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山陽本線沿線観光コミュの不動院

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 広島県広島市東区牛田新町3-4-9
 https://www.google.com/maps/@34.4269885,132.4739217,17z
 新白島駅よりアストラムライン不動院前駅下車。

 真言宗別格本山新日山安国寺不動院は、寺伝によれば奈良時代に行基によって開基されたとなっていますが、本尊の木造薬師如来坐像〔重要文化財〕は平安後期の様式である檜材寄木造であるため、平安時代までに創建されていたのは確かだと推定されています。
 その後、足利尊氏・直義兄弟が後醍醐天皇の菩提を弔うため日本全国に設立した安国寺利生塔(リショウトウ)の一つである臨済宗五山派安芸安国寺とされ、銀山(カナヤマ)城を本拠とした安芸国守護武田氏の菩提寺ともなって繁栄しました。
 戦国時代になると、天文10(1541)年に大内義隆の命を受けた毛利元就によって銀山城主武田信実は出雲国へ逃亡、銀山城を託された従兄弟の武田信重は徹底抗戦を貫いたものの落城して自害に追い込まれます。この際、信重の子が密かに城を脱出して安国寺に匿われて出家、後に京都五山の東福寺で修行しますが、この子が安国寺恵瓊(アンコクジエケイ)です。
 その後、戦火により安国寺の伽藍も灰燼に帰してしまいましたが、毛利氏の外交僧となって活躍していた安国寺恵瓊により復興されました。更に恵瓊が豊臣政権に於いて伊予国60000石の大名となったため、安国寺にも天正19(1591)年に1万1000石の寺領が与えられています。
 太閤豊臣秀吉の遺髪を納めた供養塔も設けられました。
 関ヶ原の戦いで西軍に組した恵瓊は斬首され、安国寺に墓所が設けられています。
 毛利輝元も減転封された後、福島正則が安芸・備後両国498000石の領主として広島城へ入ると、正則の祈祷僧である宥珍(ユウチン)が安国寺の住持となり、臨済宗から真言宗へ転向させました。そして、不動明王を本尊とする不動院を本坊としたため、以後は不動院と呼ばれる事が多くなります。福島正則が信濃国川中島へ減転封後に死去すると不動院にも供養塔が建てられています。
 福島正則に代わって広島藩主となった浅野氏歴代は不動院の保護を続けました。
 大東亜戦争中、不動院は牛田地区の住民のみならず、中国軍管区司令部通信部等の様々な機関の疎開先に指定されていました。昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾投下の際、爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛び、不動堂の柱の一本が中央から折れたものの、伽藍の倒壊は免れました。ここは爆心地から約3.9km地点ですが、牛田山の尾根が間に位置していたため、被害が軽くて済んだのです。
 この結果、当日は市中心部から北方へ避難してくる被曝者の受け入れ先として機能し、境内は多くの負傷者で溢れ返りました。
 楼門〔重要文化財〕は文禄3(1594)年の建築で、楼門と称していますが、建築形式的には「楼門」では無く、上層・下層境にも軒の張り出しを作る「二重門」です。安国寺恵瓊が朝鮮出兵の際に持ち帰った材木で建築したとされています。
 楼門に立つ木造仁王立像〔広島県指定文化財〕の大願主は円妙房阿闍梨(エンミョウボウアジャリ)快賢、仏師は性智房等で、永仁2(1294)年の作です。更に阿形(アギョウ)頭部耳後の矧目(ハギメ)に墨書があり、正保2(1645)年に芸州藩主浅野光晟(アサノミツアキラ)が仏師善助に仁王像の両眼を補修した事が記されています。
 金堂〔国宝〕は、元来、山口市にあった禅宗寺院で大内氏の菩提寺凌雲寺の伽藍を天正年間(1573〜92)に安国寺恵瓊が当地へ移築した物です。
 天井の墨書から天文9(1540)年の建築と判明しており、屋根は柿葺(コケラブキ)入母屋造(イリモヤヅクリ)で、二階建ての様に見えますが、構造的には一重裳階(モコシ)付きで、桁行三間・梁間四間の身舎(モヤ)の周囲に裳階を巡らしており、裳階は正面側の奥行一間分を吹き放しとしています。
 現在の不動院は真言宗寺院ですが、本来は臨済宗でしたから、金堂の建築様式は典型的な禅宗様(唐様)であり、内部を土間床の一室とする点や、中央を鏡天井として周囲にぎっしりと組物が並ぶ天井の構成の外、桟唐戸(サンカラト)・花頭窓(カトウマド)・礎盤(ソバン)付き柱・扇垂木(オウギダルキ)等に禅宗仏殿特有の形式が見られます。天井高は8.6mに達する壮大な建築です。
 鐘楼〔重要文化財〕は永享5(1433)年の建築で、天正16(1588)年頃に安国寺恵瓊によって移築されて来たと推定されています。梵鐘〔重要文化財〕は安国寺恵瓊が文禄の役の際に戦利品として朝鮮王国から持ち帰った物で、高麗王国時代(918〜1392)初期の作です。
 紙本墨書不動院文書〔広島県指定文化財〕には、安国寺恵瓊関係の書状・豊臣秀吉朱印状・毛利輝元書状・福島正則書状等が含まれています。
 その外、不動院は塑造無準禅師像〔広島市指定文化財〕・木造聖一国師像〔広島市指定文化財〕等の多くの文化財を所蔵しています。

コメント(8)

 木造仁王立像〔広島県指定文化財〕です。
左;鐘楼
中;楠
右;納経所と不動堂
左・中;稲荷社 祭神;宇迦之御魂神
右;墓地
左;銀山城主武田刑部少輔墓
中;太閤豊臣秀吉供養塔
右;安国寺恵瓊墓
左;参議福島正則墓
中;庭園
右;被爆時の状況

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