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北村太郎コミュの北村太郎さんへの追悼文

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21年前にぼくが書いた、詩人の北村太郎さんへの追悼文が出てきた。北村さんは文学史上に燦然と輝く「荒地」の同人で、名高い詩人。やはり「荒地」の同人で、旧制中学の同級生だった田村隆一さんとその奥さんを巡り、恋愛事件を巻き起こした。この顛末をねじめ正一さんが「荒地の恋」という小説にしているが、あまりにも親しかった人がモデルになっているので、ぼくは読む気がしないでいる。

詩人の北村太郎さんと最後に電話で話をしたのは去年の10月の初め頃のことである。その数日前、北村さんは所用で東京に出かけた帰り、鎌倉の東急ストアで買い物をし、江ノ電で自宅に帰るため、駅に向かったそうだ。東急ストアは表駅にあり、江ノ電の改札口は裏駅にあるのだが、通常は横須賀線の下を通る迂回路を使って表駅から裏駅へと抜けてゆく……。
「あの道を通ればいいとはわかっているんだけど、躯がダルくて動かないんですよ。それでわざわざJRの入場券を買って駅に入っちゃった。……いやぁ、ぼくもいよいよダメかなぁ」
 北村さんはいつもの調子で、他人事のように淡々と、ときには笑いさえ交えて、自分の死について話す。あまりにあっけらかんと話をされるので、聞いているこちらのほうがついドギマギしてしまう。ぼくはそこまで悪くなっているのかと内心愕然としたが、「大丈夫ですよ」などとヘタな気休めをいう気にもなれず、受話器に向かってオロオロしながら「そうですか」と、間抜けた相づちを打った。
 その1週間ほど前、北村さんは主治医から即日入院を申し渡されていた。専門医からみれば、それほど北村さんの病状は予断を許さぬものだったのだろう。北村さんはその申し出を、身辺整理のため、2、3週間の猶予をいただきたいとやんわり断ったそうである。
「そのかわり、1週間に一度検査に行くということで許してもらったんですが、先生からそんなに整理することがあるんですかと笑われちゃいましたよ……でも、今度入院したらもう二度と帰ってこられないような気もするし……帰ってこられればいいんだけど……まあ、これも運命だから、どうでもいいんですけどね」
 と、北村さんはまた笑い、
「明後日、病院に行くんですよ。夕方には帰れると思うから、よかったら晩飯でも食おうよ。ぼくは食べられないけど、キミには寿司ぐらいご馳走しますから……」
 よくは覚えていないが、多分ぼくは曖昧な返事をし、受話器に向かって恐縮しながら電話を切ったのだろう。
 北村さんの病気は多発性骨髄腫という血液のがんである。北村さんはよく「医者が子の病気だけでは死にたくないという悲惨な死に方をするのがぼくの病気なんですよ。……でも、どういうわけか、そんな話を聞かされていても怖くないんだな。これもあれもすべて運命だから……」と、静かに笑いながら話をしていた。ぼくはどうしたら、一体、自分の死に様をこんなに穏やかに、突き放したように語ることができるのか、何度も訝しがり考えた。二十歳代に最愛の妻子を奇禍で失い、再婚、出奔、恋愛事件、そして、助かる見込みのない病に冒され……等等、北村さんの半生に起こったさまざまな幸不幸を頭の中で思い巡らしてはみたものの、言葉で並べてしまえばそれだけのことで、ぼくが北村さんでない以上、ただ言葉だけが頭の中の螺旋階段を降りてゆく。
 いつも細やかに気を配り、笑みを絶やさず、深刻な状況なのに深刻ぶることをせず、相当なインテリなのにインテリぶることもせず、ボロボロとときおりみせる生に対する執着も、すべて自己を戯画化かするというオブラートでくるみ……北村さんに一度でも会い、話をしたことがある人ならこの人を好きにならないほうがおかしいのではあるまいか……よくそんなことも思った。
 ともかく、翌々日の晩、ぼくはオカズを買い込んで、稲村ヶ崎にある北村さんの家に行った。だが、玄関でいくらベルを鳴らしてみてもだれも出てこない。北村さんは無類の猫好きで猫を何匹も飼っており、彼らが出入りできるよういつも庭の戸は開けてある。前々から留守のときは勝手に庭の戸を明けて入ってもいいよといわれていたので、ぼくはちゃっかりと上がり込んだ。部屋の中は底冷えがするほど寒かった。机の上に乱雑に積み重なっている本などめくりながら、1時間以上待ったが、北村さんは戻らなかった。よもやとも思ったが、まさかとも思った。そして、情けないことにどうにもこうにも腹が減ってきたので、ぼくはトボトボと家に引き返した。
 夜遅く、友達から電話があり、北村さんが強制入院させられたことを知った。だれの見舞いも固辞するとのこと。入院からわずか18日後の10月26日午後2時27分、北村さんは亡くなられた。ぼくはそんなことも知らずに、テレビの前で日本シリーズの最終戦に熱狂していたのであった。亡くなる数日前に石川県から駆けつけた友人の前で、北村さんはうれしかったのか悲しかったのか、泣いたそうである。だが、そんな話もいまはもう後日談となってしまった。
 あれから北村さんの晩年の詩集を枕頭に置き、夜ごと、聖書をひもとくように開いてみるのだが、平易な言葉の連なりにときおり、ストンとした深淵を垣間見るようで、読めば読むほどたじたじとなる。自分の不可解さがいや増すばかりで、とんでもないものを北村さんは遺していったと、彼岸の奈辺で勝手に困惑してみたりもしている。

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