小説を書こう！！コミュの『悲哀』一まとめver

　時は○○年9月、俺が昔から住んでいる町、異界町に咲き誇る銀杏の葉は段々黄色くなり始めてきた。そして俺が通う学校では、いつもどおりの生活が送られていた。
「では、今日はこれでおしまい。みんな。気を付けて帰るんだよ。」
俺のクラス、１年7組の担任、不知火先生はそう言って教室を後にした。
「さてと、部活に行くか。」
俺が鞄に教科書を詰めていると、俺の机の横に一人の少女がやってきた。
「？」
それに気付いて俺がその子の顔を見ると、その子はもじもじしながら口を開いて言った。
「あ、あのぉ、蒲田君・・・。ちょっと相談に乗ってほしいんだけど・・・。」
またか・・・。そう思いながらも、俺は断れずにその子の相談に乗ることにした。異界町立高等学校に通う俺は人の悩みを解決する、相談屋として名前が知られている。おかげで町中でも些細な悩みで相談に乗ってくれと言うやつまで出てきて、結構疲れている。ただでさえ親父が死んで母さんと二人で苦労して暮らしてるのに、まったくたまったもんじゃない。と、思いつつも快く笑顔で悩みを解決する俺。なんだか自分でも情けない。母さんなんていくらでも悩みを抱えているというのに・・・。だけど母さんは俺に悩み事を打ち明けた事は一度もない。恐らく俺にこれ以上無駄な負担をかけまいとする、親の優しさというやつだろう。だけど、そうやって無理してる母さんを見ていると、こっちまで辛くなってくる。そんな毎日を俺は送っている。
　「ナイスシュート！！蒲田。」
そして今日、俺はいつもどおり、部活に励んでいた。大好きで昔からやってるサッカーを続けてるときが、一日の中で唯一相談について考えなくていい時間。俺はこの時間が一番好きだ。そして部活が終わるとまたいつも通り現実に引き戻される。
「はぁ。俺、いつまでこんなしんどい生活送らないといけないんだろ・・・。」
深くため息をつきながら部室から出ると、部活が終わるまでずっと待っていたのか、一人の少女が俺にかわいらしい便箋を差し出してきた。
「あの、これ、私の気持ちです！」
「あ、さんきゅ・・・。」
そして俺はなんとも複雑な気持ちでこのラブレターを受け取った。叶わない願いがたくさん綴られたラブレターを。すると、後ろから覗き込んでいた変友、三国冬樹が話しかけてきた。
「またラブレター？いいなぁ。俺も一度でいいからもらってみたいよぉ～。」
そう言って俺に恨めしそうな視線を送ってくる。
「あのなぁ。俺だって困ってるんだから。俺には亜紀がいるんだしさ。みんなそのこと知っててまだこういうの渡してくるからなぁ。少しは俺の身にもなってほしいよ・・・。」
「水島ねぇ。確かにあいつは可愛い！なにしろ中学で無茶苦茶もてたからなぁ。っていうか、萌！」
そう言いながら冬樹が落ち着かない感じで暴走し始めた。
「お前もその余計な一言がなければ少しはもてたと俺は思うけど。ってかその萌ってのやめろや。多分それが原因なんだよな。」
俺が言う事は少なからず全く間違っているというわけではなかった。冬樹は運動だって結構できるし成績も上の下。顔だってもてる分類に入ると思う。ただ問題なのが性格と口癖。明るいのはいいけど、軽すぎる性格。それに加え、可愛いと思ったらやたら萌萌言う癖。それさえ直せば冬樹にも春が来る・・・はずだ。そう思いつつ、俺は冬樹の戯言を適当に聞いて適当に返事していた。校門を出ると、
「恭介～。」
という声が聞こえ、俺と冬樹は後ろを向いた。すると、部活帰りなのか、一つのカップルがこっちに走りながら向かってきた。
「よぉ。熱々カップル。今帰りか？」
俺が声をかけると、カップルの男の方、本山修輔が苦笑いを浮かべながら頭を掻いて答えた。
「恭介。そりゃないだろ。熱々ってのは中学時代の話だしさ。」
「ああ。見事学校一熱いカップルで1位だったもんな。お前ら二人。」
俺が笑いながら言うと、今度は女の方で俺の幼馴染である永谷異音(ことね)が答えた。
「そんなこと言って、恭介と亜紀だって私たちと５票しか違わなかったじゃない。」
「５票ねぇ。俺らはそんなに熱々に見えたのか？別にお前らみたいにいつも一緒にいるわけじゃないし。」
ため息をつきながら言うと、今度は今まで会話に参加できてなかった冬樹が口を出した。
「蒲田ほど幸せな奴はいないってぇ。何しろ学校一の美少女と・・・。」
そこまで言うと、後ろから放たれるすさまじい殺気を感じ、冬樹はそのまま固まったてしまった。
「あらぁ。なら私はどのくらい可愛いのかしら？」
そこにはいつもと違う異音がいた・・・。
「ま、まあそんなことでもめてもしゃあないし、いつまでも校門にいてもしゃあないし、帰ろうや。」
その場は修輔がなんとか治めたが、道中、冬樹が口を開く事はなかった。
　その日は夢を見た。最近は部活も大会前で忙しく、なかなか見た夢を覚えてる余裕がなかったが、明日が久々の休みだったからだろう。その日はしっかり覚えていた。夢の中の俺は小さかった。そしてその幼い俺の前には一人の少女が立っていた。異音か？初めはそう思ったけど、どうやら違うようだった。そして幼い俺はその子となにやら会話をしていた。
「大丈夫か？」
「うん。ありがとう。」
その少女がお礼を言うときの笑みはまぶしかった。
「あいつ(異音)もこれくらいおしとやかだったら・・・。」
頭の中でそう考える。
「でも、私より君の方が・・・。」
少女がポケットからハンカチを出して幼い俺に差し出してきた。
「いいよ。大丈夫だし。こんな軽い怪我。」
我ながら情けないほど頑固だ。まあ確かに頭から少し血が出てるだけだったが・・・って、頭！？などと一人漫才を脳内で繰り広げながら夢を眺め続けた。
「でも、血が・・・。」
少女は尚も困ったような顔で幼い俺にハンカチを差し出してくる。
「だからいいって。これくらい慣れっこだから・・・。さてと、もう俺帰るから。これからは急に飛び出したりするなよ。危ないから。」
幼いからか、かなり生意気に見えた。こんなに生意気な事言ったのか。俺。そんな俺の後姿を見送りながら、少女は叫んだ。
「私、もうすぐ引っ越すの！でも、多分また会える！その時は私が恭介君を助けるから！私の名前は・・・・・・！もし困った事があったら、私のことを思い出して！きっと、きっと助けになれるから！」
ああ。なんて健気な少女なんだ・・・。そう思いつつ、俺は現実世界に戻っていった。
　目を覚ますと、俺はまず時計を見た。午前７時ジャスト。我ながら見事なまでの規則正しい生活だ。そして俺はそのまま普段着に着替えながら夢を思い返した。
「なんか久しぶりの夢だったな・・・。にしても、なんであんな昔の夢・・・。それに、あの子誰だったっけか・・・。駄目だ。思いだせん。丁度名前のところだけが・・・。なんか普通の子とは違う感じがしたけど・・・。そういえば、途中から俺のこと名指しで呼んでたよな。夢の中では教えるシーンなんてなかったのに。まあ細かい事なんて気にしててもしゃあないか・・・。」
長い独り言を呟きながら、１階に降り、朝飯を食べた。そしてリビングでテレビを点け、ニュースを見た。
「別にたいしたニュースやってないな。母さんはもういない上に明日まで仕事で帰ってこないしな。おとなしく家にいるか・・・。」
俺が自分の部屋で久々にくつろいでいると、しばらくして携帯が音をだして震え始めた。
「誰だ？俺以外にもさり気に規則正しい生活を送っている奴は？ん？異音か。家すぐそこなんだし、電話かけてくるなってのに・・・。」
ぶつぶつ言いながらも電話を取る俺であった・・・。
「おい。珍しく早起きなのはいいけど電話は電話代もったいないだろ？」
『あ、恭介？あのさ、これから本山君と映画見に行くんだけど、チケット４枚あるの。それでさ・・・。』
「俺と亜紀にも来いって言うんだろ？」
異音が言う事を先に言ってやった。
『あ、ばれちゃった？亜紀ちゃんは来てくれるって言ってるんだけど・・・。』
「はぁ。なら俺も行かんといけねぇだろ？分かった。行くよ。で、集合場所と時間は？」
俺はだるそうに言ったけど、すでにテンションがMAXの異音には全く無意味だった。
『大丈夫大丈夫。迎えにいくから恭介は家で勉強でもして待ってて。じゃあ切るね。』
ツーツーツーと言う虚しい音が耳に響いた。
「ったく。よりによって折角の休みに・・・。まあ最近あんま亜紀と遊べなかったし、登校の時と昼飯以外は会話すらできなかったからな。丁度いいか。」
そういいながら、俺は言われた通りに勉強机に向かい、授業の復習をし始めた。
　異音たちが迎えに来たのはそれから１時間ほどたってからだった。
「じゃあ、行くか。」
修輔が率先して歩き出した。異音がすかさず修輔の腕にしがみついたけど、修輔は照れていた。
「久しぶりだな。デートなんて。」
俺もさりげなく亜紀に話しかけた。
「うん。ほんとに久しぶり。今まであんまり一緒にいれなかったもんね。」
亜紀も嬉しそうだった。そしてさりげなく手を俺の手に重ねてきた。
「えへへ♪手、繋ご♪」
「お、おう。」
俺は久々の亜紀のぬくもりを感じ、戸惑いながらも手を繋いで二人についていった。
　少し歩いて俺らはようやく異界町唯一の遊び場、映画館に到着した。異界町は周りから疎外された田舎町。過疎化によって人を失い、特にこれといって何もない町並み。海に面しているものの、なぜか海は汚い。そして極めつけは日本一の収容率を誇る無駄にでかい刑務所。誰が何のためにここに建てたのかは知らないけど、小さい頃に聞いた話によるとここの刑務所にくる犯罪者はみんなおとなしくなるらしい。どんな凶悪犯も。殺人犯も誘拐犯も。いや、刑務所というよりはこの町全体にその力があるといっても過言ではない。昔、とある凶悪犯がこの町にひょっこりやってきたことがあった。だけどその犯人が向かった先は刑務所・・・。そして自分から収容してほしいと依頼したのだ。そしてそんなことは過去にいくらでもある。
「それだけが分からんな・・・。なんで犯罪者がおとなしくなるのか・・・。それにそれだけ犯罪率が低くてみんなおとなしくなるのに、なんでここは疎外されてるんだ・・・。」
俺が独り言のように呟いていると、
「どうしたの？大丈夫？なんだか思いつめたような顔してたけど・・・。」
俺の横から心の底から心配しているといった感じの顔で亜紀が声を掛けてきた。亜紀の顔を見て、俺は慌てて大丈夫だからと言った。その言葉に嘘偽りはなかった。別にそんなたいして悩むことでもなかったから。その日、俺ら４人は久しぶりに楽しく遊んだ。
　「にしても久しぶりだな。こんなにゆっくりデートするのも。」
日が傾きかけ、これから帰途につこうというとき、修輔がしみじみと心境を語った。
「そうだよな。最近部活忙しくて、俺なんかぜんぜん亜紀に会えてなかったし。今日はほんと楽しかったな。久しぶりに。」
俺も同感だった。そして俺のよこにぴったりくっついていた亜紀も笑みを浮かべていた。帰りの道中も話が盛り上がった。修輔のくだらないギャグに苦笑いを浮かべることもあった。そんなこんなで、俺はかなり充実した休日を過ごすことができたわけだ。異音に感謝だ。家に着いた俺は適当に夕飯を作り、いつもどおり規則正しい生活を送りながら、１２時に就寝した。
　その日も夢を見た。また幼い俺と昨日の少女が話している夢。だけど今日は昨日より少し後の話のようだ。
「この前は、助けてくれてありがとう。頭、大丈夫だった？」
少女が心配そうに幼い俺の顔を覗き込んできた。照れたのか、幼い俺は顔を背けて言った。
「あれくらい、どうってことないよ。俺、体は頑丈にできてるからな。」
幼い俺が強がって言う。少女は今度は笑みを浮かべながら言った。
「よかった・・・。」
だけど、その笑みは次第に暗い笑みに変わっていった。
「恭介君。この前も言ったけど、私明日引っ越すの。」
「ふぅん。俺はお前のこと、名前も知らないし、別にいなくなってもいいけどな。」
夢の中ながら、幼き自分をぶん殴りたいと思った。だけど、少女は続けた。
「うん・・・。ごめんね・・・。この前、聞こえなかったよね・・・。私、声小さいから・・・。名前なんてどうでもいいよ。だけど、一つだけ覚えておいてほしいの。私は今から長い間遠くに行っちゃうけど、また帰ってくるから。その時は・・・。」
そこまできて少女の口は止まった。だけどまたすぐに開いた。
「その時は・・・色々と助けてね。約束だよ。」
えー。しんどいなぁ。などと呟きながら頭を掻いていた幼い俺は、小指を突き出して言った。
「ほら。」
「え？」
少女はなにがなんだか理解できていない様子だった。
「だから・・・。指きりげんまん。これで約束はやぶれないだろ。」
我ながらかわいいことをするもんだ。少女は満面の笑みを浮かべ、幼い俺と小指を絡ませた。そして二人が指きりの歌を歌っているところで、俺は現実に引き戻された。
　今日は９月２９日。昨日に引き続きいい天気の朝だ。
「さすがに、二日連続似たようなな夢見るのは不気味だな・・・。まあ今日も部活休みだし、ゆっくりするか。」
俺はベッドの上でゆっくり伸びをすると、服に着替え、サラダとトーストで朝飯を済ませた。
「それにしても、あの女の子の名前がどうしても思い出せん・・・。というより、一緒にいた記憶すらないんだよな・・・。まああんまり細かいこと気にしても仕方ないし、宿題と予習復習も終わってるし、適当に何もない町をぶらつくか・・・。」
俺は携帯をポケットにしまい、家を出た。外に出ると太陽の光がより一層強く感じられた。そしてその暖かい光に包まれながら、俺は町に向かってゆっくりと歩き出した。
　「特にこれと言ってすることないな・・・。っと、あれは冬樹？何やってんだろ。こんなとこで。お～い、冬樹～！！」
俺が声を上げながら走ると、冬樹はすぐに俺に気付いて立ち止まった。
「よお。蒲田。お前も買い物？」
「いや、ただ暇だから適当に町をぶらついてるだけだけど。そういうお前はなにをそんなに買い込んでんるだ？」
俺はこの町唯一のホビーショップの紙袋を複数下げた冬樹を見て言った。
「何って、おいおい。忘れちゃったのか？今日はプラモのバーゲンセールだぞぉ。」
「なに！？」
一プラモ大好きっ子としてはかなり聞き捨てならない話だったから、俺は初めは驚いた。
「が、今思ったらプラモの種類にもよるよな・・・。で、お前が買ったのは・・・。」
俺は答えが分かっていたけどなんとなく訊いてしまった。
「ふっふっふ・・・。それは愚問だよ、蒲田君。俺が買ったのはもちろん『好き好き萌たん』の全キャラ１/２０サイズだぁ！！」
まるで一気に冬でも来たかのような寒気に襲われながらも、俺はなんとか意識を保った。だが、そんな冬樹の口から、今度は意外な言葉が出た。
「ってのは嘘。これはプラモじゃなくてプラ版とかペンキ。」
あまりのギャップの差に、俺は一瞬固まったけどなんとか我を取り戻した。
「は？プラ版とかペンキなんか何に使うんだよ。」
「おいおい。あと一ヶ月もすれば文化祭だぜ。そろそろ準備しないと間に合わないじゃないの？」
確かに、冬樹が言うことは正論だった。ましてや俺のクラスなんてまだ出し物すら決まってない始末だから・・・。
「まあそれなりに頑張るか。」
そう呟いたところで、ふと、何かが俺の脳裏をよぎった。その時に生じた偏頭痛により、俺は少しかがんだけど、すぐに立ち上がって冬樹に一言残して走り出した。さっき俺の脳裏をかすめたもの。それは誰かが曲がり角で車に撥ねられるといった、いわゆる不慮の事故だった。
「間に合うか・・・？」
俺は息を切らせながら全速力で頭に浮かんだ場所に走った。そして程なく現場に着いた。俺は更にスピードを上げ、危ないと叫びつつ、思い切り飛び込んだ。俺の体は宙を舞った。
　「相変わらず痛いな・・・。やっぱまだ痛みはそれなりに感じるのか・・・。」
そう呟きながら俺は起き上がった。どうやら足が少し接触しただけですんだらしく、体に異常はなかった。大丈夫ですか！？と、慌てて車の運転手が出てきたけど、大丈夫ですと一言であっさりかえして、その場は丸く収まった。問題は助けた相手だ。
「えと、君、大丈夫？」
俺がその相手である俺と年は同じくらいの少女に話しかけると、少女は立ち上がって答えた。
「はい。助けていただいてありがとうございました。危うく私の不注意で大変なことになるところでした。ほんとに、ありがとうございました。」
少女は頭を深く下げ、お礼を言うと、一言挨拶をして去って行った。それから数分後、追いかけてきた冬樹が俺を見て泣き叫んだのは言うまでもない。たかが頭怪我したくらいで泣くんだから、ほんとに冬樹は泣き虫だ。だけど、それがあいつのいいところなのかもしれないけど。
「ほんとに大丈夫なのかよぉ。病院行かなくて・・・。」
未だ泣いている冬樹が俺にすがる。
「おい。気持ち悪いから離れろ。大体、これくらいじゃ死にはせんっての。それになんで俺がちょっと怪我したくらいでそんなに泣くんだよ・・・。」
俺がため息をつきながら言うと、冬樹は何を思ったのか、急に泣き止んで言った。
「そういえば、俺、蒲田が泣いてるとこ見たことないな。ってか、蒲田、涙すら流したことなくない？」
そう言われて、俺は歩みを止めた。
「・・・俺、もう涙腺枯れてるからさ。泣きたくても、どんなに痛くても、どんなに悲しくてもなけないんだわ。」
その言葉を聞いて、冬樹はしまったといった感じの表情を浮かべ、黙りこくってしまった。実際、俺でも分からなかった。なんで俺が泣けないのか。親父が死んだ時も、周りの親戚や母さんは号泣してたけど、俺は泣かなかった。悲しかった。本当は泣きたいほど悲しかったはずなのに、泣かなかった。小さい時だって、どんなにひどい怪我をしても泣かなかった。だから俺は昔から交通事故に遭う寸前の人を突き飛ばしたりして、わが身の危険を顧みずに人を助けたりした。そのおかげで怪我することは日常茶飯事だった。だけど、どんな怪我をしても、俺は泣くことはなかった。その後、俺と冬樹は軽く挨拶を交わし、おのおのの家に帰った。
　家に着くと、俺の家の前に誰かがいるのが目に入った。
「あれは・・・異音か。なにやってんだよ。人ん家の前で。」
俺はため息をつきながらも、家の前に立っていた異音に話しかけた。
「おい。なに人ん家の前でぼーっとしてんだ。」
俺の声に気付くと、異音は俺のほうを向いた。その一瞬、異音の顔がいつもと違う顔に見えた気がした。だけど異音はすぐにいつも通りの笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「・・・気のせいか。」
異音に聞こえないほどの大きさの声で、俺は呟いた。異音の話しによると、俺の母さんから異音の家に電話がかかってきて、仕事が３日ほど長引くからその間俺をよろしく頼むと言ったらしい。まったく、余計なお世話だ。
「で、俺に家に来いって言うんだろ。悪いけど俺は自分の家で過ごすよ。いつも規則正しい生活してるから遅刻することもないしな。」
俺がそう言って家に入ろうとすると、
「そう言うと思った。だから私が恭介の家で３日面倒見ることにしたの。」
と言いながらどこから出してきたのか、修学旅行に行くようなバッグを持って、俺の家に侵入してきた。
「おいおい。いくらなんでもそれは気利かせすぎだって。それに別の男の家に寝泊りしたなんて知ったら、修輔泣くぞ。」
俺は一人がよかったから必死に帰るように促した。が、まったく効果はなかった。
「大丈夫。大体何年幼馴染やってると思ってるの？確かに修輔は大事な恋人だけど、恭介のことは誰よりも知ってるんだから。好き嫌いとか、小さい頃よく悪さしたこととか。」
「分かった分かった。好きなだけいろよ。」
このままだと古傷を掘り返されそうな気がした俺は、仕方なく寝泊りを許可した。
「はぁ。少しうるさくなりそうだな・・・。」
異音に聞こえない程度にため息をつき、自分の部屋にこもった。
　部屋にこもりながらベッドで横になっていると、ノックの音と共に異音が入ってきた。
「ねぇ。夕飯何がいい？」
「夕飯？適当でいいよ。そんなもん。少なくとも俺一人の時よりはマシだからな。異音が作ってくれた方が。」
「お世辞なんか言わなくてもいいよ。じゃああるもので作るね。」
「ああ。」
俺は素っ気なく返事をし、窓の外を眺めた。そして部屋を出ようとした異音に訊いた。
「なあ。俺って小さいとき、なんであんなに泣かなかったんだ？車に撥ねられたりしたのに。それに怪我もほとんどしなかったしな・・・。」
突然の予想外の質問に戸惑ったのか、異音は少し焦って答えた。
「え、えと、さあ。なんでかなぁ。私分からないよ。そこまでは。」
なんとなく変だとは思ったけど、特に気にしないでおいた。
「今日さ、また一人助けたんだ。女の子だけど。」
「そう言えば頭に包帯巻いてるね。てっきりなんか仮想でもしてるのかと思ったけど。」
「あほか。でも、なんかその子、昔に会ったことがある気がするんだよな。誰だかは思い出せないけど。ま、俺の思い過ごしだろうけどな。」
俺がそう言うと、異音は少しの間黙り、
「じゃあ夕飯作ってくるからできたら呼ぶね。」
と言って部屋を出ていった。
「・・・なんか変だな。今日のあいつ。」
異音に対する不信感を募りつつ、俺はそれから異音とあまり言葉を交わさずにその日を過ごした。
　「今日で九月も最後か。早いもんだな。」
いつも通り亜紀と手を繋ぎながら登校している俺は、まず最初にそう言った。
「そうだね。でも、もうすぐ文化祭だよ。楽しみじゃない。」
笑顔で亜紀が答える。この笑顔が俺は好きだ。誰にでも笑顔で振舞う亜紀だけど、俺にだけは特に優しい笑顔で話しかけてくれるし。・・・のろけてるな。
「でも、文化祭終わったらすぐ中間テストなんだよね。はぁ。嫌になるなぁ。」
亜紀がため息混じりに言った。
「まあな。だから日ごろから予習復習とかするんだよ。そうすればかなりいい点取れるぜ。」
「そうだね。恭介君はいつもいい点ばっかだもんね。私ももっと勉強しないとなぁ。」
「とか言ってるけど、実際俺とあんま変わんないだろ。充分だって。１学期の過剰平均だって８くらいだろ？」
俺が言うと、亜紀は照れながら答えた。
「そ、そんなことないよ。どんなに頑張っても恭介君には適わないし。」
「ま、その辺の微妙な差は個人の頑張り具合だからな。俺にはなんとも言えんけど、なんなら一緒に勉強する？１学期はできなかったから。今回の中間前ならなんとか暇ありそうだし。」
「うん！私、いっぱい分からないとこ訊くから覚悟してね。」
いたずらな笑みを浮かべて亜紀が答えた。登校の時が、俺の一日で唯一幸せな時間だった。だけど、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。俺らはお互いの教室に入っていった。次に会えるのは昼休み。クラスが違うっていうのは不便なものだ・・・。俺はいつもそう実感していた。
　教室に入ると、やたら騒がしかった。
「どうしたんだよ。何かあったのか？」
クラスメイトの奴に聞くと、
「今日転校生が来るらしいぜ。それも飛びっきり可愛い子らしい！」
と答えた。見ると男子半分ほどの目がハートマークになってそうな勢いだった。
「はぁ。まだ顔すら分からんのによくそんなに期待できるな・・・。」
俺が鞄を床に置き席に着くと、俺を呼ぶ声と共に冬樹が入ってきた。
「・・・お前の存在を忘れるとは、俺もまだまだだな。」
俺が呟くと、冬樹は怪訝そうな顔をしながら言った。すぐに元の顔に戻ったけど・・・。
「何言ってんだ？それより聞いたか！？今日お前のクラスに転校生来るんだってな！？しかも可愛いらしいじゃないか！ああ～。萌キャラかな～。」
冬樹のいつも異常のハイテンションについていけないと判断した俺は、おとなしく教室を出た。
「朝のＨＲまでまだ少し時間あるな。今日は朝練もないし屋上にでも行くか・・・。」
俺は重たい足を引きずって屋上に向かった。
「・・・先客か。」
屋上に出た俺はそう言ってその先客の横に立った。
「恭介は楽しみじゃないの？」
先客、異音が口を開いた。
「別に。第一俺には亜紀がいるしな。それに亜紀ほど可愛い奴が都合よく転校してくるとは思えないしな。」
「私は・・・？」
「え？」
俺の発言に対する異音の反応が異常だったからか、俺は一瞬冷や汗をかいた。異音は表情を変えずに言った。
「私は、可愛くないのかな。亜紀ちゃんほどじゃないにしても、それでもやっぱ可愛くないのかな・・・。」
珍しく下向きな様子の異音に、俺は言った。
「そんなこと気にしてんのかよ。」
「え？」
そう言って俺のほうを向いた異音の目にはなぜか涙が浮かんでいた。
「可愛いとか、可愛くないとか気にしてたらどうしようもないだろ。それにお前には修輔っていう立派な彼氏がいる。それで充分じゃんか。他に何を望むんだよ。」
柄にもなく変なことを言った俺は、言い終わってから下を向いた。そのくさい言葉に励まされたのか、異音は笑顔を取り戻し、言った。
「そうだよね。私には本山君がいる。それだけで、充分だよね。ありがとう。励ましてくれて。」
「お、おう。」
つい声が上ずってしまう。
「さてと、あと少しで予鈴なるから戻ろ。じゃないと遅刻扱いなるよ。」
「そうだな。そろそろ帰るか・・・。」
異音に続き、俺は階段を降りて教室に戻った。さっきの悲しそうな表情はなんだったのだろうか。そんなことを考えながら・・・。
　教室に入ると、すでにみんな着席していた。
「気の早い奴らだな・・・。」
そう思いながら俺も席についた。やがて、予鈴がなって不知火先生が入ってきた。
「ええと、もう噂になっててみんな知ってると思うけど、今日から１年７組に新しい仲間が加わります。」
その瞬間、教室内は待ってましたといわんばかりの歓声に溢れた。中には俺みたいにしらけてる奴もいたけど・・・。
「それじゃあ神宮さん。入ってきて。」
先生に呼ばれ、教室内に『神宮』なる人物が入ってきた。そしてその子の姿が見えるや否や、教室内は可愛いの声で溢れかえった。
「あいつ・・・俺がこの前助けた・・・。」
俺はその少女の顔を見て思い出した。その少女は昨日俺が曲がり角で助けた少女だった。
「それじゃあ神宮さん、自己紹介お願いね。」
先生に言われ、少女は自己紹介を始めた。
「みなさんおはようございます。つい先日東京から来ました、神宮神子(みこ)です。まだ分からないことも多いので、ご迷惑おかけすることが多いと思いますけど、どうか、よろしくお願いいたします。」
そう言ってぺこりと深く頭を下げた。その動作や言葉遣いのおかげで、教室内はよけいにうるさくなった。
「それじゃあ神宮さん、真ん中の列の一番後ろに座ってくれる？」
「はい。分かりました。」
神宮は、先生に笑顔でそう返し、席に向かって歩き始めた。みんなの視線を集めながら・・・。そして俺の席の横を通り過ぎる時、神宮は俺に笑いかけた。俺のことを覚えてたのかと思ったけど、凝視している周りが何の反応も示さないところを見ると、ただの気のせいかと思った。そんなこんなで、転校生神宮は我が７組に歓迎されながら加わった。
　昼休み、俺はいつも通り亜紀と教室で弁当を食べていた。
「恭介君。転校生の子はどうだった？」
「そうだな、確かに可愛いかったけど、どちらかと言うとあれは美人に入るな。ちょっと大人びてるというか・・・なんか神秘的な子だったよ。」
思ったことをそのまま口にすると、亜紀は悲しそうな表情で一言「そう。」と答えた。
「ま、俺には関係ないことだからな。俺には水島がいるし、こういう言い方は悪いけど、神宮に俺らの間に入る余地はないよ。」
と、さりげなくフォローする。亜紀は表情を一変させ、弁当のおかずを箸でつかんで俺に差し出してきた。それからものの数分で弁当を食べ終えた俺らは、これまたいつも通り屋上で話をすることにした。
「にしても、昼の屋上はなぜにこんなに人気が多いんだ。」
愚痴っぽく俺が言うと亜紀も苦笑いを浮かべながら俺に賛同した。その時の亜紀の顔は気まずそうな感じだった。亜紀の視線のほうに目をやると、そこには女子の集団があった。その集団はひたすら物陰に隠れながら俺のほうを見ている。ばればれだっつうの。
「あんま気にすんなよ。差し詰めまた悩み事を抱えた輩だろ。ったく。少しは自分の力で問題を解決するってことができないのかよ・・・。」
ため息混じりに俺は言った。すると、亜紀は
「あ、ごめん！私用事があるの忘れてた！恭介君。ごめんね。私行くから・・・。」
と言い残し、屋上を小走りに去っていった。
「なんだ。亜紀のやつ。なんか様子が変だったけど・・・。もしかしてまだ神宮のこと気にしてるのかな・・・。変なことにならなきゃいいけど。」
俺は独り言を呟きながらフェンスにもたれかかった。すると、亜紀がいなくなったのを確認した集団が俺のほうに寄ってきた。そしてまた悩みを解決しろとせがんでくる。いい加減頭が痛い。亜紀のこともあり、機嫌が悪かった俺は、ついにその怒りを爆発させてしまった。
「あ～！！少しは自分で解決しろよ！人にばっか頼らないで！！」
屋上全体が静まり返り、視線が俺に集中した。それで我に返った俺は相手に謝った。
「あ、ごめん・・・。」
だけど相手の女子生徒は泣きながら屋上を飛び出していった。俺は頭を掻きながらフェンス越しに町の景色を眺めた。町の情景はいつもと変わりなく、何もなかった。その日、授業、部活共に身が入らなかった。そして、珍しくその日は相談されることもなく午後が過ぎていった。
　夜１０時頃、家の電話がなった。たまたま一階にいた異音が電話を取り、俺を呼びに部屋まで来た。
「恭介。電話。」
「ん？誰から？」
「分からない。名乗らなかったから・・・。でも女の子だったよ。」
「ちっ。ついに電話で相談にでも乗れってか？」
ぶつくさ言いながら面倒くさそうに下に下りて電話に出た。
「もしもし。」
すると相手は多少戸惑いながらも答えた。丁寧な言葉遣い。神宮だった。
「で、転校したての子がクラス委員長でもない俺に何のようだ？」
その日の機嫌の悪さがついつい電話に出てしまった。だけど神宮は気付いていないかのように話し始めた。
『あの、すいませんけれど、今から学校の正門まで来てくれませんか？』
「正門！？こんな時間に！？無理に決まってるだろ！」
あまりにも常識はずれなお願いに、俺は大きな声を出してしまった。だけど神宮はしつこくねだってきた。そしてとある一言が俺を動かす気にさせた。
『どうしても、今のうちに知ってもらわないといけないことがあるんです。もうこれ以上はもちません。このままだと手遅れになってしまいます。お願いです。今すぐ来てください！』
あまりにも一生懸命だったから、一言分かったと答えて、俺は部屋に戻り、寝巻きを脱いで普段着に着替えた。準備が整うと、向かいの部屋にいる異音に
「今からちょっと学校行ってくるから。」
と声をかけた。驚いて部屋から飛び出してきた異音がなにか叫んでいたが、俺には耳に入らなかった。
　夜道は予想以上に寒かった。まだ１０月なのに冬並みの寒さだ。こんなことならもう少し厚着してくればよかったと思ったけど、もはや後の祭りだった。寒い風に吹かれた学校にはすでに神宮が来ていた。神宮は俺の姿を見ると、
「お久しぶりです。」
と言ってにっこり笑った。俺は首をかしげながら答えた。
「お久しぶりって、昨日会ったばっかだろ。曲がり角で。」
すると、神宮はショックと言うより、驚きを隠せない様子で俯いた。だけどすぐに顔を持ち上げ、口を開いた。
「そうですね。私、何言ってるんだろう。すいません。急におかしなこと言って。」
かなり申し訳なさそうな顔をするものだから、ついつい俺もつられて謝ってしまった。
「あ、俺こそごめん。強い言い方して。で、用件は？」
なかなかの寒さに身を震わせながら、早く用事を済ませて家に帰ろうと思い、単刀直入に訊いた。
「あっと、今日はちょっと訊きたいことがあったのでお呼びしました。ご迷惑かけてごめんなさい。」
「訊きたいこと？それなら明日にでも学校で訊けるだろ？なのになんでわざわざこんな夜なんだよ。」
頭を抱えながら言うと、俺の態度に戸惑いながらも神宮は俺に色々訊いてきた。
「まず、一つ目なんですけれど、最近変わったことはないですか？」
「変わったこと？いや、特にないけど。」
「それでは最近嫌だと思ったことは？」
と、まあこんな感じで、最近のことを始めとし、修輔のこと、冬樹のこと、そして挙句の果てには異音や亜紀のことまで訊いてきた。
「あのさぁ。一生懸命なところ悪いけど、いい加減にしてくれないか？」
あれこれ詮索されるのが嫌だった俺は、怒鳴るような口調で言った。その時の神宮の顔は、怒鳴られたことを悲しむというより、何かを恐れているといった感じだった。その時は特に気にすることもなかったけど・・・。
「すいません。そうですよね。色々詮索されたら誰だって嫌ですよね。ご協力ありがとうございまいた。今の状態ならまだ修復は可能みたいです。」
「修復？」
何を言っているのかさっぱりだった俺は、その修復の意味を訊いた。だけど神宮の耳には届いていなかった。
「もし、少しでも変わったことがあったら私に教えてくださいね。絶対ですよ。それがたとえ少し熱が上がったような軽いことであっても。手遅れになったら、おしまいですから・・・。」
言い終わるにつれ、神宮の表情は曇っていった。そしてそれを言い切ると、お辞儀をして俺の前から去っていった。
「一体何が言いたいんだよ。」
そう呟きながら、俺も正門を後にした。
　次の日、珍しく亜紀が学校を休んだ。亜紀本人からメールが入ったのだ。仕方なく俺は、道端で会った冬樹と一緒に学校に行くことにした。
「なあ冬樹。最近お前、変わったことないか？」
出し抜けにそんなことを訊いてみた。だけど冬樹は何も不思議がらずに質問に答えた。将来騙されるタイプだ・・・。
「変わったことと言うか、悲しかったことなら昨日あったなぁ。」
謎を解いている探偵のように手をあごに当てると、表情を一変させ俺に泣きついてきた。
「蒲田ぁ！聞いてくれよぉ！昨日さぁ、俺のナナが、俺のナナがぁ・・・！」
ナナとはこいつが飼っている雌猫のことだ。
「まさか・・・死んじゃったのか？」
冬樹のいつも以上の泣きっぷりからそう判断し、心の底から可哀想だと思った。
「へ？何言ってんの？勝手に人の猫殺すなよ！」
冬樹がいたずらに拳を振り上げた。
「じゃあ何があったんだよ。」
まさか家出か、と思いつつ訊いた。すると、冬樹の口からは意外な真実が語られた。
「昨日５匹も赤ちゃん産んだんだよぉ！もう嬉しくって嬉しくって。」
「はぁ！？子供！？いくらなんでもオーバーすぎるぞお前。俺はてっきり・・・。」
そこまで言ったとき、ふと何かがひっかかった。今までに何度も冬樹の家に行ったことはあるが、その時いた猫はたしかナナ一匹だけだった。
「お前、いつのまに雄猫なんて飼い始めたんだ？」
「へ？何言ってんの？」
今度はすっとんきょうな声を上げて返事をしてきた。
「だって、子供が産まれたんだろ？だったらナナは雄と交尾したってことだろ？」
「ああ、そう言えばそうだなぁ。でも、うちにはナナ以外何もいないけど・・・。」
「そうか・・・。」
何かが頭の奥に引っかかる感じがした。昨日の神宮の言葉が脳裏をよぎった。だけど冬樹はそんな俺のことなんてお構いなしに会話を続けていた。
「ま、俺ん家はナナは放し飼いに等しい状態だし、どっかそこらのオスにでも惚れたんじゃない？」
なかなかの一大事なのに冬樹は割りとのん気に構えていた。それにしても放し飼いとは・・・。ナナはよほど冬樹になついているんだろう。まあ冬樹にならなついても仕方ない気がするけど・・・。嬉しそうに横で話している冬樹を眺めながら、俺は結局何も分からず仕舞いで学校に到着した。
　昼休み、亜紀が休んでいたから食堂で昼飯を食べることにした。
「今日の授業、身が入らないなぁ・・・。」
一人でぼやきながらオリジナル弁当を箸で突付いていると、
「ここ、座っていいですか？」
と言う声が聞こえてきた。ついつい「はい」と答えてしまい、相手を確認すると、神宮だった。
「・・・神宮か。」
「すいません。私なんかで・・・。」
本当にすまなさそうな顔をして反応するもんだから対応の仕方が分からなかった。だから適当に対応した。
「まあ気にするな。で、まさか昼までも俺に質問しに来たのか？」
おかずのから揚げを口に運びながら言った。
「水島さんがいたら今夜にしようと思ったんですけど、どうやら休みみたいなので・・。水島さん、なんで休みなんですか？」
「さあな。俺はメールで休むからって言われただけで理由まで聞かされなかったし、それに知ろうとも思わないしな。どちらにせよ、あんまたいしたことないだろ。昨日も元気だったし。」
俺が投げやりな態度で言うと、神宮は声を張り上げて叫んだ。
「たいしたことないって、なんでそう言い切れるんですか！」
一瞬、食堂中が静まり返った。周りの様子に気付くと、神宮は落ち着きを取り戻して言った。
「す、すいません。いきなり大声なんか出したりして・・・。」
「いや、俺はいいんだけどさ。ってか今日の神宮、怖いよ。なんかあったのか？」
俺が声を潜めて訊くと、普通ですと一言残して、食堂を去っていった。
「どうしたんだ。あいつ。・・・って、冬樹の猫のこと言うの忘れてた。」
気付いたときには既に神宮の姿は食堂にはなかった。
　その日、珍しいことに誰からも相談を持ちかけられなかった。俺は部活が終わると、例のごとく冬樹とくだらない話をしながら帰った。
「ただいまぁ。」
異音はまだ部活だった。だから仕方なく俺が鍵を開けた。渇いたのどを潤すべく、台所に直行する。すると、ダイニングにあるテーブルに１枚の紙切れがあった。俺は紙切れに書かれている内容を読んだ。
『恭介へ。今日、恭介のお母さんが帰ってくるの。だから私はもう用もないし、家に帰ります。ほんとは朝言うつもりだったけど、恭介学校行くの早いから。荷物はもう朝に移動させたし、心配しないで。それじゃあ、また明日。』
毎度のことながらやたらしんみりくる書置きだった。
「・・・そっか。あいつ、帰ったのか。寂しくなるな。」
俺は無意識のうちにそう呟きながら部屋に戻っていった。部屋のドアノブに手をかけたとき、何を思ったのか、異音が使っていた部屋のドアを開けた。勿論のことながら荷物はなかった。
「・・・あほか。俺。なに期待してんだよ。女々しい・・・。情けねぇ・・・。」
独りでに自分を侮辱する言葉が口からこぼれ出てくる。そして、その言葉と一緒に、あるものがこぼれた。それは俺の視界をぐにゃぐにゃにさせた。瞼の内が熱くなってくる。
「あ、れ？俺、もしかして泣いてるのか？涙が、出てる。なんで・・・。今まで泣いたことなかった俺が、なんで異音が家に帰っただけで涙流してるんだよ・・・。おかしい。なんか俺、おかしいな・・・。」
俺は混乱する頭を抱えながら、ベッドに座り込み、涙をぬぐった。だけど、拭っても拭っても涙は止まらない。まるで今までたまっていた何かが溢れてくるかのように、涙は流れ続けた。母さんが帰ってくるまで。
　午後７時頃、母さんは帰宅した。
「おかえり。」
俺は階段を降り、母さんを出迎えた。たとえ身内じゃなくても出迎えられるだけでも心温まるというものだ。それは俺が異音に抱いた気持ちだった。
「ただいま。珍しいねぇ。恭介がお出迎えなんて。何かあったの？」
母さんが疲れを顔に浮かべながら不思議そうに訊く。
「別になにもないよ。それより、かなり疲れてるんじゃない？さき風呂入ってきたら？俺、夕飯温めとくから。」
「いつもごめんね。家何日も空けたり、ご飯の用意してもらったり。」
いつも同様、すまなさそうな顔で母さんが言う。
「そんなこと気にすんなって。それに今回は異音もいたから。」
俺がごく当たり前のように言うと、母さんはなにそれと言わんばかりの表情で俺を見てきた。
「ん？どうしたんだよ。」
「いやね、今回は異音ちゃんには頼んでないんだけどなぁ。恭介の世話。まあ面倒見てくれたなら後で御礼に行かないと。」
そういいながら母さんは部屋に戻っていった。
「・・・どういうことだ？あいつ、もしかして親に黙って俺ん家来たのか・・・。」
考え込むようなふりをしながら、俺は呟いた。だけどあまり気にせずに、夕飯を温め、部屋に戻った。
　９時４５分頃、俺宛に電話が入った。母さんが笑みを浮かべながら俺に受話器を渡してきた。女子からの電話だからからかってるんだろう。
「もしもし。恭介だけど。」
「あ、恭介君ですか？私です。神宮です。こんばんは。」
相変わらずよそよそしい話し方で話す。
「で、今日も学校行くのか？」
ため息混じりに俺が言うと、神宮からは予想外の答えが返ってきた。
「いえ。今日は電話でいいです。そしてこれからも・・・。」
妙に悲しそうな声が俺の同情心を煽った。受話器からはすすり泣きが聞こえてきた。
「おい。どうしたんだよ。なんで泣いてるんだよ。」
何度訊いても理由は答えなかった。ただ、努力不足だのもう手遅れかもしれないだの、意味不明なことを連発していた。しばらくそんな会話じゃない会話が続いた。だけど、次第に神宮は落ち着きを取り戻し、ようやく俺とまともに会話ができる程度まで回復した。
「で、なんでいきなり狂った様に意味不明な言葉連発してたんだ？」
「・・・。」
少し間が開いて、神宮は口を開いた。
「・・・恭介君は、この町にもう一つ世界があるのを知っていますか？」
「もう一つの世界？たしか幼稚園の時聞いたことあるな。この町が異界町って呼ばれる理由は異界に通じる入り口が存在するからだって。誰から聞いたかは忘れたけどな。でも、迷信だろ？信じられないし、あまりにも非現実的すぎるしな。」
はなっから信じていない俺は、とりあえずそう答えた。
「たしかに、みんなはそう言います。大人でも、この町に入り口があることを知る人間は数少ない。片手で数えられるほどしかいません。そしてこの町以外に、そのことを知る人間はいません。」
やたらまじめな雰囲気になってきて、俺は早く電話を切りたくなってきた。これ以上聞いたら何か大変なことに巻き込まれそうな、そんな気がしたから・・・。だけど、結局聞いてしまった。最後まで。
「もう一つの世界、すなわち異界は、この町が存在するのに必要不可欠なものです。もし異界が消えてしまったら、同時にこの町と今この町にいる人はみんな消えてしまう・・・。」
「おいおい。何不吉なこと言ってんだよ。それにわけ分からないし。異界がなくなったら俺たちも消えてなくなる？そんなこと信じるわけないだろ。」
俺はやや強めに言った。実際、信じられなかったし、信じたくもなかったから。だけど、頭の奥で何かが引っかかってる気がした。とても大事なものが。
「信じないことは初めから分かってました。でも、実際に見てもらえれば分かると思います。」
「見る？異界とかなんとか言う、この世に存在しないものをか？どうやって？」
「今週の日曜日、午前１０時に学校の裏門まで来てください。その時、すべてを話します。」
電話越しなのに、神宮の強い意志が伝わってくる気がした。とりあえず、俺はOKした。そして電話を切った。直前、神宮が、これから色々なことが起こるから気をつけろと言い残したのを聞いて。
　その日から日曜まで、やたら時間が短く感じられた。あの電話以来、神宮は学校を休み、誰一人として俺を頼る奴はいなくなった。それどころか、異音も学校を休んでいた。その時、何かが起こっているということだけは俺でも分かった気がした。そして、日曜日。午前１０時に俺は学校の裏門に着いた。そこには既に神宮が立っていた。ただ、その神宮はひどく疲れていて、美人と思わせる顔はひどくやつれていた。
「神宮・・・。どうしたんだよ。最近学校にも来ないし。風邪か？」
俺が訊くと、神宮は弱々しい笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫です。ちょっと頑張りすぎただけです。でも、おかげで異界は少しだけ落ち着きを取り戻しました。」
「異界ねぇ・・・。それじゃ、早速見せてもらうとするか。その異界とやらを。」
「はい。では、私に付いてきてください。」
神宮はそう言って学校に入っていった。俺もすかさず後についていった。校舎の中に入り、階段を上った先に着いたところ。それは屋上だった。
「おい。本当にこんなところに異界があるのか？」
俺は風に吹かれて震えている腕をさすりながら訊いた。
「はい。ここには唯一、異界に通じる入り口があります。こっちです。」
そう言って、今度は町のいたるところの死角になっている場所に歩いていった。屋上でどこからも見えない。それは一見完璧な隠れ家のようで、そうではなかった。死角な分、チェックが厳しいからだ。
「死角か・・・。確かに、ここなら何があってもあんまり気付かないかもな。」
俺がなんとなく納得したように言うと、神宮は死角の一部に手を当て、なにやら呟き始めた。そしてその呟きが終わり、神宮が顔を上げると、驚いたことに今まで壁だった部分に扉が現れた。まるで魔法か何かを見ているかのような感覚に襲われた。神宮は驚きのあまり棒立ちした俺に呼びかけた。
「恭介君。付いてきてください。入りますよ。異界に。」
俺は、神宮に連れられて扉の奥に進んでいった。
　そこは現実世界と似ていた。似ていたと言うより、背景はまったく同じだけど感じが違うといった感じだ。そしてなんとなく、気持ち悪かった。
「ここが異界です。異界町のもう一つの姿。」
「なんだか気持ち悪い場所だな。だけどなんで学校なんだ？」
素朴な疑問だった。扉の先の景色は、まるで鏡の世界にでも来たかのような感じだった。左右反対で、しかも学校の屋上。
「学校が異界には一番適した場所だからです。そして、異界はこの学校内にしか存在しない・・・。さっき異界の屋上から見えた町並みは、見た目だけです。実際、異界では学校の外には出られません。」
「まるでゲームの世界だな。この前は異界がないなんて言い張って、悪かった。で、異界は結局どんなところなんだ？」
ここに来た途端、俺は色々なことを知りたくなってきた。
「恭介君。異界町に犯罪者が来ると、なぜ大人しくなるか考えたことはありますか？」
「あるよ。結局途中で考えるのやめたけどな。」
「異界は、人にとって必要のないものを取り除き、溜めておく場所なんです。犯罪者の場合、犯罪悪と言う生きていくうえで必要のない感情をここに溜めています。正確には勝手にたまっているんですけどね。」
「勝手に溜まる？どうやったら溜まるんだ？」
「人は、みんな個人個人に意思を持っています。だけど、その意思すべてが正しいものとは限らない。中には人を死に至らしめる意思を持つ人もいます。それが犯罪者です。そして異界は、この町を平和にするために、この町に存在する悪い感情、意思をすべて吸い取るんです。その人が気付かないうちに。だから、この町に来た瞬間、犯罪者は大人しくなるんです。」
異界に来る前なら何がなんだかさっぱりだっただろうけど、今ははっきり分かった。異界がどういうものなのかが。そこで俺は、また疑問を提示した。
「でも、その溜まった感情やら意思やらはどうなるんだ？」
「いいところに気がつきましたね。異界は擬人的表現をすれば私たち人間と同じで、溜めたものは必ずどこかへ放出します。私たちが酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出すように。そして、その放出されたものは、吸収した人の元へ戻っていきます。多くの犯罪者は、悪い意思を吸い取られ、人のために生きようと思う意思が植えつけられます。つまり、悪いものがいいものに変わって帰っていくんです。」
「なるほど。」
俺は感心した。神宮の説明にじゃなくて、この異界の存在と仕組みについてだ。
「でも、異界が吸い取るのは感情だけじゃないんです。」
次第に神宮の表情が曇り始めた。
「じゃあ、他に何を吸い取るんだ？」
「異界は、形のないものなら何でも吸い取ってしまいます。それが悪いものならなんでも。それだけならまだいいんです。一番最悪なのは、個人の願いどおりになってしまうこと。」
「個人の願いどおり？どういうことだ？」
だんだん話の核心に近づいていることを感じ、俺は真面目に話を聞き始めた。
「人はみんな、それぞれにいらないと感じるものを持っています。例えば、泣き虫な人なら泣かないようになりたいとか、弱い人なら強くないたいとか。だけど、そんな一人一人の希望通りに意思を吸っていたら、異界も限界に達してしまいます。」
「限界に達する？でも、異界は吸い取った分だけ出してるんだろ？」
「そうです。でも、最近では吸い取る意思が強すぎて、放出が間に合わないんです。つまり、溜めるだけ溜めたせいで詰まってしまい、放出が困難になってしまっているんです。」
「そうなるとどうなるんだ？」
「基本的には吸い取った相手に吸い取ったものを綺麗にして返している感じですけど、もし吸い取るものが強いと、異界はその感情や意思を浄化しきれずに暴走してしまいます。そうなったら、もう取り返しがつきません。幸い、今はまだ暴走寸前で異界は落ち着いています。ですが、これ以上余計な感情や意思が入り込んでくると、本当に暴走してしまいます。そこで、私ははるばる東京から転校を口実に異界町まで来たんです。」
神宮が語る一つ一つのことを、俺の脳はゆっくり、正確に整理していった。
「でも待てよ。そこまで異界のことを知ってるんだったら、神宮はここに住んでたのか？」
「はい。私は××年の８月８日、この町で生まれました。」
「俺と同じ日・・・？」
「そうです。それに私はこの街に住んでいたので、恭介君のことも異音さんのこともしっかり覚えていますよ。小さい頃、３人で一緒に遊んだことも、たまに喧嘩したことも。そして、一番忘れてはいけないのが、私が車に轢かれそうになったとき、恭介君が飛び出して助けてくれたこと。」
あの時の夢と同じだった。だけど
「でも恭介君ったら、自分から助けておいてひざすりむいて大泣きしたんですけどね。たしかその時ですよね。お互いの名前を知ったのは。不思議なものですね。名前も知らないのに一緒に遊んでたんだから。恭介君は私のことお前って呼んでました。覚えてますか？」
微妙に夢とは違っていた。夢での俺は泣かなかった。それに神宮のことすら覚えていなかった。そしてなにより、俺にはそんな記憶がなかった。俺が必死に思い出そうと頭を抱えて唸ると、
「無理に思い出さなくてもいいんです。」
と、神宮が優しい声で話しかけてきた。それを聞いて、俺はどきっとした。考えてることが筒抜けになってる。そう思った。
「私はとある富豪の養女として迎えられました。生まれてすぐの話です。そして、私には同じ日に生まれた、双子の弟がいます。」
それを聞いて俺の心臓は高鳴った。何かを口にしないと気がすまなかった。だけどその場はなんとか気持ちを抑え、神宮の話を聞いた。
「私の本当の両親は、代々異界を管理してきました。だけど、異界を管理するのは一人で充分。私は子供ができなくて苦しんでいる富豪の夫婦に預けられたんです。だから、本来なら家に残った弟が異界を管理しなければいけないんです。でも、本来異界を管理すべき私の弟は、異界を管理するどころか、異界に頼って生きていく人間になってしまっていた。私の生みの親は、悲しみながらも私に異界を管理するように言ってきました。そして、私の元に一つの小包が届きました。私の本当の父が亡くなったという知らせと共に。」
そう言って、神宮は涙を目に浮かべながら懐から鍵らしきものを取り出した。
「これが、届いたもの、異界の鍵です。」
その鍵には俺もいささか見覚えがあった。そう。親父が死んだとき、形見として受け取った鍵とそっくりだった。
「この異界の鍵は模造品。どこにでも好きなところに異界への入り口を開けますが、その異界もまた本物の異界のコピーのようなもの。異界に少し手を加えることは可能でも、細かい作業は恭介君、あなたが持っている本物の鍵でのみ行くことができる本物の異界でしかできないんです。」
神宮の話はそこで止まった。俺はなんて言葉を返すかしばらく考えた後、口を開いた。
「そうか。神宮は俺の姉貴だったのか。通りで記憶にもないのに神宮の夢を見るはずだよな。」
俺がそう言うと、神宮は驚いていた。
「記憶にもない夢を・・・？そんな・・・。記憶にないなら夢を見ることは不可能なはず。もしかして・・・！」
神宮は俺の腕を掴んで走り出した。
「お、おい。どうしたんだよ。急に。」
「恭介君！私の夢を見てから体調とか様子がおかしかった人は？」
「夢を見てから・・・？そういえば、神宮が休んでから、異音も休んでた。」
俺が落ち着いて答えると、神宮は大きな声で言った。
「ほんとはここでもっと話さないといけないことがあるのに・・・。恭介君、いいえ。恭介。私もあとで行くから、先に異音ちゃんのところに行って！早くしないと、異音ちゃんは・・・。」
「わ、分かった。異音の家は？」
「知ってるから大丈夫。それより、早く！」
必死に走る姉、神子の叫び声を背に、俺は走り出した。異界を出て現実に戻った瞬間、胸騒ぎがし始めた。俺はとにかく無我夢中で、異音の家に走っていった。
　人間はやれば極限以上の実力を発揮できるものだ。俺も、その時はものの数分で異音の家に到着した。すかさずインターホンを鳴らした。だけど、誰も出なかった。
「こんな時に限って留守かよ。勝手に入りますよ！」
俺はそう叫んで、ドアを開けた。鍵はかかっていなかった。そしてよく見ると、異音の靴が玄関にあった。俺は急いで異音の部屋に走っていった。
「異音・・・！」
俺が勢いよくドアを開けると、異音は驚いてベッドから飛び出した。
「異音・・・。」
「え？恭介？なに焦ってるの？ってか、なんでここにいるの？」
予想以上に異音は元気そうだった。俺は安心して、その場に座り込んだ。
「元気か。よかった・・・。」
もはや、それ以上は声が出なかった。
　しばらくして落ち着くと、異音が俺に話しかけてきた。
「でも、久しぶりだよね。恭介が勝手に私の家に入ってくるの。」
「・・・そうか？覚えてないな。」
「あ、ごめん。今の私の夢の中の話。ごめんごめん。寝ぼけてるみたい。」
異界で姉貴の話しを聞いて、俺は既に感付いていた。何らかの影響で俺が記憶を一部失っている、もしくは作り変えてることくらい。俺はそのことを異音に言おうとした。
「異音。俺・・・。」
その瞬間、インターホンが鳴った。
「今日はお客さんが多いなぁ。悪いけど恭介。出てきてくれる？」
「分かった。」
俺は言われるがままに下に下り、ドアを開けた。予想通り、客は姉貴だった。
「異音ちゃんの様子は？」
息を荒げながら姉貴が訊いてきた。
「全然元気だったけど。とりあえずあがれよ。俺が言えた義理じゃないけど。」
俺は姉貴を連れて異音の部屋に戻った。
「あ、恭介。・・・と、神宮さん？どういうこと？」
異音は意外な組み合わせに目を丸くしていた。
「これには色々事情があるんだよ。とりあえず、俺と姉、じゃなかった。神宮の話を聞いてくれ。」
そう言って、俺らは色々なことを異音に話した。この町のこと。異界のこと。そして、俺の記憶のこと。だけど、異音はそれらをすべて、既に知っていた。一つ、俺と姉貴が姉弟だということを除いては。
「へぇ。恭介と神宮さんって姉弟だったんだ。初耳。」
「俺だって意外だったよ。記憶なかったから尚更な。母さんもそんなこと一言も言わなかったし。」
「でも、無事そうで何よりです。ところで異音さん。ご両親は？」
姉貴が訊くと、異音は俯いたまま答えた。
「知らない。私が起きたとき、もういなかったから。」
「起きたとき？じゃあどこか出かけてるだけじゃ・・・。」
「ううん。違う。３日前起きたときだから。それに机の上に大金が記載された通帳とキャッシュカード、印鑑とか、生活に必要なものが全部置いてあったし・・・。それ以来、戻ってこない。」
異音は泣きそうだった。そんな異音を見て、姉貴は俺を部屋の外に連れ出した。
「恭介。まだ言ってなかったこと、言うからよく聞いて。」
「急に姉貴面し始めたな・・・。分かった。聞くよ。」
俺はもうなんでも有りの状態だった。何を聞いても驚かない。そんな感じ・・・。
「さっきから見てて思ったけど、異音ちゃんは予想以上に深刻な状態なの。」
「どこがだよ。あんなに元気じゃんか。」
「そう見えるだけ。恭介。あなたは一体いくつ異界に吸い出させたの？と言っても分かるわけないよね。とりあえず、もう一回ここに偽造異界を開くから、そこで話を聞いて。」
そう言って姉貴は２階の隅に入り口を開いた。今度の異界はほんとに一時的なもので、何かがめまぐるしくぐるぐる回ってる気がする以外は何もなかった。しかも今度は家の中だけあって学校ほど広くもなかった。
「とりあえずどこかの部屋に入ろう。」
姉貴は適当に部屋のドアを開け、入っていった。俺もそれに続いた。
「部屋には吸い出した感情や意思がたくさん詰まってるの。ここはそうでもないけど、学校はかなり膨大な量を収容してる。それを恭介の下らない願いが無茶苦茶にしてるの。」
「下らない願いってなんだよ。言い方には気をつけろよ。」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないよ。恭介。私は原因が恭介だと分かってから必死に異界を修復してる。でも、恭介が元に戻ろうとしない限り異界は恭介がいらないと思っている感情や意思を吸い出し続ける。きりがないの。」
「待てよ。今は異音の話だろ？なのになんで俺が出てくるんだよ。」
俺がそう言うと、姉貴は俺に平手打ちを放った。
「痛っ！」
俺が頬をさすりながら姉貴を見ると、姉貴は泣いていた。
「恭介。感情を自ら吸わせると、その分の被害は恭介よりも周りの人にあるんだよ。確かに恭介にもある程度は悪いことは起こる。だけどそれは勘が百発百中になったせいで物事の判断に優れ、色々な人から相談を持ちかけられる程度のものでしょ。でも、異音ちゃんの場合、このままだと死んじゃうんだよ・・・。今だからこそ、犯罪者の悪い意思は良い意思になって戻ってくけど、もし私が来なかったら、この町は犯罪の嵐になってるところだったんだよ。」
「姉貴・・・。」
俺はそれ以上何も言えなかった。
「でも恭介。恭介は本来異界を管理すべき人。だから恭介のいらない感情は、みんな悪いものになってこの世界に降り注ぐの。私が多少修復したから今はなんともないけど、もう学校の異界ではこれ以上修復は無理。だから恭介。恭介の鍵を使って、恭介の捨てた感情、意思を全部戻して。昔の恭介に戻って。」
姉貴は俺に泣いてすがった。もしかしたら姉貴にもなんらかの影響が出てるのかもしれない。俺は悩んだ。確かに異音を死なすわけにはいかない。だけど今の俺を失うのは、正直怖かった。そうやってしばらく悩んでいると、
「へぇ。異界ってこんなところなんだ。」
という声が後ろからして、俺と姉貴は振り向いた。すると、そこにはおぼつかない足取りでこっちに近づいてくる異音がいた。
「異音！」
「異音ちゃん！？なんでここに・・・。ここには異界を管理できる者しか入れないはず。」
姉貴が言うと、異音は笑みを浮かべながらあるものを取り出した。開かれた手のひらには、鍵が一つ納まっていた。
「鍵！！なんで異音ちゃんが持ってるの！鍵は私と恭介だけしか持ってないはずなのに。」
すると、異音はゆっくり答えた。
「これは、この鍵は、恭介のおじさんが、まだ私が小さいときにくれたの。異界が大変なとき、この鍵を使えって。初めは意味が分からなかったけど、恭介が変わってから、すぐに分かった。恭介が変わってから、私には悪いことばかり起きた。飼ってたインコが死んじゃったり、友達が遠くに引っ越したり・・・。でも、一番つらかったのは、恭介が考えてること、恭介が抱えてる苦しみが全部私に回ってくること。だから私も変わった。少しでもたくさん恭介の苦しみを私が抱えて、恭介に楽をさせてあげようとした。でも、もうその必要もないんだね。恭介。私はもう長くないから。だから、私が死ぬまでは今のままでいて。正直、死ぬのは怖いし、嫌だけど、恭介が泣き虫に戻るのを見るのはもっと嫌だから。だけど、私が死んだらすぐに鍵を使って。でないと、今度は亜紀に、今度は亜紀が死んじゃうかもしれないから・・・。」
そこまで言うと、異音は倒れた。俺はすかさず倒れる異音を支えた。
「異音！しっかりしろ！死ぬなんて言うなよ！おい、異音！」
俺の目からは信じられないほど涙がこぼれた。そのうちの一滴が異音の顔に垂れると、異音はうっすら目を開けた。
「異音・・・。」
「あ～あ。折角私が命張ってたのに、結局死ぬ前に泣いてる恭介見ちゃったな・・・。でも恭介、ありがとう。私が死ぬ前に飛んできてくれて。さっき恭介が部屋に飛んできたとき、つい嬉しくて元気な振りしたけど、ほんとはもう死にそうだったんだよね。馬鹿みたいだね。私。恭介の前だからって強がったりして。」
だんだん異音の体が冷たくなっていくのを感じる。俺は無意識のうちに異音の手をさすり、温めていた。泣きながら・・・。
「異音は強がってなんかない。異音は強い。俺が認める！だから、死ぬなよ異音！」
「ありがとう。恭介。でも、もう駄目。恭介。最後に一言だけ、言わせて。」
「最後なんて言うな！その言葉は聞かない。まだ最後じゃないんだから・・・。」
俺は必死に異音を生かそうと頑張った。だけど・・・もはや俺の声は異音には届いていなかった。
「恭介・・・。実は、私、恭介のこと、好きだったんだぁ・・・。本山君も好きだけど、それ以上に。その何倍も。でも、恭介には亜紀っていう彼女ができたし、私は満足だよ。恭介・・・。今まで、一緒にいてくれて、ありがとう。最期を見届けてくれて、ありがとう。そして、さようなら・・・。きょうす、け・・・。」
異音は静かに目を閉じていった。
「おい。嘘だろ！？目を開けろよ！異音！」
俺が異音を起こそうと体を動かすと、今までずっと立っていた姉貴が異音の脈を調べて言った。
「恭介！まだ異音ちゃんは生きてる！今ならまだぎりぎり間に合う！だから、早く本当の異界へ・・・！」
「だけど、どこが入り口かなんて俺、知らないよ・・・！」
珍しく弱気な俺。そして馬鹿みたいに涙を流してる俺。
「弱気にならないで！落ち着いて考えてみて。恭介の知ってる場所にきっとあるから。」
そういわれて、俺は落ち着いて考えてみた。ほんとのところ、落ち着いてるなんていえたものじゃないけど、とにかく考えた。そして、ある場所が頭の中に浮かんだ。
「親父の部屋・・・。」
本来日本の家の部屋に鍵なんてあまり付いてないはずなのに、親父の部屋にはそれがあった。鍵穴のようなものが。
「行ってくる！」
俺は勢いよく偽造異界を飛び出した。涙を拭いながら。そしていつも財布にしまっていた鍵を取り出し、靴のままその鍵を鍵穴に差し込んだ。すると、待ってましたといわんばかりの勢いで扉は開き、俺はその中に導かれた。
　その中は真っ白で、気持ちいい、偽造異界とはまったく正反対の場所だった。
「これが、本当の異界なのか？」
俺は一歩二歩歩みだした。すると、目の前に一人の少年が現れた。少年は泣いていた。そう。昔の俺だ。更によく見ると、地面にはアイスが落ちていた。
「アイス落としたぐらいで泣くな。我ながら情けない・・・。」
俺はそう呟いた後、俺以外の人が存在しない異界に向かって叫んだ。
「わがままなのは分かってる。だけど、早くしないと異音が・・・。時間がないんだ！頼む！俺を昔の俺に。俺が異界に捨てた感情を俺に戻して、異音を助けてやってくれ！罰ならいくらでも受ける！だから、頼む！」
俺は強く願った。すると、今度は目の前に幼き頃の異音と思える少女が映った。
「最近、恭介が変わっちゃった・・・。それになんだか胸が苦しい・・・。なんでだろう・・・。」
それは俺が変わってしまった日の、異音の呟きだった。俺が変わって異音が変わった。つまり、すべての原因は俺。ちょっとすりむいたり、ちょっといじめられただけですぐに泣く、俺が原因。
「もう、俺が悪いことくらい分かってる。だから、早く異音を・・・。じゃないと異音は。異音は・・・。」
また、涙がぼろぼろ零れ落ちてきた。
「はは・・・。泣き虫だなぁ。俺。」
俺は既に涙でぐしょぐしょになった袖で、何度も何度も涙を拭った。そして、変化が現れるまで、どこへともなく叫び続けた。異音を助けてほしい・・・と。すると、しばらくして、目の前に今の異音が映し出された。だけど、その異音は今までの映像とは違い、生命が感じられた。俺にはそれが誰なのか、すぐに分かった。
「異界の・・・分身。」
呟くと、異音、いや、異界は答えた。
「私を制御する者。よく来ました。ここは異界のすべてをコントロールできる、異界の核みたいな場所。私ははるか昔から、この町をここから眺め、守り続けてきました。あらゆる悪の意識、感情を取り除き、この町に存在する偽造異界に放り込むことで、この町はずっと平和でした。でも、いまやその平和が破られようとしています。いえ、正確には破られようとしていました。一人の破綻者によって・・・。」
漢字３文字が重くのしかかってきた。
「破綻者・・・。俺のことだな。」
「そもそも異界の管理者は、精神的に強くなければ管理なんてできません。いえ、弱くてもみんな強くなって、いずれは管理者として相応しい人間に成長していきます。でも、あなたは違った。」
「俺は強く願いすぎた・・・。泣き虫を直したい。強くなりたい。誰にも負けたくない・・・。贅沢すぎた・・・。それは反省してる。だけど、だからってなんで異音が罰を受ける必要があるんだ！？」
急に声が大きくなったのが自分でもよく分かった。
「私はここでしか生きられない存在。だから、私は町の様子を見るべく、毎回一人の少女を分身として町で生活しています。少女が死んでは生まれ変わり、死んでは生まれ変わりを繰り返して・・・。確かに人間としての個人的な差は毎回あります。成長。寿命。趣味。他にも色々。でも、一つだけ共通していることがあります。それは名前。私は私の意志を宿わせた分身に、異音という名前をつけました。異なる音を持つ少女。つまり、他の人とは少し違った存在という意味を込めて。」
それはまた、驚くべき事実だったけど、今は驚いている場合ではなかった。俺は静かに、異界が言うことに耳を傾け続けた。
「本来なら普通の人間と同じで、７，８０は生きるんですけど、あなたのおかげで分身の命の火は、もう消えようとしています。先ほど、あなたは私に向かってこう叫びましたね。罰ならいくらでも受ける、と。本当にその覚悟、あなたにはありますか？昔の状態に戻るならまだいい。下手をすればあなたはこの世から消滅します。それほどの業をあなたは背負っているんです。それでも、あなたは私の分身のために命を捨てれますか？分身はいくらでも作れますが、あなたはあなた一人。次に生まれ変わるとしても、人間に生まれてこれるかすら分からない。それでも、あなたは私の分身を助けたいと思いますか？」
これは異界が俺に対して挑戦している。そう思い込んだ。ここで逃げたら駄目だ。そしたら今度は異音どころか、亜紀や修輔、冬樹も失ってしまう。そんなことになるくらいなら、死んだほうがマシだ。そう思った。俺は言った。
「確かに死ぬのは怖い。でも、俺は異音に生きていてほしいんだ！もう一度あいつの笑う顔が見たい。あいつと話がしたいんだ・・・。もし異音が助かるなら、俺は、この身を異界にささげる！」
しばらくの間、両者共に黙ったままだった。だけど、やがて異界が口を開いた。
「・・・そうですか。あなたの強く分身を想う気持ちは、とても強く感じられました。」
そして、異界は地面に座り込み、手を付いて目を瞑りながら言った。
「今、異界にあるあなたのすべてを、あなたの中に戻しました。これであなたは再び昔の状態からやり直さなければなりません。でも、もう心配は要らないでしょう。あなたは充分成長した。もう、強がる必要なんてありません。行きなさい。異音の元へ。恐らく、異音は目を覚ましているでしょう。」
最後の方、嫌な言葉を聞いた気がして、俺はそれを指摘した。
「恐らく？どういうことだ。」
「・・・あなたが決心したとき、既に分身の命の火は消えていたんです・・・。遅かったんです。少しだけ・・・。でも、これくらいならまだ大丈夫かもしれません。確立は五分五分です。生きているか、はたまた消えてしまっているか・・・。もう、異界の扉は完全に閉めます。また、次の代の管理者が誕生するまで、ここは決して開くことはありません。だから、もうあなたの仕事は終わりました。早く行ってあげなさい。そうすれば、少しでも生き返る確立があがるかもしれません。」
俺は返す言葉もなく、涙を流していた。
「さようなら。管理者、恭介。もう一人の管理者、神子にもよろしく伝えておいて下さい。それでは、本当にさようなら。また、会える日まで・・・。」
瞬間、目の前が眩しくなって俺は気を失った。
　目を開けると、そこは親父の部屋があった場所の前だった。見ると部屋はなく、壁に変わっていた。
「夢じゃ、ないんだな・・・。」
そう呟き、何かが握られている手のひらを見た。手の中には、鍵が納まっていた。
「また、いずれ俺の子供が産まれたとき、この鍵はそいつに渡すんだな・・・。」
なんとなく感傷に浸っていた。だけど、すぐに正気に戻り、俺は慌てて家を飛び出していった。俺の家から異音の家までは近いはずなのに、既に涙が流れ始めていた。このままじゃ本当に涙腺が枯れそうだ。俺は異音の家に飛び込むと、部屋まで駆け上った。すると、異音の部屋の前で姉貴が座り込んで泣いていた・・・。声を上げながら・・・。
「姉貴・・・？」
俺は涙を拭って側に歩いていった。すると、俺に気付いた姉貴が顔を上げた。その美人系の顔は涙でぐしょぐしょだった。
「恭介・・・。異音ちゃんは・・・もう・・・。遅かったんだ。遅かったんだよ・・・。恭介。」
「そ、んな・・・。」
俺の心臓は高鳴った。今まで以上に。これ以上にないくらいに。そして、俺は異音の部屋のドアを勢いよく開け、異音の元へと走っていった。
「異音！おい、異音！」
叫びながらベッドに横たわる異音を抱きかかえた。その異音の体は異常なまでに軽かった。まるで、中身が空っぽの抜け殻のように。少し前、人間は死んだら体重がほんの数ｇ軽くなるってことを聞いたことがあるけど、それが本当なら、今の俺にはそれが数ｋにも数十ｋにも感じられた。
「異音・・・。ごめんな・・・。俺が、俺がわがままなばっかりに。」
俺は華奢な異音の体を壊れない程度に抱きしめた。だけど、なぜか涙は出なかった。
「なんでだよ・・・。なんで肝心な時に泣けないんだよ！なんでこんなに苦しいんだよ・・・！くっそぉ！！」
俺は泣きたくても涙が出ない、慣れたはずなのに気持ち悪く感じる感覚をこらえながら、必死に異音を起こそうとした。涙が出なくて異音が起きない。そのときの俺には、『かなしい』という文字を二つ組み合わせた、悲哀という言葉がぴったりだった。哀れで、それでいて可哀相な存在。それが、その時の俺だった・・・。
「異音・・・。ごめん。ごめんな・・・。」
俺は返事がない異音に、何度も何度も謝った。謝ったところで異音に変化が訪れるわけがないのに・・・。ただ、その時はどんなものにでもすがりたかったんだろう。ただひたすら謝り続けた。ごめん。ごめん・・・と。

　　一ヵ月後―――。
　「そろそろ冬だなぁ。寒い・・・。」
俺は厚手のコートを羽織っているにもかかわらず震えていた。異界町の冬は早い。まだ１１月だというのに、既に雪がちらついていた。
「ったく。準備に手間取りすぎだろ。これじゃあ俺が凍死するぞ・・・。」
豪快にくしゃみをして、再び震えると、「遅れてごめんね」という声と共に、俺を待たせていた相手は現れた。
「遅い。早くしないと学校遅刻するぞ。」
「え？もうそんな時間？じゃあ走らないと・・・！」
そう言ってそいつは走り出した。俺も慌てて後についていく。
「走らなくてもぎりぎり間に合うし、歩いて行こうぜ。」
「走ると体があったかくなるし、一石二鳥でしょ。ほら。走る走る！」
「ったく。あの時の俺の苦しみはなんだったんだよ・・・。」
俺がぼそっと呟くと、おれが聞こえたのか、そいつは立ち止まった。
「ん？歩いていく気になったか？そうかそうか。それはよかった。」
俺が言うと、そいつは涙を浮かべながら言った。
「ごめんね・・・。心配かけて、ほんとにごめんね・・・。」
まるで俺が泣かせたかのような状況に、俺は戸惑った。俺はとりあえず片手でそいつを抱き寄せて、耳元で呟いた。
「俺の方こそ、ごめんな。俺、もう、逃げないから。弱くても強くなるように努力するから。だから、もうどこにも行くな。さよならなんて言うなよ。」
周りの視線なんて気にならなかった。少しの間、俺らはそうやって体をひっつけていた。だけど、その幸せはそいつによって破られた。
「あ！学校遅刻する！恭介！走らないと！」
「ああ。そうだな。」
俺はそいつと手を繋いで走り出した。あれからこの一ヶ月、色々あった。俺は亜紀に振られた。正確には、振ってくれたと言うべきだろうか。俺の気持ちを察しての行為だった。そして姉貴は高校卒業まではここにいるらしく、今は俺の家に住んでいる。２人だった家も、４人になると狭くなるものだ。もっとも、その４人のうち男は俺一人というわけだからたまったもんじゃない。学年の男子からは羨ましがられ、家では色々面倒で・・・。だけど、俺は今を幸せに生きている。あの時、どうして異音が目を覚ましたかは、今は言えない。理由は異音が一番よく知っているから。そして俺は、これからも一緒にいると誓った。異音と。ずっと。永遠に・・・。どんなに悲しいことがあっても、それがたとえ二倍の悲しみを持つ、悲哀だったとしても、俺らは二人で乗り越えていく。そう、約束した。すべてを知った、学校の屋上で・・・。