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六六六の会コミュの九州独立を疎外する日田の地

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弱体化したヤマトを立て直し継体天皇は百済との関係を深めていった。しかし、新羅は伽耶を攻める。守る為に援軍を出す継体。しかしその邪魔をする人物が現れる。

筑紫の磐井である。九州の独立を目指し、豊や肥と、そして朝鮮半島の新羅とも手を結ぶ。しかしヤマトに最後は負ける。磐井の乱である。


これを邪馬台国として考えるとわかりやすい。

鉄の独占をつづける九州にヤマトは危機感を感じていた。そこでヤマトは吉備や出雲は手を結び、九州遠征に向かう(神功皇后・武内宿禰=浦島太郎)。
 ヤマトは下関から日田に次第に進出していく。北部九州をおさえたヤマトは日田拠点を設ける(豊臣・徳川の天領と同じ)。残るは筑紫の卑弥呼となる。卑弥呼は奴国から次第に南下するしかなかった。最後に逃げ落ちた場所は八女・山門であろう。

 ここで奴国と日田の小迫辻原遺跡にはヤマト・出雲の土器(布留式土器)が出る事からヤマトの進出がわかる。ただ伊都には布留式土器はみられない事から伊都よりヤマトは伊都より奴国を重要視したのも筑紫に向けた南下の理由だろうと想像する。

 神功皇后と武内宿禰は、九州総司令部の日田に入り筑紫の卑弥呼を攻める。

時代は違うが継体天皇も武内宿禰も日田に進出し、拠点をつくったに違いない。もちろん繰り返すが、豊臣も徳川も同じである。

 九州が独立しようとする時、ヤマトや東国江戸は、きちんと日田に楔(くさび)を打ち込み政権安定を狙う。

 日田という地はある意味九州独立を疎外した意味深な地である。

明治維新でも、日田は日田県となり、初代日田知事は日田金を持ち去り日本銀行を創設した。

歴史は繰り返すのであって。その歴史認識は日田の将来像も見えてくると私は思う。

ただその思想も、交通状況や政治の安定した今の時代にはかけ離れているだろうが、少なくとも、夢は描ける。

日田は重要拠点であるが、歴史は日田を”ひた隠し”にしてきた。日田には独特の文化と人間性があるもの、歴史から封印され、ことごとく潰された歴史背景がある。あるときは団結しあるときは殿様。長い歴史の中での体の中にDNAとして残されいるのではないか。

しかしその封印を解くのも我々なのである

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