室に運んでくれた。俺は痛む腕を押さえながら呟いた。
「痛てて・・・。さすがにこの距離はきつかったかな。これも愛の力ってやつか・・・。」
そして、俺はその場に倒れこんだ。
　しばらくして、目が覚めた。俺は病院のベッドの上にいた。
「あれ？ここは・・・。」
「ようやく気がついた？君ね、病院に来るなり女の子を助けろって言って、その後倒れちゃったのよ。覚えてる？」
「あ、はい。どうもご迷惑おかけしました。」
そう言いながら頭をぺこりと下げた。
「それに診察したところ、君も風邪みたいじゃない。あんまり無茶しちゃ駄目よ。それじゃあね。」
そう言って部屋をさろうとした看護士を、俺は呼び止めた。
「待ってください！俺が連れてきた子は・・・？」
そして連れてこられたのが、手術室の前。
「あれから１０時間。先生たちは必死に頑張ってくれているわ。でも、初めて診る状態だから、厳しいみたい・・・。気を強く持って。」
看護士はそう言って、俺の肩に手を置いた。
「はい・・・。」
そして俺はそこでしばらく待つことにした。次に会う時は元気な姿で。そう思った。そして、医者が出てきた。
「君がこの子を連れてきた子だね？」
「あ、はい・・・。蒲田恭介と言います。いきなり押しかけてすいませんでした。」
「ああ。蒲田さんのお子さんか。いやいや、我々の仕事は人の命を助けることだからね。こういうのは別に構わないんだよ。ただ・・・。」
医者の顔がくもっていくのがはっきり分かった。その様子から、俺も覚悟を決めた。
「駄目・・・なんですね・・・？」
「すまない・・・。なにぶん原因不明の病気で他の人とはどこか違った感じがあったんだ。全力は尽くした・・・。許してくれ・・・。」
医者はそう言って頭を下げた。
「許すも何も、先生たちはあいつのために一生懸命やってくれたじゃないですか。それだけで、俺もあいつも満足ですよ。どうもありがとうございました。」
俺も頭を下げた。涙が床にどんどんこぼれていった。
「それで、あの少女のことだが・・・。」
医者が言うと、俺はすぐに答えた。
「家に連れて帰ります。どうも、ありがとうございました。」
そして、準備を整え、病院を出た。
　雨は既に上がっていた。時は午前３時。病院の看護したちは朝まで休めと言ってくれたけど、俺はとてもそんな気分にはなれなかった。背中にある、大きな冷たい荷物に話しかける。
「涙。俺、頑張ったよな。でも、駄目だったんだ・・・。俺、お前を守ってやれなかった。あと一分でも、一秒でも早く気付いていたら、助かったかもしれないのに・・・。俺、俺・・・。」
勝手に涙がこぼれてきた。当然ながら、背中の少女は返事をしない。何も言わず、ただ、俺の背中に身を預けていた。俺は家までの道中、同じことを二度も三度も言った。それが自分への、せめてもの慰めだった。家に着くと、涙のベッドに寝かせ、その側で俺はずっと泣き続けた。声を押し殺すこともなく、思うがままに・・・。その日の夜、母さんが帰ってくるまで、俺は食わず飲まずで涙の側にいた。涙が目を覚ましたとき、すぐにおはようって言ってあげられるように。母さんは涙の死を知っていた。涙を預かる前から話を聞かされてたらしい。でも、それでも母さんも泣いた。泣かないはずがなかった。俺は、夜通し泣き続けた。涙が枯れるまで・・・。
　涙の通夜の日も決まり、俺と母さんはその日に近づくに連れて無口になっていった。特に俺は、ほとんど何も喉を通らなかった。食べるときも、何かを飲むときも、涙の側だった。涙の部屋を出るときは、風呂に入るときだけ。それ以外は、ずっと一緒にいた。そう。ずっと一緒。かつて涙と約束したこと。遅くなったけど、今、俺は約束を果たそうとしている。自分でも実感がわかないけど、涙の側にいることが約束を守ることだと思った。そして、いよいよ通夜がきた。涙の前の学校の同級生は、号泣していた。もちろん俺も、母さんも、清明中のみんなも・・・。泣かない人はいなかった・・・。その日の晩、俺は寝なかった。寝れなかった。寝たら涙がどこかにいってしまいそうな気がしたから。その夜は明けるのが早く感じられた。そしていよいよ葬式、火葬の日が来てしまった。俺らは、泣きながら火葬場へと向かった。
「それでは、火葬します。」
その声とともに、涙の体は火葬釜の中に運ばれていった。その姿を、俺は泣きながら見送った。

　１ヵ月後―――。
「行ってきます。」
俺は元気よく家を飛び出した。高校生活にも慣れ、部活にも入り、また忙しい日々が始まった。だけどそれだけじゃない。高校に行く楽しみはそれだけじゃない。俺は高校への道を、一目散に駆け出した。
　高校に着くと、正門、下駄箱を経由して教室へ。そして荷物を机の上に放り投げ、屋上へ。屋上の扉を開けると、すがすがしい風が吹き付けてきた。屋上にはすでに先客が一人いた。俺はその一人に向かって言った。
「悪い。遅くなった。」
すると、その一人の少女は、俺の方を向いて答えた。
「そんなことないよ。私だって今来たばかりだから。気にしない気にしない。ね。恭介君。」
運命とは時に残酷なもので、また時には俺たちを救う。今回も、なんで涙が火葬寸前に蘇生したのか分からない。ただ、確かなのは、目の色を除けば全て純粋な人間だと言うこと。あれから、涙は会社を次期社長候補に委ね、異界町で一人暮らしを始めた。それ以来、俺らは本当の恋人になり、高校生活を楽しんでいる。最後に、涙が死んでた理由を、俺はこう考える。涙は死んでいたんじゃない。眠っていたんだ。人間じゃない部分を取り除いて、本当の人間になるために。そう。昆虫が幼虫から成虫になる過程であるさなぎのように。そして今、俺らは幸せであるという事実に変わりはない。
「行こう。恭介君。」
「そうだな。」
俺らは約束した。毎朝必ず屋上で会うと。そして、手を繋ぎながら一緒に教室に帰る。一緒にいると言うことを実感するために。もう、二度と離れないように。