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山陽本線沿線観光コミュの海神社

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 兵庫県神戸市垂水区宮本町5−1

 延喜式名神大社。官幣中社。
 垂水駅の南東100m。
https://www.google.com/maps/place/%E6%B5%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.6289223,135.0535652,19z/data=!4m8!1m2!2m1!1z5Z6C5rC06aeF!3m4!1s0x600083bd3cc4107b:0xe1e3d171b481c2a9!8m2!3d34.6288077!4d135.0542711
 社伝によると、西暦201年に神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため、上津綿津見神(ウワツワタツミノカミ)・中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)・底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)の綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりとされています。
 一次史料への初出は大同元(806)年の『新抄格勅符抄(シンショウキャクチョクフショウ)』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述で、 当所は海上交通の要地である事から、古くから海上鎮護の神として崇敬を受けていたと考えられます。
 延長5(927)年の『延喜式神名帳(エンギシキジンミョウチョウ)』では名神(ミョウジン)大社に列しており、伊和(イワ)神社・粒坐天照(イイボニマスアマテラス)神社と共に播磨三大社とされています。
 古くは「アマジンジャ」「タルミジンジャ」と呼ばれており、本来は当社の祭神が海直(アマノアタイ)の氏神である垂水神だった証左となっています。
 中世には戦乱によって衰微しますが、天正11(1583)年に羽柴筑前守秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬して毎年2月に参拝するのが通例となりました。
 江戸時代初頭から「日向大明神」の別称が定着しましたが、本居宣長(1730〜1801)は本来の海神社と呼ぶべきだと主張し、更に「海」を「ワタツミ」と読むべきだとの説を唱えています。
 明治4(1871)年に国幣中社に列した際に宣長説に従って「海神社」に復称し、読みも「ワタツミジンジャ」と定められましたが、地元では「カイジンジャ」と呼ばれる事が多い様です。明治30(1897)年には官幣中社に昇格しています。
 昭和時代前半までは砂浜に面していましたが、現在は埋め立てが進んで海面は遠のいています。
 夏祭りの際には、境内の茅の輪を潜って厄除けを祈る行事が行われ、10月12日の秋の例祭の際には神輿を乗せた御座船が海上渡御を行ないます。

コメント(3)

左;拝殿
中;本殿
右;蛭子大神・猿田彦大神・稲荷大神を祭る摂社
左;七福神像
中;JR垂水駅
右;山陽垂水駅

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