ハリウッド50年代/ Hollywood 50s Vol.7:ダグラス・サークとメロドラマの世界-1 Douglas Sirk 1897〜1987 ★1897年ハンブルグで生まれたデトルフ・ジールクはハンブルグ大学、ミュンヘン大学在学中より演劇に興味を持ち、俳優、プロデューサーを務め演劇人として成功する。34年絶世期のウーファ社に招かれて入社、当時ウーファではラングら有能な監督たちが亡命したために才能ある監督がいなくなっていたのと、トーキー化によって演劇人が映画界に招かれたことが大きな要因であった。ジールクの別れた妻はナチの党員になっており、ジールクはユダヤ系の女生と再婚していたため息子を引き取った妻は父親と会わせようとしなかったため、俳優となった息子とジールクは会うことが出来ず映画の中で息子を見るしかなかったという。ジールクは脚本家から34年には監督になり『第九交響楽』が大ヒット。'37年の『世界の果てに』『南の誘惑』はウーファの女優ツァラ・レアンダーを主演作。ヒトラーやナチの連中にも気に入られナチ政権下の人気監督になりつつあった。しかしナチスに嫌気がさしたジールクは妻とともにイタリア経由でアメリカに亡命。スイス、フランスでも監督するがワーナーの『世界の果てに』リメイク要請でハリウッドに渡った。そこで名前をダグラス・サークとして生まれもデンマークとした。しかし企画は実現せず、結局地方で養鶏場を経営したりもするが、42年にはコロンビア脚本家となる。しかし監督は出来ないまま結局MGMで'43年に反ナチ映画『ヒトラーの狂人』を撮り認められる。イギリス人俳優のジョージ・サンダースと仲良くなり、サンダース主演で44年『夏の嵐』、『パリのスキャンダル』『誘拐魔』を撮った。コロンビアでも監督をするが B級作品ばかりだった。ようやくA級作品が撮れる条件で'50年からユニヴァーサルと契約。専属となって製作者ロス・ハンターやアルバート・ザグスミスと組み、『心のともしび』'54、『風と共に散る』'56、『大空の凱歌』'56、『翼に賭ける命』'58など、主にロック・ハドソン主演でメロドラマを連作したが59年の『悲しみは空の彼方に』を最後に'60年にはスイスに渡って引退生活を送った。その後'70年代に再評価されダニエル・シュミットやファスビンダーにとっての心の師となったが1987に死亡。今年(2006年)1月にジョン・ハリディのよるサークのインタビュー本「サーク・オン・サーク」が出版された。
「愛する時と死する時」A Time to Love and aTime to Die 1958/U.S.A./132min ユニヴァーサル作品 製作●ロバート・アーサー 監督●ダグラス・サーク 脚本●オリン・ヤニングス 原作●エリッヒ・マリア・レマルク「生きる時と死する時」 撮影●ラッセル・メティ 音楽●ミクロス・ローザ セット●ラッセル・A・ガウスマン 衣装●ビル・トーマス 美術監督●アレクサンダー・ゴリッゼン、アルフレッド・スゥイーニー 出演●ジョン・ギャビン(エルンスト・グレーバー)、 レゼロッテ・パルヴァー(エリザベス・クラウゼ)、 ジャック・マホニー(インマーマン)、ドン・デフォー(ボェッチャー)、 キーナン・ウィン(ローター)、クラウス・キンスキー、 エリッヒ・マリア・レマルク(ポールマン教授)、ドロテア・ウィーク、 ■『西部戦線異状なし』'30で知られるレ・マルクの原作。主役は50年代半ばまで組んだロック・ハドソンに替わって新人ジョン・ギャビンとヨーロッパ女優のレゼロッテ・パルヴァーである。最初のキャスティングでは主演はポール・ニューマンの予定であった。撮影は名コンビのラッセル・メッティ、ドイツからはレオニード・モギーの『制服の処女』で知られるドロテア・ウィークの姿も見られ、サークの友人でもあった原作者レマルク自身もポールマン教授役で出演している。すべてのシーンはサ−クの母国ドイツで撮影されドイツからのスタッフ、キャストも多く後にホラーやマカロニ・ウェスタンで活躍し、ナスターシャ・キンスキーの父親でもあるクラウス・キンスキーもゲシュタポ将校役で出演している。サークはドイツでラフ・カットの編集をしたが最終的にはプロデューサーがファイナル・カットしたためサークは満足できなかったが、骨格はサークが作ったものであった。この時サークはドライヤーの「ゲアトルード」や「怒りの日」の影響を受けており、カットを普通より長くすること(先送りする)で物語を強調することを学んだという。
「悲しみは空の彼方に」Imitation of Life 1959/U.S.A./124min ユニヴァーサル作品 制作●ロス・ハンター 監督●ダグラス・サーク 撮影●ラッセル・メティ 脚本●エレノア・グリフィン、アラン・スコット 原作●ファニー・ハースト 音楽●フランク・スキナー、ヘンリー・マンシーニ(ノン・クレジット) 衣装デザイン●ビル・トールマン、ジューン・ルイス 編集●ミルトン・カラス 録音●レスリー・I・カーニー 主演●ラナ・ターナー(ローラ・メレディス)、ジョン・ギャビン(スティーヴ・アーチャー)、 サンドラ・ディー(スージー)、ロバート・アルダ(アラン・ルーミス)、 スーザン・コーナー(サラ・ジェーン)、ダン・オハーリヒー(デヴィッド・エドワーズ)、 マヘリア・ジャクソン(特別出演) ■ダグラス・サークのハリウッド最後の作品でジョン・M・スタールの「人生の模倣」のリメイク。本作は最も有名な作品でもあり、日本でもかなり多くの人々が見ており大いに涙したメロドラマの傑作である。ラナ・ターナーはかつてMGMでジョーン・クロフォードの後継者として売り出したが、'50年代にはヒット作もなくユニヴァーサルに移った。そして『青春物語(ペイトン・プレイス・ストリー)』'57年が大ヒット。しかしこれは彼女の娘が愛人を刺殺したスキャンダルによるもので、この後ロス・ハンターと契約し出演したのが本作である。タ−ナ−自身は出演を嫌がったがサークらが説得したのである。一方サンドラ・ディーはロス・ハンターに発見されこの後『避暑地の出来事』'59年でトロイ・ドナヒューとのコンビで'60年代青春スターの地位を獲得する。後にボビー・ダーリンと結婚した。サークはこの後、キャリアの絶頂期でユニヴァーサルとの契約を打ち切り病のためもあって引退しスイスに移り住んでその生涯を終えることになるのだが、1970年代になってファスビンダー、やシュミットらによる再評価もあって再び注目される。ファスビンダーとの出会いから'78年には『バーボン・ストリート・ブルース』を学生たちと集団製作している。'84年にはシュミットのドキュメンタリー『人生の幻影』に出演し「メロドラマ」について多くを語った。